前書き
ゼミ生の皆様こんにちは、語屋アヤ(@ridertwsibu)です。
オタク文化には古くからWeb小説界隈が存在する。
私もその中にいて、多分人からみるととんでもない辺境にポツンと住んでいる。
他の創作者達とは長らく距離を置き気味だったけど、こっちから一方的に観察する行為はずっと続けてきた。
Web小説界隈はあまり治安がよくない類いなのだが、中でも所謂なろう系と非なろう系は両者がよくいがみ合い、攻撃し合っていることでも有名だ。
そんな中で、名興文庫という出版社が『ライトノベルとは何か』や『ライトノベルの未来』といった記事を掲載した。
これがきっかけでTwitterの小説創作界隈は、また暫く燃えさかることになったのだ。
簡潔に言えばこれらは、なろう系に対して強い攻撃性を持っており、ハッキリいうと記事の中身もあまり良い内容ではなかった。
なので、あえてここでリンクを貼ることもしない。
私はオタク文化や歴史を調べるのが好きなオタクだ。
しかもWeb小説界隈は、私が長らく過ごして観察している場所でもある。
だからこそ言えるのだが、かなり内容が薄くて説明不足が目立つ記事だった。
特になろう系を話の中心にしているはずが、そのなろう系が生まれた経緯や隆盛に至った流れがすっぽ抜けている。
確かになろう系は問題も少なからずあるものの、Web小説に与えた恩恵もすさまじく大きい。
あえて否定的な内容で固めているため、これでは両者の対立を煽るだけで何も前には進めない。
記事に対する疑問や不足を指摘しだすと、それだけで中編~長編小説規模のコラムができあがる。
(ラノベの歴史を真っ当に語るなら、本来それぐらいの文章量が必要だ)
ただ、他のコラム『サブスクリプションはなろうを救うのか?』は中々に的を射る内容で、ラノベの未来についても同意できる部分はあった。
それでも、以前からなろう系に対する問題提議はずっと出ているので、今更やる意味はあったのだろうか?
その後、各意見を集めて掲載するといった行動には出ているので、自分で蒔いた火種を有効活用しようという気概はあったと思うけれど。
ただ、そこで集まった意見に目を通しても、私の視点だと『これだ!』と思うものはなかった。
(個人的に蒼井刹那氏が書いてた『「ライト」ノベルについて思う』は、文章表現も含めて上手いと思ったけど)
だって、最初にコラムを書いた当人も含めて、誰も具体的な未来図は描けていないから。
寄稿で集まったラノベの定義に関する考察の一部にはなるほどと思いつつも、これでは結局何も変わることなく、時計の針は回り続けるだけだろう。
また、ラノベの未来については、私もずっと考えてきた事柄である。
だったらまあ、今まで溜め込んできた知見をまとめて、私の思う未来図を言葉で描いてみようと思う次第だ。
堂々と言っちゃうけど『私だけが見えているラノベの未来』と、『私だけが書ける話』をこれから解説していく。
出版社が抱えるプロ作家よりも、深く有意義な論を出せるか挑戦してみるとしよう。
名興文庫様的には、引っかかったのが狙っていた熊の翁さんじゃなくて、どこの馬の骨とも知らぬ無名の書き手でガッカリするかもしれないけれど。
かなり本気出すので、もし想定外のものが釣れたと感じたならば、なんか一言くださいな。
(今回は名興文庫様への寄稿という前提で書いています)
なんて、件のコラム読んでいる間に煽られまくったので、こっちも一つくらい返したっていいよね。ってなわけで始めていこう。
なろう系最大の功績
私は個人的に言えば、なろう系は単体だと好きな作品はいくつもあるが、ジャンルそのものはあまり好きではない。
とはいえ、それはあくまで個人的な嗜好であり、他人を否定する気も全くないと割り切っている。大分ニュートラルな人間だ。
その上で断言するが、なろう系というジャンルは、一言で表すならWeb小説文化を一つ先へ進めた英雄だ。
先に挙げたコラムと、その執筆者である天宮さくら氏にはこの知見が欠けている。もしくは恣意的にその部分を削っていた。
(あまりに無駄な煽りが多かったので、実は全部道化芝居だったのではという線も割と真面目に疑っている)
なろう系が台頭する以前のWeb小説界隈は、広大な荒野の中にポツリポツリと小さな町や集落があるような状況だった。
それも、外とはほとんど繋がっていない閉じた世界だ。
単独で書籍化にこぎ着ける作品も希にあったが、それは現在に比べれば本当にごく僅かで、個人が狙って達成できる代物では決してなかった。
この状況を変えたのが『小説家になろう』となろう系作品である。
高い人気作品が次々と書籍化に至りだす。
