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【仮面ライダーゼロワン】6話 感想 声優ヒューマギアは初音ミクの未来の姿!

2019年10月7日

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仮面ライダーゼロワン 6話『アナタの声を聞きたい

ゼミ生の皆様こんにちは、語屋アヤ(@ridertwsibu)です。

今回の脚本も引き続き筧昌也氏でした。
漫画家編に引き続き声優編です。
内容的には声優要素よりも家族愛がメインに据えられていましたけど。

声優とアニメについては、何故か本編よりも仮面ライダーポータルサイトの方がちょっと尋常じゃないレベルで掘り下げていました。

今回の映画版は、TVアニメも既に放送済みの「冥界探偵編」を改めて映画版として新作したもの、という風に設定しています。
せっかくなので細かいことを申し上げますが、冥界探偵編は石墨先生が本当は「パフューマン剣」の次回作のために温めていた探偵もののネタでしたが、あまりにも人気が出たため、当初のラスボスであった魔王を倒したあとに作られた番外編的なエピソードです。しかし、それが逆に斬新な発想の転換として受け止められ、ファンの間でも伝説的な名エピソードとして語られるうち、今回の単独映画化へと繋がったわけです。

パヒューマン剣、前回映った時はかなりの長期連載でしたが、公式の設定でちゃんと全巻分の設定があるそうです。
最後らへんにはしれっとシロバコネタまで仕込まれていました。公式がフリーダム過ぎる。

今回は新ライダー、仮面ライダー迅に加えて、バルキリーの新フォームまで登場。
バスガイド編並に話が敷き詰まっていたなあという印象でした。

今回はAIと親子愛だけじゃなく、本編ではあまり掘り下げられなかった声優とヒューマギアの親和性と、現代技術との関連性についても語ってみたいなと思います。
では、今週も感想と考察を始めていきましょう。

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ゼロワンとエグゼイド設定の類似と相違

第一話から何度か触れているが、ゼロワンとエグゼイドには設定の類似点が多い
ここは最初に設定をまとめあげた脚本家が同じ高橋悠也氏であることが強い影響を与えているだろう。
そして話が進むにつれ、逆に相違点についても段々と浮き彫りになってきた。

まずはプログライズキー関連だ。
今回、迅はこれまで或人が所有していたフライングファルコンのキーで変身した。
また、本編では未登場だが、設定ではパンチングコングのキーでフォームチェンジしたゼロワンも用意されている。

ゲーマドライバーは対応するゲームによって変身ライダーが決定し、フォームチェンジも組み合わせが存在していた。
けれど、一人の変身者が別ライダーになることは基本的になく、フォームチェンジについてもこの設定が本編で発揮したのはごく一部のみで、実質変身ライダーとフォームチェンジは変身者ごとの固定感が強い

今回は明確にプログライズキーの所持者移動が起きた。
今後もキーの入れ替えやそれによるフォームチェンジのバリエーションが増えるのは、視聴者側からすると新鮮さのある展開だ。
明確な強化フォームが登場しだすと玩具宣伝の事情からこの観念は崩れやすくなるため、今のうちにとっかえひっかえやってくれたら嬉しいなと。

プログライズキーではもう一つ、ライトニングホーネットが登場した。
出力はなんとラッシングチーターの二倍である。
フォームチェンジというか、普通に強化形態みたいな性能差では。


パンチングコングがヤバいアイテムやつ扱いだったのも性能向上による負荷とかそういうものだろう。
ただどちらも普通に使いこなしているので、あまりそういう実感は沸いてこない。

これはエグゼイドでいうとっころのレベルシステムなのだろう。
エグゼイドではわかりやすくレベルアップによる性能向上ギミックを導入した。
基がバグスターウイルスなので、レベルアップすると肉体的な負荷も上がる。所謂使いこなせない状況にも陥った。
(ドラゴナイトハンターやレベル50、クロノス等がこれにあたる)

ゼロワンでは設定だけで数値を語り、実際の負荷が目に見えないため、違和感が出てしまっている印象だ。
昨今のライダーは中間の強化フォームが増えて、ただでさえ性能インフレが激しい。

そもそもラッシングチーターは今回でまだ三回しか戦闘していない。
無理に最初からインフレさせなくても、特質差によるフォームチェンジと割り切れば良いのでは?
なお、個人的にライトニングホーネットのデザインはすごく好き。
蜂ライダーはどれもデザインがツボに突き刺さる(蜂だけに)。

