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仮面ライダーゼロワンが一話完結方式になった理由は瞬瞬必生

2020年1月1日

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ゼミ生の皆様こんにちは、語屋アヤ(@ridertwsibu)です。

新年あけましておめでとうございます。
新年一発目の記事は宣言通り、ゼロワン本編の感想考察とは少し外れた位置からスタートです。

ゼロワンが開始されてから結構話題になりやすい一話完結のストーリー構成。
第一話から一話完結をメインにして、物語はテンポよくスピーディーに進んできました。

仮面ライダーは放送開始前から毎年、今作は前後編か一話完結形式かも注目されます。
これは元々クウガ以降の仮面ライダーシリーズは全後編構成が基本であり、それが近年崩れてきているため。

そして一話完結か否かでストーリー構成等にも大きな変化が生じるためでもあります。
では何故、仮面ライダーは作品の基盤でもあった安定の前後編を捨てて、一話完結構成へと踏み出したのでしょう?
今後この構成はどうなっていくのか?
それはこの二つの間にある構成の違いと、仮面ライダーという作品の本質をひもとくことで見えてきます。

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仮面ライダーが前後編構成だった理由

クウガ以降の平成ライダーシリーズでは当初、仮面ライダーは全後編が当たり前だった。
けれど、それよりも更に前、昭和ライダーでは逆に一話完結形式こそが基本だ。

前編の戦闘では敵が特殊能力を使って逃げるか、ライダー側に何かしらの問題が生じて一時撤退する。
後編ではその問題を解決して敵怪人を倒すが王道の流れである。

毎週新たな怪人が登場しては倒される。
現代まで安定して続くスーパー戦隊と同じ流れだ。

そもそも全後編構成は、クウガを生み出す時に意図してそう企画したのは間違いない。
この流れになったこと、そして長らく定着していた理由はいくつかある。
まず東映の制作費と制作体制。そして恐らくはドラマとしての事情だ。

制作費はとてもわかりやすい。
特撮とはいつだって費用との戦いだ!
要するに毎週新規に怪人のスーツを作るのが厳しいのである。

スーパー戦隊はできてるじゃないかって?
それはごくごく単純に、スーパー戦隊の方が仮面ライダーより制作費が多いからだ。
あまり知られてないけれどスーパー戦隊の方がお金かかっている。

主人公の俳優が毎回新人も同じ。主演にベテラン俳優を使うと高くついてギャラが払えない。
ジオウでレジェンド出演してくださった方々は、本当に東映への感謝と作品への想い入れ。そしてファンサービスのためにギャラ度外視で出演してくださっていた。愛だよ愛。

好きなライダーや怪人のスーツが他のスーツに流用されてしまい、「おのれディケイド! 推しのスーツまで破壊されてしまった!」と怒りと嘆きに震える君。
気持ちはわかるが制作側だって背に腹は変えられないからスーツを変えるのだ。汲んであげよう。

そういうわけで、制作側は一話でも長く怪人に生き残って欲しい
なお、初期の平成ライダーでもファイズなど一部では、序盤一話単位でポンポン怪人が倒されるケースもある。なんせ序盤は予算多めだからね!

番組体制とは何かというと、東映は特撮に限らず監督を中心とした一つの『組』を構成して撮影する
仮面ライダーの撮影現場も同様に、前後編の二話を一つの組が受け持つ。東映のライダー撮影はこの撮影構成に慣れている。
長年続いて蓄積したノウハウから考えても、そりゃあそうだよねと思う。
なお、長いドラマを作ろうと思ったらそれぞれの話を別の組で受け持つより、一つの組が長い話数を受け持つ方が作りやすい。

最後のドラマ的事情とは登場人物のキャラ立てだ。
仮面ライダーには怪人と、事件に関わるゲストキャラが登場する。

仮面ライダーの番組構成だと、毎話必ず何度か戦闘が起きることに加え、敵味方どちらもレギュラーキャラに活躍がある。
それらを差し引いた残りの尺で、怪人やゲストキャラは自分達のキャラ立てをしなくてはならない。
一話完結だと、単純にゲストと怪人のキャラ立てに使える時間も全後編の半分になる。

全てがこの法則に当てはまるわけではないが、一話完結の怪人は前後編構成よりもキャラ(デザインや能力ではなく人間味的な意味)の個性が弱い。
例えば前後編ではなく連続ドラマとして物語を意識した鎧武では、幹部級のオーバーロードを除き自我がなく獣に近い生物だ。
なお、連続ドラマ化しているため鎧武はゲストキャラ自体がかなり少ない。機械的にいく子と貴虎の志村コント回は流石に例外が過ぎるのでノーカン……!