小説家になろうで一定の成果を上げれば、書籍化の声がかかる。
(当時はアルファポリスの貢献も大きかった)
また定期的に書籍化が確約される、新人賞的なイベントが開催されるようになった。最初の大賞は異世界居酒屋「のぶ」だったと記憶している。
(余談だがのぶの開始よりも以前で、私が無職時代だった頃、作者の蝉川さんに昼飯ご馳走していただいのを今でも覚えている)
これらによってWeb小説からプロデビューに至るルートが明確に拓けた。
なろう系は執筆に対する敷居が低く、投稿小説サイトには読者が即作者になれるシステムが完成されている。
そして書籍化というゴールがあり、ラノベの一般的な新人賞よりも遙かに容易かつ明確な導線が用意された環境。
これらの条件が揃ったことにより、未だかつてない人口爆発が起きた。
なろう系以外の書き手には関係ないと思われるかもしれないが、多数の書籍化作品に恵まれたことにより、小説家になろう自体も駅のホームなど多数に広告を出稿できた。
投稿小説自体に大きなムーブメントが起きたのだ。
相対的になろう系以外の作品が増えたのも、回り回ってなろう系が一役買っている。
(投稿小説サイト側も、なろう系以外が発展できる環境を構築しようと試みていたが、残念ながらこれは失敗した)
小説家になろうとなろう系によって、未開のフロンティアだったWeb小説界隈は急速な発展を遂げていく。
書籍化された作品を代表に、いくつものコミカライズ作品が生み出されていき、それらはもはや出版業界も無視できない市場に成長した。
そして最終的にアニメ化へと至る作品も多数出現している。かつては出版社によるレーベルのトップクラスへしか至れなかった領域へ、個人の作品が手をかけるようになったのだ。
その後、カクヨムなど数多の投稿サイトや、なろう系をメインに取り扱う新規レーベルなども多数登場している。
なろう系は未開のフロンティアに巨大な経済圏を生み出し、一個の文明を築いた。
その功績を無視してWeb小説界隈を語ることはできない。
なろう系が崩壊する未来図
なろう系作品は停滞し続けている
最初になろう系の輝かしい功績を振り返ってみた。
しかし、この形式によって生じた問題も少なからず存在するのも事実だ。
それも、このままだと深刻化していくだろう問題を、Web小説やライトノベル業界に与えている。
それはライトノベルジャンルとしての停滞と、その後にやってくる衰退だ。
アニメは基本的に、毎年何かしら時代を象徴するような作品が生まれていく。
昨年でいえば『リコリス・リコイル』や『水星の魔女』といった作品が挙げられるだろう。
アニメ業界に比べて数で大きく劣る特撮作品でも、少なくとも数年単位でそういった作品が生まれている。
数年前のウルトラマンZはかなりの人気作で、ファン投票で人気不動のウルトラセブンに迫る三位を獲得した。
スーパー戦隊でも二年連続で『ゼンカイジャー』と『ドンブラザーズ』といった怪作を生み出し、その後のシリーズ人気にも多大な影響を与えている。
これがなろう系界隈になると、一般オタクが知るレベルの人気作を挙げると『SAO』や『リゼロ』、『無職転生』など、なろうの初期に人気となった作品群に集中する。
最近だと『異世界おじさん』がかなり話題になったが、これも原作は古い。
(SAOや異世界おじさん等、○○はなろう系は別の戦争が始まるのど、今回はあくまでその歴史の中で生じた作品という定義で含めている)
もっと遡れば、ハルヒやゼロの使い魔などが、ラノベ原作として覇権を取っている。
純粋にライトノベル単位で時代の隆盛で言えば、この辺りも比較対象になる。
人によってはSAOやリゼロ、幼女戦記辺りは、当然のごとくこっちに属するだろう。時代の境界は存在するし、そこは別に本題ではない。
個人的には『慎重勇者』は割と好きでアニメは全話観た。
メディアミックスを含めれば『陰の実力者になりたくて!』はかなり健闘している作品だ。
(二期以降が安定してウケればもっと伸びるとだろう)
それでも現状ではまだ人気・知名度共になろう初期群には及ばないと思う。
そして、それらを差し引いても、やはりなろう系全体の作品数に対して、出てる名作の数が少なすぎる。
もちろん、アニメとラノベでは知名度が大きく異なり、安易に比べるべきではないのは確かである。
しかしもはや書籍化による躍進が始まって十数年が経過しているのに、初期の名作群に匹敵する作品が後続からほとんど生まれていないのは事実だ。何故こうなったのか。
それもまた、なろう系の歩みに起因する。
