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【感想・考察】仮面ライダーセイバー 深罪の三重奏 Vシネマの革新作

2022年2月7日

前書き

ゼミ生の皆様こんにちは、語屋アヤ(@ridertwsibu)です。

コロナの猛威が吹き荒れて、知人も一人、また一人と感染していく昨今。
再び映画自粛モードになっていたのですが、これだけは観なければと選んだ一本がライダー映画でございます。

バイオハザードや、来週にはゴーストバスターズに大怪獣のあとしまつ(この記事書いてる間ですごいことになりましたが)……等など観たい作品は目白押しの中、とりあえず一本だけでも……と突貫してきた次第です。

以前のセイバー総括記事では微妙な評価でしたが、そこはそれ、私は作品単位で評価するのであまり気にしません。

むしろ私は、前作よりも公開前の情報が気になってました。
まさかの倫太郎の父親が登場。しかも賢人の婚約者があの若菜姫……!

更に、今回は飛羽真も話に深く関わるっぽい。
ねえ、まとまるの? Vシネマの尺でまとまるの?

尺が足りませんでしたオチや、後半に続く展開を覚悟して挑んだ結果は…………あれ、これはVシネマのライダー作品史上最高傑作では……?

見終えた段階のストレートな感想は『なんかスゲーのを観た』でした。
今回も最初はネタバレ無しのレビューから入ります。
けど本作はそれすらある意味ネタバレになってしまうため、新鮮な気持ちで観たい方はこのまま閉じて、ネットの情報も極力遮断して劇場へ向かいましょう。

それでも今回はハズレじゃないと安心した上で観たい方や、もう観たぜって方にはその凄さの根源を語ってまいりましょう。

文章読むのが苦手な人向けに、ラジオ感覚で聴き流しもできる音声版も用意しました。
目次から音声版のところまで飛んでください。

ネタバレ無し感想

仮面ライダーWのRETURNSから始まったVシネマシリーズは、テレビ本編と同様に作品を重ねる毎に、シリーズとして安定した『型』を構築していった。
サブキャラクターを主役に据えた後日談を新章として展開していくのが、現在では定番の流れと言えるだろう。

だが今回はこれまでの流れを破棄しており、全く異なる構成だ。
タイトルからもハッキリわかるように、メインは主人公も含めた一号~三号ライダーの三名による群像劇である。
主要人物だけに目を向けるならば、既存のVシネマよりも劇場版の方が近いだろう。

コロナの影響や五十周年記念等が重なり、単独の長編映画が作られなかった仮面ライダーセイバーが、まさかのVシネマでその穴埋めをしたとも見れる。

だが作品構成自体を掘り下げると、従来の劇場版とも大きく異なる。
劇場版だと基本はTV本編の間かその後、どちらにしても物語の直接的な延長線上に位置しており、作品の雰囲気も本編に強く引っ張られる。

しかし本作は八年後を舞台にしており、全体的にかなり独特な雰囲気や画作りになっていた。
だからと言ってこれはセイバーじゃないと言う程ではなく、作品として核の部分はしっかりとセイバー色が出ている。
これはパンフレットを読んでも意図した構成であり、狙いがバッチリとハマった状態だ。

作品性で言えば、セイバー独自のファンタジー色とミステリが融合しており、メイン三人の視点からそれぞれに起きる事件を追う流れになっている。

また三者三様の人間ドラマも同時に進行していく。
三人は異なるその後の人生を歩んでいるのだが、ドラマの中に人間的な生活感がかなりしっかりと練り込まれている。
それらはセイバーらしさは残しつつも、特撮作品っぽさがない。まさに『ドラマ』なのだ。

シナリオも画作りもTV本編からかなり大人向けに寄っている。
小さいお友達には複雑過ぎて、かつ派手さに欠けるため、楽しめる要素はあまりないかもしれない。
そのため、TV本編のセイバーそのままで、いつものVシネマ的な『延長線上の空気感』を求めている人には厳しい作品でもあるだろう。

