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仮面ライダーディケイド 十年先を見越していた十周期【感想・考察】

2021年2月13日

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ゼミ生の皆様こんにちは、語屋アヤ(@ridertwsibu)です。

平成ライダーという独創的かつ特異なシリーズ。
どこまで行くのか、どこまで行けるのか。そんな気持ちで見守り続けて辿り着いた十周年。
10という特別なアニバーサリーは、平成ライダーファンにも何かしら特別な記念を予感させるには十分な数字でした。

そして発表されたライダーはやはり特別な存在で…………

ピンク! バーコード! ダサッッッ!!!!
カード使ってこれまでのライダーに変身できるらしい。
だからバーコードなのね。でもダサッ!

世界を巡る破壊者らしいよ。でもピンクじゃん!
ピンクでコピー。あのピンクの悪魔かよ!!

これまでもネタとしか思えないデザインはあったけど、むしろいっぱいいたけど、電王かそれ以上のフルボッコ具合だったことはよく覚えています。
とりあえず今ならマゼンタ警察が押し寄せて乱闘騒ぎになっていたでしょう。
なお、ディエンドとコンプリート発表の時もそれぞれ同じようなノリでした。
今ではどれも普通に格好良く見える。初見のインパクトから動くと格好良いもの作らせたら東映に勝てるものはいないと本気で思います。

ディケイドという作品は設定単位で語るとそこらかしこで破綻します。
整合性を付けるのはほぼ不可能でしょう。

しかしながらディケイドは『だからこそ』の魅力を有しており、令和の時代に突入してもなお、特級の扱いを受ける存在です。
その魅力を言語化する場合、『あの設定はどう解釈すべきか』ではなくて『何故この設定にする必要があったのか』で考えるとその答えが見えてきます。

では、記念すべき平成十周期の考察と感想をはじめていきましょう。

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壊して繋いだメタ構造の本質

後に平成ライダー前期と呼ばれる十作品の半分以上に関わった白倉Pだが、ディケイドはその中でも企画の開始段階で最も時間がかったと語っている。
ディケイドという企画には大きな三つの要素が課せられていた。

・仮面ライダーブランドの再起
・仮面ライダーの安定化
・ガンバライドの立ち上げ

仮面ライダーの再起? クウガで再起したからディケイドがあるんだよね? と考える人もいるだろう。
案外知らない人が多い話なのだが、平成ライダーは当初からそういう定まったシリーズではなかった。

平成一作目のクウガの制作陣は一発限りのやり逃げを狙っていた。むしろだからこそ渾身の一撃を放てたとさ言えるだろう。
そして、その渾身が劇的な結果を生み、次作のアギトへと繋がった。
三作目の龍騎、六作目の響鬼に至っては初期の企画案は仮面ライダーの予定ではなかったのだ。

ただし生命線である玩具の売り上げは龍騎以降は右肩下がりとなり、響鬼ではかなりの低迷から大きな番組のテコ入れが入っている。
その後の電王で持ち直しはしたものの、やはり安定したとは言いづらい。
電王は電王個別の人気であり、シリーズ全体の大きなプラスには至らなかった。
それを証明するように、続くキバは一気に三十億近く売上を落としている。

仮面ライダーの人気低迷はいくつか要因があっただろう。
白倉Pはその中でも特に大きな要素は、子供の親層が仮面ライダーから離れたためであると考えた。

仮面ライダークウガは、父親を中心に親が昭和仮面ライダーにハマっていた世代を狙い撃ちしている。
親が仮面ライダーという作品を贔屓しているから、子供に玩具を買い与えることが販促の基本戦略だった。
(これはクウガ考察で詳細に書いているのでそちらを参照)

http://kamen-rider.info/kuga1/

しかし昭和ライダーもまた安定したシリーズではなく、その放送は幾度も途切れている。
親が仮面ライダーに馴染みのない世代へと突入してしまったのだ。
ここで仮面ライダーは昭和ブランドのイニシアチブを喪失してしまう。

昭和ライダーは途中幾度か放送が途切れる穴開きの歴史であり、親子二代戦略が基礎では今後も安定化を見込めない。
平成ライダーブランドを再起させつつ人気を安定化させる。新機軸の路線が必要だった。

もう一つの要因がガンバライド。2021年現在も稼働中であるガンバライジングの前進に当たるゲーム機だ。
かつての仮面ライダーが一同に介して戦う。シリーズ化を考えるなら美味しい要素である。

