ひたすら楽しみにしていたアマゾンズ完結編。
喜び勇んで公開初日で観てきた。

前日に予約したのですが結構込んでいて、
劇場内はほぼ満席状態だった。

事前に未視聴者向けの総集編、『覚醒』と『輪廻』があったとはいえ、まさかここまでとは。
なお、客層も通常のライダー映画よりかなり年齢が上がっていた。

ストーリーはシーズン1の延長線上

千翼とイユは名前すら出てこない。

話の主人公は悠であり、
仁との決着までが描かれている。
この構成も二人の決着にきっちりと焦点を合わせるためだろう。

なので話としてはシーズン1からの延長線上、
弱肉強食、食うか食われるか。
という世界で生きる者達の倫理観と、その中に生じる正解のない正義。
それとどう向き合って生きていくか、あるいは食い合うかに話は戻っていた。

ただし、ストーリーを読み解いていくと、
彼らの存在、特に千翼は悠と仁の両方に大きな影響を与えてる。

それに話の落とし所についてはシーズン2の重要なキーであった、千翼の出した結論にも結び付いている。

シーズン1は純粋な食物連鎖と弱肉強食の物語。
人間が食物連鎖の頂点から引きずり降ろされ、食われる側になった時に生じる倫理観。

人間より高等な生物ならば、人間を食糧にしてもいいのか。
アマゾンには法律なんて意味がない。
ただただ人間より強い上位種が、生きるために人間を食らう。

生物ピラミッドの頂点で、安全に他の動物を食べている人間に、倫理観を越えてその意味を問う。
平成初期にまで遡ってもこんな話はできないだろうテーマに、真正面から挑んでいた。

シーズン2ではシーズン1とかなり毛色が変わっている。
自己の存在をあらゆる者達から否定された千翼と、一度死に道具として蘇生されたイユ。
生命として許されない枷と業を背負った者達によるボーイミーツガール。

人間社会を維持するために殺されるしかなく、自身にもその自覚のある千翼。
それでも生きたいと醜く足掻く姿は、シーズン1とはまた違った観点から、『生きる』というテーマを扱っていた。

劇場版では1の流れを重要視しつつ、最後はシーズン2の生に対する倫理観も踏み込む。

以上が未視聴な人向けの感想。
以下からはネタバレになるので注意。

アマゾン牧場の倫理観

アマゾンズはとても挑戦的な作品だというのは、ネタバレなし部分で解説したが、いきなりそれをひっくり返す。
昨今、人間が食べられる側になる話自体は、別段そこまで珍しいネタではない。

『進撃の巨人』ではかなりショッキングに、食べられる側の人間を描いています。
孤児院が実は子供を食糧として提供している、という話なら『約束のネバーランド』もある。

エグい話や、そこにまつわる葛藤や戦い。
それを通して反抗や生を解く話は、割とスタンダードなサバイバル物と言えるのだ。

今回のアマゾンズが特殊なのは、そこに描かれている倫理観である。
アマゾン牧場で生活する子供達は、騙されてここにいるわけではなく、自分達の意志で生活を営んでいる。
彼らは毎日の糧に感謝し、食糧として買われることになった仲間を、心から祝福して送り出していた。

子供達にとって食べられることは、自分以外の誰かの命を繋ぐ行為。
誰かのために自分の命を捧げる。
その行為を素晴らしいもの、
美しいことだと心から信じている。

一見すると宗教的で異常に感じるかもしれない。
しかし本当にそれだけだろうか?

例えば赤信号で飛び出してしまった子供がいるとする。
それを偶然見かけた誰かがいて、
その人は咄嗟に子供を突き飛ばして、
代わりに自分が車に撥ねられる。

その結果子供は奇跡的に助かり、
自分は死んでしまった。

もしそれを目撃していた人達がいたら、
その人の行為を堂々と批難することはまずない。
むしろ子供を救った英雄として警察に語り、
マスコミがニュースに取り上げる。
結果、死んだ人は日本中から喝采を浴びるかもしれない。

月の兎だって旅人に扮した神様を自分が食糧となって助けたことが由来だ。

基本的に自分の命を他人に捧げるという行為は、古来より美談として受け入れられている。

つまり子供達が命を捧げる行為が尊いものである以上、彼らを救おうとする悠の行為は、ヒーローではなく自己満足に成り下がってしまう。

その結果ムクは被食者になることを受け入れる。
しかし彼女は実際に食べられることの本質と現実を見て心代わりする。

人間にとって食事は多くの場合、
感謝の感覚なんて薄い当たり前の行為だ。

いやいやいただきますってのは
食糧となってくれた相手に感謝する意味で、
僕らは日々糧となってくれた動植物に感謝しているよ!

と反論する人はいるかもしれない。
しかし食事のあいさつの度に心から感謝し、奪った命を噛み締めながら食べている人が、現実に一体どれだけいるだろう?