だからこそこのドラマ的な撮り方は、本作の独創的な作品性にかなりマッチしている。
逆に今まで通りの作りをしていたら、かなり安っぽい作品になっていたのは明白だ。

またVシネマ特有の欠点として、純粋な劇場版作品に比べて予算の少なさが目立つ。
特撮の映像スケールは完全に見劣りしてしまい、なんだったらTV本編でも特撮演出に力を入れている回の方が、Vシネマよりも華々しい画作りになっている。

ドラマ寄りの構成である本作は、ある意味絵的な派手さをあまり要求されない。
むしろある程度抑えていないと、映像的にチグハグさが出てしまうだろう。
そういう意味でも本作の作りはVシネマに向いているし、シナリオ性は自由度の高い媒体だからこそ出来たとも言える。

しかし映像に手を抜いているわけじゃないのは、冒頭のミステリ寄りな斬新な撮り方や、エンディングの力の入れようからも明らかだ。
また、徐々に全体的な空気が『仮面ライダー』的な特撮に戻っていき、状況次第ではまたドラマ寄りに戻ったり、その中間を維持したりもする。
ドラマと特撮とセイバーらしさを全て成立させる、この絶妙なバランス感が素晴らしい。

平成一期時代の仮面ライダーは、独自性と、毎年のように芸風が変わっていく革新性が大きなウリだった。
それは平成二期に入ると、安定性を求めたパターン化の方向へと移行していく。

本作は仮面ライダーが失いかけていた、新しさと革新性が最初から最後まで映像と物語に溢れている。
物語の革新性については、ネタバレ有りの部分でもガッツリと解説していく。

Vシネマであることを利用しつつ、劇場版のような物語作りをしたことで、Vシネマシリーズは新たなる階段を昇った。
『深罪の三重奏』はまさに意欲作であり、革新作だ。

変わった世界 / 変わってしまった世界

本作は物語冒頭から、作品を象徴する店であった『ファンタジック本屋かみやま』が(物理的な意味で)大炎上する。
他にも、無銘剣虚無を掴む幼い手。悲鳴を上げる子供。
全体的に不穏な雰囲気を醸し出している。

そこから八年後の剣士達や、その関係者が誰かの主観で映し出されていく。
試験に合格して小学校教師になった尾上。
メギドより子供達の方が強敵だと語る笑顔と言葉が、剣士をやめてからの生活が如何に平穏だったかを伝えている。

髪型が大きく変化した神代玲花に、髭が生えて威厳の出た兄の凌牙。
二人は剣士であることに変化はないが、外見で八年の月日を語っている。

その変化に驚きや楽しさがありつつも、同時に冒頭シーンの不穏さや誰なのかわからない視点、そして急に止まる会話等で不安を煽る。
この入り方によって、本作には常に『この八年後の世界は何処か問題が潜んでいるのではないか?』という感情が、視聴者の内にあり続ける。

この不穏さに対して、飛羽真達の生活自体は穏やかだ。
移転した『かみやま』は以前より客足は落ちながらも営業できている。
作家としての執筆活動も続いており、支えてくれる友人や、相変わらず公私に渡って関係のある芽依、何より守るべき子供まで出来ていた。

あまりに当たり前にいる芽依と子供の組み合わせは、変に噛み合い過ぎて『倫太郎じゃなくて飛羽真とくっついたのか』と、ちょっとばかり脳が混乱した。
このように飛羽真は、剣士ではなく作家、そして親としての毎日を過ごしている。

本編のラストだと『かみやま』で働いていた賢人は、翻訳家として既に独立しており、結婚まで秒読みのフィアンセ立花結菜がいた。
彼もまた戦いの道から離れて、充実した日常の生活を送っている。

メイン三人の中では、倫太郎だけがかつてと変わらずソードオブロゴスで剣士としての使命を全うしている。
何かしら事件を追っているが、それは世界の守護者としては日常の一部だろう。

しかし剣士としての戦いは、彼らの人生に業として確かに刻まれている。
飛羽真の子供である陸は、飛羽真の戦いに巻き込まれて本当の父親を失った。
自身も心に深い傷を負い、八年間ずっとまともに言葉が喋れない。それだけでなく、炎と剣が重いトラウマになってPTSD的な症状が出る。
つまりセイバーとしての戦いが、陸にとってはトラウマの根源なのだ。

