どうも、久方ぶりのライダー記事に、ちょっと普段の書き方忘れてしまっていたゲタライド(@ridertwsibu)です。

劇場版公開前に当ブログ二度目の仮面ライダーセイバー記事です。
本当はもっと早めに出したかったのですが、他の優先作業などで伸び伸びに……。

今年度はとにかく仮面ライダーにとって障害やライバルの多いと思います。
一つは言わずもがなコロナ。これはもう色んな意味で脅威でしかありません。

スーパー戦隊シリーズでは、序盤から総集編の連打が入ったことをものともしない勢いでキラメイジャーが安定した大人気っぷり。
とはいえこちらは同じ東映作品。スーパーヒーロータイムの盛り上がりは、セイバーにとってもプラスになり得ます。

もう一つ人気爆発中の特撮は、ある意味永遠のライバルともいえるシリーズの最新作、『ウルトラマンZ』です。
作品単体としての完成度もさることながら、セブンガーやウルトラメダルによる直球かつ連続的な過去作品との繋がり強化。
後半に入ってもその勢いは全然落ちず、ウルトラマンエースの登場や、まさかの濃厚なウルトラQネタ。最近はティガさん絡みの次作の情報も出て『終わりの後』を見越した展開も出てきました。
単純なウルトラマン人気ではなく、『令和ウルトラブーム』火付け役となっているのは見ていて明らかでしょう。

そしてもはや社会現象と化しているのが鬼滅の刃。
特撮作品ですらねえ! と思われるかもしれませんが、このレベルの人気になってくると商品展開で仮面ライダーにも直接的な影響が出てきます。

これはかつて妖怪ウォッチ人気の横でワゴン入りしていたドライブドライバーという過去の実例がありますからね。
現状そこまで悲惨な状況には陥っていないとしても、売り切れ続出で高額転売されている『DX 日輪刀』が売り上げにどれだけの影響を与えるか、想像もできません。

強豪ひしめく時代に創られる作品は、どのような作品性と魅力を持って展開しているか。そして対抗していけるのか。
感想と考察をしていきたいと思います。

明るく楽しいお祭り騒ぎ作品

セイバーの特徴は龍騎・鎧武と並ぶ多人数ライダーが創る物語だ。
十話に至る前から既に七名のライダーが登場している。かなりのハイペースっぷりである。

そして過去二作と大きく異なる部分は『ライダー達の共闘関係』にある。
セイバーにおける仮面ライダー達は世界を守る『ソードオブロゴス』に所属する騎士達であり、チームとして協力して戦う組織だ。

平成シリーズ以後の仮面ライダーは基本的に最初は対立関係にあることが多い。本当に多い。
職業ライダーとして始まった仮面ライダー剣は、第一話にして二号ライダーが裏切り組織が崩壊した。オンドゥルルラギッタンディスカー!!
他にも敵対とまではいかないまでも、積極的な協力関係にはない程度で収まるパターンも多い。

同じく『チーム医療』として仲間との連携が重要視されたエグゼイドですら、最初は見事にバラバラでいがみ合っていた。
貴重な例外(というか共通する設定がある)作品は仮面ライダー響鬼だろう。

響鬼に登場する仮面ライダーも魔化魍と戦う組織『猛士』の鬼である。
だが、響鬼ではメインの三人(途中で引退した斬鬼を含めても四人)以外は出てきてもスポット参戦のみで、その三人が揃うのもそれなりに時間をかけていた。
そういう意味も含めると、多人数ライダーで序盤から共闘できているのは、まさしくセイバーが初だ。

世界の平和を守るため、最初からまともにチームとして共闘する仮面ライダーが22作品目にして初! ある意味すごい!
そんな状況からも察せられると思うが、今回の仮面ライダーは明るく楽しいスタイルで物語を作っている。

この最たる理由は、小さなお友達が見てワクワクできること。閉塞的な時代に、夢と希望のある作品を届ける。
発想は3.11の後に生まれた、あえて涙ラインを持たず底抜けに明るいライダー、フォーゼに近い感覚だろう。
大人ですらつらく息苦しいと感じるこの時代だからこそ『子供達にとっての娯楽』は本当に大事なのだ。

個性豊かなライダー達が毎回派手なアクションで戦い、日常パートにもはっちゃけた演出をどんどん盛り込んでいく。意図されたゴチャゴチャ感による群像劇は結構楽しい。
絵的には少々騒がし過ぎていささかリアリティに欠ける部分もあるのだが、ファンタジー色の強い設定と世界観に乗せることで一つの作品として整合性のある枠内に収めている。