ゼロワンでもマギア(怪人)化した時点で、ヒューマギア時の個性はリセットされ、単調なキャラ付けになる。
じゃあヒューマギアはゲストキャラとして個性あるじゃんと思うかもしれないが、これは上手いこと制作側の工夫にハマっている。

そもそもヒューマギア自体も、シンギュラリティを迎える流れまで含めてヒューマギアという名の画一化された個性に過ぎない。
一貫ニギローやマモルが普通の人間、普通の外見、普通の喋り方だったら? と考えればわかりやすいだろう。

ヒューマギアの中でも群を抜いて個性が強いワズは、登場時点でシンギュラリティを迎えた後の特殊事例な上に、前後編構成で丁寧なキャラ立てがされていた。そりゃあイズも成長して迅を煽るようになる。

逆に前後編構成でのキャラ立ちがわかりやすいのはクウガだ。
グロンギは人間態だけ先行登場するが、ゲゲルで暴れるのは大抵二話分だ。
バックします野郎ギャリドも、振り向くなのガリマ姐さんも、あの五代をマジ切れさせたジャラジも、皆前後編の尺で視聴者に強烈なトラウマを残していった。グロンギこわい。

前後編の尺使いを一つの完成形に至らせたのはWだろう。
仮面ライダーであよくあるお悩み相談の形式を、探偵の依頼という形式で構成。住人を通して風都の町を描いているため、基本的にゲストキャラの描写が丁寧だ。
この方式はフォーゼにも通じており、ゲストで出てくる天野川学園の生徒や教師は個性豊かな者が多い。ゾディアーツスイッチの影響もあるので、怪人としても平均して個性が強い。

Wとフォーゼ、特にこの二つはこれまで関わり助けてきた人達が、劇場版で最大の窮地乗り越えるためエールを送る。

町の涙に応えるよう奇跡を起こした風都の風。
弦太朗がスイッチと共に繋いできた数多の友情。

これらは前後編によるゲストキャラを育む下地があったからこその感動だ。

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一話完結構成は群像劇ドラマを生み出す起爆剤

先に何故これまでが前後編だった理由と、そのメリットを語ってきた。
これらは別に現在の一話完結構成を否定したいわけではない。

事実、一話完結構成が安定化しだしたエグゼイドやビルドはそのドラマ性の高さも相まって、安定した高い人気と多くのファンを得た名作となった。
これは一重に、仮面ライダーの脚本も一話完結の流れ沿って巧みに変化した功績が大きい。

ゲストキャラが減り、各怪人達の個性が薄れるとドラマはどう変化するのか。
有り体に言えば、登場する仮面ライダーの数と、メインキャラのドラマが増える。

実際、エグゼイドからの流れで群像劇化している作品は、物語を回すレギュラーキャラも増えており、それぞれのドラマをしっかりと描いている。
つまりゲストキャラや怪人の個性が減ると、物語は群像劇化していく傾向にあるのだ。

そしてこの群像劇化を成立させるため、数多の工夫が成されている。
一番ネックとなるだろうスーツの予算については、主に怪人を使い回すことによって解消した。
ライダーが増えたら相対的に怪人のスーツや出番が減るのである。

例えば鎧武に出てくるインベスは、ヘルヘイムの森が生み出した新たな生態系なので、怪人というか生物である。
そのため同じ種類がいたとして特に不思議はない。

バグスターだとそもそもがゲームの敵キャラクターなので、こちらも再登場の違和感がない。
ゲーム要素としてレベルアップして強くなる概念を入れたことで、外見は変化せず能力だけアップすることが可能。

スマッシュは色を変え設定上の強化を施している。
最初は倒すと新ボトルをドロップする怪人枠だったが、話が進み戦争の側面が濃くなっていくとその役割も変化。
強化されて見た目強そうになっているのに、役割は兵士や兵隊に寄っていき、個性は薄れてむしろ量産機的な扱いになっていった。

量産についても群像化した物語には切っても切れない縁がある。
ライダーが増えると共闘も増えていく。例えばエグゼイドだとチーム医療や協力プレイと称していた。
そのため群像劇化した作品は、ほぼ必ず多人数戦を賄えるよう量産系の雑魚がいる

マギアについては、ヒューマギアの素体を基に各種怪人用のパーツを装着している。
量産系枠となる暴走態で操られるヒューマギアとも、スーツ基礎は同じなのだ。
個人的に、マギアはこれまでの怪人で最も安上がりなのではと思う。
倒されながらラーニングして強化されていく、暗殺ちゃんことドードーマギアのようなことができたのも、この素体流用による経費削減効果が大きいだろう。

なお、全後編構成でも仮面ライダーの数が多く群像劇化している龍騎は、やはり怪人役のモンスターに自我がない。
最終決戦においてもラスボスは悪役ライダーで、モンスターは量産式が大量に湧いて出た。
実は龍騎こそが現在の一話完結の群像劇形式を作る上の基礎であり、平成ライダー初期の流れを組んで生まれた鎧武がその要素を一部引き継ぎ、現在の流れへと繋がっている。

龍騎といえばライダーバトルであり、純然たる悪役ライダーがレギュラーキャラになっていたことでも有名だ。
その流れも一話完結構成には引き継がれている。

キャラクター増加によるドラマ性向上はヒーロー側だけが対象ではない。敵も同じだ。
怪人単位の個性が弱まった分、幹部やボス級キャラにドラマの尺が割り振られる。
では、実際長期的に渡って登場していたキャラクターを観てみよう。