元々三つは個別の課題だったものを、一つの形にまとめ上げたものがディケイドである。
これまで独立した世界を守ってきた平成ライダーが、初めて『平成ライダー』という括りで一同に介する。
平成ライダーという言葉自体は使わなくとも、その意図は冒頭の夏美が見る夢、ディケイドと戦う仮面ライダーの軍勢からも明らかだ。

時空を越えてライダーが集い戦う圧巻のライダー大戦。
冒頭から漂うこれまでとは『明らかに違う空気』は、私を含め多くの視聴者に衝撃を与えたのは間違いない。

世界の独立性は平成ライダーにおけるかなり重要な不文律だった。
唯一の例外は個の人気が高まり過ぎてしまったが故に、一年という枠からはみ出してしまった電王がキバに絡んだこと。
後はハイパーバトルビデオで、夢オチという形でアギトが龍騎の世界観へ少しだけ紛れ込んだくらいだ。
あるいは、電王の突出した人気を利用してキバと共演した時から、ディケイドで発揮される販促戦略は既にある程度定まりつつあったのかもしれない。

ディケイドでは【仮面ライダーにはそれぞれの世界がある】という思想を、ほんとそのまんま九つの地球という形で可視化した。
世界同士は本来決して交わってはならいものだと、第一話における渡の説明からも察せられる。
冒頭のライダー大戦は『世界が交わるとどうなるのか?』から最悪に至るケースを、わかりやすく可視化する意味合いも持っていた。

世界が融合することで平成ライダーが保っていた均衡が崩れ、ある種の滅びが訪れる。
当時の平成ライダーファンなら多くが持っていた、とても共感性の高い感覚だったように思う。
つまり冒頭のライダー大戦は、私にとって「これまでの平成ライダーが守っていた最大の壁をあえて破壊するぞ」という恐るべき宣言だった。

ライダー世界にある隔絶を破壊して平成ライダーとして一つに繋ぐ。
これがディケイドで狙った新しい販促戦略でもある。

繋げる手法がどうやって売上に繋がるのか?
これはディケイドの作品性を整理すれば自ずと見えてくる。

ディケイドの各世界はオリジナルではなく、リ・イマジネーションと呼ばれるディケイド用に再構築した世界だ。
もちろん、かつてのキャストを全員呼んで出演してもらうのはあまりにもハードルが高く現実的ではない事情があるのは間違いない。

それ以外にも世界を繋げるリスクはある。
電王からキバへ客層が連携できていない事実と、小さなお友達が主層であることも踏まえれば、ディケイドの視聴者が全ての過去作を知らない割合はかなり多くなるだろう。
二話の前後編だけで各ライダーの世界観やテーマ性を全て伝えながら、ディケイドとして新しい話を展開させるにはあまりにも尺が足りない。

そこで各ライダーの部分的なエッセンスを抽出し、世界観を再構成する。
こちらの方が物語を作りやすく原点を知らなくてもとっつきやすい。
視聴者は気に入ったライダー世界があれば、その作品に直接触れるきっかけにもなる。
ディケイドは新規ファンのための平成ライダーカタログでもあるのだ。

この方式によって独立性の高さから過去の産物になってしまっていた作品に、再びスポットライトを当てられるようになる。
平成ライダーと呼ばれながら孤立していた作品を、初めて本当の意味でシリーズ化させたのだ。

また、既存ファンにはこれまで視聴してきてくれたご褒美要素として、部分的にオリジナル俳優やニヤリとできる展開を用意した。
天道のおばあちゃんや響鬼を襲名するアスムなどのドリーム要素も、ファンだからこそ楽しめる嬉しい話だ。

ここにガンバライドを上手く噛み合わせてきた。
過去のライダーをカード化して商品としてしまう。
まるで古のライダーチップスのように、カードはコレクション性がとても高い。

多々買わなければ生き残れない時代の到来だッ!
平成二期から令和に入っても、スタンダードなスタイルとしてすっかり固定化された販促システムである。
カードはゲームを遊べば手に入り、ランダム性もある。欲しいのが出るまで回す大きいお友達も出るだろう。

また、ディケイドが終了してもガンバライドまで終わらせる必要はない。
ゲームシステムをアップデートすれば稼働は継続できる。
新作のカードはアップデートする毎に増えていく。