元々は前回のゼロワンはSF色が使強かったこともあり、ファンタジー系の作品にしようという話がきっかけだった。
ちなみにゴーストの時も人工知能だったドライブの次作でスピリチュアル系の話を作っていたこともり、高橋Pは「大森さんの後はやりづらい」と言っていた程だ。

そこからコロナ感染拡大に対応するた既に決まっていた部分も含めて制作の見直した行われた。
結果、CG処理を多用して撮影現場を限定的にできる利点を踏まえ、ゼロワンとは真逆に位置する程に世界規模でファンタジーに強く寄ったのだ。

その群像劇と世界観を結び付ける最大の要素が変身ベルトと、セイバーにおける仮面ライダーの定義だ。

多人数ライダーの場合、何処にどうやってキャラクターの個性を割り振るかが重要になる。
昨今、仮面ライダーのベルトと戦闘時のフォームチェンジは増えやすい傾向にあった。
ベルトの数は必ずではないものの、フォームチェンジは安定して増加の一途を辿ってきた。
なお、前年ゼロワンだと登場したベルトは十本以上である。

ベルトを個性化するにはベルト一種類に対して一つのバックボーンを求められる。
数が増えれば増えるだけ、ベルトの設定だけで尺を食うのだ。
(ゼロワンだと、飛電ゼロワンドライバーを父親との繋がりにしたり、サウザンドライバーでは飛電とザイアのテクノロジー対決等で上手く生かしていた方だとも思う)

そこでベルトにある程度統一性を持たせる方向で考えた。
これはジオウの時には、ベルトを徹底してジクウドライバー一つに統一化したことが人気の理由だったのではないか、という発想もあるとのことだ。

確かにジオウは第一話の「使い方はご存知のはず」で強調されて以後、壊して交換してという流れなどはあっても一種類のベルト+ライダーの力を持ったウォッチで統一されている。
これによって『ライドウォッチ=歴代ライダーの力』が強調されテーマ性の重要化にも繋がっていた。
(そして歴代ライダー外の力はあえてミライドウォッチとミライドライバーで明確な線引をしているのも大きいとは思う)

そこからセイバーで選ばたのが『剣』だった。
剣には様々な種類があり、草薙の剣、童子切安綱、カラドボルグ等など様々なバックボーンを持ち、聖剣と呼ばれるものも数多い。
セイバーでは物語のバックボーンとなっているアーサー王伝説にも、超有名な聖剣エクスカリバーが存在する。

剣自体にも様々な種類があり、それぞれの個性付けやアクションができる。
大剣をぶん回す力強さを、父親の頼もしさに結び付けるなど、非常に上手い個性付けだと思う。

また剣を主体として統一性を持たせたことにより、仮面ライダーは『聖剣に選ばれし剣士達』であるとも強調できている。
剣とファンタジーの相性はすこぶる良く、小さなお友達……だけでなく大きなお友達にも安定した人気のアイテムだ。

ちなみに発表当時はドラゴンにセイバーでファンからはFateを散々意識されていたが、現状でもわかるようにFateと連なる要素はアーサー王伝説が下地になっていることくらいしかない。
そもそもメイン脚本である福田氏はFateを名前しか知らず、セイバーという名前のキャラがいることすら後で聞かされて驚いたと証言している。
ゴーストにおける英霊の召喚といい、絶妙なニアミス連発してくれるよね!

加えて平成二期以降、仮面ライダーの要素は基本的に二つで構成されており、変身アイテムは身近の道具であることが条件の一つとなっている。
そういった条件の下で、剣に合うアイテムとして本が選ばれた。

剣はそれぞれの剣士に合った特徴という名の『型』を作り、本は戦いの幅を広げる。
フォームチェンジは数が必要になる部分も、過去の名作なら十分に解決可能だった。

巨大な豆の木を生やしたり、ムッキムキの妖精さんがプロレス技かけたりする。剣士だけでは表現できない派手で楽しい映像面の補完としても十分な効果があった。
創刊! ディアゴスピーディーは流石に笑った。いや、確かに仮面ライダーは今もそこから本出してるけどね!

本にもそれぞれ物語性があり、世界観を広げる役割も持つ。
変身ベルトを剣の鞘として、剣士のように抜剣。するとセットされた本が開く。二つの要素を絶妙に合わせたギミックの完成だ。

実はヒーローとしてはどれも有りがちな設定と言えるが、仮面ライダーだと物珍しい。
まさにエンタメとして王道ヒーローの真ん中を行くヒーロー達だ!