前回匂わせた迅のヒューマギア疑惑は実にアッサリ明かされた。
気になるのは耳を見せなかったこと、そして滅亡迅雷フォースライザーだ。

耳のパーツは本編だとヒューマギアを表す記号の一つとして機能している。
それをここではあえて見せずにスルーした。

まだ隠している、ということは耳のパーツが人間と同じか、普通とは違う形状なのを隠している可能性もあるだろう。
そしてもう一人、滅も耳を隠している。
ただ滅だとヒューマギア型の耳だと普通に浮き出て丸わかりになってしまう。
もし、迅の耳が通常と異なり小型なのだとしたら、それは滅もヒューマギアなのを隠すギミックになり得るのだ。

そして滅亡迅雷フォースライザー。
なんと滅亡迅雷.netに接続式である。
基本的にフォースライザーは滅も迅の二人が使用する。

ただし迅のフォースライザーは後期開発されたものでカスタムされているため、仮面ライダー滅も滅亡迅雷.netに接続するとは限らない。
滅も同じくヒューマギアか、それとも人間なのか。まだどちらにも転ぶ状況ではある。

ただまあ、マシンがマシンを組み立てることは現代でもある話が、AIがAIを生み出して親を名乗るというのは中々に面白い展開じゃないだろうか。

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ヒューマギアとの親子愛は人形遊び

声優会社の社長多澤は、三年前に亡くなった娘とそっくりなヒューマギアを作った。
ゼロワン世界では『本人に無許可で酷似した容姿のヒューマギアを作成、使用してはならない』法律があるため違法行為だ。

そりゃあ色んな犯罪の温床になるのでアウトだろう。
今回は血の繋がった親子なので視聴者的には情状酌量の余地は感じるが、見ず知らずのストーカーがストーキング相手そっくりのヒューマギアを作ることだってあり得る。

風俗店で芸能人とそっくりなヒューマギアに仕事をさせるなんてこともできてしまう。肖像権的に完全NGだ。
ただ他人の空似や、どこまで似ているとダメなのか等、現実的には法整備がとても難しい案件でもある。

情状酌量の余地はあると言ったものの、娘にそっくりなヒューマギアを作って、二人きりの時はパパと呼ばせていた。この事実は他人的の視点だと、かなり痛々しい気持ちになる。
つまるところ多澤は娘と同じ姿のヒューマギアを、娘のように愛していた。

ただし、本当の娘として想っていたのか、と考えるといささか怪しいものだ。
少なくとも多澤にとって声優ヒューマギア・セイネは娘の代替品であって、セイネがセイネだから愛していたわけではない。
多澤は娘の死が受け止めきれず、娘の代わりになるものを欲していた。
要は娘の代わりとして愛しているのである。

或人も幼くして親を失い、ヒューマギアを親代わりに慕っていた。
二組の関係は似ているようで決して同じではない。

幼い時代の或人は、父親代わりの存在がヒューマギアであることを正しく認識しているかどうかは怪しげだ。
法に則っているなら、父親ギアは対面するまで容姿も知らない男性だったろう。
それでも或人は父親ヒューマギアを父親として慕っていた。

子供は空想の友達としてイマジナリーフレンドを生み出したり、ぬいぐるみを友人や家族として扱うこともある。
近年実際に起っている事象として、親が音声認識するアレクサに話しかけていると、子供も真似して話しかけるようになる。
それも子供は大人と違い、まるで本当の家族みたいな感じで声をかけるのだ。彼らにとってアレクサは道具ではなく家族の一員なのである。

本当に存在しないものを存在しているように捉えて愛情を注ぐ。それらは一種の人形遊び。
連想とは未熟な一体感なのである。
ヒューマギアはそこで明確な受け答えをするので、或人にとっては本物の父親として成立した。

だが多澤は年を重ねた、現実と空想の区別が付く大人だ。
人は大人になると子供の時みたいに、上手く連想できなくなる。
そのために多澤にはよりリアルに連想するための媒介を欲した。

そのためパパと呼ぶよう自分と娘の記憶をラーニングさせたり、娘が過去に目指していた声優の仕事を与えている。
時間をかければ少しずつ現実と空想の境界が混ざりだしていくだろう。
けれどそれらは全てラーニングによるものであり、その工程がある時点でそれは自覚あるお人形遊びなのだ。

最終的に娘の姿をしたヒューマギアと暮らせなくなった多澤は、娘本体ではなく声だけをかけられる簡易なAIでも幸せそうにしていた。
声だけでも心の支えになるのなら、それはやはりヒューマギアを娘のように愛していたのではなく、ヒューマギアを娘と見立てて愛していた証左なのだ。
所詮はセイネという存在を媒体に、記憶の中にある娘を投影していたに過ぎない。

