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なぜSNSのオタク界隈は荒れるのか ~特撮界隈から見るSNS社会とオタク文化の闇~

2022年8月5日

第二章:パターン化とプレバン商法、或いはドンブラザーズに至る進化

コンプライアンスによる縛りプレイ

第一章では『仮面ライダーの賛否両論が起きているのは基本的に同じ』と説明してきたが、現在と過去では異なる部分も少なからずある。

例えば、仮面ライダーの奇抜なデザインは、ファンが慣れたことで昔ほど批判はされなくなった。
むしろかかっている制限内容は当時と今で異なるが、批判という行き着く結論は同じというパターンが多いかもしれない。

その一つがコンプライアンスと販促による、番組側の事情に沿った変化だ。
テレビ番組は放送倫理的な縛りが年々強くなっている。

近代での大きな特徴として、悪の組織の幹部やボス、邪悪な科学者の黒幕といった者が悪の仮面ライダーになる展開が増えた。
反面そういったファンタジー要素のない、リアルな凶悪犯罪者が仮面ライダーになることはできなくなっている。

世界を滅ぼす悪の魔王みたいな者は変身が許されて、懲役刑を免れなかった程度の暴行犯は許されない。難儀な話である。
まあ、当時からして変身すらせずただ画面に映っただけでクレームが入ったのだけど。

かつては怪人が人間を襲う描写も多種多様であり、視聴者に消えないトラウマを植え付けた者もちょくちょくいた。
現在ではトラウマどころか、怪人が一般市民を直接殺害する描写すらも避けられるようになっている。怪人とは……。

全体的に見ても、TV放映された仮面ライダーのトラウマシーンを挙げろと言われると、クウガや龍騎など初期作品の方が幅広くクローズアップされやすい。
近年の作品にもないわけではないが、数が少ない分だけ一点集中しやすくなっている。
(純粋な投票数は、近代作品の方が集まりやすいのでまた別の話)

ちなみに、Vシネマも含めれば、近年の作品もトラウマになるシーンは結構多い。
TVだと放送倫理の枷がいかに強いかを示す材料の一つだ。

子供をメイン層にした作品でトラウマを植え付ける是非(昔はザラにあったけど)は別にして、そうした規制の強化で脚本や表現に縛りが生じている。
昔はできていたのに現在ではもうできない。二十年以上も続いている長期コンテンツで、マンネリ回避に使える選択肢が減っているのは、決して小さくはない負担だろう。

多々買わなければ生き残れないへのシフト

だが、それよりももっと深刻な縛りが生まれていると私は思う。それが玩具の販促だ。
仮面ライダーの躍進は、常に玩具の売上と共にあり、切っても切れない関係にある。

仮面ライダーの変身アイテムはある時期から急激に増加した。
その契機はディケイドだろう。
(もっと遡れば龍騎までいけないこともないが、商法として一定の方式を確立したのはディケイドだと私は考えている)

ガンバライドとも連動したカードはベルトに読み込ませるだけでなく、それ自体がトレカとしてコレクション性を有している。
変身アイテムに対して個別の価値観を与えたのだ。

次に仮面ライダーWでメモリ二つを組み替えるフォームチェンジを経て、オーズではメダル三枚での切り替えとコンボが大ブレイク。
メモリからメダルで個数は倍以上になったのだが、次のフォーゼになるとスイッチが四十個以上で更に倍化。とにかく数を出す方向性へと舵をきった。

それでもフォーゼは作中で四十個を使い切り、おまけで劇場版の限定スイッチもしれっと使うサービスまで見せた。
しかしビルドのボトル48本は完全にやり過ぎ。しかもパワーアップアイテムは別枠で、ライダーの数も増加。到底作中で使い切れる数ではなかった。

これ以後は、作中で使用しないアイテムが商品化されるのがもう当たり前になっていく。
次のジオウは、作中に出たアイテム数ならビルドより少ないが、実際に発売されたアイテム数は過去最大ではなかろうか。
最終フォームウォッチなんて、最初から作中に登場する気配すらまるでなかった。
(とはいえ、ジオウ自体が十年に一度のお祭り作品であるため、ある程度は仕方ないとも言えるが)

