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現在の平成(令和)仮面ライダーは大人向けがないと成り立たない

2019年6月28日

ゼミ生の皆様こんにちは、語屋アヤ(@ridertwsibu)です。


今回は仮面ライダーは子供向けか大人向けかに対する考察するシリーズ第二回!
一回目から間が空いているのは今回の記事ボリュームからお察しください。ぶっちゃけこれでも長すぎて削ぎ落として次に回した部分もめっちゃある。

私のサイトは主にGoogle検索とTwitterからの流入で成り立っています。
そのため記事毎に初見のお客さんも多く、それを前提として続きものの感想記事でも基本的にどこから読んでも問題ないように書いています。
(前に語ったことでもさらりとおさらいしたり、必要な参照記事には再度リンク貼ったりなど)

ただし今回のシリーズは完全に前回の『仮面ライダーは子供向けか大人向けか』で書いた続きものとして、完全に既読を前提にしています。
前回を飛ばして読むと意図や解釈に誤解が生じる可能性があるのでご注意下さい。

http://kamen-rider.info/rider-audience-1/

さて前回は過去から現在に仮面ライダーのターゲット層の変化と流れを解説しました。
幅広く視聴者層を広げた、具体的には大人を強く意識したことで、ここまで『仮面ライダー』ブランドが発展できたことは間違いないでしょう。

ただ大人を話のメインに据えて、仮面ライダーを大人向け前提で語ると必ずと言っていいほど反発が生まれます。
そのためにその前段階として平成ライダーの歴史を語る必要がありました。

大人向けとしてだと『アマゾンズがあるよ!』と主張する人が多いですね。
ある意味代表的な作品ではあるのですが、アマゾンズがあるからという理由だけでは『子供向け』という根幹意識を覆すには力不足であると思います。

あくまで仮面ライダーとしてメインは20作途切れず流れてきたテレビ放映です。
傍流だけ切り取って『大人向け』と主張するのは、言い換えれば『外の子持ち出さないとできない程度の話でしょ?』と返されればそれまでで、説得力に欠けるのは否めません。

大事なのは『アマゾンズがある』ことよりも、『なぜアマゾンズが生まれたのか』の方なんですよ。
当然テレビシリーズと平行してアマゾンズが製作されたことには相応の事情があり、そこを掘り下げると無限に続くライダーというコンテンツの地平が見えてくるのです。
その地平をひもとくことこそ、仮面ライダーがどこに向けて作られているのかを考えるのに最も大切な要素だと考えています。

そういうわけで、前回は子供向けから広げていった流れがメインでしたが、今回は大人側から見た作品の広がりを見ていきましょう。

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子供向け作品を大人向けに寄せるリスク

子供向け作品が大人向けに寄ることを嫌う人の理由で、両立の難しさを挙げる人がいる。
全年齢向けと言うだけなら容易いが、子供と大人では作品の視点が違うため両立は難しい。

子供は純粋であるが故に正直だ。
どれだけ夢中になっていても、一旦飽きると途端に見向きもしなくなる。
幼児のアンパンマンに対する食付きと卒業する流れがいい例だろう。

大人なら過去の投資額や作品に対する思い入れから惰性で付き合ってくれることもあるが、子供はスッパリ離れて次の興味に移る。そして高確率で戻ってこない。
手を広げようと大人向けに寄せた結果、子供が飽きて離れてしまえばコンテンツとしては終焉してしまう。
仮面ライダーはこの問題を、二つの武器でクリアした。

ここからは少し視点を変えて説明しよう。
探せばもっと昔からあるかもしれないけれど、私が最初に見た『大人向けを前提にして世界観を広げた作品』は平成ライダーではなく、昭和ライダーの『仮面ライダーSPIRITS』だ。
SPIRITSも現在の平成ライダーと同じく、『過去に子供だった大人達』をターゲットにしつつ、高いストーリー性で昭和ライダーを知らなくても楽しめる高い完成度の作品である。

そもそもSPIRITSを始められたのは昭和ライダーからの長い歴史があったためだ。
昭和ライダー自体は仮面ライダーゼクロスで一度幕を閉じている。
またゼクロスの扱いも他作品と比べ決して良いものではなかった。

