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平成ライダー二期は何処に辿り着いたのか

2018年9月6日

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ゼミ生の皆様こんにちは、語屋アヤ(@ridertwsibu)です。

ついに平成ライダーも20作品目。
同時に最後の平成ライダーとなりました。

仮面ライダークウガから始まり、十周期のディケイドから更に引き継がれてきたのが、『W』以降の平成ライダー二期です。
ディケイドが全てを壊して繋いだ十年間。
平成ライダーはどのように変わってきたのか。
仮面ライダージオウという総決算的な作品が生まれたのを機会として、平成ライダーという作品を一度整理してみました。

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仮面ライダーを破壊した平成ライダー一期

平成ライダーの歴史は、既存の仮面ライダー像の破壊から始まった。

既存の仮面ライダー(昭和ライダー)はあくまで子供向けの作品として作られていた。
ごく一部に子供向けからの完全脱却へ突っ走った『真・仮面ライダー 序章』という例外も存在するけれど、結果としては半ば不発弾で終わってしまったので例外とする。

平成ライダーは仮面ライダーという番組を子供だけに向けた作品という概念を壊すことで産声を上げた。
シナリオ面や設定面において、昭和ライダーの在り方はあえて踏襲しない。
平成ライダーの時代は『現実に怪人が現れたら日本はどう対処するのか』を想定した、文字通り大胆かつ繊細な作品、仮面ライダークウガから始まった。

クウガはそのリアルな世界観のを構築するため、これまでの仮面ライダーでは削られてきた『日常』を色濃く描いている。
日常があるから怪人という非日常が際立つのだ。

仮面ライダー自体も悪の組織に誘拐されて生まれる改造人間ではなくなった
未知なる古代文明の戦士が使用していた力を引き継ぎ、人間とは異なる戦闘民族『グロンギ』と戦う。

怪人役となる『グロンギ』達は種族として組織化こそしているものの、世界征服を目指しているわけではない。
むしろそいうった未来のビジョンなどなくゲーム感覚で人を殺す。
今で言うなら、彼らはゲームをクリアして得られるトロフィーが欲しいだけ。

ある意味ショッカーよりはるかに分かり合えない。
敵も味方もこれまでの『仮面ライダー像』とはかけ離れた作品だった。

そもそも既存の仮面ライダーという概念自体が存在しない世界として、クウガは一から世界を構築し直している。
まさに新たな伝説をゼロから始めたのだ。

そして続くアギトはクウガのリアルな流れを汲みつつも、仮面ライダーを群像劇としてより独自の路線として作り替えた
ここから複数の仮面ライダー登場が当たり前になり、仮面ライダー同士が時に対峙し時に手を取るという流れができあがる。

そしてここまでの流れをまたひっくり返し、平成ライダーごと破壊したのが龍騎。
仮面ライダーは明確にシステム化されており、己の目的のために殺し合う道具として変身システムが組み込まれている。
クウガとアギトがあえて避けた仮面ライダーという名称をあえて使うことで、よりダイレクトに『仮面ライダー』という概念を徹底的に破壊し尽くしたと言えよう。

ファイズではこれまで倒されるべき存在だった怪人にスポットを当てて、クウガや龍騎とは異なる群像劇を作り出した。
仮面ライダーも一つのベルトで何人もの使用者がおり、怪人達ですら当たり前のように仮面ライダーとなりその力を振るう。
ベルトは話を回すための舞台装置としての役割を与えている。
(脚本を手がけた井上氏自身が主人公はベルトと明言している)

そんな感じで、とにかく平成ライダーは作品毎に『俺はこういう世界の仮面ライダーだ!』と、僕の考えた世界の仮面ライダーを展開し続けた。
それゆえ、ごく一部の例外を除き、平成ライダー達はそれぞれ独自の世界を構築してほかの世界と交わることがなかった。
作品それぞれに独自の世界観を作り上げていったことを考えれば当然の流れだろう。

そうして紡いできた九作の流れの先に現れたのが『世界の破壊者』仮面ライダーディケイドだった。
ディケイドは、文字通り各ライダーの世界観を破壊して全てを繋げてしまったのだ。

