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ジオディケ TV版ソウゴの願いこそが王の資質【考察・感想】

2021年3月12日

ゼミ生の皆様こんにちは、語屋アヤ(@ridertwsibu)です。

Twitterでジオウ公式がプロフィールにて「なんだかジオジオしてきたジオ」とか言い出してから、徐々にジオジオが強まって五ヶ月。
ジオウ新作と見せかけて(ジオウ新作でもあるけど)まさかのディケイド!
平成33年という新たな概念が生まれてしまった! おのれディケイド!

本格的に平成を終わらせる気がないぞ東映。
平成仮面ライダー二十周期を終えて、更にディケイドが主役になるとは夢にも思いませんでした。

そして実際に配信された評価はものの見事にディケイドらしい賛否両論。
否定派の方々には、どう見ても否定の方が大きいだろうが金返せと言われそうですが……。

今回は有料配信の特性上、観てない人の便乗批判によるノイズも相当数あります。
何より一番多い感想は『わけがわからない』なんですよね。
ただこの『わけわがわからない』が曲者で、ことディケイドという作品は『わけわがわからない=つまらない』とは限らないのです。
だって、それ言い出したらディケイドの本編がかなり説明不足の投げっぱなしで終わってます。私の知る限り平成ライダーで最もわけがわからない作品ですからネ!

しかしディケイドや門矢士に対する人気の高さは、ジオウ出演での盛り上がりからも、高い人気を持ったキャラクターとして存在しています。
この時点で矛盾してしまうのです。

『わけがわからない』にディケイドらしさを感じる人もいれば、本当につまらなかった人もいる。
観てないけど、批判的な感想に便乗して叩く人もいれば、色々思うことはあったけど悪くはなかったよという声もある。
凄まじく実態が見えにくくなっている作品だなぁと思います。

なお個人的な記憶で振り返ると、ジオディケよりディケイド完結編の方が当時は批判されまくっていたなと思います。
まあ、中身だけでなく宣伝とその後にあった偉い人の謝罪で炎上祭になった経緯もあるのですが……。

ディケイド主体という意味ならスーパーヒーロー大戦もで、平成VS昭和も同じくファン評価は……(私個人の評価は別話)。
やっぱりいつも通りじゃね? と思いますが、そこはそれ。ディケイドだからね!

ちなみに白倉Pは『すべて視ているコアファンも、ライトユーザも、どっちも楽しめるよう緻密に計算された作品』的な発言をしています。
個人的にはむしろ真逆。大多数の『わけがわからない』は割と正当な評価であり、上級者向け作品だったというのが率直な感想です。

私は前回や今後予定しているディケイド関連の記事を書くため、過去作品を再履修して色々なキャストや制作陣のコメントも読み耽っています。
加えて純粋な井上敏樹脚本のファンと呼べる一人。

つまり色々読み取れる環境が事前にかなり揃っていた部類の人間でしょう。
そんな『ディケイドオタが読み解いたジオディケ大解説!』が趣旨です。

そしてハリキリ過ぎた結果、この解説書いていくうちにかなり長くなってしまったので、前後編にわけて解説していきます。

前編はネタバレ無しで、この作品を楽しむための前提条件と共に、井上敏樹氏の作家性についての解説。
ジオディケ両作の全体的な構成に対する見所と欠点。
そしてジオウ側を主体にした解説と考察になります。

では、はじめてまいりましょう。

事前知識と作品を楽しめる人の条件(ネタバレなし)

井上脚本の特徴と欠点

今回のジオディケが不評で挙げられる理由は大きく分けて三つある。
・井上脚本(一部白倉P)の性質
・全体的に尺が厳しい
・井上氏が販促苦手

多くの場合、作品で途中参加する脚本だと、できるだけ元の世界観を忠実に意識する。その上で作家の個性が滲みでるようなイメージが強い。
視聴者側も、主にライダーオタク達は作品へのリスペクトを求める。

だが、井上氏はこういうオタク的なリスペクト思想を嫌う傾向が強い。
(ただしデスノートのアニメ版など原作を元に話を再構成する脚本は、しっかりと原作を殺さずアニメの尺に置き直している。要はケース・バイ・ケース)

原作通りの空気とか再現性よりも、物語としての面白さを優先するのだ。
井上氏は脚本作りの際、場面の要点や補足を書いた『箱』を作り、それを繋いで物語を作る。『箱書き』という手法を重要視することで知られる。

一部の人が考えていそうな勢い重視の行き当たりばったりでは全くない。
(細かな解説はそのままネタバレになるので後術する)