なろう系はスマホに最適化された文体で、とにかく読み手にかかるストレスを低減させる文章構成になっている。
投稿小説サイトのランキング制度は、それを研ぎ澄ませる役割を担っていた。
なろう系と投稿小説サイトのどちらが欠けても、現在の経済圏は生まれなかっただろう。
小説家になろうのメイン読者層は元々十代の若者であり、彼らは小説の長文にあまり慣れ親しんでいない者が多い。
彼らが暇潰しにサクサク読める文章形態がなろう系なのだ。
繊細な表現や小難しい文章は、ストレスの元になるため敬遠される。
ある意味で、小説としての面白さを削ぐことでなろう系は成り立っていると言えるだろう。
文学作品は読者にも相応の教養が求められるため、一般大衆向けの文芸作品が発達してきた。
同じ要領で、ライトノベルもかつてはなろう系と同じように否定されてきた。基本的に水は低い方へと流れていくわけだ。
またこれは読者の閲覧媒体が、PCからスマホへ移ったことも大きな要因だ。
実際、私がかつてにじファン(小説家になろうの二次創作版の姉妹サイト)で日間ランキング上位を取れていた頃だと、読者はPCでの閲覧が主流だった。
そして私も含めて、まだ通常のラノベ文体作品が多数投稿されていた時代でもある。
なろう系初期作品群が書籍化されだした辺りだと、私の小説ブログでアクセス解析を取った時も、七割くらいがPC閲覧だった。
今だとこの数値は見事に逆転している。
ストーリーに関しても時代ごとの移り変わりはあるものの、なろう系と称される作品は、基本的に似たりよったりでパターン化している。
勘違いされがちだが、これはなろう系に限った現象ではない。
供給が過多になると、人はハズレがない作品を求めだす。
近年映画などで、ネタバレを先に踏みに行く行為が目立つようになったのも、これが理由だ。
そして興味の無い部分は倍速視聴やスキップを駆使して飛ばす。
逆に気に入った作品の気に入ったシーンは、そこだけ何度もリピートを繰り返す。
これらの行為は、なろう系が好まれる理由と非常に近しいものがあると私は感じる。
あらすじのような長いタイトルやランキング上位の似たような展開は、読者にハズレがない安心感や、お気に入り部分のリピート性に近い効果を与えているのだ。
ランキングの最適化はそういう効果を生み出している。
だから決まった展開やわかりやすさからズレると評価されない。
ランキング上位にも昇れないなろう系外の作品は、基本的にはどうあっても負け馬になってしまう。
なお、名興文庫のコラムではラノベの古典を決めて、若者が触れやすくすることで業界を守る的な趣旨の話が出ていた。
大量コンテンツ消費時代では、過去の名作は何かしら大きなきっかけで掘り返されることはあっても、必ず新作の消費が優先される。
また旧作の作品構成は、現在の高速消費に向いていないので敬遠されやすい。
過去の名作を否定する気は毛頭ないけれど、残念ながらラノベの古典化による文化の維持は無理筋だ。
また、書籍化の流れにも問題がある。
なろう系の書籍化は、達成できても数巻で打ち切られるパターンが多い。
そもそもなろう系はスマホで読む若者、かつなろうユーザーに特化しているので、商業展開された時点でこの読者層から外れてしまう。
また、なろう系は人気が一定値を超えると書籍化ラインに乗る。
これは言い換えると『これだけの人気があれば、とりあえず書籍化時点で購入するファンも確約できているので赤字にならない』という保証がある程度なされているからだ。
この理屈があるので、一度書籍化できた作者は、次の作品でも出版社から声がかかりやすくなる。
また売れるとわかっているなら、それ以上に手を加えるメリットはあまりない。
しかも他のレーベルと取り合いになるため、自分のところで出版してもらう条件として『文章修正は必要ありません』といった条件を提示する。
なろう系書籍化になれた作家は、質より量だとわかっているため、この条件を飲んでより効率化を優先させていく。
中には人気が出て巻数を重ねる作品もあり、次のコミカライズ化への階段を昇る。
この時点で一握りの中で、さらに一握りとなり、アニメ化はさらに一握りとなっていく。
こうしてなろう系の書籍化は『内容よりもとにかく数を撃つ』と『一定ラインより売れたら続ける』形態によって発展した。
アニメの実写映画は、不人気作も多いのにやたらと作られてきた歴史がある。
実はこれも一定のファン層がいるから、ハズレでも興行収入はある程度確保できるためだ。
しかしながら、質の追求を半ば放棄したスタイルでは、初期作品群のような名作が生まれにくくなるのは道理だろう。