これまでの仮面ライダーは親子二代だが、主層はあくまで子供だった。
だがシリーズ化戦略では長期的に作品を触れる者を以前より強く取り込んでいる。

長期的に多くのコレクションを集める財力を持ち、過去作を積極的に履修する層とは誰か? 言うまでもなく大人、大きなお友達だ。
以前からもその傾向はあったろうが、電王で大人が与える売上効果の大きさは理解できたはずであり、シリーズ安定化のためこの層を積極的に取り込まない理由はない。

作品単体のアイテム数を増やして売上再起を狙う。
加えて世界を繋げる+ガンバライドによる新たなブランディング戦略。
こうしてディケイドは独立した作品性を維持したまま、平成ライダー真のシリーズ化を成し遂げた。

製作発表時に配布された資料において、ディケイドは『10周年を祝う壮大な記念イベントであると同時に、これまでの10年をも凌駕する革新を目指し』『ここからさならる10年へ向けて新たな一歩を刻む』と記載されている。

この十年後という数字にも意味がある。
平成ライダーが二十年ということは、クウガを観ていた子供が大人になり、早ければ子供を育てる世代になっているだろう。
そうすれば親子二代戦略がより安定した形で復活する。

現実にそこまで続くかは賭けだったとしても、ジオウをゴールとした大プロジェクトは、既にディケイドの段階から始まっていた。
ディケイドは十年分のライダーの力をその手に集め、先の十年へ向かうターニングポイントとなるために生まれた作品なのだ。

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門矢士が『通りすがりの仮面ライダー』になったワケ

第一段階では、企画としてお祭モノと与えられた使命の大きさが、そのまま作品に強い影響を与えていると解説してきた。

ディケイドを語る上でこの土台は本当に重要だ。
これから語る基本的な作品構成も、上記した三つの使命からとてもロジカルに作られている。

リ・イマジネーション化した各世界は原典作品の要素やテーマ性を組み込む。
キバは種族と愛の物語を親子と王に集約した。
ファイズは種族抗争と相互理解を、学園モノのヒエラルキーへと置き換えている。
響鬼は鬼の心得と師弟、そして調和を、音撃道という形に落とし込んでいる。

特にアギト編までメイン脚本を勤められた會川昇氏は、良くも悪くもエッジの効いた抽出をしていた。
逆にシンケンジャー以降はオリキャス率の高さや大ショッカーの関わりが入るようになり、原点の空気感やストレートな抽出を重視しているように感じる。

こうして再構築されて世界の主役は、あくまでその世界のライダーでなければならない。
そこにディケイドを絡ませるには、客分『通りすがりの仮面ライダー』になるしかない。
ディケイドを訪問者として世界を巡らせる。ロードムービー形式は構成を実現化するための必然だった。

とはいえこれもバランスが大事だ。
所謂世直しモノのように、ディケイドを単純に『各世界を回って悪を倒す水戸黄門形式』にしてしまうと、各ライダーのメンツが潰れる。
過去作品のファンは怒り、新規ファンも過去作に魅力を感じなくなってしまう。

けど同時に、物語全体として見た縦軸の主人公はディケイドである。
客分であっても存在が埋もれてはならない。

そのためディケイドを世界の異物にしてしまう。
来れば世界が破壊されてしまう絶対悪。
それなら確実にどの世界であっても異物となる。

それでもディケイドは、己の使命より、その場で起きる事件の解決に力を貸してしまう。
各世界で起きる事件も、本来ならば起こらなかった事態=ディケイドが間接的に滅びの現象を起こしていると匂わせている。
こうすればディケイドは滅びの要因であり、各世界のライダーだけでは解決できない理由付けにもなる。
人それをマッチポンプという。おのディケ。

設定上と共に、画で見せる異物感もまた重要だ。
ただでさえ各世界もライダーも濃い者が揃っている。
そこに放り込まれてなお『同じ仮面ライダーだけど明らかに俺らとはなんか違うぞ!』と思わせる要素が求められた。

他のライダーと絶対被らず、しかも目立つ。マゼンタカラーはものすごくわかりやすく、かつ効果的だった。

歴代平成ライダーのメインカラーはこれまで男の子受けしやすい赤、青、黒が主体である。
アギトや響鬼はやや独自カラーであるが、それでも鮮烈なマゼンタは際立つ。
そういう意味でも、ディケイドはピンクではなくマゼンタでなければいけなかった。
なので、これからも商品説明等でピンクと書く度、そのサイトはある意味当人に怒られるのだ。