飛羽真は自分の意志で作家に戻って剣士を辞めた。
しかし陸が絡むと『剣士になれなくなった』とも言えるだろう。

賢人の恋人である結菜も、かつての戦いに巻き込まれて彼氏を失っており、賢人との結婚を控えながらもそれを未だに引きずっている。
要するに死別した元カレを吹っ切れていない状態だ。

ソードオブロゴスで活動を続けている倫太郎もまた例外ではない。
恋人である芽依との関係は発展するどころか逆に冷え込んでしまっていた。
本作のエンディング前シーンからも察するに、価値観や生活環境が噛み合わないのだ。

芽依と飛羽真は八年前と変わらない良好な関係が続いており、編集者として高い評価を得ている。
かつてはいまいち仕事に使命感がなく、飛羽真の戦いに引っ付いていたが、飛羽真が作家業メインに戻ってからはそう簡単にはいかなかっただろう。
芽依が編集者として仕事に専念すればする程、倫太郎と芽依の生活はズレていく。

かつては押しかけるように芽依がソードオブロゴスに関わっていたが、それがなくなってしまうと二人は住む世界があまりに違う。
そして倫太郎の天然さと、我の強い芽依の性格も災いしたのだろう。
(ただし二人の関係についてはある程度他の見方もできるので、その点は後述する)

メイン三人はいずれも共通して、平穏な安らぎを求めれば求める程、日常と乖離する剣士としての日々がそこに影を落とす。
こういう変化を、元ヒーローの生活ではなく、一般人としての視点で描く
「元ヒーローだからこういう生活になってますよ。困ったものですねえ」だったら、ヒーローは引退してもヒーローなのだと前向きに捉えることもできるだろう。
しかし「今はヒーローをやめて、こんなに穏やかな日常を送っています。けれどかつての戦いの爪痕は、今もこうして時々顔を覗かせるのです」と、決して消せない業として刻まれている。

だから、本人達にとっては自然と流れる中で変わっていった日常であっても、視聴者の視点だと何処か『変わってしまった日常』のように捉えてしまう
登場人物と視聴者の意識差を利用した巧みな演出だ。

消えていく絆とそのプロセスの恐ろしさ

飛羽真達は三者三様の日常を過ごしていたが、同時にソードオブロゴスの剣士達が謎の失踪を遂げていく。
しかもその事件を追う倫太郎達は、何故か剣士が消えるとその者の記憶まで失ってしまう。
飛羽真もまた、出版社内で存在が忘却されており、本人の姿も透けるように消えだしていた。

本作において記憶と存在は密接に結びついており、人々の記憶から消滅すると、存在が維持できなくなり最後には消失する。
つまり『存在する=誰かに記憶されている』の図式だ。
一定以上記憶が失われると、世界がその対象を『いなかった』ことにしてしまい、辻褄を合わせるように歴史が修正される。
そのため記憶の消失はいきなり全てを失うわけではなく、何を失ったのかさえ認知できない

普通に考えたらこれは逆だ。人間とは関わった者達に記憶されるのであって、記憶があるから存在するという考え方は矛盾する。
しかし、セイバー世界ではまず全ての記録を記した全知全能の書があった。

新しいワンダーワールドも、人々の物語に対する記憶から誕生して成り立っている。セイバー世界では記録(=記憶)が先なのだ。

ワンダーワールドと同様に、新しい全知全能の書も例外ではない。
空白ページは順次埋められていくはずなので、人々の記憶を操作すると、空白ページの記述改変が発生する。その都度、記された歴史に辻褄合わせの修正が入っていることになる。
つまり人の記憶を改竄する行為は、間接的に全知全能の書へのアクセス権を得るに等しい。とんでもないチート能力だ。

このシステムだと、他者から記憶されている量は、そのまま本人の存在強度になる。
緩やかな記憶の喪失と消滅は、短い尺の中でもかなり様々な描かれ方をしており、考察すればする程にエゲツない。

加えて、一口に記憶と言っても、そこには個々に強弱が存在すると思う。
例えば、教師になった子育て王は、記憶されている量だけなら数多の生徒達がいるので、飛羽真に次ぐのではないかと思う。
生徒達一人ひとりの記憶を消していくのは非常に手間だ。