井上氏の脚本は一言で的確に表すと『濃い』。
この濃さというのは、物語の世界観設定であり、キャラの設定であり、ギャグであり、物語の密度である。
とにかく作家性の強さは、平成ライダー脚本の中でも飛び抜けている。

そのため全体の味付けが独自的で濃過ぎて、綿密な細部に気付かないまま話そのものに圧倒され終わる人がとても多い。
自身が長期的に脚本を手掛ける場合は、それこそキャラとキャラの繋がりや掘り下げを重視して、アギト・ファイズ・キバのような個性の強いキャラクター達による濃厚なドラマとして完成されていく。
ただ今回のような尺が短い話だと、物語の面白さに強く重点を置かれてしまう傾向があるように思う。

加えて、こちらは白倉Pの特性だが、こっちはこっちで物語はシナリオ上の繋ぎに対する整合性を重視する。
大枠の世界観を舞台装置として使い、掘り下げは世界観ではなく作品性に対して重視する。
例えば、人気作のアマゾンズも実はこの傾向が強く出ており、アマゾンがどうやって人間社会に紛れ込めたのか等の説明は本編で一切していない。

ディケイドやジオウは作品のメタフィクション性に重点を置いており、舞台設定の大枠な設定はそんなに重要視しない。
ジオディケも例に漏れずで世界観や物語性自体がまずどうなってんだよ! ってのは相変わらず大枠しか説明されなかった。
それは『何故ディケイドで世界が融合したのか』『TV本編のソウゴは何故オーマジオウになったのか』からして詳細に説明されていないのと同じだ。
(ディケイドは流れでなんとなく説明された気分になっているが、メタフィクションに流されて理論的な説明はなされていない)

特に今作は、世界観のベースはジオウよりもむしろディケイドに寄っている。
ジオディケはわかがわからない。ディケイドは名作だったのに! 時間返せって人は、

キバの世界の国王制度でどうやって現代社会が成り立ってんだよとか。

ブレイドのブラック企業縦社会構造が違和感なく飲み込めていたのか。

龍騎が裁判制度の時点でもうヤバい上にオーディンのカードがそのまま使える。しかも密室殺人が●●カッターで、過去と未来の●●が一つになる展開とか。
(ネタバレ防止のため一応伏せてます)

その他の世界も含めて、意味わかったのかと問いたい。私は未だにわからない(だがそれはそれとして、ディケイドという作品は大好きだ)。思い出美化しすぎじゃないです?

ディケイド知らない人は上記のTV版の話を聞いて「何意味分かんないつまらなさそう……」と思うなら、今回のジオディケは観ない方がいい。時間返せってなる。

また、白倉Pの関わる作品に多い印象としては、基本的に説明台詞を嫌う。それこそ大枠の世界観や本当に重要な部分以外は画で映して、台詞での解説をしないことがままある。
今回の脚本は元々複雑な部分もあり、ちゃんとシナリオや映像から情報を読み取れるかはかなり重要だ。

そのため『話はとにかくわかりやすい方がいい。読み取らなきゃいけないのは、わかりにくい作品を作った方に問題がある』と考える人にも向かない。
わかりやすさが大事の考え方を否定したいわけではなく、この作品はそういう思考で見ると高確率で評価は下がる。

次に純粋な作品としての欠点だが、尺による妥協部分はどうしてもあった。
めっちゃ重要なシーンがサラッと過ぎ去って、え、え、マジか、え……? みたいになってしまう。役者さんの演技はかなり良くできており、その数秒単位の演技から意図を読み取れるかが重要になる。
当たり前だが、作劇内で『余韻』という思考する隙を与えない構成なのが一番悪い。

アイテムの扱いも雑で、終盤の戦闘も展開の濃度に対してすごくアッサリしてる。
井上氏はアイテムのパワーアップ描写をシナリオに組み込むのは昔から苦手だった。
名作として知られるパラダイス・ロストですら、強化パーツについては『流れでなんとなく入手してました』状態である。
ドラマはドラマとして、アイテムと物語は切り分けて作られることがとても多い。

戦闘シーンはドラマに尺を割かれた結果、アッサリになったのではないかと思う。
とりあえずプレバンで新アイテム予約した人達が憤る気持ちは理解できる。

総合すると、これら井上氏&白倉Pの特性と尺の都合や妥協点の部分が混ざった結果、『なんだか意味わからない上に手抜き』みたいな作品に見えてしまい批判が多い。

逆にあれこれ考察して作品を反芻するタイプの人からの評価は、目に見える欠点を認めた上でもそこそこ高い。
そのために、私はこの後そのための解説と考察をやりたいと思ったのだった。