加えて、初期作品群は現在のなろう系大量生産システムが確立される前に生まれている。
そのため、同じなろう系と称されてはいるが、それ以前のライトノベル形式の作品性も同時に有しているのだ。
それはつまり書籍化の土台に乗った時点で、なろう系以前の名作ライトノベル達と肩を並べられるポテンシャルを、最初から有していたとも言えるのではないだろうか。
マンガ原作という下請け業
なろう系にはコミカライズ化というステップアップが存在すると言ったが、これはなろう系という視点から見た場合の話だ。
漫画側の視点からだと話は変わってくる。
なろう系小説のコミカライズ化は、作家ではなく編集者側が主導となって行われる。
作家は選んでもらう側である以上、小説は漫画よりも立場が低い。
なろう系小説がコミカライズ化されるのも、やはり書籍化の際と同じで、確保のしやすさが魅力である。
だとすれば、コミカライズとはローリスクな原作提供のような存在に近い。
そしてこの原作は、なろう系というテンプレートの上に成り立つ。だったら別になろう書籍作品は必ずしも必須ではない。
なろう系のエッセンスは他のジャンルに比べてずいぶんとわかりやすい。
しかも漫画という媒体になる場合は、必ずしもなろう系のエッセンスは全てが有効とも限らず、ジャンルとしては停滞状態にある。
だったらその要素を抜き出して、他の原作者を立てることもできるのだ。
例えば私は『任侠転生』という漫画が個人的にお気に入りだ。
基本的なストーリーラインはなろう系だが原作小説は存在せず、漫画原作者によってシナリオが作られている。
なろう系と言いつつも、ストーリーはかなりハードだ。世界観の作り込みも、現状のなろう系よりもずっと深い。
私が感じているなろう系の欠点を克服した異世界転生作品なのだ。
なろう系の書籍化作品を直接原作にしないことで、あまりになろう系し過ぎるのはつらいって読者に対してチューニングができる。
つまり(Webも含む)雑誌掲載ならば、新しく原作を立てて物語を作った方が、雑誌のカラーに適合した疑似なろう系作品を生み出せるわけだ。
なろう系賞の中には、最初から漫画原作者を探す前提のスタンスも生まれている。
一見喜ばしいことのように思えるが「土台の小説は別にいらない」とぶっちゃけているとも言えるのだ。
なろう系の停滞が長期化すればする程に、相対的に原作小説としての価値は薄まっていき、最初から原作者を立てる傾向が強まっていくのではないかと思う。
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なろう系小説はAIが作る時代になる
ここまで読んでも、なろう系好きやなろう系の書き手の方々は、
「だからどうしたの? 今実際にそれで成立してるんだから問題ない」
「自分達は好きで書いている(読んでいる)んだ」
そんな風に思うかもしれない。
だが、なろう系はライトノベルの歴史という観点で見れば、『今現在の流行にいる者達』に過ぎない。
そして、『その天下って実は言うほど盤石ではないよ』という話をしてきた。
盤石じゃなくなったのならば次はどうなるか? 砂上の楼閣は崩れると相場が決まっている。
その要因になるのが、今まさに大躍進中のAIだ。
アメリカではSF雑誌の小説応募がAI生成による盗作だらけになって、新規募集が終了した事件が起きている。
盗作とは穏やかではないが、AIはイラストを生成したように、小説を書く能力を獲得し始めているのは一定の事実だ。
日本でもChatGPTが大きな話題となっている。
AIイラストは大量のサンプルを得て、一定の内容を出力することに長けている。
これは入力するプロンプト(条件)が少なくなる程に精度が向上していく。
この特性を小説に適用するならば、『似たような展開』や『統一化された設定』などはデータサンプルが多く、パターン化された作品性が該当するだろう。
さらに作品需要が多く、人気が出れば書籍化という形で収益化まで可能なのが、まさになろう系小説である。
ここまで好条件が揃っているのだ。もしAIが高精度の小説を出力できるようになったら、なろう系とランキング型の投稿小説サイトが真っ先に標的となるのは想像に難くない。
AI出力作品には著作権の問題がある。
しかしイラストですらAIの見分けはどんどんつかなくなっており、文章でその判別を付けるのは非常に難しいだろう。
もし盗作と怪しいラインや著作権グレーの作品がランキングに溢れると、なろう系のシステムは容易く崩壊する。
出版社側も著作権のチェックにコストをかけて、リスクの高い作品を好き好んで書籍化したいと思うだろうか?