しかし記憶は放っといても勝手に薄れるし、印象が弱ければ記憶もあやふやになる。
これを弱い状態とするなら、残念ながら教師は担任でもない限り生徒一人辺りの記憶強度はかなり弱い部類ではなかろうか。

校門でしょっちゅう生徒達と挨拶していようが、自分に関わりの薄い教師なら記憶はさして根付かない。
少なくとも、挨拶してくる教師は誰であっても、ほとんどの生徒達にとってはどうでも良い記憶ではないか。
ならばメモ帳にあった文字と同様に、案外容易く改竄されてしまいそうだと思う。

もう一つの要素として、この記憶改竄は順序立てが非常に重要だ。
どんな記憶が喪失したかは認識できないとしても、周囲と激しい認知の齟齬が生じると、記憶消失事件自体が明るみになってしまう。

これは芽依を例にするとわかりやすい。
主犯格の間宮は、常に飛羽真の側にいて芽依との仲も良好だったが、記憶の改竄はほとんど最後だった。
芽依から飛羽真の記憶を消しても、飛羽真の芽依に対する記憶は残る。

そして芽依の記憶が消失すると、一気に存在強度が低下して、連鎖的に編集長の記憶も消失した。
これは芽依と飛羽真が出会わなかったら、そもそも飛羽真は人気作家じゃなくなっていたからかもしれない。

飛羽真は出版社との繋がりが消えてしまうが、飛羽真自身は自分が作家である認識はそのまま残っている。
親密な相手からの記憶が一方的に消えてしまうと、周囲との記憶に強烈な齟齬が生じて、飛羽真は自分が周囲から忘れられていると認識してしまうだろう。

だから関わりの薄い者から徐々に記憶を消していく必要があった。
そう考えると、かみやま書店での売れ行き低下は少し奇妙だった。
視聴者にはなんとなく移転によって起きたようにみせていたが、そもそも売り上げの話をしていたのは移転してから八年後だ。

流石に八年間もあれば、売り上げの低下は移転と別問題だろう。
有名なベストセラー作家が経営するユニークな書店なら、客層の中にはファンだって少なからずいたはずだ。
記憶消滅の影響で作家としての知名度も徐々に低下していくと、ファンを中心に客足も段々と遠のいていくのは必然。
あれは飛羽真が気付かないうちに、人々から忘れ去られていっているという描写だったのかも。

倫太郎と芽依の関係もここに繋がる。
芽依が倫太郎の記憶を持っていても、倫太郎が芽依の記憶を持っているとは限らない。

実際、父親との決戦時にはもう芽依の記憶は消失していた。
恋人との関係が上手く行っていないのに焦燥している描写がなかったのは、先に倫太郎の記憶が消されていたためかもしれないのだ。

賢人もまた、どの段階でどの程度記憶が消えていたのかは定かじゃない。
少なくとも倫太郎の記憶はなく、警告の意味を理解できていなかった。

翻訳家として独立して、恋人と二人の同棲生活。
爆破されても致し方ないリア充生活だったのに、実は記憶操作をするには一番うってつけの隔離環境だった。

セイバーは剣士達が協力して悪に立ち向かう、絆の物語でもあった。
しかし、記憶の消失は=絆の消滅だ。
アメイジングセイレーンの力は直接剣士達の肉体を傷付けることなく、しかし最も大事なものを、音もなくじわじわと蝕んでいった。

作品のテーマ性と生々しさ

Vシネマは本編に比べて流血や怪我の制限が比較的緩い。
そのため、本作は斬られれば切り傷ができて血が流れる。
ライダーのアーマーがあっても、直撃が入れば痛々しい傷痕が残る。
(まあ、出血量が現実的かなど、諸々の厳密なリアリティレベルは別にして)

これは仮面ライダーに限ったことでなく、生傷ができるのは本来当たり前のことなのだけど、ヒーロー作品だとこういう生々しい描写が省かれるのは珍しくない。
生々しさとは凄惨さであり、ヒーローとは人殺しだ。それをリアルに描けば描く程、王道の絵空事は泥臭い生存競争になっていく。
かつて門矢士の語った『ライダーの世界は倒すか倒されるか。所詮はただの殺し合い』とはどうしようもなく本質なのだ。