それでも商品として成り立つのは、ディケイド時点から発生した『個別アイテム単体のコレクション性』がしっかりと確立されているため。
この方式を利用して、漫画の初回特典や、店舗別の特典として限定アイテムが付属するケースもある。

ただし、コンプリートしようと思ったら大人の財力が必須になってきた。
少なくとも、中学生以上が本気で小遣いを惜しみなく注ぎ込むぐらいの覚悟は必要だ。大人でも心が折れる人は珍しくないので、相当なレベルなのは間違いない。

フォームチェンジ数からパワーアップ数の時代へ

ジオウをピークとして、個別のアイテムは流石に減少傾向になっていく。
それでも一時期よりはというだけで、今でも十分大量で、やっぱり劇中未使用アイテムも多くあるのだが……。

その分増えているのが強化パーツだ。
フォームチェンジだけでもかなりの数がある中で、初期は一~ニ回しかなかった強化フォームが、今では四回以上が当たり前になっている。
中間フォームが二つになり、しかも片方(あるいは両方)が二段変身となって玩具の数を稼いでいる状態だ。

元々平成二期に突入してからは、派生フォームと共にこちらも増加傾向だったが、近年は特に増えている。
横の派生フォームは序盤で連続して登場させて消化し、その後は縦の強化フォームを増やす方式へのシフトだ。

本編に出て来ないアイテムより、確実に出てきて強くて格好いい強化フォームの方が、小さいお友達へのアピール効果は強いだろう。
コレクション性の面からみても、大きなお友達も購買意欲が刺激されやすい。

強化フォームの中に、さらに派生フォームのバリエーションが含まれるケースもある。
こちらもクウガの時代から存在はしており、欠点として強化からの派生は出番の量に明確な差があった。
それでもライダーが一人だったので大きな問題にはなっていない。縦の強化数とライダー数が絞られているウィザードの頃なら、まだクウガに近い状況だった。

オーズも最終フォーム以外の強化は全て派生だったが、通常の派生が亜種という特殊な環境で、強化は二段階しかなかった。
ビルドのように、亜種ですらない派生を使い切れないなんてことはなかったのだ。

セイバーだと音声収録はされているのに、本編では未登場の強化派生フォームもあった。
そういう幻のフォームは、もはや存在すら知らない人も多い。

ライダー数増加によるアイテム数稼ぎ

また一作品に対するライダーの数も、近年は目に見えて増加している。
龍騎では十三人の多人数ライダーを売り文句の一つにしていたが、それは劇場版やTVスペシャルなども全て含めた上で消化しきった。
また、一号と二号の強化フォームもそれぞれ一つずつに抑えている。

ゼロワンでは、最終的に十人近いライダーが登場した。劇場版やVシネマ等も含めれば龍騎を上回る。強化フォームの数も増やした上で、かつ多人数と銘打っていなくてこの人数だ。
(ベルト違いのライダーでも、変身者が同じ同種なら、あえて派生か強化フォームとして計算した上での数字)

ライダーの増加と共に、ベルトとアイテムの数も大きく増加している。
以前の多人数ライダーは数が多くても、ベルトはある程度共通のものを使い回す。

龍騎では、変身者のデッキケースはそれぞれに異なるが、根本のベルトはVバックルで統一されている。
続く多人数ライダーの鎧武も、戦極ドライバーとゲネシスドライバーの二種だけだ。

しかし、昨今では個別のベルトを使用することが増えてきている。派生や強化フォームのように見えて、実はベルトが異なる別ライダーなのは珍しくない。

サブライダーは、アイテムもライダー間で同じものを使い回すのではなく、色違いのベルトや色違いの強化パーツを作る。
強化パーツを付けることで、強化フォームではなく別ライダー化するケースも出てきた。
なんだか複雑化し過ぎて、たまにどのライダーがどのベルトでどのアイテムか、わからなくなるのは私だけだろうか。

