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【ジオウ補足】仮面ライダージオウをさらに面白く観る注目ポイントとは?

2018年11月9日

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ゼミ生の皆様こんにちは、語屋アヤ(@ridertwsibu)です。

このブログはひたすらライダーを語っていますが、私はTwitterでも色んな人達とライダー談義をしています。
その一環として質問箱を設置しているのですが、そこでこのような質問をいただきました。

『放送中のジオウと平成ジェネレーションズ(劇場版)は何処を気にしていますか?
物語? オリジナルキャスト?』

先に質問の結論だけを述べるなら『両方』です。
ジオウという作品はどちらかだけを楽しむということは話の構成上不可能だと私は思っています。

早いものでジオウの感想や考察を書き出して、この記事を含め14件になります。
ジオウの放送話数(この記事を書いている時点で9話)の約1.5倍という部分に私の本気度合いを感じたいただけると嬉しいですが、それはされておき、今回大事なのは感想や考察を書いてきて見えてきたものです。

ジオウはここを突き詰めればより楽しめるのではないか。
製作者はこういう意図で話を構成しているのでは?
などを考察して感想や考察を書いています。

今回は質問回答の解説も込めて、私が普段ジオウをどういう視点で視聴しているか。
ジオウはここを意識しながら観るともっと面白い!』をまとめてみます。

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ジオウにおけるストーリー性

ジオウは平成ライダー20作品目という立ち位置で、過去のライダーを振り返る(継承する)ことが作品自体のコンセプトである。
顔に『ライダー』と書かれているのは伊達じゃない。

しかしながら、ジオウは過去の平成ライダー10作品目でとても近いコンセプトだった『仮面ライダーディケイド』と違い、作品そのもののお祭り感は薄い。
この二つの根本的な違いは『ディケイド』には自分の物語がないことだ。

ディケイドは過去の作品を再構成した世界を回り、そこへ介入して戦いライダー達との絆を築いて回る。
世界崩壊を防ぐという目的はあるものの、それは各世界の中ではあまり触れていない。

ストーリーの主軸はあくまで再構成されたライダー達の世界側にあった。
そのため、各世界では懐かしいライダー達がこれまた懐かしい怪人達とあの頃のように戦っている
この懐かしさがお祭感にもなっていた。

ただし全く同じ世界観やキャストは事実上不可能だ。
ディケイドはライダー世界をリ・イマジネーション化することによって、懐かしくも新しい世界が舞台だ。
再構成のためオリキャス率が元々低いこともあり『ディケイドの作る過去ライダー世界』を常にお祭りモノとして楽しむ構成だった。

仮面ライダージオウだと、それが大きく変わる。
ジオウだと話の主軸は過去のライダーではなく『仮面ライダージオウ』の物語なのだ。

ストーリー的な過去ライダーの要素は、タイムジャッカーの生み出すアナザーライダーとライドウォッチだ。
基本的にアナザーライダーが現代で事件を起こす。
それを解決するためソウゴ達は過去へと飛んでアナザーライダーを倒して、過去ライダーから力を継承する。

アナザーライダーが過去の歴史を改変してライダーを消してしまうので、ディケイドのような共闘関係は築けない。
これは歴史改変前に存在した怪人達も同様だ。
そのためジオウはディケイドのような『わかりやすい懐かしさ』は感じにくい

全体から見たストーリー構成も、ディケイドだと話が進むにつれ物語の真相が少しずつ明かされていく、みたいな展開ではなかった。
そのため十の世界を回り終わってから、崩壊が止まらない問題を門矢士は改めて突きつけられている。

ジオウは設定や事件の裏側が、ストーリーが進むにつれ徐々にわかっていく構成だ。
最初はほとんど絡むのことなかったゲイツとウォズも、途中で彼らが知り合いであると判明した。
それらも含めて、ジオウの人間関係は、序盤から9話までの間でも結構変動している。

主人公であるソウゴは最初と現在では印象が違う
視聴者に「こいつなら将来魔王になりかねないのでは?」と思わせるように仕向けながら成長している。

ディケイドは本編中で登場人物の関係性はそこまで大きく変化していない
長い戦いの中で絆が深まったというのはあるが、基本的な立ち位置にそこまで大きな変化はない。
士は戦いを終えた今でも変わらず旅を続けていて、写真館のメンバーの立ち位置もそれぞれが登場してから同じだ。

映画で地獄大使と化していたじいちゃんは、爆死しても(実はメモリブレイクされただけだった?)当たり前のように戻ってコーヒー淹れている。
恐らく劇中で一番心境が変化したであろう海東大樹ですらトレジャーハンターのままだ。

