前書き:懐かしくて新しい多人数ライダー
ゼミ生の皆様こんにちは、語屋アヤ(@ridertwsibu)です。
平成ライダーから令和ライダーに移り変わって早四作目。
最初は令和ライダーと言っても平成ライダーと地続きで、明確に変わったのは一号ライダーが高岩成二氏じゃなくなったことくらいでした。
しかし平成ライダー一期と二期で違う側面を持ったように、四作目ともなれば令和ライダーとしての独自性やカラーみたいなものを感じ始めつつあります。
とりわけ顕著なのがライダーの多人数化です。
リバイスまでで明確に多人数ライダーを打ち出したのはセイバーだけですが、ゼロワンとリバイスも終わってみれば十分過ぎる程に多人数。
人気の出たキャラがライダー化する展開は過去にもありましたが、ここまで積極的にライダーを増やしていくスタンスは、令和ライダーで固まった感があると思います。
ライダーベルトも共有化して変身アイテムが異なるタイプだけじゃなく、それぞれに固有のベルトを使うことが増えました。
そういった『令和ライダー式の多人数ライダー構成』が固まってきた中で発表されたのが仮面ライダーギーツ。今回は生き残りゲームを打ち出しており、最初から多人数ライダー方式は確定しておりました。
これまでとの違いは、ストレートにライダー同士のサバイバルゲーム路線にしたことでしょう。
セイバーが共闘方式になったように、基本的に多人数化しても『最後は皆で一丸になって巨悪に立ち向かうぞ!』の方向性が強いことも、令和ライダーの特性と言えるでしょう。
明確にライダー同士で争い脱落者が出ると明言されたのは、これまでの流れに逆らいつつ、過去ライダーへの回帰でもあります。
本作のプロデューサーは武部Pで、白倉Pの作品にチーフプロデューサーとして多数参加していることで有名です。
直近ではゼンカイジャーにも関わっておられました。
(ギーツの担当が決定した時点で離脱)
そして白倉Pと言えば、平成ライダー一期の大部分でプロデューサー(一部サブプロデューサー)を担当しており、平成ライダーの基盤を築いたことで有名ですね。
最近ではゼンカイジャーとドンブラザーズで、今度はスーパー戦隊側を新たに構築し直している、東映特撮の超重要人物です。
武部Pは最も濃く白倉Pの作品観を引き継いでおり、平成二期の中でも仮面ライダー鎧武ではあえて平成ライダー初期のオマージュを強く押し出していました。
また、令和ライダーではだいたいこの時期に強化と新展開、暴走形態とそれを制御する多段式……と言ったような展開と強化パーツ等の固定化も強まってきています。
そういうパターン化が著しい仮面ライダーのノリを破壊するのに、うってつけの人物と言えるでしょう。
実際、序盤からかなり懐かしい要素がオンパレードで、逆に新しさを感じてしまう程です。
今回は第一話の黎明Fと邂逅編を元に、シリーズの変化とギーツという物語の特質を解説・考察していこうと思います。
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仮面ライダー像のパターン化を解消する
明るく楽しい、王道な正義のヒーローという懐古主義
人間とは常に新しいものを求めながらも、固定化された観念を尊ぶ、矛盾した感性を持っていると思う。
仮面ライダーであれば『明るく楽しくて、日本を代表する正義の王道ヒーロー』という観念である。
ファンの中では、仮面ライダーは枠に囚われない自由さを唱える者もいるが、『やっぱりヒーローはこうあるべき』のべき論もかなり多い。
その根底には『子供が観る番組なのだからごちゃごちゃ言うな』の風習が強いのを、SNSではかなり強く感じるのだ。
この手の話を聞く度に、君達は何を言っているのだと思ってしまう。
仮面ライダーはたしかに子供をメインの視聴層とした特撮ヒーローである。それは疑いようのない事実だ。
しかし、凝り固まった子供向け論と、作品としての面白さはまったくの別問題だと、あえてここは断言したい。
平成ライダーは元々、古いヒーロー像から脱却することで人気を確立してきたシリーズである。
長らく枠に囚われない自由さが強調されてきたものの、11作目のWは正義の王道ヒーローになる。
むしろ仮面ライダーでの王道ヒーロー性が、当時では珍しく新鮮さがあった。
その後は、東日本大震災やコロナ禍の影響が番組にも如実に反映されることが増えていく。
つらい現実と地続きなリアリティさよりも、王道のヒーロー像や明るく楽しい娯楽性が重視されるようになった。
つまり仮面ライダーの王道ヒーロー像は、時代の流れで求められた要素である。
そうした事情を無視して『ヒーローだ子供向けなのだから』と当たり前に語るのは、機動戦士ガンダムシリーズに対して「アナザーガンダムはガンダムじゃない」とか「ガンダムでやる必要はない」という行為に近しいと思う。
また、王道展開は作品の幅を狭めてパターン化しやすい要因にもなってしまう。
ワンパターンを嫌うのと、必要以上にヒーローとしての王道を重視する姿勢は矛盾するのだ。
現在放送中のドンブラザーズはどうだ。
きちんと視聴した者なら、かの作品を『お子様も安心して視聴できる王道の特撮ヒーロー』だとはとても言えないだろう。
むしろ王道のスーパー戦隊ヒーロー増に対して、積極的に泥を投げまくる姿勢だ。
ヒーローなんてね、仮面ライダーに任せておけばいいのよ!
