ジオウを今よりもう少し楽しめるようになるシリーズ。
今回はエグゼイド編。

エグゼイドはゲームと医療の合わせ技という作品の特色は統一しつつも、スタート時と中盤、そして終盤でそれぞれ医療や生命に対する価値観や見方が異なっている作品だ。

その中でジオウ四話のタイトルである『ノーコンティニュー』がどういう意味を持つ言葉だったのかを、改めて考察しておきたい。

ノーコンティニューでクリアする意味

前提としてゲームと医療の噛み合わせの悪さは、エグゼイドの開始前に誰しもが思ったことだろう。
ライダーのデザインも完全にゲーム寄りで、
医療的な要素は設定にのみ付随している。

その設定もゲーム病という凄まじく安直なネーミングセンスだ。
加えて言うなら生命をテーマというのも前作の『ゴースト』に被る。

ゴーストが主人公の死ぬ死ぬ詐欺で有名になり、
むしろ命の扱いが軽いという不安感があった。
いや、あるいはゴーストだけならまだマシだったかもしれない。

そして同時期に『アマゾンズ』という新たな方向性のライダーが生まれていた。
平成ライダーとは別種が故に強烈な個性と『食うか食われるか』という、鮮烈な生命の物語。

エグゼイドという作品はそういう背景で始まった作品だったと私は認識している。

しかし嬉しい誤算として、エグゼイドはゲームという存在を通して、全く独自の路線と視点から生命の倫理を扱っていった。

エグゼイドの路線は端的に言うと『ゲーム感覚で患者を救う』ではなく『ゲームを医療に見立てて患者を救う』ことだ。
これが同じように見えて全く違う。

それでも序盤はやはり前者の感覚が強かった。
しかし九条貴利矢の『ゲームオーバー』によって話は大きく方向性を変えていく。

『ゲームオーバー』とは即ち『死』。
たった一つのライフを賭けてライダー達は医療に挑む。
そして同時に『ゲームオーバー』とは患者の『死』であるのだ。

まだ前半でライダー一人を犠牲にすることにより、話の緊張感を作りだし彼らは命懸けのゲームをしているのだと視聴者に訴えた。

宝生永夢の『ノーコンティニューでクリアしてやるぜ』は一見ゲーマーらしく遊び感覚の強い台詞だ。
しかし同時に『命にやり直し』は効かない。
人生にリセットボタンなんてないという意味へときちんと繋がるようになった。

永夢はこのリセットボタンやコンテニューが効かないという意味を、かなり重要視している。
だからこそ、プロ級のゲーマーである彼は同時に命を預かるドクターを目指して、生かすことと心を救うことに執着を燃やす。

永夢は前編を通して狂信的なまでに患者を救うことに執着していたが、リセットボタンがないという部分を含めて、これは『マイティノベルX』にて深く掘り下げられた。

『小説版 仮面ライダーエグゼイド マイティノベルX』医者としての永夢の本心を暴いた最終作の評価と感想

しかし物語が後半に入ると、エグゼイドの物語は患者の救うことから『生命とは何か』へと話をシフトしていく。

そしてこれがエグゼイドの真骨頂として物語をよりエキサイトさせていくのだ。

コンティニューしてでもクリアする問題

ゲームとは即ちプログラムである。

本作の怪人であるバグスターとはゲーム内の敵キャラクターが実体化した存在。
つまりゲーム内のプログラミングが意思と生命を持っていると言えるのだ。

エグゼイドが特に独特かつ面白い部分は『ゲーム』をただの遊びとしてではなく、クリエイターにより創られるものだという部分に着目していることである。

皆大好きな神、檀黎斗が本解説にも大きく関わってくる。

ゲームとは一つの世界観を持って作られる。
マリオであれ、
ドラクエであれ、
パックマンであれ、

そこには設定がありキャラクターがあり、それらをパッケージしたものが一つの世界となる。

そして檀黎斗は、バグスターウィルスを介して、その自らが生み出した世界のゲームキャラを実体化させた。
それと同時に現実の世界をゲームフィールドにしたのである。

この二つが成立したことで現実とゲームの境界が崩れ始める。
もっとわかりやすくいうと、『ゲームと現実の区別がつかなくなる』現象が生じだした。

しかも檀黎斗は元々不安定だったバグスターウィルスの実体化技術を安定化させ、それを流用することで現実の生命をゲームのプログラムというデータに変換した。
これによってゲームと現実の境界は完全に崩れてしまったのだ。

現実の肉体と違いデータは簡単に複製や修復、そして削除が可能だ。
いわばそういう加工が行える存在として生命がシフトしてしまった。

檀黎斗の『コンテニューしてでもクリアしてやる』は人間における死の超越を意味をしている。
(檀黎斗自身の考える死の概念については今回は置いておく)
プログラムは劣化しない。
データさえ破損しなければ不老不死であり、そのデータもコピーアンドペーストで増やせる。

だがそれは本当に生命と呼べるのか、少なくともそれはもう人間ではなくバグスターという別種の存在である。
ならば人間とバグスターと違いとは何か。
そういう生命の倫理に踏み込んだ。

そして宝生永夢はバグスターや生命のデータ化が出来てしまうゲーム、仮面ライダークロニクルを通してこう結論付けた。
バグスターウィルスによって消失した人間は『消失した状態にあるという症状』だ。
生命のデータ化とはバグスターウィルスに侵された症状の一つに過ぎず、つまりは病気である。

故にデータから生身の肉体への復元という『医療行為』が成立する。

最後までブレず仮面ライダーは医者であり、
宝生永夢は自分の医療を貫いたのだった。

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