テンポが速いのに展開は遅いの構造的問題

序盤から次々とライダーが登場しては活躍するスタイルは、見ていてワクワク感がある流を作り出している。
しかし展開の速さは全体としてみるとバランスの悪さを招いてもいる。

一番わかりやすい部分だと、キャラ単位の出番量だ。
群像劇でドラマを作ると、仮面ライダーの場合どうしても主役の出番量がかなり多くなる。これは仕方なく当然の話ではある。二号ライダーも必然的にそうなってしまう。

本作では三号ライダーを主人公の幼馴染にして、物語における重要な要素を背負わせた。
これにより出番量だけなら二号ライダーに匹敵する状態だ。

そして、そのしわ寄せを他のライダー達が食うことになる。
特に酷いのは蓮(剣斬)だろう。

「マジないわ! 下っ端か!」とインパクト強めのムカつくキャラで登場したのはいいものの、その後は特にそういうキャラ付けを見せる出番がない。
の強さに憧れる立ち位置でもあるのだが、当の本人が情緒不安定でカリバー関連のイベントばかりが重なる。キャラの関係性も幼馴染と二号ライダーとの絆をメインに深めていくため絡みがない。
久方ぶりにセットでの出番かと思いきや、独断により共に戦うことはなく、通常の怪人を特に大きな見せ場もなく普通に倒すだけだった。

個性豊かなキャラ揃いだと、相対的に一人あたりの印象は薄くなる。
何よりどれだけ癖が強くても、出番がなければ空気と化していく。登場時以後は本当にメインの外で敵を倒す役に落ち着いてしまっており、目立った活躍がない。

尾上も、敵幹部との繋がりがあるだけマシだが、それでもお世辞にも出番量が多いとは言えない。
子供はレギュラーキャラじゃないのもあり、最初にあった大剣イクメンライダーのインパクトはどんどん薄れてしまっている。

初めから群像劇では尺に難があるのはわかっていたようで、ネット配信にてライダー達の活躍を外伝として描いてはいる。
しかしながら、ファンからすれば一番欲しいのは賢人のような本編での絡みであり、観られない環境の人にとっては救いにもならない。

出番量は戦闘能力にも直結する。
活躍の多いセイバー、ブレイズ、エスパーダは早期に同色三冊のワンダーコンボを達成。
セイバーに至ってはコンボとは別にドラゴンアーサーで巨大ロボットを召喚できるようにもなった。

そして残り半数がコンボ相当のフォームチェンジに辿り着かないまま、セイバーには赤三冊以上の強化フォーム『ドラゴニックナイト』が登場した。
バスターは二冊でデザスト相手に苦戦している状況から特に変わってないんだけど……。

まだ序盤だし巻き返せる……と信じたいが、玩具の販促面から今後もストーリーと強化はセイバーにウェイトを置くのは確定事項だ。
しかもサウザンベースが出てきたように、他のライダーもまだまだ増えるらしい。セイバーを中心軸にして、一話一人単位の出番量は人数が増えた分だけ減る。

この出番量問題は敵であるメギド側も例外ではない。
以前の多人数系ライダーだと、怪人側の組織はかなりシンプル化されているものが多かった。
龍騎では単純に鏡の中にいるモンスターであり、黒幕も一人で組織化すらされていない。その分ライダー同士の戦いに尺を大きく割り振れた。

鎧武も、スタート時における怪人は謎の異世界からくる怪物インベスという扱いであり、組織化された幹部級が出てきたのは中盤以降。
その辺りで新規ライダーの参戦はかなり落ち着いていた。

セイバーでは敵も味方も最初から組織化されており、どっちも物語に絡んでいるので、シンプルに見えて実はかなりややこしい。
メギド側幹部は当初、仮面ライダーカリバーと、ストリウス・レジエル・ズオスの三名体制だった。

カリバーはともかく、残り三人は暫く人間の姿のみで出番も多くない。
そして、三人とも何かしら外国の縁の俳優であり、それも見分けの面だと実はマイナスに繋がる。

差別的とかそういう話ではなく、外人を見慣れていない日本人には通常より識別が難しい。
例えば二時間くらいの映画だと、外人の名前と顔が中々覚えられないので物語に集中しづらく、洋画は見ないという人も一定数いる程だ。
あえて極論を出すなら、動物園の猿山を初めてみた客が猿の識別ができないが、飼育員はしっかりできているのと同じ理屈である。