これは門矢士もまた同様だった。
士は各世界に移動するとその世界の役割としてコスプレするが、それでも馴染めず明らかに浮いてる。

井上正大氏は最初の段階で『自分よりもイケメン、もっと演技の上手い者はいくらでもいる。その上で何故自分が選ばれたのか考えて演じてほしい』という旨の話をされたそうだ。
それもあって、井上氏は自分だからできる門矢士を作り上げることを大事にしていた。

他にも『過去作のライダー世界観とは別物だから見なくて構わない。影響されなくていい』と言われていた。
これは他のライダー系作品でも言われているが、門矢士は『他のライダーに馴染んではならない存在だった』からとも考えられる。

とはいえ子供の頃にクウガをやっていて、デビュー前から電王でライダーファンになっており、カブトも楽しんでいた。
他にも当時の段階で龍騎やキバも視聴済みであり、撮影序盤から知っているライダーや怪人が出たらめっちゃテンション上がっていたそうだ。
そして、観なくていいと言われてたのに『個人の趣味で全部観る』と、物語序盤段階のインタビューで宣言していた。
一ファンとして見ると、平成ライダーに対する作品愛は純粋に嬉しい。

他の人物達は異物である士の存在感を補強する。
ディケイドは何故破壊者になるのか? 縦軸で最も大きな謎に対するキーになるのが夏美だ。

異物といっても物語上では世界を救うスタンスを取る士だが、そこで鳴滝が立ち回ることにより、世界を壊す悪魔という位置付けに留めてきた。
直接関わらなくても、次こそはお前の最後だ! と律儀に宣言してくれる。実はおのれディケイド的なノリより、本編ではこっちの方が主体だった。

同じく士の正体を匂わせつつ、独自の動きを取るもう一人の旅人にして盗賊の海東大樹。
両者共に上から目線でマウントを取り合う、ライバル存在として並び立つ。

この二人はそれぞれ独自の方法で仮面ライダーを呼び出す。
本編では触れきれないサブライダー達にもスポットを当てられる存在でもあるだろう。

記憶がなく自分が何者かもわからない。世界の異物である士は、カメラのレンズを通してしか世界に関われない。
その写真も像は正しく結ばれず、狂った世界が映し出される。
強がり尊大な態度を取るのは孤独の裏返し。時には自分から破壊者と嘯いても、面と向かって拒絶されれば傷付く。

そんな士に寄り添い共に旅するユウスケは、彼と共に成長する『友達』である。
これは、各世界で敵に向けて放つ『演説』と共に、士が世界で結んでいく絆の象徴でもあるだろう。

そして、光写真館は旅人である士が唯一戻れる旅の宿。旅人が唯一いてもよい居場所なのだ。

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二つの最終回が示す円環構造の本質

ディケイドにおける縦と横の展開について話したが、物語の構成上、ディケイドは縦軸よりもむしろ横軸である各世界の方が重要となる。
それはストーリーの随所からも色々感じられることだ。

鳴滝は龍騎の世界にアンデッドを送り込み実験をしたが、ブレイドの世界以降なんだったのかサッパリ説明されない。
(前半で出ていた設定面に関してはメイン脚本の降板が大きく影響していると思われる)

シンケンジャーの世界で帰る場所や待つ人をテーマにしていい感じに締めたのに、続くブラックの世界では仲間なんて必要ないと言い放つ。
実際には素直じゃないだけで、士は仲間を大切にしている。
けれど横軸の物語性を優先にして、縦軸側は微妙なちぐはぐさが目立つのも確かだった。

純粋にシナリオ面でも密室トリックの真相が『外から蒲田カッターで切り裂く』とか意味不明な上、暴き方も『裁判で使われているカードを奪って時間を逆行する』とかメチャクチャな代物もあったけどね!
密室殺人とは……。裁判の意義とは……。

そしてこの横軸こそを主体とする姿勢は、まさしく最終回で一つの明確な形になる。否、むしろ形にならなかったというべきか。

ディケイドの最終回(とその一つ前の30話)には二パターンがある。
一つはリアルタイム放送された最終回。

スーパーアポロガイストを倒したが事件は解決せず、ディケイドは平成ライダー達に襲われる。
そして、最終回でようやく仲間になったディエンドがディケイドを撃ち完結編へと続く。
前代未聞の劇場版へ続く未完エンド。ファンから夏未完と称されたこの問題についての詳細は、あえて次回予定の完結編感想に持ち越す。