またも平成ライダーの根幹を崩す破壊劇。
ここを起点として、平成ライダーは新たな流れを生み出していく。

一期の流れを経てヒーローへと回帰した平成ライダー

そもそも平成ライダーは二期という概念を最初は持っていたわけではない。
10周年という区切りでディケイドが作られ、続く仮面ライダーWがかなり色濃くヒーロー物としての王道路線へと舵を切った。

またメインの脚本として『ダイの大冒険』の原作者として有名な三条氏を起用。
電王のイマジン達が生み出した漫画のようなキャラクター性を、登場キャラクターに反映させている。

昭和ライダーのような『ヒーロー』としての仮面ライダー像に、漫画やアニメを現実に落とし込んだキャラと世界観。
この路線は大成功を収めて、以降の平成ライダーは仮面ライダーが本来持っていたヒーロー性を強く意識したものへと戻っていく。

少なくとも平成ライダー二期に乾巧のような捻くれ者や、紅渡みたいな一般的なコミュニケーションが本気で困難な主人公はいない。
フィリップのみ最初は社会性に大きな欠陥があったものの、ダブルは人情の厚い左翔太郎とカバーし合う二人で一人の主人公を成立させた。

他にもいわゆる『ヒーローとしてのお約束』みたいな要素が一期に比べて強くなっており、様式美による安定を得た作品が多くなっていった。
Wの劇場版では次作の仮面ライダーオーズがゲストとして登場。

これはディケイド時代からの流れではあるが、映司は『仮面ライダーは助け合いでしょ』というセリフを残している。
しかし現実的には、最初から助け合う前提の平成ライダー像は、平成一期だとあまり固まっていなかった。

龍騎ではむしろ真逆で、『仮面ライダー同士は互いに戦って殺し合う者』だ。
続く仮面ライダーファイズでも二号ライダーである仮面ライダーカイザとは、ついぞ心からの和解はなかった。
(ファイズでは、それどころか味方と悪役サイドが同じライダーに変身するという事態がポンポン起きていた)

その後は比較的友情や絆を描く傾向は強くなっていくものの、仮面ライダーカブトのような群像劇となると、敵対したまま関係を終える仮面ライダーも少なからず出ている。
平成ライダーにおいて『仮面ライダー=助け合い』の概念を生んだのはむしろ映司のセリフそのものであり、ここで平成二期における仮面ライダー間の関係像が形作られたといえる。

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善悪の区切りが付いた仮面ライダー

平成ライダー二期からわかりやすい影響を受けたのは、悪者としての仮面ライダー像である。
平成ライダーでは仮面ライダーアギトにて、アナザーアギトという善ではない仮面ライダーの概念が生まれた。
これが龍騎で大きく発展して、かなり強烈なインパクトを与える悪役、仮面ライダー王蛇が生まれた。

特に龍騎で登場する多くのライダーは行動原理的にエゴイズムを優先する者が多い。
しかし彼らですら『悪の仮面ライダー』と呼ばれることは稀だった。
凶悪犯である王蛇の浅倉や、堂々と殺人に手を染めていたシザースの須藤雅史ですら、彼らは『悪』よりも『犯罪者』のライダーという扱いの方が強かった。

浅倉は善悪で分ければ言い訳不能なレベルで悪だ。
しかし龍騎における総括では、仮面ライダー達が持っていたものは正義ではなく『純粋な願い』と結論付けている。
平成一期、特に平成初期と呼ばれる作品程、単純な善悪論を避けている傾向が強い。

上記以外にも、方向性が狂っていたものの英雄を目指した東條悟。
外道な行為が目立つもの確固たる信念を持っていた草加雅人。
等など、心情の絡む行動原理が複雑化していて、単純な善悪では割り切れない者達もいる。
正直、平成ライダー一期のライダーは善悪で切り分けるより、自由主義と割り切った方が良いと考えるレベルで、仮面ライダー達の動機や行動が千差万別なのだ。