特に朝の起き抜けで観ていると、敵幹部が出てきて誰が誰だっけ? という部分に脳みそを使ってしまい、上手くストーリーが頭に入ってこないこともあった。
それだけでなく、早々に怪人態のみの幹部級デザストが登場。しかもコイツがまた濃い。相対的に三名の見分けを付けるのがより大変になった。
しかしながら見分けが付き出すといい感じの個性分けになるので、登場人物の多いセイバーでは諸刃の剣ではないかと思う。

なお、そのデザストも登場時を過ぎればとりわけ出番が多いというわけでもなく、やはりカリバーに出番が集中し始めるので、お前何で復活したんだ感がある。
まずは三幹部の個性付けをしっかりすべきだったのではないだろうか。

メギドの戦闘面に関してもやっぱり格差が出始めた。
幹部として高い能力を見せつけるはずだったズオスは、ソッコでワンダーコンボに敗北。
そのワンダーコンボ三人でようやく勝てたカリバーが強化。

そしてそれに対応するため、セイバーもパワーアップ。
デザストならまだしも、ズオスは立派な幹部級なのだけど能力的に早くも二つ分程格落ちが出ている!
なおワンダーコンボのないライダー達の格は更にもう一つ落ちるわけだが……。

群像劇構成に絡む問題はシナリオ面にも見て取れる。
1~2話単位、横軸の話でみると話はテンポ良くスピーディーに進んでいく。

しかし飛羽真の記憶と世界の秘密を縦軸にした、全体の物語で言うと中々進まない。
飛羽真の記憶はかなり小出しにされて、視聴者視点だと「うん、知ってた」って部分を思い出していくこともあり、少しばかりまだるっこしさもある。

ルナの名前が出て全て思い出したぞ! 的な流になっても、飛羽真が思い出しただけで情報の更新がストーリーに反映されないため、視聴者からすれば特に進んでないに等しい。
これは群像劇でキャラを多数出しながら情報を小出しするスタイルの弊害ではないかと思う。

話の尺が足りずに空気と化していく一部のキャラクター達。
横軸はテンポが良いのに、縦軸のテンポが微妙に悪い。

群像劇のプラスとマイナスの面両方を背負い込みながら走っている状態だ。

飛羽真の人間性が起こした悲劇

セイバーではライダー同士が絆を結び、協力し合う。

この流れは非常に王道のヒーロー作品で、仲間達が協力して強大な敵に立ち向かう。
主義主張と出来ることが異なるからぶつかり合うし、皆が集まってはじめて大きな壁を突破できる。そういうヒーロー『らしさ』がセイバーのウリだ。

そのために大きな組織と、個性溢れる隊員達の設定が基盤として用意されている。
ソードオブロゴスは一種の軍事組織なのは間違いないが、その中身はかなり不透明で、現在の情報量だと色々判断に困る部分も多い。

ソードオブロゴスは飛羽真や、なんとほぼ無関係な芽依まで外部協力者として受け入れながらも、部分的にはかなり閉鎖的な組織でもある。

倫太郎の世間知らずはまさにこの象徴だろう。
誰にでもリスペクトを持って接する。良い意味で永遠の二番手。
しかしながら、あまりに真っ直ぐ過ぎるが故の無茶もする。人を守る剣士としての模範生であり、同時に精神的な未熟も抱えるキャラ性だ。

本だと正式名称で書かれていることが多いため、パソコンやパーソナルコンピュータと言われれば理解できるが、PCと言われると何かがわからない。
これがそのままエクレアをエレクール・オ・ショコラだと呼ぶことに繋がっている。いつだって新井式回転抽選器を回したいお年頃。

そういう意味では、人間をホモ・サピエンスと呼ぶのも、設定的に忠実だと言えるだろう。
(なおこの台詞、最初は普通の人間だったのを、撮影時に変えたようだ)

ただし、これはただただ面白いだけの話ではなく、倫太郎は自分が守ろうとしている世界を本を通してしか知らないことを示す。
そしてそういう風に育てたのは、彼が家族と呼ぶソードオブロゴスなのだ。
ガラパゴス化した組織体制が倫太郎や蓮等の特殊な価値観を持ったライダーを生む。

また、仮面ライダーが聖剣に選ばれし者達であることも重要だ。
戦闘現場に息子を連れてくる尾上や、人見知りの強い大秦寺、力こそ正義な蓮でも、態度がクソ罪で仮面ライダーの資格を剥奪されない。