事前に観ておくと楽しめる作品

ネタバレなしで、事前に履修しておいた方がいい作品をリストアップしておく。

●必須
・ディケイドTV本編全話
・最終回後の映画予告ネットから探す
・ジオウTV本編全話
・ゲイツマジェスティ

●副読本的に観ておくと尚良い
・スーパーヒーロー大戦
・平成ライダーVS昭和ライダー
・仮面ライダーキバ(全話がベストだが序盤だけでも……)
・ユリイカ2012年9月増刊号(仮面ライダー特集している回)

●作品を観る順番
ディケイド→ジオウの順番で一話ずつ観ていく。
(両方視聴が必須)

これだけあるという時点で敷居の高い作品であるのはハッキリわかる。
大部分はTTFCの見放題に含まれているのが小さな救いだろうか。
例外品として、ユリイカなんてライダーファンでも読んでる人はかなり希少だろうなぁと書いている自分でも思う。副読本的というかホントの副読本だ。

ディケイドはそんなに思い入れはないからジオウだけ楽しみたいというファンは、ジオウ側だけ押さえておけばオッケーなので、そこまで敷居は高くないとも言える。
(以後はネタバレ前提の考察)

ジオディケの作品構成は●●

本作はジオウ・ディケイドでそれぞれ内容が異なるサバイバルに挑戦するが、どちらも王様を決めることが目的だ。

ディケイドとジオウの物語が交互に展開しながら、様々な要素でリンクし合っていく。
そのためどちらかだけを観ても、話がふんわかしてよくわからなくなる。
特にディケイド側は致命的な終わりを迎えるので、こちらしか見てない者の不満噴出は当然の流れとしか言いようがない。

事前にこの構成を説明していればここまでの騒ぎにはならなかったろう。
同時に『先んじて説明する=ネタバレ』になってしまう要素でもある。
「二作品同時配信でそんな構成やるなよ!」とツッコミが殺到しそうなやり口だ。いかにも白倉Pらしいなあと思ってしまう(褒めてはいない)。

二作品のリンクは、ただ話が繋がっているというだけではない。
ディケイド側の第一話は、門矢士がデスゲームの飛び入り参加枠になっており、一話のラストでようやく館に現れる。

最初から参加しているのはむしろソウゴの方で、彼の目覚めから物語は始まった。
三話しかないのに実質三分の一を主役なしで進行させたに等しい。

ならばジオウ側はどうだったか?
最初に次々と三人のソウゴが出てきて、ラストに車を運転する士が登場して締められている。
実は同じ流れに合わせてあるのだ。

ディケイドとジオウ、交互に同じ流れや設定を共有させながら、異なる二つの時間軸で物語を進行させる。
この構成、見覚えがある者にはめっちゃある。そう、これが副読本として何故か混ざっていた『キバ』の正体だ。

キバの脚本は全話中の二話分を除いたほとんどを井上氏のを担当している。ずっと過去と未来を繋ぐ同時進行の物語をこなしてきた。
ジオディケでその知識と経験を全く考慮せず作ったと考える方が不自然だろう。

ディケイド側の『鍋や椅子を老人に分け与えて、最後は自己犠牲する優しい少女』の流れはそっくりそのまま、ジオウ側でソウゴAを嵌めようとした真犯人の隠れ蓑になっている。
『実は幽霊』だったも『実は性悪女』だったという、実は双方一見似てるだけで全く繋がりのない別人だったというオチに繋がる。

これら二つの軸を繋ぐ最たるものがセイバーウォッチの存在である。
そもそもどうしてディケソウゴがセイバーウォッチを持っていたのか? 継承したらセイバーの歴史消えない? どうしてディケイドウォッチ通してるのにド強いじゃないの?
というツッコミどころは多々ある。ソウゴが別世界ならセイバーもリ・イマジネーションじゃないかと思うが、どちらにせよ何処かのセイバー世界が消えているので穏やかじゃない話だ。
こういうところの雑設定は無駄に混乱するので、草加顔で「よくないなあ、こういうのは」と言いたくなる。

なお強化フォームじゃない理由については、セイバーという『作品』を推したいからの事情はあるだろう。
それ以外にも、別ドラマの撮影でバッサリ髪を切った状態の大幡しえり氏や、ディケイド館の撮影でキャスト陣が暑かったことを強調していたことから、撮影時期は去年の夏頃だったと想定される。

クリスマス時期に初登場するドラゴニックナイトは、デザインが固まっていなかったり、スーツがまだ無かったりは十分考えられる。致し方無い部分だろう。

重要なのはセイバーウォッチに対する扱いの方だ。
オーマジオウは総ての平成仮面ライダーを統べる絶対の王である。

平成の力を全て備えるオーマジオウに対抗できる力とは何かと考えれば、それは『令和』の力だろう。
メタフィクション性の強いディケイドとジオウならばわかりやすい発想だ。

