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【感想・考察】仮面ライダーギーツ×リバイス MOVIEバトルロワイヤル

2022年12月26日

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終わらない戦いと切れない絆

主催者側から垣間見える事情と矜持

本作の黒幕コラスは、過去にデザイアグランプリでゲームマスターだった男だった。
サーカスの団長みたいなイメージの中に、不気味さや狂気を練り込んだような男で、ギロリとは雰囲気がかなり異なる。

デザイアグランプリに対する姿勢もかなり違う。
幸四郎の悪魔を運ばせる、とくに必要性のない一手間を予選として組み込んだり、わざわざ狩崎を洗脳して解説役にしたり。ギロリに比べてゲーム性やエンターテイメント性を重視している。

何よりも誰が勝ち抜くかの結果よりも、ゲーム内容や展開に重きを置く。
コラスの危険性は手段のために結果を求めるタイプであること、『戦争で勝つために戦うのではなく、戦うために戦争を起こす』のだ。

ギロリはあくまで地球の救済を目的としてデザイアグランプリを開催している。
最期まで勝ち残った者は地球を救った勇者であり、偉大な者への正当な報酬として願いを叶える。オール・オア・ナッシングな姿勢ではあるものの、ギブ・アンド・テイクは成り立つ。

ただし、公開後の最新話でキャラ性や展開に大きな齟齬が生じて、ギロリについては完全にパラレルワールド化してしまった感はある。
本作のギロリは英寿を脱落させるためなら不正も厭わない姿勢は変わらずとも、地球を救うという目的や、勝者に願いを叶える意思は崩さない。

ゲームマスターとして正しくデザイアグランプリを運営する。その矜持を示す姿勢が刀を用いたゲームマスター同士の切り合いであり、本作こそがギロリの最後の花道となった。

本編のギロリは人望や信用とかゼロだけど。人望や信用とかゼロだけど!

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レジェンドとして尊重された龍騎たち

近年は改善されてきているが、仮面ライダーのレジェンドに対する扱いは、お世辞にも良いとは言えないものも多かった。
かつてのレジェンドライダーたちが登場しながら、大した出番を与えられずただいるだけ。
それどころかヤラレ役として良いところ無しで終わったパターンもある。
こんな扱いなら出てほしくなかったという声は何度も聞いてきた。

『ビーストライダー』時の王蛇もこの類で、途中大暴れはしたものの、仮面ライダー王蛇としては新作の踏み台に近い扱いを受けていた。

本作では、レジェンド枠になる龍騎組の扱いはかなり慎重だった。
リュウガ・王蛇・ナイトはまずレースの障害として登場して、噛ませ犬どころか参加者を次々と脱落させていく。

実力の示し方も、リュウガは元々高いスペックによる力押し(雑ではなく元々そういう戦い方)。
王蛇は暴力的なスタイルだけでない、残忍で狡猾な戦い方を見せる。
ナイトは歴戦の勇士として風格だった。

性格も勝気&活発な女子二人に対して、ナイトはクールな言動と無駄のない動き。
ジャンヌのライダーキックをガードベントで捌く姿がすごくカッコいい。
(本編でそんな高性能じゃなかっけど……)

一人しか生き残らないバトルロワイヤルの本戦であっても『龍騎』組の強さは安定していた。
常に互角がそれ以上の強さで『ギーツ&リバイス』組を追い詰めていく。

そして実質ラスボスのシーカーとは乱戦状態でしか絡ませておらず、どちらが格上かを比べる状況には持っていかせない。

あえて比較するならば、単体の性能ならシーカーが最強だろう。
けれどそれはギフ細胞によるチート強化を受けてるためで、通常状態では一参加者の枠を出ない。
シーカーをあえてラスボス的な禍々しいデザインにしていないのもここで活きる。

また、シーカー自体の役割は破滅の門建設だった。
途中から一人だけやっているゲームが違い、デザイアロワイヤルからデザイアグランプリに戻った段階で『シカゲーム』と命名を改められてしまう。
(GANTZ作者はともかく、イカゲームは苦笑していいと思うよ!)

この時点でシーカーは実質プレイヤーからラスボスポジションに変化しており、ギフの力はステージギミックになっている。
その上で建造+武器を組み合わせた独自の戦術はカッコよく、独自の個性を見出していた。
バトルロワイヤルでレジェンドライダーを踏み台にしないラスボスポジションとして、非常によく練られている構成だ。

『龍騎』組は最後までバトルロワイヤルをやり抜く。
戦闘は途中で脱落者組が復帰して数で優位になるも、それでようやく拮抗状態。均衡を崩したのはナイトと、最後に現れた龍騎だった。

この時に狩崎が龍騎を、『戦いを止めることを願い続けた正義の仮面ライダー』扱いで紹介したのはモヤる。
ナイトを愛のために戦う戦士と紹介できないのと同様に、シチュエーション的にはそう言わざるを得ない。
ただ『龍騎』のライダー達の多くは私利私欲も含めて願いのために戦った個人の集まり。そこに正義も悪もないが作品としての在り方だった。
『ギーツ』というか昨今の風潮も相まって、蓮はツンデレ的に真司を助けるために戦い、『龍騎』全体の台詞や扱いもややわかりやすい善悪の二元論に寄っている。