もう一つは再放送版。
というか最終回でエンディングを書き換えるってどういうことなの? こんな無茶やったのは他にシュタインズゲートくらいしか私は知らない。
(ちなみにこちらは本放送版だときちんと完結しているのを、再放送で新たな分岐を生み出した。似ているようで違う)

なお、白倉Pは完結編への流れを作りはしたが、TV版についてはあれで完結していると発言している。
どこがやねん! ふっざけんな! と怒る人は多いだろう。気持ちはわかる。めっちゃわかる。
この矛盾甚だしい発言を、一応納得できる形に持って行ったのが再放送版だった。

平成ライダー達が襲い掛かる場面から、第一話のライダー大戦へとそのまま繋がる。

無理くり編集しているのでアルティメットじゃないもう一人のクウガがいたり、何故かディケイドが急激に強くなってライダー達を全滅させたりと、かなり強引ではある。
けれど、夏美が見た夢そのままへと辿り着き、正しく円環構造となって物語は出口を求めるループへと入る。

恐らくディケイドの物語としては、こちらこそが本来やろうとしていた流れ。物語としては正しい構造なのだ。

破壊者として役割を与えられたディケイドは、しかし回っていく各世界で起きる事件を解決していき、逆に世界を救ってきた。
そして何処にも自分の世界がない士は、通りすがった旅の途中で仲間と出会い、共に旅する仲間を己の帰る場所と定めた。

「どんな旅にも、無駄はないよ。 どんな人生にも、無駄がないようにね」と栄次郎が語った通り、ライダー大戦が始まってしまっても、出会ってきたライダー達は最終的に士と共に行く覚悟を決める。
ずっと敵対してきた海東ですら、士や仲間達をお宝だと認めた。
そうして遂に、世界融合を加速させていた大ショッカーの大幹部、スーパーアポロガイストを打ち破る。

破滅の運命を幾度も乗り越え、悪魔と呼ばれても救いの手を伸ばし続けた。
レンズの向こう側でしかたなかった世界。
歪んだ像しか結ばない拒絶。

それでも時に歪みは個性を引き立てて、門矢士という人間を形作っていく。
仮面ライダーは、旅した先で手と手を取り合う、彼の在り方になっていた。
それが門矢士の旅だった。

…………だがその直後、それらは全てが間違いだったと突き付けられる。

アポロガイストは世界融合を加速させる要因であっても、根幹の原因ではない。士こそがその根源である。

紅渡は士に、剣崎一真は他のライダー達に、世界を救うため真逆の方法を語る。
しかしそれらが辿り着く先は同じ。

門矢士は破壊者だったのではない。
破壊者にならねばいけなかったのだ。

役割を拒絶し、目的を捏造し、そうして進み続けた終局は破滅。
夏美の見た夢は『ディケイドが破壊者になる結末』ではなく、『破壊者にならねばこうなってしまう』という警告だった。

そうして全ての破壊という結末でもって門矢士の旅は終わり、夏美はまた夢から目覚める。
次の旅路を始めるため。もう一度繰り返すため。

出口を求めながら永遠に巡る円環の牢獄。
ディケイドの他にも、繰り返す恐怖と絶望を語った物語は数多くあるよう、それらの旅はやはり無駄なことのように思える。
しかしそれはディケイドという存在に対する一つの答えであり、ディケイドという作品に与えられた使命だった。

最初の話に立ち返ろう。
作品単位でのディケイドの役割は平成ライダーシリーズの再起と強化。
ライダー毎に独立していた世界を繋ぎスポットを当て直すことで、かつての作品を知らない人にも仮面ライダーというシリーズの奥深さを示すことが目的だった。

その名前に十周期と冠されながらも、昭和のライダー達さえ引き込んだ行為はどうなんだという意見も当時からあった。
けれど、それもまたディケイドという役割の延長線上であり、そういう意味ではブレているようでブレていない。

繋ぎ、引き込み、存在を示す。
ディケイドが間違い続ける限り物語は繰り返される。

仮面ライダーに終わらない終わりを与える。
それがディケイドに与えられた真の役割。そして避けられない呪いだった……。

その中でたった一つの救いへ繋がる道。
ディエンドがディケイドを撃つという分岐点であり、その先にある真の結末だったのではないだろうか。

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