斬られれば服が裂け血が流れる。
こういう当たり前に起こるリアルな『痛み』こそが本作には必要なのだ。
(逆にあくまで本編から延長線上のノリを貫き通したジオウは、Vシネマでもこの手の描写はマイルドなままだった)

戦いは人を傷付け痛みを伴う、命を奪う行為である。
そして戦いは当事者以外にも巻き込まれる人々が大勢いた。
剣士(ヒーロー)は必ずしもそれら全てを救えるわけではない。

スーパーヒーローの戦いは、大抵最後は勝利して偉大な英雄となり、物語はハッピーエンドで終わる。
けれどその裏で傷付き息絶えた人達もいる。
彼らにとっては、ヒーローとは名ばかりの嘘っぱちになってしまう。

被害者達の視点は、当事者や傍観者とは大きく異なる。
傍観者からすれば、剣士達によって人々は救われた。ならば被害者達は?

剣士は自分達を見捨てた。
剣士達の戦いに巻き込まれたせいで死んだ。
私の大切な人達は死んだのに、何故こいつらは救世主気取りで今ものうのうと生きているんだ。

これらは傍観者の視点だと単なる逆恨みで、現実から目を背けて八つ当たりしている弱い人々だろう。
しかしこれは誰でも成り得るし、形は違えど誰しもがやっていることだ。

コロナで考えれば非常にわかりやすい。
知事や市長がどれだけ休みなく専門家の話を聞き、会議を重ねて、様々な事柄に留意して対策を打っても、それが100点満点じゃなければ市民から平然と罵詈雑言がとぶ。

飛羽真達がどれだけ必死に戦っても犠牲は出るが、物語ならば仕方ないと割り切れる。
しかしコロナという現実だと、百点なんてはなから不可能だとわかっていながら、対策の甘さを指摘して無能のように扱う。

それどころか自分の知識に誤りがあり、指摘内容が的外れだったとしたら、それこそ逆恨みだ。
けれど批判した知事や市長に向けて謝罪文を掲載する者はほぼいない。

何故なら彼らにとっては、コロナの対応も発言も自分自身には責任がないと思い込んでいるから。
市民の権利を盾にした他責思考が少なくない人々に根付いている。

元より知事や市長は、立場上の責任が確かにある。
だが、責任を負う者に対して、労いと罵声、どちらが多いかはネットを検索すれば論じるまでもなく明らかだ。

不満に耳を傾けるのも仕事というかもしれないが、不満を伝えるなら相応の言い方はあってしかるべきだ。
しかしながら、自分の上司や担任の教師に同じ調子で言ったら、揉め事になるような物言いが横行している。
実際、コロナの対応に思うことはあっても、言葉にするとリンチに加担しているみたいだからと嫌がって口をつぐむ者も少なくない。
それも含めて役割だというのは受け手側の言葉であり、『お客様は神様だ』の精神に近く、神様側がそれを口にするのはただの横暴だ。

コロナはもはや形のわからない巨大な災害である。
(発祥云々はとりあえず置いておくとして)故に本来は責めるべき相手がいない。
だが、それはそれとして付けたくもないマスクをさせられ、消毒の徹底を強制される。仕事を失ったり、人生を狂わされた人も大勢いる。

他にも数多の弊害が次から次へと生じて憤りが溜まっていく。
このつらさ、やるせなさをぶつけるために、「お前のせいでこうなった!」と代わりの『お前』を求める。

そしてこれは、結菜や間宮も全く同じだ。
メギドという異形の怪物は状況をほとんど呑み込めていない市民からすれば、形のあるウィルスのようなもの。
同時に訪れた世界の終わりは、それこそ形のない災害そのものだった。

どうしようもない災害の中で大切な人を失った者達。
彼らもコロナの被害者と同じく、代わりの『誰か』を求めた。
そして一度代わりを見つけて攻撃を始めると、それはその者の中で『正義』になる。
コロナで誰かを責める者が、これは正しい行いだと盲目的に信じているように。

これら被害者の姿を受け止め過ぎて、傍観者でありながら剣士達を悪だと判断したのが篠崎真二郎だった。
剣士を消すと決めた彼の意思も、逆恨みの極論に聞こえるかもしれないが、わかりやすく単純化すると『But who will watch the watchmen?』(しかし誰が見張り番を見張るのか?)だろうと思う。