これらの理由は、作品設定に依存するものもあるが、後述するプレバン商法が深く関わって起きた事象だ。

プレバン商法の功罪

玩具数増加の流れで、大人向けの変身ベルトやアイテム等も注力されだした。
大人向け商品は一部店頭販売があるものの、基本的にはプレミアムバンダイ(以下プレバン)での受注生産方式が多い。

店頭販売される変身ベルトは、小さなお友達が親御さんに買ってもらうためにコストを抑える必要がある。
一年間での大量生産や、別売りのパーツでも利益を上げる前提とはいえ、自ずと品質にも限界は出てくる。

それは武器やフィギュア等でも同様だ。
また子供向けのサイズ感や安全性から、(尖った部分の調整等で)再現度の限界も生じる。
(それでも昨今の玩具は、技術力の向上から安価で驚くべき品質ではあるのだけど……)

プレバンは大量生産によるコストダウンではなく、完全受注生産による高品質化を目指した。
そのため価格は跳ね上がり、大人向けを前提とした商品が多数を占める。

撮影に使われるレベルと遜色のないCSMベルトシリーズ。
プレバンだとDXシリーズですらも、店頭販売ではあり得ないレベルで凝った品質を追求してくることも珍しくない。

本物をできる限り再現したフィギュアーツも人気商品であり、昨今ではTVCMでも宣伝されている主力商品の一つとなった。
これらはまさに、特撮ファンが求めていた大人向けコレクターアイテムだ。
私が以前から仮面ライダーを『子供を主軸とした全年齢対象作品』と呼ぶ所以も、まさしくここにある。

他にもこれまででは『利益が出るか微妙だけどファンは欲しいグッズ』が、受注生産の形式を取ることで実現できるようになった。
痒いところに手が届くアイテムは本当に嬉しい。私はアクリルロゴディスプレイとフィギュアーツを並べるのが楽しくて仕方ない。

しかしこれらも、近年では物価や品質の向上によって価格がドンドン跳ね上がっている。
とりわけCSMベルトの価格は、今だと初期の三倍以上がザラにある。
DX系のベルトもプレバンだと一万円オーバーも出ていて、それこそ初期のCSMと張り合える領域だ。

値段の上がった弊害として、商品の不備に対する不満も強くなった。
「高額商品なのだから、質の維持に力を注ぐのも当たり前」という認識が強くなる。
ぶっちゃけお金持ちだと、懐の余裕から高級商品でも不備は大らかになるのだが、オタクは質と値段を天秤にかけて血を吐きながらグッズを収集する者が多い。妥協や容赦のラインは狭くなって当たり前だ。
SNSでの欠陥報告を眺めていると、それは個体差で済むレベルじゃないと思うものが、対象外と報告されたケースも時々見かける。

また商売相手が子供からコレクターになっていることから、本来は中身の商品を保護が目的となる外箱等の保全性も、大きく重要視されるようになっている。
これに対してバンダイはあくまで化粧箱(外箱)の本来の役割上、保証できないと一点張りの返答をしている話は、SNSにいればよく見かける光景だ。

直接自分に害はなくても、こういった不信感は降り積もっていく。
特撮作品は玩具との連動が前提になっているため、バンダイ絡みの問題もファンが批判する一因になっている。

買わせるための工夫も過ぎればヘイトを生む

変身ベルトは価格が大幅に向上しながら、同時に一作品毎の種類数も増えている。
しかも『キャラが人気なのでライダーになった結果ファンアイテムになりました』って感じだけではなく、明らかに『ベルト増やしたいからライダーを増やしました』感が透けて見えている。

邪推じゃないかと思う人もいるかもしれないが、純粋にファンの期待に応えるためのグッズ化なら、ベルトの種類を増やす必要はないのだ。

例えば、ブリザードグリスは本来予定されていなかった強化フォームであり、ベルトではなく強化アイテムのみの追加だった。
そのため値段も四千円以内で、変身ベルトに比べるとお求めやすい価格に収まっている。