また著作権問題がフリーになり、盗作の心配性もなくなったら?
そうなったら人間はAIの下位互換だ。
西尾維新作品『人類最強』シリーズでは、AIが読者の嗜好に合わせて小説を書き続ける本が生みだされた。
これ一つあれば、本好きは死ぬまで自分の読みたい物語を楽しめると語られる。
そもそも、AIが自分好みの小説を自在に出力してくれるなら、小説投稿サイト自体が必要なくなる。
無論、そんなこと今のAIにはできないが、なろう系が最も最初に攻略される可能性がすごく高い。
そうなれば、これまであったなろう系書き手の価値は大暴落だ。
好きで書いているのは良いことだと私は思う。
けれど、それは評価されやすい環境が前提にあるからできる者が大多数だ。
どれだけ書いても鳴かず飛ばずな状況でも「趣味だから気にしない」で押し通せる人間はそんなに多くない。
これまでだと、なろう系以外で評価されたい者達は、理想と現実との乖離に苦しんでいた。今度はなろう系の書き手達もこの中に呑まれていく。
それも相手はAIという、常に高品質を安定して吐き出すシステムを相手にしてだ。
非なろう系の書き手達に挽回の手が無かったように、下流のイラストレーターが現在AIの存在に脅かされているように、このままだと蜘蛛の糸はどこからも降りては来ないだろう。
次世代型のラノベ文化とその実践結果
多様性が再評価される時代へ
これまで、なろう系が生んだ功績と、現在時点で抱える問題を順番に解説してきた。
ここまで順序立てて実例と共に説明すれば、私の解説が全部まるでデタラメな妄想だと断言できる人はそういないと思う。
なろう系に一極化された現状のWeb界隈は停滞しており、AI発達による凋落コースが既に見え始めている。
今のメインであるなろう系が崩れれば、ラノベ全体のダメージも大きく、「ここが崩れたから、今度は元のラノベ界隈が復活するかも」なんて都合の良いことはない。蒔いてもない種に花は咲かぬのだ。
「だったらどうすりゃいいんだよ」という気持ちになるだろう。私はなった。
なので、最後に語るのは現状を打破する方法論である。これは私自身が最近実施している実験の結果も共に語っていこう。
なろう系の作品性的な欠点をまとめると、没個性の生産性重視だと突出した名作は生まれにくくなり、AIによる大量生産が容易にできてしまう。
逆説的にいえば、ストーリーや世界観に選択肢を与え、文章表現にも技術や幅を与える。
つまりは質を重視した作品性にすれば、名作は生まれやすく、AIも生み出す難度が高くなる。
特にストーリー性は重要だ。
AIイラストが小説よりも先に進出したのは、AIは『共通した形』を出力することに長けているから。
反面そこにストーリー性や個性を見出すことは不得手なのである。
だからSF雑誌の投稿も、個性がない盗作品で溢れかえっているのが現状だ。
意外と対策内容自体は簡単に見つかった。
されど言うは易く行うは難し。長年かけて育ってきた文化や流行が、いきなり180度回転するなんてまずあり得ない。
問題は現状のシステムをどうひっくり返すかだ。
そのプランが全くないなら、この話は単なる机上の空論に過ぎない。
私は別に巨大なコネも金もないので、これさえすればバッチリOKなんてプランを提示することは残念ながら不可能だ。
ただ、その一助になる可能性を提示することはできる。
ラノベの文体が再び置き換わる条件
まずなろう系特有の文体については、スマホの台頭がかなりのウェイトを占めている。
スマホの画面サイズでは、長時間文章を読み続けるには不向きだ。
一文を短くしたり改行を増やしたりなどの工夫が求められる。
だったらもうガラケーくんがそうしたように、スマホさんに次のデバイスへ道を譲っていただくしかない。
私はこの可能性を秘めているのが、VRとARだと感じている。
デバイスが変われば読者形態も変わる。
VRとARはどちらもスマホよりも広い空間を自由に、しかも現実のスペースを奪わずに活用できる。
そうなればスマホのように狭い画面に依存する必要もなくなるのだ。
特にVRはFacebookがMetaに社名変更を行い、かなり本腰を入れている事業である。
メタバースは若い世代を中心にして注目を集めており、大手のVtuberからも活用が広まっている。
現在はまだ一般普及に至るには課題が残っているものの、いずれも技術の発展で解消されていくだろう。
これについては待つという消極的な対応にならざるを得ないが、少なくともなろう系文体は環境依存が関わっており、絶対とか普遍的なものではない。