しかしディケソウゴはウォッチを士に託して次へ繋ぐように告げた。
対抗手段になるかもと思いながらも使わないのは、ディケソウゴだと令和の力を使えないから。
士もまた、カードじゃないウォッチでは力を引き出せない。

そのため、士は対オーマジオウ兵器として、ゼロワンを取り込んだ新たなコンプリート21を用意してきたのだと考えられる。
何で中途半端にゼロワンまでぶち込んだ半端な時期のコンプリート出したの? という声も多かったが、そりゃ前作の販促だろうというのはある。
だが設定や理論の上で考えても、コンプリート20ではどう足掻いても例の仏壇や劣化オーマジオウにしかならない。
というかタッチしたら自由かつ無制限に召喚できる分、仏壇の方が普通に考えて強いが、仏壇と魔王では悲しいくらいの格差があった。最強フォームってなんだっけ?

たまに勘違いされるが、平成縛りはジオウだけで、ディケイドは別物だ。
正確にはカメンライドが使えないが、アタックライドは昭和だろうがスーパー戦隊だろうが何でも有りだ。
(ディエンドは昭和のカメンライドすら使える)

昭和の老舗が店舗統合して生みだした匠の逸品である。
時代の壁ごとき十年以上前に破壊済みだ。

そして、かつて士と関わっていたソウゴAにはディケイドウォッチがある。
これで王になる資格を持つのは、全てのウォッチを正しく継承しているソウゴAであるべきという結論にも届いた。

これぞ掟破りの平成ロンダリングだ!

絶対最強の存在でありながら平成ライダー縛りのオーマジオウに対する唯一の光が、令和の新時代であり、それを行使できるのはジオウではなくディケイドなのだ。

平成33年とは、『ディケイドとジオウを介せば平成は永遠に続けられるぞ!』という意味を作品内で実践した言葉だといえる。

なお平成42年にはディケイドウォッチを使わず、当然のように令和ウォッチを使うジオウの姿を幻視しているのは、多分私だけではないはず。

『七人のソウゴ』は実質『ジオウ NEXT TIME』第二章

井上敏樹氏は作家性の強さから原作無視という扱いを受けやすい。
だがこれは誤解であり、むしろしっかりと原作は押さえた上で話を作り込むタイプである。
(そうでなければ『うしおととら』や『デスノート』みたいな大作で緻密な構成力、時には原作者の意志を汲み取る連携が必須な脚本なんて任されない)

キバ編ではキャラ性の違いをよく指摘されたが、本質的なキャラクター性という面での整合性は守られている。
非常にプライドが高く、最後は闇討ちを仕掛ける卑怯で冷徹なオーラなど、後に繋がる性質も仕込まれていた。

なお、キャラの遊び具合は井上氏が切っ掛けでこそあったが、現場単位で『君達の演技は硬い。もっと崩していけ!』というノリで新たな扉を開かせる試みがあった。
これは奥野壮氏や押田岳氏等が各所のインタビューで、印象に残り楽しかった話として語っている。

井上氏は、こういう現場での変化を作品への良い刺激として受け取る人柄で、逆に現場での変化を後の脚本へ反映していくタイプとしても知られている。
それ故に現場での脚本変更は少なくない。

要は皆、井上脚本の時は空気感変わるのがスゲーイ楽しくて、ここぞとばかりにノリノリで色々やっちゃうのだ。
インタビューが多かったジオディケでも、監督がすごく楽しそうに撮ってたという話が奥野氏から出ていた。

他にもクウガのメイン脚本変更時は逆にこのまま行くべきと進言して、実際のサブ脚本参加でもクウガの持つ雰囲気は守った脚本作りをしている。
響鬼の路線変更時も上層部からは変更を望まれていた『明日夢の成長物語』という軸は守りぬいて、話の核を守ることに注力していた。

この辺の話を知らない人は、井上氏=原作ブレイカーという印象を持っている人が多い。
(一部は結果的に現場単位でブレイクしている要因だと反論されれば否定しにくいのだが)

また、白倉Pは当然井上氏の性質は熟知した上で、設定詰めや作品作りをしているだろう。
では『七人のソウゴ』はどうだったかと言えば、独自性が強いと思われる設定の大部分は前作の『ゲイツマジェスティ』から引き継いで正統発展させているものが多い。

唐突に復活したように思えるオーマジオウは、ゲイマジェ時点で再び『魔王VS救世主』の未来が運命付けられていた。
前回の時点から歴史の再分岐は始まっていたのだ。

スウォルツを始めとしたタイムジャッカーについても同様で、前回のラストシーンでふんわりと匂わせた伏線だった。
ジオウサイドで唐突に生えてきた設定は、ウールのガチ同性愛設定ぐらいではないだろうか。

