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スーパーヒーロー戦記 歴代集合作品から繙く進化の流れ【考察・感想】

2021年7月24日

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スーパーヒーロー戦記の新しいお祭り紋切型

結論から述べると、スーパーヒーロー戦記は、私の期待を裏切らない良作だった。
しかし同時に、『FOREVER』や『Over Quartzer』のような期待をむしろ大きく上回る衝撃はあまりなかった。
全く無かったと言えば嘘になるが、少なくともそれは集合作品とは別ベクトルでの驚きだったので、そちらは次の機会に思う存分語るつもりだ。

集合系作品としては、良い意味でも悪い意味でも集合系。
こう言ってしまうと微妙な作品扱いに取られてしまうかもしれないが、賛否でいうなら確実に賛の方が強い。
スーパーヒーロー戦記は面白い集合系作品のフォーマットを確立したと思えるからだ。

『レッツゴー仮面ライダー』がディケイドを土台にして集合系の紋切型を作ったように、スーパーヒーロー戦記はジオウを土台にして集合系の紋切型をニューバージョンに更新した。

ディケイドとジオウにおけるお祭りモノ性の違いは、メタフィクション性がテーマにわかりやすく繋がっていることだと私は考える。
ディケイドは作品としてやりたいことは、そっくりそのままお祭りモノに特化しており、しごく明確でハッキリしていた。
だがディケイドとしてのテーマ性はむしろわかりにくい。

完結編でディケイドには物語がないとハッキリ言われているが、これメタ視点での台詞なので本当にその通りだ。
ディケイドは過去作コンテンツの再利用が目的のため、ディケイドそのものに対するストーリー性はかなり薄い。
完結編は物語性がないことを暴露して、逆説的にディケイドへ中身を与えるための作品だったと言っていい。

対してジオウは最初からジオウ特有の物語を持っていた。
ストーリーがあることで、お祭りモノを除いた作品単体としても何がしたいのかも見えやすい。

ジオウはそういう作品本来のテーマ性と、集合映画として描きたいメタフィクションを上手く絡めていた。
例えば『FOREVER』はジオウにおけるライダーの歴史という観点を、『仮面ライダーは視聴者の想い出が生む』と『仮面ライダーはいる』という部分に重ねて表現している。

本作でもこれは同様だ。
創作の苦しさや、何のために物語が存在するのか。その意義を、作家としての飛羽真を通して考え、視聴者に伝えようとしている。

ディケイドや『レッツゴー仮面ライダー』時代に比べて、こういうメタフィクション構造を利用したテーマ性の描き方は本当に上手くなっていると思う。

同時にメタフィクション感を強くし過ぎて、合わない人間には全く合わなくなってしまった。
私はこういう系の話は大好きなのでいいぞもっとやれ派だけどネ!

悪い意味でも集合系映画というのは、やはり従来どおりにストーリー性は薄かった。
敵に目的はあっても動機がなくて、悪者だから悪いことをしている以上の印象はない。

また、仮面ライダーとスーパー戦隊の合同作品なので当然と言えば当然なのだが、どちらかだけの集合作品よりも演出面でまとまりの悪い部分があった。

例えば『Over Quartzer』でも使用していたロゴネタをやっている
今回、スーパー戦隊側はほとんどレッドだけなので、常に様々なキャラが入り乱れる乱闘になると見分けが難しい。
また、どちらかのシリーズにしか詳しくない人も判別は難しくなる。そこであえて画面を引いてロゴで存在感を出す。どこに誰がいるのかを記号化してしまう手法は面白い。

しかしながら、仮面ライダーのみだった頃に比べて、ロゴに統一性が欠けるのでとっ散らかっている印象があり、画として収まりが微妙になっていた。
これはセイバーの個別キャラにエンブレムを使用していたことで、更にまとまりの悪さを加速させている。
良く言えばワチャワチャしてて面白いとも感じはするのだが、同時にゴチャゴチャしていて手抜きな印象も与えてしまう。カオスな空間にも、画として収めるセンスが必須なのだ。

また、巨大ロボット戦になるとライダー側が空気で、いてもいなくてもあまり変わらない存在になる。
逆に一番盛り上がるシーンはほとんどセイバーの独壇場だった。
これは夏映画枠で考えると、セイバー側は元々尺が長くドラマ性が重視される。
そのドラマパートとしてセイバーにスポットを当てて、バランスを取っているのだろう。

そうなるとロボット戦はスーパー戦隊の見せ場だ。ここはライダーの活躍がないのは理解できる。
また、ここでも流石にセイバーだけは特別扱いされてはいた。

それでも、最後の揃ってライダーキックの演出が、巨大ロボット達に比べてショボ過ぎるのはどうしても気になってしまう。
というのも、オールライダー攻撃は歴代の集合映画でもかなり派手に描かれてきたので、過去の記憶から引っ張ってきても威力に釣り合いが取れない。
ここ最後のトドメなのだから、ライダー全員でロボット一体分くらいの演出はですね……。
(セイバーは一人でロボット級の演出されていた。タマシーコンボを思い出す)

これらは純粋に重ねてきた試行回数の問題という気はする。
純粋な集合映画はもうかなりの数になるが、双方の集合系は今回で四本目。また、スーパーヒーロー大戦時代とはストーリーの趣向や演出も大きく変えてきている。
両作品に対するバランス感覚はこれから洗練されていくことを期待したい。

ラウダー大戦シリーズとの違いは、ライダーと戦隊が最初から争わず協力し合う。一部のキャラを際立たせるために過去作が犠牲にならない

レジェンド作品が頼りになる仲間として駆けつけて美味しいところ持っていく安心感。あ、これ初期型プリキュアの集合系フォーマットでは……?
(出番は少ない中でも、存在感はハンパないキュアブラック&キュアホワイトみたいな)
これだけで観ている側のストレスがかなり軽減されるのだとよくわかる構成だった。

文字通り一つの戦記モノとして新たなライダー&戦隊の集合フォーマットを創造したのだ。
仮面ライダーとスーパー戦隊の歴史はこれからも続いていく。
それは集合系映画が今後も生み出されるということでもある。

最初は賛否両論から始まり否定的な意見も多かった集合系シリーズだが、時代を重ねていく毎に評価は前向きなものが増えていった
一見同じように見えても、少しずつ形や在り方は変わっていく。
ディケイドやジオウ、ゴーカイジャーなどがそうであったように、振り返ってみればゼンカイジャーやスーパーヒーロー戦記が新たな時代のターニングポイントになっていた――そんな未来を夢想している。

(スーパーヒーロー戦記ストーリー側の感想は現在執筆中)
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