その根拠を示すものとして、なろう系文体でなくとも一定の読者を得ている界隈の存在がある。
これについては次の項目も関わっているため、そちらと共に解説しよう。
投稿小説サイトから多様性を奪う三要素
もう一つは、ラノベ以外のWeb創作界隈に目を向けてほしい。
イラスト・漫画・動画配信・コスプレ・フィギュアetcetc……様々な分野がある。
しかしそのどれもが、なろう系のような一極化にはなっていない。
もちろん流行や人気作品などの偏りは存在する。
けれど「なろう系は以外は駄目!」みたいな状況ではない。
この差を生み出している要素は、大きく分けて三つある。
その最たるものは評価制度の違いだ。
現在の投稿小説サイトはランキング制であり、これは相対的な評価である。
このランキングに適応する形でなろう系が作られて、そこから外れる要素が増えると評価が落ちてしまう。
対して他の創作物は、多くがSNSやYouTubeをメインに発信されている。
これらにはランキング制度がそもそも存在しない。
Twitterで言えばRTによって拡散されて、『いいね』が人気のバロメーターである。
ここで大事なのは、他人の作品が何千何万とRTされていようが、自分の評価には変化がないこと。
100RTならば100RTなりの注目度がある。
つまりSNSは絶対評価制の要素が強く、必ずしも『他人が目立つと自分の存在が注目されない』とは限らない。
YouTubeならばチャンネル登録者数が最大指標になるけれど、基本的な考え方はそう変わらない。
次に大事なのはエロだ。
この二文字だけで変な偏見を生みがちだけど、エロの需要と自由度を侮るなかれ。
(以後はGoogle様の検索除外への対策としてEと表記)
Twitterでも日頃からセンシティブギリギリラインを攻めるイラストが大量のRTといいねを獲得している。
そしてやり過ぎてシャドウバンのコースアウトになる人も大勢だ。
小説家になろうでは、露骨なE描写は禁止されており、ノクターンノベルズ等の姉妹サイトに切り分けられている。
他の投稿サイトでも同様に禁止されているケースが多い。
しかしノクターンでも書籍化作品は多数生まれているように、やはりその需要はかなり多い。
何より重要なのは、ノクターンだとなろう系に対する縛りがかなり緩いのだ。
私の場合、小説家になろうへ非なろう系作品を投稿すると、ほとんどの場合泣かず飛ばずでポイント2桁が当たり前だ。
ところがノクターンだと、同じ文体で随所に濡れ場を入れた、完全な非なろう系のファンタジーが余裕で1000ptを超えている。E小説に初めて挑戦してこれだった。
しかもEシーンばっかり読まれるかと思いきやそんなことはない。少しの偏りはありつつも、普通に全ページ平均的に読まれている。
この時の挑戦は、一応それなりに勝算は持っていた。
かつてライトノベルジャンルが生まれて初の黄金期に入る以前、ノベル系ジャンルの王様は美少女PCゲームのヴィジュアルノベルだった。平たく言えばEゲームである。
実際、Fateシリーズを代表作にするTYPE-MOONや、虚淵玄氏で有名なニトロプラス、KeyやLeaf(AQUAPLUS)など様々な企業が、作品の人気を得て一般コンシューマへと参入してきた。
これらはいずれもEシーン以外でも、シナリオやキャラクターで高い評価を得たからだ。
オタクというのはその習性からか、E目的の作品であってもストーリー性があれば案外しっかりと読む生き物なのだ。
そのため最初のフックとしてEはかなり有効なのである。
最後は二次創作の許容差だ。
創作界隈において二次創作がどれだけ高いポテンシャルを持っているかは、今更語る必要もないだろう。
基本的にSNS上の二次創作はかなり自由度が高い。
ガイドラインがあればそれに従う必要はあれど、そこまでギチギチに縛るような作品はほとんどない。
しかし大手の投稿小説サイトになると、これが一気に厳しくなる。
小説家になろうとカクヨムでは二次創作作品の投稿は原則禁止で、一部作品のみが許可されている状態だ。
あえて二次創作という大きな枠で言うならば、かつてはWeb小説で最も大きな勢力を持っていた。
にじファン閉鎖を皮切りに、大手が二次創作を積極的に閉め出したことで、二次創作小説は大きく衰退したのである。
大手が二次創作のグレーゾーンを避けた結果、水は綺麗になったが多くの魚は住めなくなってしまった。
もしにじファンが閉鎖しなかったら、Web小説界隈の勢力図は今と全然異なるものになっていたかもしれない。