これが平成ライダー二期になると、かなりハッキリと善悪が付けられるようになる。
まずWで登場したエターナルは登場段階から人間性を失っていて、完全に悪党という扱いであり、そのまま改心するような描写はなく倒されて終わる。
実際、左翔太郎やフィリップはエターナルのことを当初は仮面ライダーとして認めていなかった

Vシネマの『仮面ライダーエターナル』にて知られざる過去が語られたことにより、彼もまた仮面ライダーだったと認められることになる。
逆に浅倉はあれだけ好き放題やらかしながらも彼は最初から最後まで『仮面ライダー』という扱いに全く変化はなかった。
ここからも平成一期では『仮面ライダー』という概念に、善悪論が全く含まれていなかったことは明らかだ。

『悪の仮面ライダー』という名称自体、明確に使われだしたのは『平成ライダーVS昭和ライダー』の仮面ライダーフィフティーンからだったと記憶している。
以後に出てくる敵ライダーも基本的に同じ扱いであるといっていい。
そうでない場合だと、最初に敵対していても劇中でなんだかんだで改心して、最終的には頼りになる味方になる。

最後までどちらにも転びえて割り切れない存在だった例外は、己の理想に殉じた駆紋戒斗や我らが神こと檀黎斗などいるにはいる。
だが平成一期に比べると目に見えて少数派なのは否めない。

別のパターンとして、黒幕やラスボスポジションになる悪の仮面ライダーが、ドライブ以降かなりの確率で現れているのも興味深い。
仮面ライダージオウでも、あらすじから『オーマジオウ』という魔王と呼ばれる悪の仮面ライダーが人間達を苦しめている。

悪のライダーがボスポジションに立つというのも、平成二期の様式美の一つとして定着しているのは明らかだ。
仮面ライダーは王道ヒーロー路線を強めたことで、わかりやすく安定した『勧善懲悪』路線に移ったといえる。

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安定化した平成ライダー二期

平成二期のライダーはヒーロー性を重要視しつつ、これまで人気だった要素を丁寧に回収して安定期に入った。
既存の枠組みをぶち壊しにくるライダーはかなり減ったという印象だ。

かくしてわかりやすいヒーロー路線に切り替わった平成ライダー二期だが、一期の特異性を完全に失ったかといえばそうでもない。
彼らは安定した路線の中で、個々の世界観を重要視して特徴を出している。

これが特に顕著なのはオーズだろう。
Wで変身アイテムとして安定したメモリを、コンボという新たな形に置き換えて王道路線を引き継ぎいだ。
加えて相棒ポジションにアンクを据えて、モモタロスを踏襲したような特徴的なデザインと、怪人側の事情にも深く踏み込むファイズの性質も持っている。

オーズという作品には強烈な目新しさはないが、一つ毎の要素は完成後が高くかなりの安定感だ。
それらが組み合わされて『オーズ』という世界観は丁寧に作られており、それが結果として作品の独自性となっていた。

他にも、スクールライフを満喫する学生ライダーにして特徴的過ぎるフォルムを持ったフォーゼ。
平成初期の回帰を謳った、まさに平成ライダー初期のリスペクト作品である仮面ライダー鎧武。

また彼らは独自の世界観を得ながら、王道ヒーローを重要視したことで後の春映画的なクロスオーバー路線も可能となった。
もはや彼らにディケイドが行った世界の破壊を得ずとも、一定の親和性を持って世界を繋げられるのである。
ジオウが並行世界ではなく『時間』で世界を繋げて批判がほとんどないのも、これが根本にあると思っていいだろう。
これは作品の繋がりを明確に嫌ったクウガや、独自路線で完全に自己完結していた龍騎といった面々には不可能だったことだ。

以上の事柄から、平成二期は平成一期をリスペクトした独自の世界観を持ちつつ、王道路線による安定性を獲得した。
ジオウもまたディケイドや電王へのリスペクトをしつつも、独自の路線と在り方で新たな世界観を作ってくれることを期待している。

余談だが、この安定路線そのものを嫌い『現在の平成ライダー』を完膚なきまでに破壊した存在が、かの仮面ライダーアマゾンズである。
逆にこの作品が生まれたことこそ、平成ライダーが安定化した証左と言えるだろう。

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