浅倉威を評する『人間の皮を被った悪魔』なのは否定のしようがない。それでも誰かが求めており、死んでいい者はいないと描いたのもまた『龍騎』の作品性だった。
そういった微妙なニュアンスをスッパリ切るのはやはり時代だなーと感じてしまう。

それでも『龍騎』というピーキーな作品を令和にアジャストしてコラボさせて、レジェンドたちを踏み台しない拘りには脱帽した。

最終的に『龍騎』組で唯一倒されたライダーはリュウガだけで、それも倒したのは龍騎だ。
仕留めた技も本編での殺傷率100%を誇るファイナルベント。
演出は特別凝っていないけど、だからこそ当時のらしさを感じさせたとも言える。
(ここは『平成ジェネレーションズ FOREVER』の、多角的にドラグレッダーとキックを魅せる演出が良過ぎて、ちょっと舌が肥えてしまった)

メイン三人は嵐のごとく暴れて存在感を示して、ゲームが終了すると最初からそこにいなかったように消える。最初はあまりにアッサリしていて拍子抜けのようにも感じた。

けれど、ミラーワールドという本来存在しないはずの世界で、人知れず戦い続けた彼らに相応しい終わり方だったようにも思うのだ。

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他作品とつながり掘り下げられる重要なキャラ性

本作は各作品のキャラが絡み合うことによって、様々なな側面や性格の掘り下げも多く行われているのが特徴的だった。

『ギーツ』側の一般人にして善人枠の景和に対して、カゲロウは奥に潜む悪魔を探る。すると覗こうとしたカゲロウが驚く程の何かが、そこには潜んでいた。

負の感情から生じるのが悪魔であり、その負が『善』を語る。
正義の暴走なら現実だとシャーデンフロイデや、大二のような悪魔を失って心の均衡が崩れる展開はあった。
しかし、景和はそういう雰囲気とは異なる。本人すら気付いていない内に秘められた何かがそこにあるようだ。

本作内で正体がわからない以上、この要素は今後の展開を見据えて入れた伏線だろう。
二号ライダー同士による関わりでも、かなり珍しい方向での絡み方だった。

逆に純粋な人の良さと善意で関わりを持ったのが城戸真司である。
戦いを止めるために力を使う姿勢は、戦いで犠牲になったすべての人々を救いたい景和の在り方と最も近い。
無欲ではなく、正義感を語るような使命感もなく、二人は純粋に『人がいい』のだ。

戦う目的に共通点があり、かつしっかりとライダーバトルを行ったのがバッファと王者である。
道長はすべてのライダーを倒す力が願いであり、他のライダーすべてを強く敵対視している。
浅倉威は戦いそのものが望みであり、実際に幾人ものライダーを屠ってきた。

仮面ライダーに恨みはあっても、デザイアグランプリでは直接対決が本来はない。
どれだけ強く恨んで倒したいと思っても、実際にその場面に遭遇すると躊躇してしまう。それは倫理観や道徳心。

バッファは背を向ける王蛇に追撃をかける行為に躊躇った。人としての優しさを捨てきれなかったから。
王蛇はむしろ堂々とアドベントで不意打ちをかけて勝利した。そして道長を甘い坊やだと評する。
道長は願いと裏腹に人の心を捨てきれない優しさがあり、王蛇と対峙することで自覚させたのだ。

ナイトと女子二人は、あまり人間的な共通点は見いだせなかった。
ここはもうさくらと祢音が仲良くクレープ食べるところをみて和むところだなと。

しかし、もう一つ対比できるキャラがいる。
彼らは物語上で直接的に絡んでいるわけでは決してない。されど、彼らはそれぞれ別の理由から同じ運命と結末を辿った。

一輝とバイスの契約は、戦いが有りきのものだ。
戦い続けている限り一輝の記憶は消費されていき、彼の日常を破壊していく。
バイスとの別れは日常を取り戻すことだ。

今回の復活理由も同じで、家族を守るための力を欲したから。そして契約は果たされ、バイスは去っていった。

何もない日常の中では、一輝とバイスは共に交わることがない。
けれど一輝は今回の戦いで、バイスとの記憶を覚えていて、それを胸に刻んだまま日常へと帰った。

真司と蓮の出会いと友情もまた、ミラーワールドの戦いで生じたものだ。
そして物語はミラーワールドの戦い終結と共に、二人の記憶は消滅した。
(本編内では蓮だけが記憶を保っている風にも見える。ただしこれは、あくまでそう捉えられるようにイメージして演じただけで、実際は定かじゃない。またジオウの時はスッパリと忘れていた)
戦いを止める願いは、同時にその間に起きた出来事の一切をなかったことにしたからだ。

今回ミラーワールドではない戦いを通じた真司と蓮は、それらを地続きの記憶として維持したままだ。
だけど戦いを終えた二人は、そのまま交わり続けることはなくそれぞれの日常へと戻る。
終わらない戦いこそが二人をつなぎ、平和が訪れるとまたつながりを失う。

最高の相棒として、大事な家族として、一輝はバイスとの思い出を抱いて生きていく。

真司と蓮は憎まれ口を叩きながら、幾度目かの別れを惜しむような素振りは見せず、互いに背を向けて歩きだす。その顔には静かな微笑を浮かべて……。

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