これも、まあそんな雰囲気はTV版最終話でも若干あり、全くの無から書いたわけではない。
ウールの可愛さと、ゲイツの頭が固いリアリストの設定を上手く利用して、現代のジェンダー感をガッチリ味方につけた。
これによって視聴者の意識を『これはこれで有り』の判定にしている。

逆にゲイツは、ウールの一件に加えて自分宛のラブレターを破り捨てる野郎という普通に最悪な印象を得てしまったわけだが……。
この愚直さ故の純粋な熱血漢キャラは歴史のやり直し時点からあったものだ。
まともな人間は一般人を路上で投げる危険行為はしない。

これはもちろん第一話のリメイク的な要素はあるものの、投げた行為自体がもはやゲイツのキャラ付けと一体化している。
そのためゲイマジェでも頭の固い人物感は強調されていた。ゲイツもまた、キャラは崩しているようで核は守られている。

そうした『七人のソウゴ』を作品単体として見ると、記憶を失ったソウゴが王になりたいと思った理由に再び立ち返る物語だ。
選挙戦、タイムジャッカー、真実のソウゴ、いずれもカオスな展開をしていながら最後は全てこの一点に集約していく。

しかも叔父さんを除くレギュラーキャラを総出演させてオマケの役回りが一人もいない。
非常に絶妙なバランスの上に成り立っている。
(何故このバランス感覚が戦闘だとあんなに崩れるのか……)

『七人のソウゴ』は『RIDER TIME ディケイド』の一部に入れ込んだから、単品として終わらないことに違和感がある。
しかし『NEXT TIME』の第二章として見れば、以前までの整合性を重視し、丁寧に伏線回収して第三章に繋げていた。

仮面ライダーにおける井上脚本の魅力は、特異な舞台設定の上で織りなす濃密な人間ドラマにこそある。
では、各キャラがどのような役割を受け持っていたかを整理してみよう。

ウォズ

ソウゴが集う空間において、誰かに強く肩入れすることなく語り部としての役割に徹している。
必要な時以外はソウゴ達の前に決して姿を現さず裏方に徹するのは、世界の再構築から徹底されている姿勢でもあった。

ウォズが再び表舞台に上がるなら、本人がそれを強く望むか、ソウゴが求めるしかない。
だが、それには新たな別カラーウォズや新タイムジャッカーのように外部から完全別勢力の襲来か、ソウゴが記憶を取り戻す必要がある。

それでも本編の外で視聴者に語り掛けるいつもの役はしっかりとやっており、一見何のためかよくわからない生徒会選挙にちゃんと意味があることを伝えていた。

『ソウゴ大集合の内輪揉めなので、平常運転で外から語り部やってました』が今回の立ち位置だったのだろう。

オーラ

ツクヨミが学校にいないので、本作ではメインヒロインみたいなポジションにな……れなかった。
ウールのヒロイン力が高過ぎた上に、初っ端からラブレターを破り捨てられた娘。

本作のようなサバイバル系だと、概ね『エロ・グロ・バイオレンス』がストーリーの主体になる。
グロはまだ二年前にTV放送していた作品で「そこまでやっていいのか?」ってぐらい大真面目にやった。
バイオレンスもソウゴ同士の小競り合いだけでなく、本当にソウゴを次々と倒していく容赦のない門矢士がその役割を果たした。

オーラが恋愛部で主体的に動くセクシーキャラ路線なのは、実質的なエロ担当だろう。
ゲイツはこの非常事態に何やってるんだと激怒したが、むしろ命が脅かされると人間の性本能は強くなる。
恋愛は『性愛』の代わりに描く要素としては、むしろ理に適っていた。

その恋愛部でも、オーラは主にウールを弄り倒すための場として活用する。
ゲイマジェの頃から容赦ない扱いをしていたが、これは以前のような不仲の再現でありながらも、同時に本当にじゃれ合っていたのだと今回でわかる。

かつては自分が生き残るため謎のビームサーベルでウールを殺害した。
今度は自分の命よりもウールの危機を優先して飛び込み、かつてと同じ技で逆にウールの命を救った。

それでもウールはソウゴを庇い命を落としてしまうが、記憶が戻ってもオーラは最後に彼のことを気にかける。
ウールとのコンビはオーラにとって恋愛ではないが、友達として心地いい関係だったのだろう。