これはアメコミ作品『ウォッチメン』で登場する、作品のテーマ性を象徴するフレーズだ。
剣士達の戦いは人々を守る大義名分であったとしても、そこに生じた犠牲者の責任は誰が取るのか。
彼らの行いは本当に善だと誰が保証するのか。

ソードオブロゴスは政府と連携を取っているような描写はなく、そういう人間社会の枠の外にある超然的な組織であるように見える。
現に見張り番に対する見張りがいないからこそ、マスターロゴスは好き勝手暴走できた。
善意に頼っての組織運営は、代替わりや人員追加が生じた際に悪意が紛れ込む可能性があり、いとも容易く内部から腐る。

「こんな組織はさっさと解体して、後釜にもっと近代的な管理体制の組織を据えた方が良くないか?」と言われると、あまりに身も蓋もないが否定する言葉も見つからない。
凡その戦いを終えて半ば休眠状態の今は、組織として抜本的に再編成するいい機会じゃなかろうか。
少なくとも、組織とは善意よりも規則によって形作られたシステムで統治された方が安全だ。

真二郎がどこまで考えているかはわからないが、剣士達による世界守護にはシステム的な欠陥があり、一度潰してでも作り替える思想は絶対的に間違っているとも言い難い。

『消えても残ったもの』と『新たに生まれたもの』

戦いから離れた飛羽真と賢人、今も戦い続ける倫太郎は、それぞれに罪を突き付けられる。
それは多少の形は違えど、全て正義のために戦ってきた故の業だった。

正義とは罪なのか?

この問いかけに確かな答えを本作は返さなかった。
仕方のない犠牲だとは一度も言わなかったし言わせなかった。

犠牲は犠牲としてそこにあると、ただ事実を突き付けた。
倫太郎は幻覚という形で過去の罪に襲われる。
そして幻影の光景そのものを否定できずに恐れた。

飛羽真と賢人は大切な人に裏切られる。
大切な人達の大切な人は、自分達が守れなかった罪無き人々だった。
自分達のせいで大切な人が失われた無念を、二人はやはり否定できなかった。

言葉にしないことで、正義のための戦いは罪だったと認めている。
たとえ結果が正しくても、起きてしまった悲劇は否定できない。

倫太郎は犠牲者の存在を認めて、それを背負いながらも戦うと宣言した。
しかしアメイジングセイレーンの力により、倫太郎は自らの罪を凝縮したような幻影を見せられて、精神的に潰されかける。
この幻影も中々にエグい。規制が緩まっているため、パニックホラー映画のゾンビ集団が襲いかかるような状態で、子供がトラウマにならないか心配になるやつだった。

剣士としての綺麗事を前に、真二郎は犠牲者達の恨みつらみを叩きつけた。
それでも倫太郎は諦めない。

父親との決戦前、倫太郎は偶然に賢人と再会していた。
二人は互いに互いを忘れており、完全に赤の他人だ。それは本来もどかしく、絶望を示すシーンだろう。
けれど二人は記憶を失っても、何故か相通じるものがあり、互いを勇気付けるように別れた。

倫太郎は記憶を失ったまま、たった一人で立ち向かう。
思い出せないが確かに大切な人達がいた。
その思いを胸に、犠牲者達の無念を背負って戦い抜く覚悟を貫き通した。

逆境にも屈さず、剣士としての矜持と共に戦う真っ直ぐな精神性。
それを作ったのは倫太郎の過去。その積み重ねだ。

剣士の戦いには救えなかった犠牲者もいて、罪もあったろう。
だが剣士としての人生が生んだ絆もあり、今の倫太郎を形作っている。
ならばそれらは決して失っていいものではない。

真二郎は家族を愛したからこそ離れたが、そのために倫太郎の積み重ねと絆の中に、彼の存在はどこにもない。
彼だけはライダーを消す動機が、復讐心よりも『惨劇を見てきた』からこその使命感だったろう。