昭和ライダーが終了した理由は多岐に渡るが、現実問題として『子供に飽きられたから』だ。
そもそも飽きられる前に9作品も世に出している時点でそれはむしろ強く評価されるべきだけれど、昭和ライダーは自らが作った様式美から逃げられなかった。
クウガはこのことをよくわかっていたから、改造人間や悪の秘密結社などの設定を切り捨てている。

そうして仮面ライダーは最盛期の流れを切らしオワコン扱いされるようになった。
クウガの企画は当初、東映はネタが尽きたかと言われていたと白倉プロデューサーも語っている。
それでも日本の特撮を代表するビッグネームの一つとしては残り続けて、その後も様々な新作やタイアップ商品を生み出し続けた。

そうして、ワインを寝かせるように時間を置いて復活したのが仮面ライダーSPIRITSだった。
今、僕のヴィンテージが芳醇の時を迎える!

昭和ライダーファンを唸らせる作り込みや展開。
平成ライダーにもひけをとらない高いストーリー性。そして漫画ならではの派手な演出やアクションで多くの読者を獲得した。
クウガ放映中にスタートして、(途中掲載誌の休刊による一時連載休止を挟んだものの)現在も連載中だ。昭和ライダーの傑作は令和の時代に突入した。

昭和ライダーが再び輝けたのは、仮面ライダーの持つ『歴史』が大きな要因だろう。
かつて昭和ライダーをリアルタイムで視聴していた子供達は今や全員がいい大人だ。
再放送ですら成人を迎えている視聴者は山のようにいる。

平成ライダーもディケイドによるコンテンツ再利用化で同様の展開が可能となった。
『かつての子供だったファン』へと向けた作品は、『今の大人達』が対象となるのだ。

そしてもう一つの要素が、メディア展開による住み分けである。
クウガから続く子供をメインターゲットに据えた現行作品の流れは、現在まで一度もブレていない。
それとは別路線としてコミカライズやノベル版、ネット配信等での大人をターゲットにした作品展開を推し進めている。
仮面ライダーコンテンツはメディア展開での使い分けが非常に上手い。

歴史と住み分け。この二つが『子供を主軸にして計画的に大人層も取り込んでいる全年齢向けコンテンツ』を可能として、仮面ライダー作品の世界を広げることに成功した現在の構造である。

前回も書いたけれど、一番の理想は理屈なんて抜きに皆が楽しめることなのだ。
けれども、いつまでも全てが同じではいられない。昔は当たり前にできていたことが今ではできなくなっている。

皆の『あれが観たい』も世界観と年齢層が広まるごとに多様化していく。
年一作品のペースで進行するTVシリーズだけでは、この要望はとてもじゃないけれど消化しきれない。

未消化の意見が溜まると、「昔は良かった」「これはもう観れないのか」と嘆く人が出る(私も変身音声とかでたまに嘆く)。
そういう人達に強く反発して老害と非難する者達も出てくるわけで、これはもう長期コンテンツの宿命だろう。

個々が持つ当たり前の感覚は、歴史が続けばそれだけ共通認識ではなくなっていく。
皆の望みを吸収して仲良く楽しめる環境を作るため、今の構造に至ったのだ。

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電王が押し広げた映画展開

過去と比べて一番大きく広がったメディア展開は劇場版だと私は考えている。
最初のクウガは劇場版の製作予定こそあったものの、諸々の事情により残念ながらお蔵入りとなった。
(後に映画ネタの一部はディケイドにて回収されている)

けれど企画が完全に無駄だったわけではなく、次作のアギト以降からは夏映画として毎年一本ずつ必ず公開される流れが完成した。
これはジオウに至るまで一貫した流れとして完成している。

しかし当時は本編+劇場版が基本で(ごく稀にTVスペシャルなど例外はあったが)放送終了後は完全に次のライダーへと切り替っていくスタイルで固まっていた。
本編の放送終了に新作が出たのは平成ライダー8作目の電王が最初であり、後術する仮面ライダーのVシネマ化一号(のなり損ね)でもある。
今でこそVシネマでのスピンオフや続編は珍しくなくなったが、当時だと終了した作品の続編はかなり大きな衝撃だった。

電王はその後も映画による続編を何本も出し続けた。
『さらば電王』で終了と思わせて『超電王』シリーズが始まり、平成ライダーファンからも『また電王か』と言わしめ賛否両論を呼び起こした程だ。
まあ、そりゃあディケイドと電王のクロスオーバーで、新作のディケイド側がオマケみたいな扱いになるとは普通思わない。
しかしながら電王の残した足跡は後のシリーズを生み出す基盤となる。

電王映画で恒常となりつつあった冬映画は、ディケイドが世界観を繋げたことで可能となったMOVIE大戦シリーズへと置き換わった。
以降仮面ライダーの冬映画枠は最新作と前作ライダーをメインとしたシリーズが基本となる。

更には春映画枠として、過去作全ライダーの登場。
スーパー戦隊とのVSシリーズなど、より広範囲でのクロスオーバーが展開されだした。

ファンサービスと興味を持った人が新たに触れる機会を作る動線的な役割であり、それ自体はディケイドと同じだ。
言い換えるなら過去作の再登場を喜ぶコアなファンを十分に獲得している証とも言えるだろう。
で、当然ながらこのコアなファンのメイン層は大人である。

ただし集合系作品はコアなファンを喜ばせると共に大きな問題も内包していた。
尺の問題によるストーリーの薄さとマンネリ化である。

仮面ライダーの劇場版は他の映画に比べると上映時間が短めだ。
そこに多数のライダーが出演すると、当然ながらそれだけで時間的な尺が取られてしまう。
また、ストーリーのメインとなるのは現役ライダーで、ほとんどのライダーはオマケに近い扱いを受ける。

むしろオマケならまだ良い方で、噛ませ犬扱いになることもしばしば。
全てのライダーを破壊する設定を背負っていたディケイドに負けることにすら『過去作に対する敬意がない』と抵抗のあるファンがいるので、話の流れで倒されたり封印されたりすることに批判的なファンは当然いる。

集合系ではとにかく集まって戦うことに比重が置かれるため、ストーリーも似たり寄ったりになりやすい。
仮面ライダーシリーズは毎回手を変え品を変えで頑張ってきたと思うのだけど、それでも基本ショッカーもしくは同系列の『悪の組織』を倒す内容に偏りがちだ。
何より集合系映画は最初こそ強烈な特別感があったものの、何度も繰り返せばあるのが当たり前みたいな扱いになってくる。

これらの問題を解消するためか、集合系映画は発展するにつれてむしろ作品数を絞り込む方向に移った。
そして登場人数を減らしたことで、過去のライダーにスポットが当てやすくなる。

平成一期などかなり過去作のライダーをオリジナルの俳優で登場させて、ストーリーに絡めていくことが目に見えて増えてきたのもこの時期からだ。
これも一度ディケイドが世界観を繋いでコンテンツの再利用を可能にしたことが活きている。

当時はまだレジェンドという呼び名や扱いは特になく、ファンからは純粋にオリキャスと呼ばれていた。
というか昭和ライダー側の参戦があったので、レジェンドライダーという言葉で真っ先に思い浮かぶのは昭和ライダー勢だった。

MOVIE大戦シリーズが平成ジェネレーションズシリーズになると、冬映画が平成二期を中心とした集合系作品の意味合いを強めてくる。
それに合わせて春映画枠は集合系から離れ、仮面ライダー一号やアマゾンズ完結編に置き換わり、所謂平成ライダー全体の集合系作品としての役割は仮面ライダー3号で最後だった。
その後2019年では春映画が放映されておらず、春映画枠そのものが途切れた。

集合系としては『平成ジェネレーションズFOREVER』が平成ライダー全体の集合系であり集大成とも言える内容になっている。
また映画作品が無かっただけで、仮面ライダーブランドとしてはむしろより大きな盛り上がりを見せていた。
春映画枠の消失は仮面ライダーの衰退ではなく、これは新たなステージの扉を開いた証だ。

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世界観を掘り下げるスピンオフVシネマシリーズ

Vシネマ作品の発表は電王が急遽劇場版になって以降暫く期間が開くものの、Wでスピンオフ作品の後日譚として扱われるようになった。
Vシネマは当初テレビや劇場での放映がないため、比較的子供は手を出しにくいコンテンツだった。

そのためか映像作品としてはVシネマはTVよりも縛りが少ない。
本編では規制のかかりやすい流血描写やライダーではなく変身前のアクションを取り入れるなど、内容もある意味大人向けに寄せられている。