ライダー一つに対して(カラー変更等も含めた)新規ベルトと、プラスαのアイテムを付ける。
追加スーツも、既存ライダーのカラー変更と、細部の変更や部分的な改修で済ますケースも増えてきた。

予算の事情があるのはわかっているが、新規ライダーが半年経たずに別ライダーの素材になっているのを見るのは、気持ち的にも少々切ない。
スーツのコストは下げて、販売するベルトやアイテムは増やすぜの精神。

「嫌なら買わなければいいじゃないか」は正論かもしれないが、ファンだからこその物欲や、欲しくても買えないストレスはどうしようもない。
それに購買意欲を煽る仕掛けも悪い方向に巧妙化している。

例えばベイルドライバーとデストリームドライバーユニットのセットは、三日間限定でコモドドラゴンスタンプを付けた。
予約商品が一番売れるのは予約開始直後のタイミングだ。

大抵のものは、三日程我慢すれば欲しい気持ちは落ち着いてくるという話を聞いたことはないだろうか。
日数に個人差はあるだろうけれど、商品を見たタイミングが最も物欲を刺激される。

それだけでなく人間は得をしたい気持ちより、損をしたくないという感情の方が強い
コモドドラゴンスタンプを純粋にベルトの特典として付けても、お得感は出るだろう。
しかし、これを期間限定の特典にすると早く手に入れないと特典を貰えなくて損をするという状態に変化する。

更に、期間を短く限定されると、人は焦って判断能力が鈍りやすい。
早く買わないといけない。今しか買えない。今買わないと損をする。
そういう感情が先走ってしまい、一種の軽いパニック状態に陥ってしまうと言えばわかりやすいだろうか。

なお、この方法を悪用して高額商品を買わせるビジネスがかつて大流行した。かの悪名高い情報商材である。
私がこの売り方の意図を学んだのは、かつて実際に情報商材を売っていた者からなので間違いない。

ここまで細かな意図はわからなくとも、受注生産の期間限定品に対して、更にごく短期間の先行特典を付ける行為に不自然さを覚える人は多かった。
いくら商売と言えども、純粋な商品の魅力ではなく、こういったやり方で無理やり購買意欲を煽るのはあまり感心できないのが本音だ。
そもそも高額商品を増やし過ぎるから、このような手法を取らねばならなくなったのではないだろうか。

テレビ番組なのにテレビCMだけでは売れない時代

強引にアイテムやベルトの数を増やそうとするのは、メディア展開の変化が影響している。

テレビCMによる収益性は、以前に比べて大きく落ち込んでいる。
視聴率は年々下がっており、広告による収益性はYouTube等のネット勢力が全力でバキュームしているのだから当然だ。

今やテレビがネットの流行を後追いで紹介するのが当たり前になった時代で、以前のような宣伝力を維持できているはずもない。
特撮ヒーロー作品もネット配信がかなり盛んになっているが、テレビ程受動的に見せたいCMを見せることは難しい。

こうなると、売る側の取れる主だった手は二つ。より広いグッズ展開とリアルイベントである。
そのうちのリアルイベントは、コロナ禍で高いリスクが生じるようになった。
コロナ到来期程ではないとはいえ、未だ以前程の収益性は取り戻せておらず、陽性反応による唐突な中止も普通に起こり得る等でリスクも高い。
(昨今だと『千と千尋の神隠し』の舞台が、出演者の陽性反応で当日に急遽中止となった)

そうなると残りはグッズ展開。それもテレビに依存しないネットでのマーケティング戦略も強く意識しなければならない。
ネットでは、子供にCMや広告を見せて商品宣伝することが、テレビよりも難しい。

そもそも、数の少ない子供のネットユーザーを対象とするだけでは、売上は頭打ちになってしまうだろう。
ネット広告に多く触れる対象は大人が主体となる。ならば商品宣伝もそちらに合わせていくのは当然。
自由にできる財力や、欲しがる商品のクオリティもそれだけ上がってくる。

