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仮面ライダー 劇場版 令ジェネ感想 ジオウは発射台となりゼロワンは夢に跳ぶ

2019年12月22日

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仮面ライダーゼロワン 『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション

ゼミ生の皆様こんにちは、語屋アヤ(@ridertwsibu)です。


基本的に仮面ライダー映画で最も恐ろしいのはサプライズ演出のネタバレであると思う私は、今回は公開開始朝一の初回にて視聴してまいりました。

今回は令和初のジェネレーション作品(令和初のライダー映画ではないよ!)。
ジオウとゼロワンがどう混ざり合うのか等、公開前から気になる部分は多々ありました。

結論から言えば以前から出ていた情報通り、ゼロワンがストーリーのメイン。ジオウ側の出番もしっかりとありますが、脚本視点だとジオウのフォロワーが『ジオウってこういうものだよね』で書いたような感覚。
もっと言えば、令ジェネ自体が、ジオウの設定を巧みに使い、ゼロワンの起源を探る物語でした。

メインテーマはかつてゼロワン内で語られた夢と笑顔。それを別観点からより深く掘り下げていて、作家性そのものはゼロワン寄り。
やはりジオウとゼロワンだとゼロワンを観た感覚の方が強かったですね。

ストレートな感想だと、展開加速しすぎずそれなりにスピーディーでまとまりのあるゼロワンの良い部分が発揮されており、良き作品でした。
なら、このゼロワンとして描いたジオウとは何なのか?
逆にジオウが加わったことでゼロワンにどういう変化が起きたか。

私は各作品の作家性と影響力をメインに語ってみようと思います。
以下、映画本編の重大なネタバレ注意。

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ジオウとゼロワンがパーフェクトハーモニーした要素

劇場版にて当然注目すべきはアクションだ。
今回の監督は杉原輝昭。ゼロワンでは最初の二話分を担当している。
演出的にも予算ガツガツ食ってそうなド派さで、それを基盤にものすごく凝ったアクションが絶賛されていた。

ジオウ側ではアクションとライダーの共闘演出面で特に評価が高いアギト編だ。
まさにこういうのが観たかった! とファンたちを叫ばせた熱くて格好いい演出は、賛否両論となりやすいジオウの中でも神回との声が多い。
どちらの作品にも関わっていて、特に演出面での評価が高い監督は、本作でも渾身のアクションと演出を魅せてくれた。

今回は時間改変の影響で、元のゼロワンから世界観が大きく変わっている。
最も近いのはオルフェノクに世界が占領されたファイズのパラダイス・ロストだろう。

AIMSの不破と唯阿はレジスタンスとなっており、二人は変身もするものの、エイムズショットライザーではないリアルな重火器の戦闘がかなり多い
初っ端からカーチェイスでヒューマギアから逃げながらの銃撃戦であり、その後も機関銃やライフルでの狙撃など、まさに追い詰められた人類が武器をかき集めて必死に抵抗している雰囲気を強く出している。
(或人も車に飛び乗るシーンでは、スタントマンなしに華麗なアクションを見せていたのもポイントが高い)

ずっと苦戦していたからこそ、最後に二人が変身してアナザーゼロワンに猛反撃を繰り出す流れが燃える。
本編だと常に中の悪いコンビが、窮地に追い詰められているからか、抜群のコンビネーションで必殺技を繰り出していく。
不破はヒューマギアへの強い怒りが状況に沿っていて全く浮いておらず、普段は脳筋の不破をバカ扱いする唯阿も、リアルに人類滅亡しかかっているので揃って「人間を舐めるな!」モードになっているのだ。
この二人がまともに協力しあったらこんな熱い連携技が見れるのだと、IF故に違和感なく発揮される力強い戦いが劇場版の枠にこれ以上なく綺麗に、そして激しく収まっていた。

ジオウサイドもアクション満載。出演者達が歴代で最もアクションが多かったと評する程だ。
特にゲイツ、ツクヨミ、ウォズの三人は生身アクションが映える。
レジスタンス時代に戻ったかのような戦いであり、ツクヨミに至っては得意の銃撃に加えてチートの時間停止も使用して、戦士が更なる力に目覚めてしかもガッツリ使いこなしている感がすごい。
ウォズの十八番であるスカーフも、いつもみたいなCG演出による不思議挙動だけでないリアルに敵へ巻き付けてのアクションなど、これまであるようで無かった演出が見れた。

そして元レジスタンスチームの三人同時変身や、連携を取った戦闘。
相手はいつもと立ち位置が異なる滅亡迅雷.netのコンビ(衣装もスゲーイ格好いい)。もはや文字通り歴戦の勇士であるゲイツ・ウォズとぶつかり合いも見応えあり。
普段から強キャラ感の出ている滅と、文字通り歴戦の勇士であるジオウ組とのドリームマッチを楽しめた。

ゼロワンとジオウの演出もそれぞれに独自の色を出しつつ、最後の共闘へと持っていく流れがまるで違和感なく画面に映えて、最後のダブルライダーキックがまさにクライマックスな熱量で魅了してくれる。

或人が最初時に例のバッタが現れず、二回も変身アクションをして、なんと地面からこんにちは。
つぶらな瞳が下から覗く感じがめっちