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仮面ライダージオウ 37話『2019:カブトにえらばれしもの』
ゼミ生の皆様こんにちは、語屋アヤ(@ridertwsibu)です。
今回はカブト編の後編でした。
カブト編を観終えた後の印象で強かったのは、脚本の毛利氏がカブトっぽさを出すのに相当苦しんだのではないかなあということ。
前回のキバ編はキバを知らない人は楽しみにくい話だったのですが、今回のカブトは詳しい人程設定の乖離に苦しむ羽目になる感じ。
ただ、パッと見た感じのカブトらしさは濃かったので、キバ編程ではなかったのですが、ネットでは賛否両論が目立ちました。
その最たるものが加賀美がカブトゼクターに選ばれての変身でしょう。
ただ私は、加賀美が変身すること自体はそこまで違和感や無理は感じませんでした。
ライダーキックが天道の時より雑になっているなど動きの変化も観ていて楽しかったです。
この辺りの解釈は今回の考察でも書いてみようかと。
そして兄貴と影山の関係は、予想考察でも救済は難しいだろうと書きましたが、やはり切ない結果に。
ただ擬態影山の最期については、ある意味カブト本編を意識した、視聴者に任せるような流れだったなと。
私は擬態影山はワームではあったけれど、やはり同時に影山でもあったのだ。という解釈を推す所存です。
他にもカブト編とか関係なく士パートはちゃんと本編ディケイドの設定に忠実でしたね。ここだけは妙な安心感がありました。
ではでは、今回も感想を書いていきましょう。
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カブト編におけるカブトらしさの作り方とは?
仮面ライダーカブトの設定は、他の平成仮面ライダーに比べても、派手な上に複雑で難しいものが多い。
これらはカブト本編ですら上手く使いこなせているとは言い難い部分はあった。
しかもカブト編は他のライダーよりも原作世界を強く寄せている構成だ。
特にクロックアップなんて、まともに扱えばジオウ達の中でまともに対応できるのは、それこそゲイツリバイブぐらいなものだろう。
結果としてカブト編は表面的な派手さを意識して汲み上げた。
それがフェイントをかけるOP演出であり、クロックアップ戦術とそれに対抗するジオウ達の戦略。
そして地獄兄弟という、ある意味主人公に並ぶ程に『仮面ライダーカブト』を象徴する存在だった。
加賀美を鎖で縛り、なんとも言えない表情で座って待つ影山のシュールな絵面。
この何かよくわかないけど印象に残るシーンはまさにカブトだ。
本当に『仮面ライダーカブト』らしい強烈なインパクトを感じた。
そういう意味だと、カブト編全体を通した『カブトらしさMVP』は影山だと思う。
外見が変わっても、溢れ出るカブト雰囲気を纏っており、そのまま全力で放ってきていた。
そういう雰囲気とインパクトによる破壊力でのカブト再現は素晴らしい。
半面、付属する細かな設定は意図的に切り捨てている。
今までのライダー編では、原作の設定を堂々と無視することはあまり無かったのだが、カブト編ではそれが散見されていた。
後半ではクロックアップ後を主観とした演出も取り入れた。
これは私がとても望んでいたカブトらしいクロックアップの在り方だ。
やってくれただけでありがたいので、演出が見たまま低予算なのは仕方ない。
カブト本編でもクロックアップ演出のクオリティ維持は難点だったからね!
コダマスイカウォッチやタカウォッチロイドを駆使した作戦が、クロックアップ一つでひっくり返されてしまう。
クロックアップとはやられた側はまもとに動くことすらできずに全てが終わる。圧倒的な強さを持った能力なのだ。
ただし、これによって致命的な矛盾が明るみになってしまう。
前回解説した通り、ジオウⅡの未来予知ではクロックアップの動きを読むことはできても反撃はできない。
こんなのプロの脚本家がわかってないはずもなく、意図して矛盾を飲み込んで書いたはずだ。
カブト本編でも第一話からクロックアップしたワームをマスクドフォームで倒していたじゃないかという意見はある。
しかしこれは勘違いで、天道はクロックアップ終了のタイミングを見切って戦略的に倒しているのだ。
またキャラの再現性でも引っかかる部分はあった。
こちらも前回の感想で触れた矢車のセリフ問題だ。
後半は矢車の出番が相対的に増えており、この違和感もより顕著になっている。
矢車はカブトでも特にアクが強いキャラクターで動かすのは難易度が高い。
結果としてセリフの再現性が『矢車語録』みたいなものに頼りすぎな印象だった。
いやあ、カブト本編でも矢車兄貴もうちょっと流暢に会話してたよ、みたいな。
しかし演技については完璧。
あえて少ない台詞を利用したような、異常な執着と狂気が漏れ出していた。
ある意味カブト本編よりイッてしまっている人物になっており、影山をもう一度失った後の台詞が重く響く。
色々と不満は語ったけれど、今回もジオウが最初から掲げている『レジェンドから逃げない』姿勢は守った。
本人がいなくても加賀美はしっかりと天道について触れており、東京タワーを背景にして王になるとまでは言わなかったと笑うシーンは、二人の友情を連想させてファンを歓喜させるのに十分なレジェンド的演出だ。
なので、レジェンドだけじゃなく設定から逃げないで欲しかったというのが素直な感想である。
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笑えよ……誰か俺を、笑ってくれよ
矢車兄貴が影山を再び失い去っていく時、視聴者の心は大体一つになった。笑えねえよ!
矢車が人類が滅びるより影山を選んだ時点で、もうこうなるしかないことは予想できていた。
しかし兄貴の最期があまりに痛ましい。
ライダータイムの龍騎並に、全てを受け入れこのまま生きていくしかない落とし方だ。
かつてネイティブとなった影山を自分の手で終わらせた矢車の言葉を聞いて、ソウゴを信じてきた自分と重ねたゲイツ。
一度は信じて矢車に任せようとしたけれど、矢車は弟をもう一度失うことに耐えられなかった。
結局ゲイツが擬態影山を倒し決着を付けた。
結果的に矢車の決意は嘘だったけれど、それも含めて何度もソウゴを倒そうとしてできなかったゲイツには糾弾できない。
だから、笑ってくれよと絶望する矢車に謝って、去っていく姿を見送ることしかできかなった。
クイーン・マンホールがトドメ刺されたときより遥かに重くてキツイ……。
原作を無理に踏襲した台詞も目立つ矢車だったが、この時の台詞は刺さった。
矢車はもうこう言うしかない。
弟のために人類を絶滅させる覚悟で必死に守ろうとした。
それが悪だとわかっても、たとえ騙されているのだとしても、孤独を埋めるために擬態影山を守るしかなかったのだから。
道化だと笑ってもらえた方がまだ楽になれるだろう。
その必死さが周囲に伝わっていたがために、罰されることもなくまた独りで生き残り、独りで地獄を彷徨わなければならない
最後に兄なんかじゃないと冷たく突き放して擬態影山は消滅した。
額面通りに受け取るのなら、本当に擬態影山は記憶だけを持った冷酷なワームだ。
しかし、見方を変えれば擬態影山の行動は180度変わる。
擬態影山は本当にただ矢車を利用しようとしていただけなのだろうか?
矢車が地球を滅ぼす気かと問われた時、騙すこともなくハッキリその通りだと答えて、「兄貴は反対かい?」とごく普通な空気で問うていた。
それを迷わずオッケーと答えちゃう矢車もヤバイが、本当に騙して利用するつもりだったのなら、もっと言いくるめるような話し方をするべきだろう。
矢車が離反したら自分を守るものがいなくなり、クロックアップがあってもキックホッパーとガタック両方相手取るハメになるのだ。
そもそも影山は策を練る時は小賢しい手を好んで使う。
ソウゴに矢車を助けたいと演技をして加賀美を引っ張り出した手法がまさにその典型例だ。
騙すつもりの割には、矢車に接する擬態影山はかなり自然体だった。
逆に消滅する時は少し芝居がかった言葉で、わざわざワームの姿を晒してから消滅していった。
仲間が全滅して、自分も消える時にああいう言葉を発して消えるかなあという疑問がある。
ぶっちゃけただ利用しているだけだったのなら、ほとんど視界にも入れずに消える方が自然だ。
好きの反対は嫌いではなく無関心だとはよく言ったもの。
擬態影山は矢車に対して本物の思い入れがあった。
だからこそ自分はワームだ。弟ではないと告げて突き放したのではないだろうか。
たとえ少しでも、兄貴が負う心の傷を軽くするために……。
とはいえ、どちらが正解だと確証を得て断言できる程の演出はなかった。
本物の影山も最期のシーンは安らかに眠っているようで、確実に死亡したと言い切れない幕切れだったのを再現したような消え方だ。
下手すると擬態影山にすら、自分の取った行動の真意はわからない。
ワームをただの害虫として処理できない最大の理由。
人間の記憶を持っているが故に、時にワーム本人ですらどうあがいても割り切れない部分が出てくる。
これだけはカブト本編でも最後まで答えはだせなかった。
正しさなどない、これもまたカブトにおけるワームの本質。
ある意味これこそカブト本編に対する、最もカブトらしい原作再現ではないだろうか。
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加賀美がカブトゼクターに選ばれたのは天道との友情の証
桐谷京介が響鬼に変身した流れから考えれば、加賀美のカブト変身は予定調和ではあった。
そのため、次回予告の段階から加賀美のカブト変身は一話のオマージュとして喜ぶ人と、その流れはないと忌避する人で意見が割れていた。
個人的にはどちらの見解もわかる。
『天道以外がカブトに変身するのは感覚的に受け付けない』的な純粋な感情論はどうしようもないが、設定的に加賀美がカブトに変身するのはいくつかの壁がある。
- 「俺は、俺にしかなれない。でも、これが俺なんだ」
- 天道はどこにいるのか
- カブトゼクターはどこから来たのか
- カブトゼクターの資格者は最初から天道で決まっている
1のセリフはカブトでも人気の高い22話で、加賀美が語った言葉である。
カブトになれなかった加賀美は、それでも自分を貫き磨いてガタックになった。
カブト本編は超人天道が、圧倒的なカリスマと才能でワームと戦っていく物語である。
同時に(特に前半は)一人の青年、加賀美新が仮面ライダーになる物語としても力強く機能している。
これがあるので加賀美がカブトになるのは何か違うんじゃない?
と考えてしまうのはカブトの物語性を考えるとどうしようもなく正しい。
カブトになれなかった青年加賀美が、それでも突っ走ってたどり着いたのがガタックなのだ。
それとも繋がる部分で、ガタックが敗れてカブトが倒す展開は天道だから許されるのである。
カブトが強いのではない。天道がカブトだから強いのだ。
天道が天の道を往き、加賀美は加賀美で自分の道を探して必死についていく。
(前半はどちらかというと、天道が開いた道を全力で加賀美が駆け抜ける感じ)
そういう二人の関係性があるので、加賀美はどれだけ噛ませ犬になっても立ち上がり続ける。
時にその強い意思に天道が引っ張られて、本来他人を必要としない程の完璧超人に、唯一無二の友情が育まれていった。
二人の関係性を崩して加賀美が独り相撲でやっていい展開かといわれると、それは違うよね。と言わざるを得ない。
せめて何かしらの理由でガタックゼクターが使用不能になっている状態で、カブトゼクターがやってくる的な展開にしてほしかった。
そもそも天道どこ行ったという話だけど、まあ、天道なのでどこかの国へ豆腐買いに行ったんじゃない? で済んでしまうのがある意味すごい。
とはいえこれ程の大事件に天道がいないのはやはり不自然だと感じた。
また、天道もいないのにカブトゼクターどこから何故やってきたのか。という疑問も残る。
カブトゼクターは変身者が複数いたザビーと違って天道専用機なので、天道のいない場所にひょっこり現れたことも不自然だ。
考えつく理由として、今回は時空が歪む異常事態が発生している。
天道は時空の歪みに混ざらず、シブヤ隕石で崩壊したままである通常のカブト時空側にいるのかなと。
時空の歪みに気付いた天道が、加賀美の援護としてカブトゼクターを送り込んだ。
カブトゼクターは時空を超える能力を有しているので、歪んだジオウ時空にやってきても不自然はない。
これで2と3の問題は同時に解決する。
残る最後の問題は、加賀美がカブトの資格者になれた理由だ。
カブトゼクターとガタックゼクターは両方父親の計画によって、それぞれ天道と加賀美が資格者として決められていた。
よって、第一話で加賀美がカブトゼクターに振られたのは当然なのである。
逆に言えばカブトゼクターに加賀美が選ばれるのには理由が必要だ。
ただし、これは解釈次第でいくつかの可能性がある。
たとえば、カブトゼクターがカブトウォッチになったのではなく、カブトウォッチがカブトゼクターになった可能性。
響鬼ウォッチで響鬼になれたのだから解釈的にあながち不可能ではないはずだ。
(単純な可能性なら、これが一番ありえそうな気もする)
天道がカブトゼクターを送り込んだのだとしたら、天道が加賀美に力を貸してやってくれと命じたなどもあるだろう。
基本カブトゼクターは天道に忠実なので、命令を聞いてくれたのかもしれない。
もう一つ、ゼクターには自分の意思があるので、システム的な登録事情を超えてカブトゼクターが自分の意思で選んだ可能性。個人的にはこの説であってほしいと思う。
天道はここにいない。
だけど、それでも天道と加賀美の関係は、最初からそういうぬるいものではないのだ。
「同じ道を往くのはただの仲間にすぎない。別々の道を共に立って往けるのは友達だ」
最終話で天道が加賀美に伝えた。おばあちゃんではなく天道自身の言葉だ。
日の光が射した時にカブトゼクターが現れたのは、天道の意思であることのメタファー。
今の加賀美ならカブトゼクターに選ばれる資質があると確信して、天道はその言葉通りに動いた。
そして、友達としての信頼に加賀美は応えてみせた。
加賀美は天道と再会したなら、きっと自分がカブトゼクターに選ばれたことを興奮して語る。
その姿を見て、天道は信じていたからこそ褒めもせず「やはり面白いやつだ」とクールな笑みでその姿を見つめるだろう。
いつもの二人で、いつもの友達として。
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