そうして数を出す戦略や、受注販売によるコレクター商品化で、一商品毎の質と単価を上げてオタクを狙い撃つ。所謂プレバン商法の完成だ。

安定してノルマをこなすためのマンネリ化

販促の縛りが増えれば増える程、そのノルマをこなすためにストーリーや設定で無理をしなければならない。
これは仮面ライダーに限った話ではなく、ウルトラマントリガーでも古代の神秘アイテムに電子機器が付いていて、ガッツハイパーキーを挿せる問題が発生していた。
設定的な考察は可能だとしても、販促的な事情から過去作とニュージェネレーションの性質が喧嘩をしていることには変わりない。

一度好成績を出すと、今度はその維持やそれ以上の成果を求められる。
安定したノルマをこなすためには、過去の成功をなぞるのが最も安全で効率的だ。

されど、その繰り返しで起こるのは番組のパターン化である。
似たような時期に似たような立ち位置のライダーが強化される。
大体二度目の中間フォームは暴走形態が挟まる。
敵側にもライダーがいて、ラスボスかそこに近い立ち位置になる確率がかなり高い。

ライダーが増えると、必然的にドラマは群像劇化していき、尺の問題で不遇になる者が出やすい。
また強化フォームの数は多くても、1号と2号に集中するので、3号以後のライダーは強化イベントの発生率が下がって見せ場も減る。そのため噛ませ犬化しやすい。

ライダーが増えると怪人側が圧迫されていく。
幹部級のキャラクターが減ったり、スーツも物語後半になると量産型や使い回しが増えたりで、怪人は実質ショッカー戦闘員と化す。
売上に繋がりにくい怪人よりも、新しい追加ライダーに予算が大きく割かれているのは嫌でも感じる。

ライダーに対して倒すべき強敵が少なく、それらは当然主人公や二号ライダーに優先して回される。
すると後半の追加ライダーは出番が少なくなり、量産化された怪人の退治が主な仕事になってしまう。せっかく増えたのに、これでは本末転倒だ。

エグゼイド辺りから現在の流れが固まりだして、ジオウを除いたビルド以後のライダーは、上記のパターンを七割以上はなぞった構成になっている。
ここまで構成がガチガチになってしまうと、新しい大胆な挑戦もしづらい。細部を弄っただけの似たような展開を、毎年繰り返しているイメージが強くなってしまう。

それでも仮面ライダーはシリーズの特徴として、毎年『これまでとは違うオリジナリティ』を求められる。
世界観や設定は毎年一新して、独自性を見出す手腕は安定しており、新作発表時は概ね好評だ。
しかし外見は変わっても、物語展開は大筋の流れを共通化して繰り返しているため、視聴者からは小手先の変更というイメージを持たれていく。

「へぇー、今年はこんなライダーかぁ」という反応は得られるが、「え、こんなことやるの」「仮面ライダーが日曜朝からトチ狂ってる」みたいな過去ではよくあった衝撃を与えられない。

かつてのオリジナリティーは、既存のライダーらしさの固定観念を破壊していくことが目的だった。
それが現在では『仮面ライダーらしさ』を守るためにオリジナリティーを作る状況になっている。

シリーズとして守りに入ってしまったイメージはどうしても拭い去れない。

マンネリ打破に挑んだスーパー戦隊

マンネリ化に発生パターンがあるなら逆もまた然り。売上が下がってテコ入れをするケースもある。
好調な仮面ライダーの影で、長い間売上低迷に悩んでいるのがスーパー戦隊だ。
しかし、近年の作品人気は安定して高く、マンネリ打破を目指した挑戦心もかなりある。

九人の大人数で、カラーだけでなく造形面にも力を入れた『キュウレンジャー』。

まさかの戦隊同士が対立する『ルパンレンジャーVSパトレンジャー』。

変則的な流れを王道に戻しつつ、新機軸も意識した『リュウソウジャー』。

新しい時代の価値観を積極的に肯定していく『キラメイジャー』。

等など、新しい形を挑戦的に追求していく。

特にルパパトとキラメイは、スーパー戦隊に疎かった私ですら、スーパー戦隊に大きな変革が起きつつあると意識させるには十分だった。

そして平成ライダーの立役者でもある白倉Pによって、次代への決定打となる大きな波が訪れる。
スーパー戦隊の楽しさの本質を丁寧に見出しながら、同時に型破りする離れ技を繰り出したのがゼンカイジャーだ。
(キラメイ~ゼンカイの流れもSNSの盛り上がりは凄まじかったのだが、語りだすとキリがないので今回は泣く泣く削る。いつかキラメイジャーも語りたい)