そういう事情から何より世界観を掘り下げる媒体としてVシネマは向いていた。
Wで確立して以降は、スピンオフで本編のサブキャラが主人公としてストーリーが展開される方式を取り入れた。

『仮面ライダーエターナル』は元々劇場版において悪の仮面ライダーポジションだった大道克己が主人公である。
王道ヒーロー型に舵切りしたWという作品ではかなり異色であり、当時はVシネマだからこそ可能だった掘り下げだ。
ドライブでもボスキャラであったハートが新たに仮面ライダーとなっている。

『仮面ライダースペクター』に至っては冒頭の歌から狂気が滲み出ており、真面目にサイコ系のホラー映画かと思う程だった。
ストーリー全体を通してもゴースト本編に比べてかなりハード。
本編のメインテーマ『命』と『家族』に対する向き合い方も直接的で重く、今思えば「ゴーストって本当はこういう話をやりたかったんだろうなあ……」と思わせる内容だ。

Wより後は、期間を置きつつドライブで毎年恒例として定着した。
エグゼイドからは劇場公開も当たり前になりつつある状態で子供も観やすくなっている。
(ただし通常の劇場版よりも上映期間は短く、地方民には辛いとの声も上がっている)

そのためか、ストーリーも後日譚として一つのシリーズ化として展開されつつある。
エグゼイドでは檀黎斗がラスボスに立ち返った最終章三部作みたいな扱いだった(後に出版された小説版はこの続編だけど)。
そのため檀黎斗が中心となって起こす事件を縦軸としてそれぞれ横軸で別の事件が展開されていく。
三本全てを観ることが前提の構成だった。

これは後のビルドも同様だ。
エグゼイドに比べるとストーリーは一本完結方式ではあるものの、『NEW WORLD』という本編後に生まれた新世界を舞台としており、明確に新シリーズとして展開した。

円盤の売り上げについてもVシネマ限定のライダーが使用するアイテムを特典に付けてカバー。純粋に作品完成度だけでなくコレクターにも狙いを付けた。
Vシネマは毎年恒例&劇場化になったことで前作ライダーの後日譚シリーズとなり、特典商法も付与されたことで安定した一つの戦略軌道に乗ったと言えるだろう。

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動画配信で大人向け作品アマゾンズが生まれた意味

春映画の集合系映画における大きな転換期となった作品が『仮面ライダー3号』と『仮面ライダー4号』である。
3号は例年通りの集合系映画として製作して、更に特別編4号の第一話を特典として付属した。
そして続きはライダー初となる動画配信サイトでの公開だ。
3号ではなくこの4号こそがダークホースとして平成ライダー界に新たな衝撃を起こした。

4号は従来のライダー総登場の形式を捨て去り、登場ライダーを現行作品であるドライブ組と他数名にまで絞った。
そして3号でのメインストーリーとなった歴史改変の真相を描き、そのキーマンとして乾巧にスポットを当てている。
蓋を開けてみればドライブの特別編と3号の続編……という皮を被ったファイズ完結編と呼べる内容だった。
(4号というタイトルすら、平成ライダー4号のファイズを指す隠れ蓑だと思われる)

3号や平成VS昭和でも乾巧は登場しており、どちらも本編を観なくても問題ない描かれ方をしている。
けれど4号ではファイズを視聴済みが前提でのストーリー構成だ。

あえて海堂と巧の組合せで意見をぶつけ合う意義。
巧が改変された歴史を捨てた覚悟。
そこにある積年の哀しみと救済はファイズ視聴者でなければ伝わらない。
ジオウのブレイド編や響鬼編の完結編的な流れは、実のところ4号が先駆者となり平成ライダー界に影響を与えた功績が大きいのではと考えている。

また、4号のシナリオは子供をメインターゲットにしているTV本編と、そこに直結する劇場版ではまず不可能。
そこから更に、放映の舞台を動画配信サイトにズラしてはじめて可能になったのだろう。

後に配信された仮面戦隊ゴライダーにて、誰も予想しなかった……というかできると思っていなかったアナザーアギトの復活。
そして剣崎一真の設定を生かした怒涛の展開も4号のファイズに連なっている。