誰も信頼できず孤独な悪女だったオーラは、本当の意味でウールと友達になった。
オーラにとっての学校とは、確かに好きな人と一緒にいられる幸せな居場所だったのだ。

ツクヨミ

かつては唐突に生えた設定でスウォルツの妹という重要ポジションとなったツクヨミ。
かつては子供ソウゴと関わった彼女は、今回も真実のソウゴ(ショタ)と関わる核心ポジションとなった。

しかも戦う。ぼっちでも折れる様子なく超戦う。実は記憶戻ってるんじゃないかと思う奮戦だ。
と言うかまた当たり前にファイズフォンXを使いこなしてるのは笑った。

髪が短くなったのは別ドラマの撮影が理由だ。
ただの学生からライダーという戦士に変わった日常を象徴すると考えれば、むしろ覚悟を決めた戦士っぽささえ感じる。

なんでソウゴ達と離れても世界融合に巻き込まれたのかは最後まで説明されない。
重要な役割だが理由不明な立ち位置はディケイドにおける夏みかんと同じだった。どちらもメインヒロインで白いライダーだし。

もう一つツクヨミに注目すべきポイントはラストシーンだ。
真実のソウゴが倒されショックで崩れ落ちたが、事情を知った後のエンディング時では雑な扱いに変わっている。
この恐いくらいの割り切りの良さが、ゲイツに救世主としてソウゴを倒すよう話していた頃のツクヨミを思い起こさせる。

時には芯の強い母性を発揮して、周囲を取りまとめる。
時には必要ならそうすべきと、人情的な部分を割り切って冷静な判断を下す。

実はゲイツ以上に戦士の資質を持つ女。まさしくツクヨミの本質だ! 生徒会長にも向いてる性格だよね。

スウォルツ

恐らく、今回で誰よりも株を上げた男。
公開時のキャストトークで門矢士とソウゴ役のダブル主役がいる。これはわかる。
しかし何故かスウォルツ役がいる。
いること自体はトークも面白いから全然構わないのだけど、何故いるのかがわからない。

そうしたら実際の作品では、怪しげな動きを見せつつも実は潔白で、ソウゴを手助けするため最終決戦に混ざっている。
キャストトークの後半でも言われていたけど第三の男! みたいなノリでジオウとディケイドの中に混ざるアナザーディケイド!

本人、アナザー、アーマーのディケイド三人で粋な計らいだ。
ただし実際に三人が揃って映ることはなかった。ホントこう、色々チャンスはあったのでことごとく逃している部分については本当に残念な失点である。

スウォルツはジオウにおける実質的なラスボスだ。
歴史が変わってもアナザーの力によって、ディケイドとジオウが最後の決戦を繰り広げた『史実』は守られている。

最期までとことん自分の為だけに支配者であろうとし続けて、和解の余地すらなかった男。
改変前のソウゴにとっては直接ゲイツとツクヨミを手にかけ、和解しかけたウールが死に至る間接的な原因にもなっている。

全ての元凶と言える憎き敵ですら、ソウゴは新しい歴史の中に取り込んだ。
ツクヨミとの兄妹関係を切り離し、純粋に教師と生徒。個人と個人として向き合う。

ゲイマジェでは記憶を取り戻したことを匂わせ、ウールとオーラを呼び出す描写もあった。
やり直しでも、やはりスウォルツはスウォルツなのか?

そんな空気だったが、ジオディケにそこを引っ張ると話がまとまらない。
なので今回はスルーするのかなぁ、と思ったらスウォルツは教師として生徒達を率いて活動した。

傲慢な性格や指導ではなく指図するような在り方もかつてのまま。
しかし、教師としてやるべきことはしっかりとやる。
現実逃避せよという命令も一見すると滅茶苦茶だが、スウォルツ視点だと決してそうではない。

記憶が戻っているため、原因が世界の融合にあるのは十分察せられるだろう。
現実を受け入れて生徒が足掻いたところで何も改善しない。
かといってことの事実を語ろうと誰も信じず、下手すれば悪戯にパニックを煽る。

そしてソウゴが複数いるとみるや、彼らを競わせ実質的に王の座に着かせるよう働きかける。
根本的な原因がわからずとも、こうすれば何かしら事態が動くと読んだのだろう。

また作中では他の教師達は姿が見えない。
描写を省略したか、そうでなければ教師は既に全滅している。もしくは世界融合時点でスウォルツしか教師は最初からいなかった。

たとえ省略していたとしても、活動内容からスウォルツが生き残りの政策を打ち出して、代表的に立ち回っていたのは間違いない。
かつてのスウォルツならもっと根本的に他者を利用するため支配下に置いただろう。