うん、濃いね。めっちゃ濃い。
エグゼイド後半の黒幕にして絶版おじさんの愛称で親しまれた外道パパの檀正宗。

謎の多い幹部&敵味方関係なく裏切りまくる&しかも黒幕と、最初から最後まで出ずっぱりだった仮面ライダー稀代の大悪党エボルト。

そして、最初はデキる系の爽やか社長だったが、話が進むごとに狂気とネタをグッツグツに煮詰めて神に至った檀黎斗神

彼らのような、濃くて魅力的な悪役を育てやすい物語の土壌を手に入れた。
言い換えると、それだけ魅力的な敵を作り出す土壌ができたのだ。

また、パラド、グリス、ローグといった敵から味方への転嫁系も、個々のキャラに尺を配分させやすい一話完結形式の方が、物語の流れや山場を作りやすい。

パラドやローグは途中まで完全な悪役ポジションで従来なら途中で倒され退場していても不思議はなかった。
途中で伏線を蒔き、少しずつ立ち位置を変えてヒーローとしての成長物語を組み立てている。

グリスに至っては猿渡一海だけでなく、彼を慕う三羽烏、つまり怪人達との絆の物語でもある。
(この辺は怪人ドラマによる群像劇を作ったファイズの流れも濃い)

失われていった仲間達への想いと、築かれていく戦兎達との友情。
そこに仮面ライダーとして守りたいものが重なる。

「できてるよ」

そう呟かれた覚悟の言葉は、一話完結で丁寧に重ねられてきた物語が導いた到達点なのだ。

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時代の流れにのった一話完結

前後編と一話完結構成。
どちらが良いか悪いかの話ではなく純然たる事実として、いくらかの例外はあれ平成ライダーの時代では、長らく前後編構成が掟だった。

前後編の流れを最初に崩した作品は、平成二期も半ばにさしかかった鎧武だ。
次いでゴースト。序盤は単話構成で第一部となる境を過ぎた辺りから、前後編形式に移行する形式を採用した。

その後のエグゼイドもゴーストに近い形式ではあったが、ゴーストよりもシームレスで柔軟な構成になっている。
というか怪人の出番が目に見えて減り、話の継ぎ目がわかりにくくなったのもあるだろう。
後に続くビルドやゼロワンも、明らかにエグゼイドの流れを組んでいる。

ジオウだけは各レジェンドライダーの世界を、前後編一つずつ回る構成だ。まあ、かの十周期作品を踏襲しているのは間違いない。
とはいえ過去作を継承し終えた終盤は、三話構成が標準となっている。
ディケイド時代の頑な前後編構成は引き継がなかった。というか完結編(特に嘘予告。なんと言っても嘘予告)引き継がなくて良かった。本当に良かった……!

つまりあえてディケイドを意識したというよりは、ライダー継承の物語を作りやすい構成を作った結果、ディケイドの構成に近くなったと考えた方が自然かもしれない。

ここでもう一つの重要な要素がある。
ゴースト辺りで一話完結の安定化構成が生まれた時期は、同時に平成ライダーシリーズにおけるネット配信も大きく発展した頃合いとも重なる。

まず、ドライブの時期に初めてネット限定配信の作品『仮面ライダー4号』が配信開始された。
様々な配信サービスで、過去の仮面ライダー作品の一挙放送なども積極的になっていく。
そして鎧武からゴーストへと切り替わるタイミングで、東映特撮ファンクラブ(TTFC)がスタート。なんと歴代の仮面ライダー本編が、最新作まで随時見放題となった。

また仮面ライダーアマゾンズや仮面戦隊ゴライダーなど、ネット限定配信のコンテンツが勢い付いて増え始めていく時期でもある。
特にアマゾンズは仮面ライダー=テレビ放送の固定観念を突き崩した。

私も長らく仮面ライダーファンとしてコンテンツを追いかけ続けているが、エグゼイドあたりから体感的に周囲でライトユーザーのライダーファンが増えた。
にわかファンと言う意味ではなく、気軽に仮面ライダーを観始めてハマっていく人を多く見かけるようになったのだ。
AmazonPrimeでアマゾンズを観たら~という流れもやはり多く見かけている。

『仮面ライダーを追いかける=テレビを観る』の時代ではなくなった。
毎週テレビに齧りついて観るのであれば、前後編の流れでも特に問題はない。
けれど気軽に手を出しやすくなった分、途中から興味本位で覗いてみようという人も増えた。

途中視聴してハマった人が動画配信で簡単に最新話へと追いつける(昔だと録画している友達に借りるか、DVD化を待つしかなかった)一連の流れが構築できている。
ライトユーザーがどこから観始めても楽しめる。そのための一話完結構成なのだ。
そういう意味では過去作ありきのレジェンド番組だったジオウは、ある程度前後編構成で問題なかったのも理解できる。

東映において過去の遺産みたいな扱いだった仮面ライダーは、クウガによって革新的なヒーローとして蘇った。
その伝説は二十年の時を経ても止まらず、鮮烈な輝きを放ち続けている。
根底にあるのは、時代に沿って自らの在り方変えていくスタンスを、決して忘れない挑戦心。

仮面ライダーは昔も今も、時代の流れを駆け抜けて、瞬間瞬間を必死に生きているから。

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