前書き:現実に心を持ったヒューマギアは生まれるか

ゲタゼミ生の皆様こんにちは、ゲタライド(@ridertwsibu)です。

今更ゼロワンでAIを語るシリーズの後編でございます。
前半は主に、AIの発展によりイラストレーターは本当に仕事が奪われるのか。
そして、その現実の流れに対する人々の反応が、ゼロワン世界に重なることをお話してきました。

これらはまさに『ゼロワンの世界が時代に追いついてきた』と言える題材です。
ゼロワン関連からAIの話題を語るなら、もう少し踏み込みたいなと。

最近話題のAIネタを語るだけでは、何処かで見たと思われる内容の整理が必然的に多くなるし、私としてもちょっと物足りなく感じました。
ゼロワンと言えばヒューマギア!
ヒューマギアと言えばシンギュラリティ!

後半では、ヒューマギアの実現性について講義をしていきたいと思います。

人間そっくりの人型ロボットが生まれないの嘘

『AIについてはともかく、人の心を持ったロボットは、それこそまだまだフィクションの世界でしょ』と論ずるに値しないと思うかもしれない。

ヒューマギアという存在は、決してリアルとは言えないだろう部分もある。
現実的に描き過ぎると、AI社会は大人でも難しい題材だ。
それをわかりやすくするため、あえて『高度なAI』を擬人化したのがヒューマギアではないかと思う。
一昔前で言えば、人型PCに心が宿るかを題材にした作品もあった。リアルとドリームが内在するジャンルだ。ちぃ覚えた。

ただ、最初からフィクションの前提で見てしまうと、それが何処までリアリティを意識しているのかを読み取れなくなってしまう。

それこそ、今回再評価と議論になったAI倫理についても同様だ。
実際少なくない数の視聴者が『所詮はフィクション』と斬って捨てたのが、実は思ったより現実的だったから、数年をまたいで再び話題になったのだ。
頭ごなしの否定とは、そういう結果を生んでしまう。
なので、まずは『フィクションだから考えるだけ無駄』という思考を一度捨てて、真っさらになってほしい。

ヒューマギアの特性を大きく二つに分けて考えるなら、『人間そっくりな外見』と『シンギュラリティ』の二つだろう。
(もちろん、作中で主に使用されていた『AIに人間と同じ心が芽生える』意味合いでのシンギュラリティだ)

人間そっくりなロボットは、それだけで色々厄介な問題をはらむ。
これはゼロワンでも劇中で一定の法規制があり、視聴者からの倫理的な批判も少なからずあった。

現実的ではない要因としてよく突っ込まれるのは『諸々の問題があるのに、あえて人間型のロボットを働かせるメリットがない』という部分であり。
要は人型であることへの必然性だ。
これは当時から現在にかけて、Twitterでも何度か見かけたツッコミであり、それなりに『いいね』されているものもあったと記憶している。

自動車の運転用AIを作るなら、自動車自体に自動操縦用のAIを組み込む方が効率よく、人型で外部から運転する必要がない。

それぞれが独立して動いていると、どちらかに障害が起きた時に上手く連動できず事故率も上がる。
乗せる人数が多い時は、運転席のスペースも取られてしまうこともデメリットだろう。
これは全く持ってその通りだと思う。

しかしながら、これはこれ、それはそれなのだ。
あえて人型であることのメリットや、作り手側の多様性を無視している発想である。

人型が無意味だから、ヒューマギアは存在し得ないと断じている時点で、それは大きな勘違いだ。
そして、その根拠はかなりハッキリしている。
ヒューマギアに類する存在は、現実でヒューマギアよりも先に生まれているのだ。

それが2016年に公開された、ソーシャルヒューマノイドロボット『ソフィア』だ。
ソフィアはその名の通り人間の女性そっくりな顔をしている。

表情で様々な感情を表現して、人間と会話することも可能だ。
進化する天才マシーンの異名を持ち、学習装置も付いている。

「現実のロボットなんてヒューマギアに比べればそこまで進化していないでしょう?」と懐疑的な人もいる。

しかし、これが案外そうでもない。
ゼロワン世界のAIでは、芸術を理解するのは難しいとされていた。

だが上記動画でも語らていれるよう、ソフィアの描いたデジタルアート作品は、去年に約7500万円で落札された実績がある。
なお、ソフィアはデジタルだけでなく物理的な絵画も制作している。
この事件がもっと早く起きていれば、生け花対決での芸術に対する見解や展開も変わったかもしれないと、個人的に思っているぐらいの出来事だ。

これは当然、ソフィアの存在自体がブランディングとして機能しており、この値段に至っていることは否定できないだろう。
それを差し引いても、ソフィアの描いた絵は十分にアートと呼べる域に達しているのは、その作品を見ても明らかだった。

『求められないから存在しない』論でいうなら、本来の役割上、芸術センスはロボットに求められていないはずである。
しかし、現実だとより人間に近い証を示すために、むしろ積極的に掘り下げられているようだ。

加えて、ソフィアの大量生産計画は既に動き出している。
コロナ禍によって人々は身を守るための孤立化が進行した。
また、身を守るため、レジの無人化など他人との接触を避ける自動化も推進されている。

人間らしくユニークに会話もでき、人々の生活をサポートしてくれる。
そういうロボットの価値は、人間の孤独や孤立感を緩和する効果も持ち、必要性が飛躍的に高まったのだ。

ロボットのパートナー性は人間に求められている。ならば存在しない理由もない。
『人型で人間をサポートするロボット』だけで言うなら、これはもう本当に事実上のヒューマギアだと思うのだが、いかがだろうか?

ただ、そもそも量産以前に膨大な時間と手間をかけ、ソフィアを生み出した実績が先にある。
そこは人型ロボット自体に、色々な可能性や利益性があるからと言えばそれまでだろう。

ただもっと根本的に、人間の思想も深く絡んでいるのではないかと私は思う。
現実よりずっと前から、人は空想の世界で何度も人間とそっくりのロボットを、それこそ無限に生み出してきた。
日本でもソフィア以前から、アシモやペッパー君のような人間に近い形のロボットは、ずっと目指してきたことだ。

そこには利益だけでなく、人間の持つ人型ロボットに対するロマンも含まれているのではないだろうか。
少なくとも、アシモに対して『SF的な未来の世界』の片鱗を感じた人間は大勢いるだろう。

必要や意味以上に『作りたい』がなければ創造はあり得ない。
衝動が人を突き動かして、あらゆるものを進めていく原動力となる。それはオーズでは欲望と呼んだ。

人型ロボットもまた、人のロマンであり欲望が根底にある。
より人間に近い存在を人の手によって作り出す。
それができるなら、人はある意味で神になったと言えるだろう。

神に対する憧れ。
人間は神になって、自らの手で『人間』を生み出したいのだ。