だが、今回は逆に生徒達を一人でも生き残らせるため、暴徒の鎮圧から恋愛部顧問。もっと重要な食糧確保に調理まで積極的に己がこなしていた。
態度だけ同じで、やっている行動は改変前と真逆なのだ。

だからこそソウゴは、怯えながらもスウォルツの調理を自分から手伝うと申し出た。
記憶を取り戻しても、教師の役割をこなしながらソウゴの在り方を観察し続けた。

かつては敵対し合った二人の共同作業。
これもまた好きな人と一緒に過ごすことから経た和解の流れなのだとわかる。

ゲイツ

また、ゲイツはゲイマジェによって再び『もう一人の主人公』に近い立ち位置になった。
ディケイドにフォーカスを当てた物語として、今回は大人しくしてもらわないと話が作れない。
それもあってか、今回はソウゴにとって貴重な友達であり、その距離感を描いている。

夢見がちなソウゴに対して、ゲイツは常に現実的な視点で物を見る対照的な人物だ。
インベスに襲われた生徒を助けようとするソウゴを「もう間に合わん」と止める。
選挙戦でもあくまで『どう勝つ』かを主眼に置き、選挙に対して疑問を持つソウゴのやり方をぬるく感じて激怒した。

仲違いしている間に、ソウゴは別のボッチ少年と交友関係を深めていく。
しかし、少し時間が経てばゲイツはふらりと戻ってきて、またソウゴとつるむ。

そこに一々謝罪や和解はない。
ゲイツにばつの悪そうな態度はなく、ソウゴもそれを当然のように受け入れる。

友達とは『欲しい』とか『なろう』ではなく『できる』ものだ。
少なくとも過去のソウゴはそうだった。
ゲイツやツクヨミはいつの間にか友達だと思っていて、それが当たり前になっていたのだ。

それは世界が変わっても本質は同じ。
喧嘩したって時間が経てば自然に戻り、またなんとなく話して一緒の時間を過ごしていく。

これこそ前世界でソウゴが欲しかった時間であり、実感を持って言える『好きな人と一緒に過ごす幸せな時間』の象徴なのだ。

そして、ひとたび戦いが起これば、ここは任せろとゲイツは積極的に生徒を守り戦う。
現実的な視点を持ちながら、根っこは情に厚い熱血漢。

ゲイマジェよりもずっと少ない出番の中で、ゲイツの良い面悪い面を同時に描いている。
私は個人的に二次創作を書いてることもあり、キャラを必要以上に美化せず作り込むスタンスは好意的に感じた。

ウール

本作における真のヒロイン。
スペシャルイベントのヒーローショーで、最も可愛い子として断言されたウールの本領(?)発揮である。

それと同時に板垣李光人氏が本編で望んでいた、念願の協力し合うタイムジャッカーが遂に実現した! やったぜ!
けど、ウールきゅんはやっぱり死んだ!

特に悪事を働いていない善良なメインキャラ死亡は、井上脚本だと結構珍しい事例だったので予想外だった。

私はキャラの死と現実の死は別概念として捉えているため、死そのものはそこまでショックではない。
それよりも、士の死は衝撃展開として受け取られてネットで騒がれるのに、ウールきゅんは皆スルーの方がずっと可哀そうなんだけど……。

ウールが想いを伝えようと最期に遺した手紙の本文は、『ずっと一緒に』の一文だけ。
ソウゴに恋をしていたが、本質的には関係性よりも一緒に同じ時間を過ごす方が重要だった。
それは世界を創造し直す前に、ウールが望みだしていたことが、学園生活の中で形になった願いなのだろう。

「そうだよ、王様なんかどうだっていいんだ。皆が幸せで、好きな人と一緒にいられれば」

早くに両親を失った。
友達がいなかった。
王になりたい願いがソウゴから人を遠ざけた。

そこで出会った初めての友達、ゲイツとツクヨミ。
叔父さんはソウゴを家族だと思っていても壁があった。
ゲイツ達を通して成長し、初めて胸に仕舞っていた想いをソウゴにぶつけられた。

好きな人が愛や恋とは限らない。
形や関係にこだわる必要すら実はないのだ。

大切な人と幸せな時間を過ごす。
それはソウゴが世界を創造し直す時に、何よりもソウゴが願った未来なのだ。

ウールは消えてしまっても、彼の想いはソウゴに『あの頃』の情熱を思い起こさせた。
ソウゴによって変わったウールが、巡り巡って今度はソウゴを変えたのだ。

七人のソウゴと王の資質

ソウゴ達が集い争う(一部集えなかったけどネ!)。
王になりたいソウゴ同士で王の座を争う。

やっぱりSOUGOはソウゴの一人ではなく実質別人だったらしい。
いやまあ、元々簡単には出せないだろうし出られても困るけどさ。

ソウゴ毎にそれぞれ主張を持っていて、個別の信念がある。
暴走族とかクマとか。もうあのソウゴDは変身したら本当にクマライダーになるべきでは?
私の中で、変身演出に予算使い過ぎて戦闘が残念になったのではと疑念があるくらい、個性豊かな変身三昧だった。

