ゴジラS.Pに続きまして、今回はダイナゼノンのレビューになります。怪獣天国!
特撮氷河期世代の人間としては、現状はどっかの特ヲタが世界を改変して特撮が愛される世界線にシフトさせたんじゃねーかなと思うのですよ。
ゴジラがシン・ゴジラによって超絶復権したのがまず想定外で、そこから更にグリッドマンがこんな形で再評価されるとは夢にも思いませんでした。
シャンゼリオン……シャンゼリオンのアニメリブートはまだか……!
しかもその特撮シリーズ二つは、2018年の同時期にアニメの舞台で人々の注目を浴びたわけです。
『SSSS.GRIDMAN』と『GODZILLA 星を喰う者』の二作です。
そうなれば誰が言わずともグリッドマンとゴジラは比較される対象となりました。
アニゴジはあれはあれで凄まじいことをやった意欲作で個人的に好きな作品ではあったのですが、当時わかりやすい面白さで評価を得やすい作品だったのは、明らかにグリッドマンだったと思います。
そうしたらグリッドマンは続いてダイナゼノン、アニゴジはゴジラS.Pが発表されました。
まさかのグリッドマンVSゴジラの第二ラウンド勃発!
そして、なんとまたもこの二つは放送時期がだだ被る! しかも今回は両方テレビ放映で戦う舞台もより近くなっているじゃあありませんか。
しかも、今期はゴジラS.Pの評価もバッチリ高い。
肩身の狭い思いをする必要がないくらい人気だぞ怪獣王!
今度こそハッキリと、この二つは全く異なるベクトルで甲乙つけ難い評価を得た作品だったと言えるでしょう。
というわけで、ダイナゼノン側を気兼ねなく語ることで、二つが目指した怪獣アニメについての考察や思いの丈をぶちまけます。
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特異な日常感が作る魅力
はてさて、今回は冒頭からゴジラS.Pの名前を出しているので遠慮なく比較するが、両作品最大の違いはリアリティの演出だ。
ゴジラS.Pは現代(正確には近未来)に怪獣が出現して、日常を侵食して世界が壊れていく過程を魅力的に描いている。
そこには怪獣達の虚構を存在させるために、実在する生物に寄せたデザインや、ミステリー形式で怪獣の謎を追う流れを作った。
面白いことに『SSSS.DYNAZENON』は全く逆のことをやっている。それが非日常さすら感じられる『日常感の維持』だ。
ダイナゼノンは怪獣が出現しても、主要人物達の生活に大きな変化がない。
『SSSS.GRIDMAN』では世界が自動で修復され、記憶も自動で辻褄が合わせられる。
意図して日常を維持するシステムが働いており、人知れず壊れていく現実はそれ自体が戦う理由を両立していた。
本作では街が修復されず、戦いの傷痕は生々しく残ったままだ(設定上アカネはもういないので当然ではある)。
終盤を除いて、表面上は穏やかに日常が進行していく。
それは登場人物達の、特に最も主点となる蓬の視界に非日常が映らないからだ。
普通のロボットアニメなら自分突如が手に入れた力に、恐怖や苦悩、あるいは特別感から慢心する等の変化を見せる。
『SSSS.GRIDMAN』でもあった自然な若者感が今回も健在といえその通りである。
実際前作もやっぱりリアクション薄目だったが、戸惑いながらも現状を受け入れていく過程が程度描かれていたし、グリッドマンがそれなりに状況説明をしてくれていた。
だがガウマはアバウトな話しかせず、かなり場当たり的な対応を取る。普通は現場大混乱になって当然だ。
一応蓬達も、最初はガウマを信用しきれておらず然るべき所にダイナゼノンを預けるべきではと考えてこそいたが、それでも非日常に対するリアクションは薄かった。
なんせまず蓬の思考はダイナゼノンでの戦いよりもバイトが優先。
怪獣との戦いは当然命懸けだと視聴者は思うわけだが、そういう視聴者寄りの感覚が蓬達からは欠落している。
生々しい戦いの傷痕を見て少しずつ考え方を変えだしたが、相変わらずバイトで練習に不参加はあった。
序盤で一番協力的だったのは、世間的に見れば社会不適合者の暦である。
それもニートだから時間があるとかそういう理由だ。
彼らにとっては自分達の日常生活は、怪獣との戦いや町の平和よりも優先されるべきものだった。
『そりゃ日常は大事だよ。世界のために自分を犠牲にすることが絶対正しいのか』というツッコミはあるだろう。
だからといって蓬達は非日常の戦いから積極的に逃げないし、死の恐怖からガチギレとか精神病むみたいなこともない。
この感覚麻痺っぷりは機動戦士ガンダムの第一話だけ観てもよくわかる。
こういう部分を指して、本作を現実感のまるでない駄作だと酷評する人もいる。だが私は安易にそう思っているわけでもない。
まず前作の世界観を引き継いでいる以上、プログラムであるが故に彼らの感覚は本物の人間とはややズレている。
その一例として、前作では皆無意識にアカネを好いていた。
同じくアカネの認知がベースにあり、また管理しやすいよう調整もされているはずだ。
五千年の過去話が出てきて『実はこれ現実世界では?』みたいな疑惑もあったが、途中で前作と地続きの存在グリッドナイトや、彼が付き従う二代目が登場。
(設定は原作の18話を広げたスタンス)
フィクサービームを用いた破損の修復描写も出てきて、詳細は語らずとも感覚的に『どういう意味かわかるよね?』と投げかけてくる。
その上で、蓬達は蓬達の意思があり、彼らの価値観で世界を生きている。
そういう危ういバランス感の上に、蓬の戦いよりバイト優先の整合性は成り立っていているのだろうと私は思う。
そしてこの妙な淡白さと、良くも悪くも目の前のことが優先で精一杯の生活が、却ってリアルな日常感を生み出している。
日常感と非日常のアンバランスな世界観が、同時に本作の最大の魅力を生み出すベースになっているのだ。
【次ページ:群像劇とダイナゼノンの特性から見えるテーマ性】
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