けれど大きく衰退してなお、相応の需要と供給は保持している。
小説投稿単独での運営ならば、現在の最大手は個人運営の二次創作小説投稿サイト『ハーメルン』だ。
サイトのアクセス数をチェックできるSimilarWebを使って調査したところ、ハーメルンはカクヨムを上回っている。
オリジナル小説の投稿サイトは多数あり、ユーザーの分散が起きているとはいえ、大手の一つに勝っている実績は大きい。
非営利の個人運営、書籍化される可能性もほぼ皆無でこれなのだから、おそるべきは二次創作への意欲だ。
そしてハーメルンもまた、なろう系文体でなくても読者を得られる。
おそらくはノクターンと同じく、求められる作品がなろう系に限らないためだろう。
投稿小説サイトは多様性を求めてなろう系以外の作品も積極的に欲していたのに、その最大勢力は全力で避ける矛盾した態度を取っている。
実際に試して得た新しい手法と可能性
以上が投稿小説サイトに多様性をもたらすための条件だ。
私はなろう系が確立した頃から、ずっとなろう系以外で書きたいモノを書いて評価される方法を探し続けてきた。
だからこそ色々と調査や研究、そして可能性の模索を続けて、上記の条件が必要だという結論にたどり着いた。
そして、これらの条件が整う場が生まれるタイミングを、ずっと見計らっていた。
流石にスマホの置き代わりはどうにもならないけれど、それ以外の好条件がほとんど整う環境がごく最近生まれたのだ。
ここを逃す手はないとさっそく実践してみた。
その結果、作品投稿から一日以内で約1万2千程のPVを獲得した。
それも作品としては冒頭のプロローグのみでの数値である。
プロローグ 『結』
広大な白い大地で二つの陣営が激戦を繰り広げていた。
片や藤丸立香をマスターとした歴史を創った英雄、サーヴァントの軍勢。
片や門矢士を中心に据えた歴戦の勇士、仮面ライダーの軍勢。
邪竜を墜とした白い長髪の英霊が、竜殺しの力をもって突撃する。… https://t.co/PxMpKldryA pic.twitter.com/q8OwzbS9nV
— ゲタライド@語りたい人 (@ridertwsibu) March 10, 2023
使用したものは、Twitterとごく最近実装された長文ツイート機能だ。
これを使えば1ツイートにつき、全角で2千文字を掲載できる。
Twitterであるため、本来の投稿小説サイトに比べると、読破率は大きく落ちるだろう。
しかし同じ作品を初めてハーメルンに掲載した時のアクセス数と比較すると、ザックリ100倍に増えている。
流石に桁二つ違えば、読破率の差は補ってあまりある。
小説家になろうで、なろう系小説を初投稿したって、1万はまず到達できない数値だ。
Twitter小説投稿はまだまだ始まったばかりで、他にも様々な課題や試験中の事柄も多い。
それらも踏まえて、少なくとも上々のスタートを切れたとは断言できる。
私は今回、あえて仮面ライダーの二次創作を使用したが、これには理由がある。
一つは既に説明した通り、二次創作はなろう系文体でなくとも、比較的読まれやすい部類の作品であること。
それだけでなく、私のアカウントは仮面ライダーをはじめとした特撮作品についてずっと語ってきた。そのため、フォロワーには仮面ライダー好きが多い。
たとえ小説に興味はなくとも、仮面ライダーが好きなら読んでくれる可能性がある。
投稿小説サイトでは、小説を読む目的の人しかやってこない。しかもその多くがなろう系を欲する。
そのため、どれだけ巨大なサイトだろうと、得られる客は完全に限られていた。
だが、Twitterではフォロワーと、そこからの拡散が読者になり得る人達だ。
彼(彼女)らの多くは、普段からなろう系小説を求めている層ではない。
例えば、オリジナルのロボット作品を掲載したいなら、ロボット作品の人達と交流をもってフォロワーを集めればいい。
(私自身、今後はフォロワーにマッチングさせつつオリジナル作品も試す予定もある)
むしろTwitterだと、なろう系や小説仲間を集めようとすると、癒着や悪い意味での馴れ合いが起きる。
仲間内だけで作品をRTして回る行為は昔からあるけれど、物書きとは元々読むより読んでほしい生き物だ。
狭い世界でRTし合う行為は読者集めにはならず、良くても相互援助会というべき存在である。
実際には拡散している数よりもずっと広まらないし読まれない。
Twitterの仕様変更によってPV数が明示されるようになったことで、それは実数として証明されてしまった。