リーダーが白くてなんかカラフル! レッドじゃない主人公の衝撃はかなりのものだった。
歴代主人公を並べると確実に一番目立つ。節目として完璧な存在感だ。

それだけでなく、メンバーのうち主人公以外の四人はロボ(キカイノイド)である。
画面に人間が主人公しかいないよ。なんてことがザラにあるのだ。

しかし、キカイノイド達が全力全開の介人と共にハイテンションなドタバタ劇を繰り広げる画は、なんかもうそれだけで楽しい。
そのうち、歌って踊る海賊までやってくる。
なんだこれ……と最初は思っていたヨホホイが、いつの間にか癖になり、いつしかないと物足りない気持ちになってしまう。

テンションが高くて善人感の強いゼンカイジャー。
善くあろうとする偽善者であるゴールドツイカー一家。
そして悪人であろうとする偽悪者のステイシー。
これらのバランスはあまりに完璧で、全編を通して凄まじい安定感だった。

暗くて重い場面もある仮面ライダーの後にやってくるゼンカイ脳の時間は、脳みそをゆるゆるにしてくれるデザートタイム。
あの時間、私の心はニッコニッコで毎週カラフルのスペシャルサンデーを食べている気分だったと、今は思う。

スーパー戦隊から離脱するドンブラザーズが固めた新たなフォーマット

次作のドンブラザーズでは『戦隊らしさ』のフォーマットから本格的に離脱を始める。
名乗りもなし。変身も強制的だったりバラバラだったりが当たり前。そして名乗りシーンすらも無し。
レッドだけが突出して強く、追加戦士がきてもその状況をキープし続ける。販促的によくこれ許されたなぁ……。

しかしドンブラはゼンカイに負けず劣らず、スーパー戦隊として非常に高い人気を得ている。
そして、一見毛色の全く違う二作だが、根幹にある人気の理由は同じだ。

敵も味方も個性の強過ぎる連中が、一つのお題に対してドッタンバッタン大騒ぎして一つの物語として完成する。
二作の制作者である白倉P曰く、ドンブラのメンバーは行列のできるラーメン屋に並ぶだけで物語になる。それ自体が狙いであり、完璧にハマっているとしか言いようがない。

スーパー戦隊は、仮面ライダーよりも小さなお友達層を強く意識している。
しかし、それ故に伸び悩みがあったのも事実だろう。
近年すこぶる好調なウルトラシリーズもまた、大きなお友達に対して向けている意識感は濃くなっている。

というかネットでの集客になるとある程度対象層は広げざるを得ない。
シンウルトラマンにせよシン仮面ライダーにせよ、その狙いの中にはファン層のボーダーレス化も含まれている。

スーパー戦隊は従来の小さなお友達向けフォーマットを、ドタバタコメディに向けることで、従来の視聴層を崩すことなく対象年齢を広げた。

ドンブラによる第二次巨大ロボ革命

ドンブラがゼンカイから引き継いだものはもう一つある。それが巨大ロボットのフォーマットだ。
ゼンカイではメンバーをキカイノイドにして変身・巨大化させることで変身時と巨大ロボの境界を曖昧化して同一視させようとした。

戦隊メンバーに対する愛着を、そのままロボにも向けさせようとしたのだ。
しかしここで誤算が生じた。ゼンカイメンバーが合体してロボになったことで、新たなロボとしてのイケメン顔が現れる。

動きもそれまでのアクターとは異なる。そのせいで、ロボ化の以前と以後で視聴者の繋がり意識が切れて、結局別人化してしまったのだ。

ハッキリ言うと、ゼンカイの作品人気は高いものの、販促としてはしくじっている。実際に売上は歴代最低を記録してしまった。

しかしドンブラではあえてこの要素を引き継ぎ、更に発展を入れた。
巨大ロボット化すると繋がりが切れるなら、巨大化する前にロボ化すればいいじゃない。

普通なら論外なこの方法も、アバターという設定で変身時点から人間の骨格やめているメンバーいるので理屈が通る。

合体で顔が変わると駄目?
だったら! 顔も! そのまま! 残す!