或いは聖剣毎に選定基準があるのかもしれない。
水勢剣流水は騎士としての模範性を重視される。
風双剣翡翠風は、ひたすら強さを突き詰める求道者が基準のため、強さを研ぎ澄ませた蓮が選ばれた。等の理由付けだ。

どちらにせよソードオブロゴスが特殊な組織であることには変わりない。
環境が剣士を作るのか、剣が環境を作るのかは今後明かされていくことに期待したい。

そして、そこに何の関わりもなかったはずの飛羽真が飛び込んでいくことで、安定していた環境に新たな価値観と関係性が生じてドラマとなる。

セイバーではこの時に発生する人間関係の摩擦が、他のライダー作品よりも目に見えて小さい。
皆が一丸となり戦い、キング・オブ・アーサーの召喚に至る流れを序盤でできるのはそれこそセイバーくらいなものだろう。
エグゼイドだと、永夢の口車に乗せられてドラゴンハンターで疑似協力プレイして、また即バラバラになっている頃合いだ。

そうはならない理由は、組織として世界を守る意識が全員に根付いていることもあるが、何より飛羽真の人間性に依るところが大きい。
ステレオタイプの小説家だと、やたらとインテリで気難しいイメージだったり、自分の世界に籠もりがちで偏屈なだったりな人物像になりがちだ。

そういう固定観念を払拭するため、飛羽真は爽やかで気のいい、子供達にも好かれるお兄さんキャラとなった。
店もポップで楽しい。本の世界をそのまま現実化したようなイメージを大切にしている。

また服の着こなしもかなりオシャレだ。
撮影では専属のコーディネーターを雇っており、服装にはかなりの力を入れている。
他人への気遣いが普段着にもしっかりと反映されている。

ソードオブロゴスはそれぞれの制服からあまり着替えることがない。
組織人と個人活動だった対比と差が出ている。

飛羽真は他人を否定しない。とにかく相手を肯定して、そういう時に見せる優しげな言葉遣いや雰囲気が彼らしさでもある。
相手の意見を尊重して約束を守る。大人としての在り方ができている精神年齢高めの主人公だ。
(ただし約束を守るためなら結構無茶もする)

けれど、大人であるからこそ、無闇に踏み込まないのは『遠慮して踏み込めない』の裏返しでもある。
賢人が重要な情報を知っていて思い悩んでいることがわかれば、それが自分の記憶に関することであっても強くは踏み込めないのだ。
(その分、グイグイいくキャラ性をヒロインの芽依が担当している)

心配はしても強引に引き止められないため、大丈夫じゃない『大丈夫』に危険性は感じても、目の前にある溝を埋められなかった。
そうしてカリバーとの戦いと敗北という最悪な結果を導いてしまう。

セイバーを明るく楽しい作品だと書いたが、とはいえ全くシリアスにしないつもりでもない。
ゴーストはファンタジー世界観と思わせておいて、ガンマの世界は人間と変わらず、人間が起こしていた問題と戦いだった。
セイバーも最初はファンタジー色の強い物語となっているが、最後までそうなるとは限らないということは匂わせている。

一年かけた大河ドラマにも匹敵する設定と人間関係の複雑さは、それこそスーパー戦隊やウルトラシリーズには現状出せない、仮面ライダーだからこその強味だ。
根幹にある明るいライダーは大事にしつつも、次第にいつもの『仮面ライダーらしさ』も出てきている。

約束を大事にしながら、一番大切な約束だけは果たせず、大切な友は再び悪意によって奪われた。
その上で、飛羽真は何を得て成長していくのか。

飛羽真は己の経験を元に作品を書いている。
それはつまり、小説を書くまでに何を経験したかが大切なのだ。

キング・オブ・アーサーの真の力を引き出した時、飛羽真は仲間との戦いを小説として書き上げている。
経験とは戦いだけではない。そこで育んだ仲間との絆が物語になっていく。

これからどんな選択をして未来を掴み取っていくか。
それは一人だけで掴めるものではない。
仲間達と歩む道の先、過去から続く絆の先にあるのだろう。

「俺は賢人もこの街も救いたいんだ!」

「飛羽真にはその力がある!」

そうして繋いできた想いの強さを力に変えた。
たとえ友が闇に飲まれ消えても、繋いだ想いは途切れない。
物語の結末は飛羽真が決める。