もちろん、小説投稿サイトで作るTwitterクラスタは、書き手同士の繋がりと交流目的こ人もいる。技術面での情報収集には大いに役立つ。
そういった使い方ならば、私はむしろ肯定して応援する。
しかし書き手仲間を集めて、それを利用して作品を宣伝して読者を増やそうという下心は、誰も彼もが似たようなことを考えるので通用しないのが現実。
そうでないなら回し読みと相互評価という、癒着的な行動に出ることになってしまう。
本来集めるべきは作品を楽しんでくれるお客さんであり、自分の『ファン』である。
そして投稿小説サイトというプラットフォームをあえて捨てて、ダイレクトにTwitterへ投稿する手段を取ったことで、それは実現可能になった。
バックナンバーの掲載は自サイトを活用しており、同じ要領で投稿小説サイトの出番もまだ十分に残っている。
はじめの数話だけをTwitterに投稿して、興味を持った人を誘導といった使い方もできるだろう。
要するにプラットフォームを変えたことで、これまでになかった新しい可能性が大きく拓けたのだ。
私が生み出したくて挑戦しているものは、新たな形式の基礎作りだ。
もし、そこから誰かなろう系以外の書籍化作品が現れたら、それはまさしく次世代のラノベ文化が芽生えた証明だ。
そうすれば、延々と続くなろう系と非なろう系の争いも、少しは鎮まるのではないかと思っている。
この理想形として私が考えるのは、より創作活動とファンが楽しめることに特化したSNS型投稿アプリである。
イラスト・漫画・動画・音声・写真など全部を投稿可能にして、創作内容に合わせた登録や表示方式を扱えるようにする。
小説ならば、現在自前で用意しているバックナンバーは、作品投稿と同時に自動生成すればいい。
最新話を投稿したTLに流せば、興味を持ってくれた人は、そこから過去の一覧に飛んで最初から読める。
ランキング制度を廃して、RT・いいねで作品の評価と応援を行う。
それとクリエイター応援制度として投げ銭制度を入れる。
創作者が自前でコンテンツを有料配信できる場も用意すべきだろう。
そしてTwitterのユーザーには嫌われることも多いが、オススメ表示もこの場合はとても有効だ。
そもそも創作系SNSなのだから、自分が求める創作物が優先して流れてきても文句は出にくい。
小説ならば、SF系を好む人には人気のSF作品が、なろう系が好きならなろう系作品が紹介される。
自分が見た二次創作と同ジャンルの創作物が自動で流れてくる。
Netflixなどの動画配信サービスなどでも同様の機能は実装されているので、確実に一定の効果が出るはずだ。
それでも現実的に色々な課題はあるだろう。
例えば、二次創作が小説投稿サイトから追い出されているのは、それ相応の理由があるはずだ。
わざわざ二次創作を輪の中に戻すならばリスクがゼロとはいくまい。
それでもPixiv小説などある程度のユーザーを抱えた企業が運営している実績もあり、十数年前と現在では二次創作の有用性や見方も大きく変わった。
様々な作品や会社から二次創作のガイドラインも出ている。あの頃と全てが同じという考え方は逆に通用しないはずだ。
それ以前に新規SNSを立ち上げるならば、初動のユーザー集めには、かなりの広告費が必須なのは言うまでもない。
しかし、ランキング制度やなろう系はもうとっくに停滞して衰退を始めている。
なろうやカクヨムといった既に成熟した場では、急激な変化はリスクが大きすぎて簡単には挑戦できない。
ならば、いずれこれらのパイは解放される。
その時にもっと多様性と自由度に富んだ創作の場が用意されていれば、人はそこに流れ込んでくるのではないだろうか。
そして先を見越した挑戦的なプラットフォームならば、スマホから移り変わる次のデバイス時代にも、柔軟に対応する準備だってできる。
大事なのは、ライトノベルやなろう系といったワードに囚われ過ぎないこと。
それらはただの名前や一つの形式に過ぎない。
ラノベ文化はそれ一つでは絶対に成立し得ない。どの時代でもアニメ・漫画・ゲーム(美少女PC系を含む)・同人など様々な繋がりを持ち、相互に影響されあってきた。
これらを省いて、過去も現在も未来も見えない。
視野は広く、視座は高く。
ポジティブもネガティブもどっちも悪と断じずに、他人に攻撃するのではなく手を繋ぐ。
その上で次の時代に覇権を取るプラットフォームを目指す。
そういう野心をもって次の時代に挑戦できる者が現れるならば、ライトノベルもまた黄金期を迎え、新たな文化を形成していけるはずだ。
少なくとも、私はそう信じている。