剣士達の熱い成長譚
例えば飛羽真は作家としても剣士としても成長し続ける一年間だった。
そして第一話からあった約束を守るひたむきな誠実さと、ルナを救い出そうとする意思は一度もブレていない。
最終的にルナは消えてしまう。
けれどそれは飛羽真の意思を感じ取った、彼女自身が決断したから。
ルナはただ守られるだけのお姫様じゃなく、意思を持った一人の人間なのだ。
飛羽真だけでなく、ルナからも手を伸ばして掴んだ希望が、ストリウスを破る力となった。
私が最終章で一番熱いと思ったのは、一度は倒された飛羽真が、プリミティブドラゴンによって救われるシーン。
プリミティブは孤独で誰も受け入れない子供だったが、飛羽真の作る物語に触れて孤独から脱した。
それを理解しているから、エレメンタルではなく飛羽真を救い、単体でも暴走せずにストリウスと戦えた。
これは飛羽真が小説家としてプリミティブに向き合ってきたからこそ起きた奇跡なのだ。
倫太郎は、孤児で組織を家族として信じて、聖剣に選ばれた者として特別な人間(ホモサピエンス)として位置付けていた。
しかし自分も普通の人間として弱さを認め、盲信していた組織の家族像からも脱却して、大切な仲間として絆を深めていった。
そして最後には比喩ではない本当の家族を手に入れる。
一年を通して成長が描かれており、要所のイベントも全てハズレなしで熱い展開が安定していた。
何よりも輝かしい成長を遂げたのは、以外にも緋道蓮だと私は思う。
蓮は前半最も扱いがよろしくないと感じていた剣士だった。ムカつくけど強いキャラなのに、強さを示せる場面にあまり恵まれない。
仲間割れした中盤以降も組織の命令に左右され右往左往する。自分本位な性格している割に周囲の環境に対して弱い。
組織を離脱してからも中々戻らないが、デザストと組んでもやっていることは麺を啜るばかり……それらは明らかに無駄な行動だった。
だが、この無駄は蓮の弱さとリンクしていく。
強さを信奉する蓮は、その指標を賢人に置いていた。けれど賢人への信頼は同時に盲信だ。
確かに賢人は剣士として強いが、内面には脆さがある。蓮はそこを一度も見ようとはしなかった。
そして賢人がいなくなるとどうしていいかわからない。憤りをぶつけることも中々叶わないのは、案外他人の命令に従っているから。
その組織に対する信頼も揺らいでいるから、新たな指示を求めて、自分はどうすればいいのか他の剣士達に問いだす。
答えが見つからず闇雲に剣を振るうが、曇った切っ先では成果を出せない。
それら全てを迷走として捉え、真の強さとは何かと彷徨い続ける。
そして皆の言葉や在り方を見て迷いに迷った末、仲間の剣を模倣し始める。それは裏を返せば自分がないことを認めた証。
皆が飛羽真に説得されて戦い、剣士としてあり方を見つけた。
もしここで戻ってくるよう説得を続ける飛羽真に賛同しても、やはりそれは本当の強さではなく誰かの言葉に従っただけだ。
強さの本質とは何なのか。その答えを蓮に突き付けたのはデザストだった。
お前はそのままでいい。
飛羽真の正しさも、倫太郎の家族観も、それは当人達の強さでしかない。
賢人を信奉したのだって、剣士としての強さしか見ていなかったからで、けどだからこそ蓮は強かった。
強さに対する執着は、強さに対して何処までも真剣で真摯だった。
デザストが惚れ込んだのはそういう蓮なのだ。
蓮が組織内にいながらも関係ねえと振り切れて暴れた時は、デザストに煽られて二人でリンクして結果的に共闘したタイミングだった。
強さを真っ直ぐ探求する在り方こそ、蓮の本質。
デザストは最後まで蓮の背中を押し、最終決戦では、唯一単騎で敵の撃破に成功する快挙まで成し遂げた。
剣士としての強さを取り戻した蓮は、賢人への依存もなくなかっていた。
「足を引っ張るなよ」と言い放ったのは、自分の強さに自信を持って誰に頼る必要もなくなった証だ。
散々回り道をして、けれど自分を自分として肯定して強さを認めてくれる友の手で、風の剣士は真の強者となった。
剣士達の群像劇や、大きな物語の流れとして見ると仮面ライダーセイバーはモヤモヤがどうしても拭えない。
しかしキャラクター単位の成長物語として観てみると、しっかりとした積み重ねがあり、そこからの爆発力は大きな熱と感動を生み出す。
剣士の成長と生き様が重なった時にこそ、
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