美味しければそれでよし、多かったり不味かったりすれば残す。
そういうごく普通の現実を突きつけられて、ムクにも死を恐怖する感情が芽生えた。

しかしここで生じる生きたいという意志は、奉仕を拒絶した自分勝手な行為、醜い感情とも取れる。

何故なら生きる行為は他者を食らうこと。
捧げるという美談の対局に位置する。

本作において生きる意志とは身勝手なもの。
だからこそ『自分のために生きて』と、生き残った子供達は伝えられます。

それは自分が最悪の病原体だと知って尚、それでも生きていたいと願い、最後まで自分の人生に足掻き戦った千翼と何も変わらない。
そして、そんな彼を殺したのは、他でもない悠と仁だった。
特に子供達を救うために戦った悠にとっては、痛烈な皮肉とも言えるだろう。

悠の曖昧な倫理と正義感

悠は人間の社会を護るため、
千翼という病原菌の根源を殺した。

社会的に見れば悠の行為は、龍騎の香川教授理論で英雄的行為と言える。
しかし倫理的に正しいかは別問題だ。
溶原性細胞を持って産まれた千翼自身に罪はない。

また悠が他のアマゾンを殺すルールも、人を喰わない=襲わないことだ。
人を食べたい感情は全面的に認めても、行為自体は絶対許さない。
どちらの論理も突き詰めると、大勢のために少数を犠牲にすること。

これらのルールは一見正しいように見えても、線引は悠の中にしかない。
その自分ルールを押し通すために、悠はアマゾンの力を振るう。
悠自身にはそうできるだけの力はあるが、権利はない。ぶっちゃけ暴君だ。

これはニチアサ仮面ライダーの主人公ならば、ヒーローとして十分な覚悟と決意だ。
しかしアマゾンズでは彼の曖昧な線引から生まれる正義感は容赦なく叩き壊された。

物語の終盤、悠は子供達を守り戦うため、ムクを食らって生きることを選択させられる。
それは自分から自分の禁忌を破る行為であり、悠にとってはこの上ない罪と罰だった。

仁の止まれない覚悟

軸があやふやなまま決意を固めている悠に比べて、鷹山仁の殺意にはブレが一切ない。

それ故に彼は失い続けた。
正気を失ってもアマゾンを殺す意思を押し通した結果、心から愛した人を殺して、血の繋がる息子を殺した。

そこまでやった以上、アマゾン牧場の無害な子供達だって殺すしかない。
彼にとって血の繋がった息子だけなく、アマゾン達もまた自分が作った同じ子供なのだ。

だから止まらない。
だから止められない。

彼にとってアマゾンを殺すことは、人間を守るためという理由が根底にあった。
しかし今回は遂にその『理由』ですら、アマゾンを殺すために殺したのだ。

つまりアマゾンを殺すために、邪魔する人間、ネオアマゾンアルファを殺した。

もはやアマゾンを殺すという行為が目的そのものに変わっている。狂気そのものと化していた。

彼に七羽の幻影が見えるのも、彼自身がアマゾン殺しを正当化する理由に私は見えた。

七羽が見ているから、
彼は鷹山仁を貫かねばならない。
そうでなければ彼女を殺したことに、自分自身で落とし所が見つけられない。
言い換えると七羽が見ているから、彼はアマゾンを殺し続けられる。

しかし彼の論理にはどうしようもできない、大きな矛盾があった。
七羽がアマゾン化したのは仁が原因であり、千翼が病原体として産まれたのも、元はと言えばやっぱり仁の責任だった。

そしてアマゾン牧場の子供達も、仁の細胞を採取して作られていた。

要するにどれだけ根絶を目指しても、その当人がいる限り新しいアマゾンが産まれる。

それを理解してしまっているから、仁は悠に自分を殺させようとしたのだ。

「生き残るのはどっちか一人だ! 選べ!」

悠と仁の決着

最後の戦いは罪を背負った者同士の戦い。
そして最後に残った二匹のアマゾン。

草食ではなく肉食として戦い殺す最後のアマゾン達の決着。
残る一匹は最後に一人だけ全てを背負って生きねばならない。

仁は最後にその役目から開放されて、愛する人に優しく看取られる幻想と共に死んだ。
悠は罪の意識に耐えきれず自害しようとするも、大事な人の幻想によって呼び止められて、まだ生き続けなければならない。

『決着』に勝利したのは悠だったが、さて果たしてどっちが幸福だったろうか。

他の殺すべきアマゾンが消えても、悠はC4に追われ続けるだろう。

しかしそれは孤児院の草食アマゾン達も同じ。
C4は仁と同じアマゾンを根絶するための組織であり、草食であっても彼らが殺されない理由はない。

事実として草食でも人間は容易く殺せるし、ふとしたきっかけで肉食になってしまう不安定さだ。

そんなのは考えればすぐわかることだが、悠は彼らの元には行かず一人で去っていった。

彼はムクを食べた。
草食アマゾンを一度でも食らった彼は、もうあの孤児院に居場所はないのだ。

そして仁を殺したことで、全てのアマゾンの業を背負った。

まさしく彼は最後の一匹であり、
死ぬまでその罪を背負って生きていかねばならない。
最後に仁のバイクで走り去るのも、それを示しているのだろう。

彼は前向きな理由から生き残り、自分の意志で孤独の中を生きて戦い続ける。
最後のシーンに描かれていた、目の前にある坂を上るように。


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