合体時もコントを入れて、メンバーがそのまんま合体してますよ感をアピール。
これによってバンクである合体シーンまでも飛ばせないお楽しみの一つになった。

バトルではコクピットの概念がないので、皆そのまま動いて騒いで大暴れ。
本編のコント感と勢いが、削がれることなくロボ戦に反映さている。

この徹底した連動感によって、まさかの販売初日から玩具屋で完売が続出!

要するに売り手側が完全に読み違えるぐらい売れちゃったのである。
SNSでも、多くの大きなお友達が購入報告をしていた。
これはスーパー戦隊始まって以来の快挙だ。

何よりこれだけ一気に売れながら、ファン達からは歓喜の声が多く、批判はほとんどなかった。
これは作品の面白さが、玩具を買いたいと駆られる欲求に直結しているからだ。

『プレバンだから』の意義

ドンオニタイジンの好評な売れ行きは新たな事象を引き起こした。
それはプレバンでの『ドンロボタロウの可動増強版&陣幕オプションというセット』の発売だ。

ドンロボタロウの可動域を広げて、本編と同じくドンオニタイジンが座ることが可能になる。
元々ドンオニタイジンが座れなかったのは限られた開発期間と、子供向け玩具として安全性を考慮した結果である。
けれどパッケージがそうであるように、ドンオニタイジンを座らせたいファンは多く、足パーツを引き抜く工夫が広まっていた。

それならと、開発者達の更なる試行錯誤によってデフォルトのまま座りポーズを取れるように改良。
加えて椅子、軍配、陣幕の三点セットを追加して、まさにパッケージ通りの原作再現ができるようにしたのだ。

この後出しが可能になったのはドンオニタイジンの売れ行きが好評だったが最も大きい。
プレバンでの販売であっても、ある程度の生産数が見込めなければ、売り上げやコストのバランスが取れないだろう。
そして、ファンの反応をしっかりと玩具にフィードバックする心意気があったからだ

完全版商法として新たにドンオニタイジンを丸ごと出すのではなく、あくまで改良部分とオプションパーツとして発表したことで、ファンからの反感も少なかった。
(批判は制作の経緯を調べていない人や、ドンロボタロウをドンオニタイジンと誤読した人が大多数である)

他にも、元々子供向けに安全性を考慮していたことからも、プレバンでの発売は妥当だろうとの声も複数見かけた。
プレバンの特性を生かして、ファンの希望に応えてくれた認識が強いからこその反応だろう。

現在の仮面ライダーでは、○○がライダーになるという流れは、嬉しさと同時に、

「もうライダーばかり増える展開ばっかり飽きたよ」
「またプレバンか」
「欲しいけど、高過ぎて財布が……」

という声が同時に上がる。
どうしてもベルトやアイテムが増えることに、過度なマーティング主義の結果として批判は避け難い。
たとえそれが東映からバンダイに掛け合って成立した商品だとしても、既に飽和状態からの上乗せならそう見えてしまう。

特撮ヒーローであろうと、商売なのだから玩具の売上は重要である。
しかしマーケティングのための番組作りになり過ぎると、ファンの気持ちを置き去りにした作品になってしまう。