そこからも、ジオウはメインキャラクターを物語の中心に据えて話を動かしているのがわかるだろう。

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ジオウはレジェンドライダーの活躍を意識していない

オリジナルの世界から逃げないことを公に掲げているため、ジオウは過去のオリジナルキャストを積極的に登場させている
まさか15年経っても、変わらず仲の悪い乾巧と草加雅人が見られるとは思わなかった(めっちゃ褒めてる)。

http://kamen-rider.info/zio-6/

おまけに二人でファイズ関連のCDまで出してしまった。
こちらはファイズ15周年の企画として製作されたものだが、タイミングがあまりに完璧で喜びしかない。

ただし、レジェンドライダーやオリジナルのキャストは単体で大きな活躍をする場面は今の所ない
前作のビルド組なんて流れだけを見ると、後ろからファイズフォンXで撃たれてフォローないまま放置されたり、二人揃ってツナ義ーズファンになってたりで、割と碌な扱いになっていない。

乾巧と草加雅人もせっかく二人が揃っていたのに変身しての戦闘シーンはなかった。
もしかしたらまだ今後もチャンスはあるかもしれないが、一番観たいタイミングで観れずに肩透かしだった感は否めない。
ちゃんと変身した仁藤攻介の仮面ライダービーストも、戦闘シーンはごく僅かでほとんど変身させるためだけと言ったシチュエーションだった。

http://kamen-rider.info/zio-8/

レジェンドライダーやオリジナルキャスト達はストーリーを構成する重要な役回りにはなっている。
しかし彼らを立てて大きく活躍させようという意図はそこに含まれていない。
物語の主軸はあくまでジオウであり、そこからブレることはないのだ。

例外として檀黎斗のような存在もいるが、TV放映時とはキャラ面でも大きく変わっている部分があり、エグゼイドの檀黎斗ではなくなっている。
(オーズ編での登場なので当然といえば当然のお話)

http://kamen-rider.info/zio-9/

あくまで彼らはジオウのストーリーを盛り上げるためのゲストキャラという位置付けである。
草加雅人の首の折れるシーンをアナザーライダーで再現するなどファンサービスはある。
しかし彼らが一時的であれメインを張ることはなく、あくまでストーリーを構成する一部分としての扱いだ。

ジオウにおけるレジェンドライダーとは、タイムジャッカーとアナザーライダーにより存在を消されてしまった過去のヒーロー達である。
それが悪いというわけではないが、その位置付けから逸脱する活躍はできない。

あえて嫌な言い方をするとジオウはオリジナルのライダーから逃げないためにその出番を存在ごと消している
少なくとも現段階のジオウはそういう構成にして、レジェンドライダー達が不在でもストーリーを成り立たせている。

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ジオウはストーリーと客演を切り離してはいけない

ジオウにおける過去ライダーの世界観演出は、実のところレジェンドライダーやオリジナルキャストによる客演が全くなくとも成り立つ。

それは基本的なストーリー構成に、レジェンドライダーが持っていた重要な要素を練り込んでいるためだ。
アナザーウィザードでは、アナザーライダーになることで絶望的な未来を回避したはずが、それを打ち砕かれて中身まで怪人と等しくなり暴走してしまう。
そこに現れたソウゴはただアナザーライダーを倒すだけでなく、未来を変えるために動きながら救う。
この構成は最後の希望となって、人間から怪人が生まれることを防ぐウィザード原点の流れを明らかに意識している。

http://kamen-rider.info/zio-7/

しかしそれだけではお祭りモノとしては弱いし、こういうニクい演出や工夫に気付かない人も当然ながらいる。
オリジナルキャスト達は話の中心になることはないが、存在するだけでこれ以上ない程わかりやすいお祭要素になる
現在ストーリー性とオリジナルキャストは互いに足りない部分を補い合うことで、一つの作品として完成させていくスタイルだ。

ただしビルド編、テメーは駄目だ。
(ストーリー部分が継承シーン以外ほぼジオウの設定解説に使われていたため、最初二話だけ全体から見ても毛色が異なる)
この構成のデメリットとして、ストーリー性とオリジナルキャストを別々に考えると、どちらも中途半端なものになってしまいかねない。

ゆえに切り離すのではなく、互いにどう相乗効果を与えてるのか。
ストーリーとオリジナルキャストの出番がマッチしているか。
そういった部分に着目しつつ、ストーリー構成の中にオリキャスをどれだけ違和感無く馴染ませられていのかを私はチェックしている。

そして全体的な構成から物語を考察したり製作者の意図を読み取ったりする。
(それらを発信するのがこのブログの役目でもある)
それこそがジオウの物語を楽しむために必要な要素だというのが私の結論だ。

劇場版はその性質からお祭り要素は増えるだろうけど、根本の性質はそう変わらないだろう。
普通ならTV本編に出てきそうなアナザーライダーを劇場版で使用しているところからも、それは予想できる。

ただしオリジナルキャストとして確定しているモモタロス達の活躍はもちろん楽しみだけれど、どういう扱いになるのか劇場版だとより読みにくくはなる。

そういう意味ではTV本編と劇場版のノリがどう変わるのかも、楽しみにしている要素の一つである。
映画視聴後はそういう部分も観点に含めながら感想を書く予定だ。

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