どちらの作品も平成一期の、それも前半のライダー達が物語の中核を担っていた。
平成一期の『レジェンド感』を強く煽ったのである。
特に両作品ともシナリオが『大団円ではない結末だった頃の平成ライダー』を思い起こさせた。

時代的にもネットによる動画配信サイトが活性化していき、仮面ライダー作品でも動画配信の流れは収まるどころか加速の一途を辿る。
開始当初はスマホ限定だったTTFCは途中でPC対応となった。
かつてはVシネマが主に担っていたスピンオフ系作品もTTFCや様々な動画配信サイトでの公開が増えている。

2019年はあえて春映画を出さず、ジオウスピンオフの二本、そこから少し遅れてドライブサーガのブレンが公開された。
作品数としてはむしろ増えているのだ。

子供の視聴層をメインにした『仮面ライダーシノビ』はスーパー戦隊のような非現実的に偏った世界観。そして派手な忍法アクションで全編走るかと見せかけて、ラストは『いつもの平成ライダー』を匂わせるオチで締めた。
大人でも楽しめるいつもの全年齢型コンテンツとしての形式を守っている。

そして現役ライダーのジオウから派生した作品でありながら、完全に大人向け化した『仮面ライダー龍騎』。
『FOREVER』で明確にした、かつての子供達ために向けられた作品だった。
平成ライダー一期の勢いそのままに当時よりもショッキングな展開の連続で、子供に見せるのはオススメできない仕上がり具合だ。

龍騎最終回後にオモチャCMで『真司くんと蓮を忘れないでね』と我々はお願いされた。
そして忘れなかったから再び新作としての龍騎が生まれたのだ。
平成ライダーを愛し続ける大人がいなければ、再びミラーワールドが開かれて真司と蓮が再開することは決してなかっただろう。

このようにジオウスピンオフは子供と大人、どちらも等しく楽しめるようきちんと構成されて生み出されている。
その後のブレンは内容的には問題なく子供も楽しめる作品だ。
けれどドライブ放映から四年後の作品である。

平成ライダーを追いかけてきた大人からするとドライブは比較的近年の作品と言える。
けれど幼稚園は小学生に、小学生は中学生になっていても不思議ではない。子供にとっての四年間は体感的に全く違う。
そういう意味でブレンは大人が(ネタ的な意味も含めて)愛し続けたから生まれた。

このように動画配信コンテンツは特に大人の視線を重視しつつ子供が楽しめる配慮を忘れない構成だ。
この大人向け路線を明確に示す言葉がある。
『最近のライダー面白いですか? 個人的には、ここ数年あまりおもしろいと思っていないんですよ』

現行のライダーが放映している中で発した白倉Pの爆弾発言だ。平成ライダーの火付け役がこの発言である。
実際のところは今の平成ライダー故にできる楽しさはある。むしろなければコンテンツが続くわけない。
それでも時代の流れでクウガや龍騎のような作品は作れなくなった。それは事実だ。

そういう『あの頃だからできた』ことを動画配信という形式ならば今もできる。
平成ライダー一期を中心に据えたあの頃の仮面ライダーが再び息を吹き返す。
そういう土壌と時代の流れに仮面ライダーはいる。

ならばあの頃のライダーへ回帰しながら、あの頃以上の挑戦をしよう。
仮面ライダーが安定したシリーズ化の中で抜かれた牙をもう一度生やす。
そういう意思で、大人に向けた完全新作の仮面ライダーであるアマゾンズは生まれたのだ。

仮面ライダーアマゾンズが大人向け扱いなのは、単に重いストーリーやショッキングな映像が本質的な理由ではない。
かつての平成ライダーを望む、回帰と挑戦を動画配信という形式で目指したから大人向けなのだ。

龍騎の頃がーファイズがーと望んでいた者達が(歓喜で)あたり一面に転がる。
仮面ライダーを愛し続けた大人がいたから世界は閉じずに広がった。

こうして過去作すら拾い上げ人気を獲得し続けることで、平成ライダーは遂に令和ライダーへと繋がっていく。
だからこそ私は断言しよう。仮面ライダーは『今の子供達』だけに向けた作品ではない。
『かつての子供達』が仮面ライダーを愛し続けることで、『次の子供達』に夢と希望を与えられるのだ。

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