映司が本当に守ったものは●●●●
映司は確かに救われたけど、ここで終わってしまっては視聴者の心が救われないだろう。
映司の死は、もうどうしたって覆らない。
大事なのは『この物語に希望はあるのか』だろうと思う。
今日が明日になるのも欲望だとして、映司は明日を望まなかった。
ならば、彼にはもう叶えたい欲望は何もなかったといえる。
ならば、残された者達はどうなるのか。
その答えの一部は既に具体的な形で示されている。それがオーズ本編と十年後の間に挟まれる『MEGA MAX』だ。
当作では四十年後の仮面ライダーが降り立ち、映司達に襲いかかる。
そこに消えたはずのアンクも現れて協力して戦う。
彼は四十年後、『復活のコアメダル』からの換算だと三十年後の未来からやってきた。
アンクはあえて何も語らず、変わらず、映司と共に戦い、そして役目を果たして消えた。
けれど映司に『諦めなければいつかの明日は、いつか必ずやってくる』と確信させるには十分だった。
当時は明るい未来を予感させる作品だったが、『いつかの明日』を知ってしまうとその意味合いは大きく変わってしまう。
未来のアンクは全てを知り、受け入れた上で映司に道を示した。
かつて映司がアンクにそうしたように、お前がそうしたいならと、死にゆく映司に力を貸した。
その意思は三十年経っても変わっていない。
ならば、アンクはつらくても悲しくても、そこに後悔はなかったのではないだろうか。
二人で歌ったタジャドル。あの瞬間、確かに彼らの心は一つになっていた。
私は、前章で映司は全ての願いを叶えたと言ったが、一つだけ否定したい。
映司は最後にもう一つ大事な願いを叶えた。
願いや欲望は、自覚しているものだけが全てではない。
むしろ欲望とは、自分が気付かない間に抱き執着していることは非常に多い。
映司だって何処までも届く腕を欲して、オーズの力を求めるようになっていたが、自覚したのは終盤だった。
映司が願った最後の欲望は、アンクも含めて比奈達ともう一度手を繋ぐことだったと思う。
再び三人で手を繋ぎ、かつて届かなかった少女に手が届いた。
これ以上、映司に何を望めと言うのだろう。
満足した彼は幸福な『無欲』になって永遠の旅に出た。
では、その時に映司の全ては消えたのか? そんなことはないと思う。
繋いだ手はそのぬくもりを伝える。
手を離せばそのぬくもりもまた消えてしまう。だが、繋いだ想い――ぬくもりの記憶は残り続ける。
欲望の化身だったアンクは一年で変わった。
それは映司との出会いと、共に戦った日々によって為されたもの。そして三十年の月日が流れても、それは変わらなかった。
そして、映司が旅だった先の未来では、彼が心を繋いだ湊ミハルが新たな仮面ライダーとして誰かを守っている。
きっとそれは後藤や伊達も同じだ。
鴻上会長は未来でも己の欲望に邁進している。それもまた映司がいたからこそ、やってきた明日の一つだ。
会長のあくなき欲望がなければ、巡り巡って映司とミハルが出会うこともなかっただろう。
彼が伸ばして繋いだ手は、今もまだ伸び続けて、そして繋がり続けていく。
火野映司の巨大で優しい欲望は、繋がり、引き継がれ、彼が願った以上に大きくなって明日を生む。
戦う覚悟を学んだミハルは言った。
「オーズ、俺が守る今日が皆の明日だって分かった」
映司が守った今日も、同じく皆の明日。
だからこそアンク達は最後に、映司を見つめて視線を地面に落とすのではなく、明日を象徴するように空を見上げていた。
ならばこの物語もまた、終末ではなくこう呼ぶべきだ。ハッピーバースデー!
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