大事なのは新しいフォーマット作りと、ストーリーに過度な負荷を与えないマーケティングだ。

スーパー戦隊は新たな番組フォーマットを構築しつつ、これまでとは異なる売り方を模索する。
たとえ失敗しても、その反省を活かして次作へと引き継ぎ発展させた。

こうした試行錯誤が、番組人気と巨大ロボットの売上アップを両立させる大成功へと繋がったのだ。

先端を拓く者の苦悩

作品比較になると誤解されやすいが、だからスーパー戦隊とウルトラマンは良くて仮面ライダーは悪いと言いたいわけではない。

三大特撮ヒーローの中では、平成以後に質と収益を兼ね揃えた状態で、最も早く抜きん出た作品が仮面ライダーだった。

近年、ウルトラマンが大躍進して二倍近くの大幅な売上アップを果たしても、まだ仮面ライダーとは三倍以上の差がある。国内だけに絞れば五倍だ。
ウルトラマンの高い伸び率ばかりが目立って、この大差に気付いていない人は意外と多い。

それだけでなく、右肩下がりのスーパー戦隊と好調なウルトラマンの間には、国内のみなら約一割程度の差しかない。

仮面ライダーが一人勝ちの独走状態なのは全く変わらないのだ。

スーパー戦隊はジリジリと右肩下がりで窮地だからこそ、積極的に新たな挑戦ができた(せざるを得なかった)と言える。
ウルトラマンの国内発展は、ニュージェネレーションシリーズと、過去のコンテンツを積極的に再利用した新作の配信が大きいだろう。

そして、それはどちらも仮面ライダーというコンテンツではもう通過済みだ。
スーパー戦隊のフォーマット刷新は、昭和ライダーから平成ライダーへの流れで行った。
コンテンツ再利用からの新作は、ディケイドによるレジェンドライダー再登場から多用されてきた手法だ。

それぞれ独自性のある形であり、正確には必ずしも仮面ライダーが最初だったわけではない。
それはそれとして、いずれも既に仮面ライダーが通ってきた、もしくは同じように走っている道である。

また、ウルトラシリーズにも様々な賛否両論は出ている。
それも大部分は仮面ライダーにも類似の問題が生じている。
同じ特撮ヒーロージャンルで、しかも大手スポンサーが同じなのだから、似た道を辿るのは自明の理だ。

仮面ライダーは先んじたからこそ、種を蒔き長い時間をかけて育てた利潤を、一番早く軒並み収穫し終えてしまった。
じゃあ次に何をすればいいか?

2010年代からオタク文化で特に躍進していたリアルイベントには、仮面ライダーも力を入れていた。
鎧武外伝の舞台『斬月』や仮面ライダー展等もその一つだったろう。
しかし現在は、コロナ禍の問題で様々な制限と高いリスクが常に付き纏う。

テレビCMによる収益性が年々低下して、ネットでのブランド展開は数・質共に頭打ちになってきている。
それを無理やりに尖らせた結果、今現在生じている諸々の問題へと繋がったのではないだろうか。

一番先を走っているからこそ、なぞれるものが他より少ない。
もちろん、他の特撮シリーズも全く同じ売り方をしているわけではなく、同ジャンル作品は常日頃から互いに意識し合っているだろう。それも踏まえてのこの状況だ。

変えられる部分を少しずつ変えていき、当たった部分にリバレッジを効かせて利益を最大化する。
これは商売における基本だが、『変える』部分において、新たな展開に窮している。
しかし得ている収益は大きく、かつてのように大胆な冒険に踏み切るのも難しい。

売上を意識しながら、マーケティングと作品性のバランスをどう取っていくか。それはこれまでもこれからも、作品評価にかなり大きく関わっていくだろう。

インターミッション的な中書き

以上で前半は終了です。お疲れ様でした。
後半は来週掲載予定となります。

「なんだ、何処かで聞いたことのある話を掘り下げているだけで、大した闇とかないじゃん」とお思いの方も大勢いると思います。
ご安心ください、ここまではホワイトな安全地帯。ここから先を語るための外堀を埋めたようなものです。

中盤以後は、私も半ば炎上覚悟で書いている部分も多数ございます。
あまりブラック仕様過ぎるので、前半は小難しい話が苦手で、斜め読みして曲解する方を振り落とすつもりで書きました。

付いてこれる者だけ付いてこい。本当の闇はここからだ。

音声版:第ニ章

【次ページ:第三章:オタクの世代間ギャップが作った荒れるSNS構造

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