しかしTwitterでは当たり前に毎週関連ワードがいくつもトレンド入りしており、まさしく熱狂的な人気で現在も駆け抜けている。
ずっと低迷していた売上まで回復させてみせたのだ。名実ともに大成功作品である。
無論、子供向けを意識している要素もキチンとある。
子供が見てワクワクできる要素は大事だ。大人視点に振りすぎた物語性だと子供にウケないのは響鬼が証明した。(大人には人気高かったけどね!)
シナリオや世界観については、ギーツでもキチンと物語としての旨味部分や世界観も子供の視点を意識していると思う。
ただ、大人の視点と子供の視点の切り分け方は、視聴者が考えるものとは多分違う。
ドンブラザーズだって、一見子供を置いてきぼりにしているように見えても、きちんと子供の目線に立てているから人気と売上を両立できている。
加えて、子供に対する作品意識は、物語展開よりも玩具そのものに強く振られている要素でもある。
音楽や音声、そして子供が遊びやすいサイズ感……等など、多岐に渡る工夫が凝らされている。
(デザイアドライバーはもっと小さくする予定だったが、バックル等の兼ね合いでこのサイズになったそうな)
この子供向けへの配慮と、作品としての面白さに対するバランス感は、本作では特に重要な要素であると思うのだ。
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ギーツによる自由さへの帰属
ギーツもまた、王道のヒーロー像に対して脱却を図ろうとする試みは随所から伝わってくる。
まず基本的な舞台設定からして、明るく楽しいとか付けようがない、脱落式のサバイバルゲームだ。
協力よりも蹴落とし合いがスタンダードとなる。
前書きでも触れたけれど、同じ令和の多人数ライダーでも、セイバーは聖剣に選ばれし者達が協力し合う物語だった。
一般人がサバイバルゲームに挑んでたった一人の勝者を決めるギーツとは対極に位置する。
とはいえ、龍騎のような参加者同士が戦うデスゲームとも趣は異なる形態だ。この辺りはまた後程しっかりと解説する。
今回は特に、『仮面ライダーは正義のヒーローである』ことに対して、強く反骨精神を燃やしてきた。
本作における仮面ライダーの定義はあくまでゲームの参加者であり、プレイヤーが変身した姿以上の意味はない。
人類の自由と平和を守る戦士ではあるものの、そこにヒーローとしての正しい姿は微塵も求められていない。
昨今は悪意を持って行動する仮面ライダーを『悪のライダー』等と呼ぶようになったが、デザイアグランプリのライダー達に善悪の二元論はなく、あるのは優勝を目指して戦う姿勢のみだ。
ちなみに悪のライダーという存在を明確に言語化したのは、私が知る限り『昭和ライダーVS平成ライダー』の本郷猛だ。要はショッカーライダーに近い扱いである。
なお、少なくとも本作の本郷はかなり昭和寄りの価値観で動いているので、仮面ライダーに善悪を付けるのも本来は昭和時代寄りの価値観だと思う。
つまり、仮面ライダーギーツは、平成一期時代には明確にあった、ライダーに対する多様性の揺り戻しをかなり強めにかけてきているのだ。
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新しい協力と敵対の在り方
ライダー同士で協力し合うライダーが『仮面ライダーセイバー』ならば、その対極に位置するのはライダー同士のバトルロイヤルで有名な『仮面ライダー龍騎』だろう。
『仮面ライダーギーツ』は競い合いという意味では龍騎色が強く、けれども戦う相手は同じライダーではなく怪人サイドだ。新しい形式での競い合いを展開している。
王道的な正義のヒーローを望む人には受け入れ難く、同時にバチバチのライダーバトルを期待して観ると肩透かしは避けられないだろう。
ただし、プレイヤー同士が競い合い勝利条件を目指すタイプの作品は一定の需要があるジャンルなので、狭い所を狙いにいったわけでもない。むしろ龍騎程のシビアさはないので観やすいという人もは多いかもしれない。
反面どうしてもヌルさは感じてしまう。
スタッフのインタビュー等を読む限りは、脱落有りの競い合いに対する緊張感を出しつつ、殺伐とし過ぎない物語性の両立を目指しているようには感じられた。
けれど、現状の結果としては後者が強めだ。緊張感もなくはないけど、意図していた程のインパクトを出せているとは思えない。
だから駄作かと問われると、そんなことはない。
世界観と設定については、懐かしさもありながら今時の要素をしっかりと使っており、歴代ライダーと被らずにしっかりと独自の世界観を築けている。
ライダー同士の競い合いだと、龍騎や鎧武等の人気作でかつ濃い競合がいる。ゲーム的な要素で言えばエグゼイドもある。
それらのいずれとも異なる『ギーツの世界』として見るならば、これは素直に期待以上に出来だった。
問題点としては、世界観と緊張感のある展開が相反する形でぶつかってしまっている感があることだ。
この詳細については本記事の後半で詳しく掘り下げていく。
序盤の評価で言うならば、これまでの王道のライダー像に飽きた人にはオススメ。
ただし、生き残りゲームというインパクトの強い字面に期待し過ぎるとヌルく感じてしまうかもしれない。
どちらかと言うと、バトルゲームの世界観を楽しむタイプの作品だ。
ただ不穏な雰囲気も時折見せており、何より邂逅編は一シーズンを使って詳しくゲームの説明をする、チュートリアルのような要素も強かった。
それだけにまだまだ化ける可能性も秘めている作品だ。
【次ページ:ゲーム制を活かしたギーツ独自のサバイバル世界】
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