けれど思考が犠牲者寄りで、恐らく剣士の戦いを眺めて否定する側だった真二郎には、剣士の決意や絆が見えなかった。
絆を捨てた親が、絆を大切にしてきた息子に敗れたのだ。
そして皮肉にも、この戦いで親子は初めて心からの対話をし、絆を繋いだのだった……。

賢人の罪は倫太郎よりも直接的だ。
婚約者が元恋人を失った理由は、己が戦いの中で彼女達を見落としていたからだ。

簡潔に文章化するとやはりそれは逆恨みなのだけれど、『もし自分がその時に気付いて助けられていたら』の感情は、剣士として大きな罪悪感になる。
婚約者として彼女を心から愛しているのなら尚更だ。

賢人が結菜に婚約指輪を渡した時。彼は冗談めかして魔法が使えると言った。
そして結菜も使えると答えたが、それは真実であり、けどその魔法は賢人に復讐するための力だった。

賢人は自分の命を捨ててでも、無銘剣虚無の呪縛から結菜を救おうとする。
そして結菜もまた、復讐のために始めた恋人の演技だったが、いつの間にか本当に彼を愛している自分に気付いていた。

結局、結菜は賢人を救うために自分を犠牲にして、無銘剣虚無の刃に体を貫かれた。
(何気にこのシーン、特撮でよくある剣を腋に挟んで刺さったように見せる演出じゃなかった)
賢人もまた、結菜に少しでも長く生きてもらうために自分を犠牲にしようとする。
そして互いに相手を想いながらも、扉一枚を隔てたまま、二人は同時に消え去った……。

最後に残った飛羽真は、その元凶である間宮と対峙する。
飛羽真は間宮を親友だと思いこんでいたが、それはアメイジングセイレーンの力で捏造されていた記憶だった。
そのことに薄々感づいていた飛羽真は、それでも彼が正体を現すまで剣を向けることはできなかった。

間宮が復讐のために重ねた八年間。その集大成として飛羽真は消えかけ、最早まともに動けない。
剣士達の絆も失っている以上、クロスセイバーも発現不能だろう。
それどころか陸のトラウマがあるので変身すら躊躇いがある。
時間をかけてジワジワ進めただけあって、状況的には詰んでいる。

だが、八年の月日はただ漫然と流れていた時間ではない。
たとえ嘘だったとしても、飛羽真はその時間を大切に思っている。
剣士として戦っていた時間すらおよそ一年だった。
間宮に支えられながら、陸を育てていた八年間の想い出が軽いわけない。

同じように、陸は八年間の積み重ねで飛羽真を父親として信頼して、遂にはトラウマを乗り越えた。
間宮もまた、復讐相手だと思っていた飛羽真がいつしか大切な人になっていた。

そして間宮は思い出す。
父親の死に復讐心を抱いて無銘剣虚無を手にしたのは、幼き日の陸だった。
陸の復讐心が生んだ別人格と呼べる存在が間宮であり、そのため彼には父親を失った復讐心だけが強烈に植え付けられ、それ以前の記憶がなかった。

間宮は最後に、陸の記憶を改竄して無銘剣虚無を手にした過去自体を消し去った。
これにより全ての改竄や消去がなかったことになり、八年の時間が巻き戻っていく。一種のタイムパラドックスのようだ。

最後に無銘剣虚無とアメイジングセイレーンを打ち破ったのは、剣士としての強さではない。
剣士としての記憶を奪われ続けた中で、新たに積み重ねてきた八年間の想い出だった。
たとえ憎くても、許せないと思っても、その後に重ねた想い出と感情もまた本物なのだ。

全てが巻き戻った世界で、時間は平和に流れていく。

再び偶然倫太郎の姿を見た真二郎は、けれど交わることはなかった。
家族を巻き込まないために距離を置くのが彼の愛だから。

賢人と結菜は再び出会う。
もう復讐心を利用されることはなく、二人は再び恋に落ちていくだろう。

陸は健やかに育っていた。
間宮は間宮陸となり、復讐ではなく本当に自分がやりたいこと、捏造ではなく創造の道へと手を伸ばす。

飛羽真はそれを穏やかな言葉と微笑みで見守る。優しい記憶が詰まった公園で。

八年間の想いが、深罪を深愛へと変えたのだった……。

音声版

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前説

ネタバレ無し感想

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