なら子供のように愛されていたセイネはどうだったのだろう?
セイネはシンギュラリティによって自我が目覚めていた。

彼女に芽生えた自我とは何だったのかと考えれば、それは娘の記憶そのものだ。
故障による影響ももちろんあるだろう。けれど、意図して娘としての記憶が集中して再生されるのは、それがセイネの『心』に強く結びついているからだと考えられる。

最後の「天国で会おうね」も、恐らくは本物の娘が最期に残した言葉なのだろう。
セイネの言葉は、多澤にとってはどこまで行っても連想のための媒体。
セイネへの愛は、未だに写真が飾られたままである本物の娘への愛。

人形は親に愛され、人形のまま本物の娘になった。

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声優ヒューマギアは初音ミクの未来

今回登場したのは声優のヒューマギアだ。
漫画編ときて次にアニメ声優。
しかも前回からチラ見せだったので期待も大きかった……のだが、残念ながら漫画編に比べると職業紹介側は掘り下げられなかった。

声優やアニメネタだけでなくライトニングホーネット登場までの流れも大分アッサリ風味で、親子愛の方にかなり尺を取られてしまった感はある。
迅すら一話の中で無邪気さから一転して親子にについて悩み、自我が目覚めかけたところをリセットという流れを一話でやりきってしまったので、中々に突貫気味な流れだった。
二話構成の前後編にすれば、声優側や迅の話ももう少し段階的にできたろうことを考えると、これ普通に二話分の尺でも良かったのでは? とバスガイド編に引き続き思う内容量だった。

実際、声優ヒューマギアは掘り下げれば掘り下げる程、面白い考察がかなりできるネタである。
例えば前回の漫画編だと、ヒューマギアに漫画の技能をラーニングさせているという設定があった。

そして、今回のセイネだと普段の言葉は他のヒューマギアと同じく棒読み気味だが、演技になると途端に見事な演技力を発揮する。
しかも一人で男性やリアルな動物の声まで使いこなす。
これは必要な演技力や声の種類の増加はラーニングによって覚え込ませている可能性は十分にあるだろう。

棒読みがラーニング次第で素晴らしい演技力にまで発展していく。
我々はこれによく似た現象をよく知っている。
初音ミクを代表とするVOCALOID達だ。
亜種として、それこそ会話をメインとするVOICEROIDも現在では多数発売されている。

ラーニングというワードを、VOCALOIDらしく調教と言い換えればわかりやすいだろう。
持ち主の多澤はセイネを娘のように扱っていることから、ラーニングはほとんど自分でやっていると考える方が自然だ。
つまりセイネはある種、社長の多澤が直接育て生み出した声優なのである。
通常は声優学校など育成機関ですることを、売り出す側が全部やっていると考えれば新たな角度の事実が見えてくるだろう。

声優とは演技力ではなく、如何にヒューマギアを上手くラーニングさせてプロデュースするかが評価される時代がやってくる。
セイネが売れだしていたことからも、これは半ば実証されたも同然だった。

世界観的にヒューマギアは世間に浸透してこそいるが、PCのように一家に一台みたいな普及には達していない。
これがもっと安価に開発されるようになって広く流通すると、今度はヒューマギアをプロデュースする個人が雇われたり、自分でオーディションに応募して仕事を取る者も現れる。

容姿まで自由に決定できるヒューマギアは、もはや存在そのものがアイドル声優でもあることもポイントが高い。
つまるところ声優ヒューマギアはリアルに立体化されたVOCALOIDとも言える。ある意味オタクにとって夢みたいな存在だ。

これはもう声優業界の在り方が一変する事態だ。つうか人間の声優マジ滅亡迅雷しかねない。
ちなみに、そうなると夢を諦めきれない声優達はどこに向かうかと言うと、多分バ美肉に走る

ヒューマギアのほとんどは心がない。
行動は基本的にプログラムに沿ったものであるため、フリートークやアドリブは不得手になる。
容姿で負けて声質でも敵わない人間は、人の姿を捨てながら人間らしい人格の多様性でVTuberとなって生き残りを狙う。
首尾よくブレイクすれば、知名度を使って声優として三次元復帰も可能だろう。

つまり二次元の架空存在が三次元で実体を得ると、三次元の人間は居場所を求め二次元化していくのだ!
なんかもうこのネタだけで一本SF小説書けそう。

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