(余談だが、ソウゴCの関西弁はイントネーションがかなり自然なのは、奥野氏の出身が関西だからだ。数あるソウゴの中でもダントツで一番演じやすかったと話している)

そんな中、ソウゴAこと皆の知るソウゴだけは『王様=選挙に勝つ』が心の中で結び付かなかった。

選挙戦で選ばれ代表者となる。
人の上に立つ資質を測る行為としては、それこそ日本が選挙制であることからも王道だろう。

けれどそれは、ソウゴが抱いている王のイメージとは何かが異なっている。
そもそも、ソウゴは生まれながらの王だったので、選ばれる感覚は薄いのだろう。

自分で王になる道を進み、過去の記憶を継承してきた存在がソウゴなのだ。
だからこそ記憶はなくても実力はある。

真実のソウゴを除けば、ソウゴだけがサイキョーギレードを持ちソウゴCを力で押し返せた。
(真のトドメはディケイドだったわけだが、視聴者の感覚としてもそりゃサイキョウぶん回す方が勝つし、ソウゴCが使うことに違和感もあった)
これは物語において、ソウゴ入れ替わりの伏線としても機能していた。

ではソウゴが望む、あるべき王の形とは何なのか? 違和感の正体は本人にもわからない。

その答えに気付かせてくれたのがウール。
実はソウゴが望む形で一緒に過ごしてくれている『好きな人』がゲイツだった。

また、ソウゴが友達になろとした少年は、その提案を拒む。
彼がソウゴに望んだものは友達ではなかった。

少年はソウゴに求めたのは『居場所』だった。
自分がいてもいい場所。
付かず離れずの距離感で、ただそこにいさせてくれる。

少年にとってソウゴは『好きな人』ではあるのだろうが、その形は友達ではない。
そしてソウゴが代表=王になれば、自分にも居場所がある世界を作ってくれるかも。

この居場所はタイムジャッカーにとっても同じことが言える。
誰も信じられず非情に生きていたオーラとスウォルツは、学園という居場所で過ごして確かに変わった。

彼らは過去を思い出して元の場へと戻っていったが、学園での生活は否定しない。
二人は殺し合いまでした中であるのに、過去を水に流して再び共に旅立つのも、学園での思い出があるからだ。

ソウゴが持つ王の資質とは、皆が幸せに過ごせる居場所を作ること。
それは経済やパーティーがどうこうではなく、ただ好きな人と過ごす幸せな時間であればいい。

最後まで生き残ったソウゴBも『好きな人と共に過ごす』ことと、『皆が盛り上がり楽しめる空間』を作ったという意味においてはソウゴと共通していた。
むしろ盛り上がりと人数だけならソウゴを遥かに凌駕しており、最も王に近い存在だったろう。

ただソウゴBの作った空間はその場限りの仮初だった。辛い現実から逃避したい心が求めたバカ騒ぎ。
だから本質的に心を満たすことはできない。

選挙を前にしたソウゴBは現実の不安に押し潰されそうになった時、パーティーでのバカ騒ぎではなく、本当に愛する恋人のキスを求めた。
ソウゴBが王として作れるのは、自分がその場にいても満たされない空虚。本当の居場所は恋人と二人の空間にしかない。

しかしソウゴには危険を冒してまで投票する覚悟ある者がいる。
本当に心から民に必要とされる居場所を作れる王。
そのためソウゴBは力での決着を捨てて、潔く敗北を認めたのだ。

最低最悪の覇道を選んだ真実のソウゴは、けれど子供に戻りツクヨミと過ごしたがためソウゴに敗れる。
孤高の王だったオーマジオウは、他人との触れ合いで僅かでも孤独を思い出してしまった。

物語は再び日常へと戻る。

ソウゴは王へ。
ゲイツは救世主へ

それぞれがなりたい存在に対する真の意志を取り戻した。
そして真実のソウゴが、魔王へ向かう運命の道を付ける。

「お前は……俺だ!」

しかし時計の針は進むのだ。

歴史を引き継ぐ時計は全て揃っている。
最大最後の敵、ディケイドは倒された。

着実に、確実に、止まらずに――――

『オーマの日』はいずれ再び訪れる。

ディケイド主体の後半はこちら

ジオディケ 門矢士が望んだ旅の終着【考察・感想】


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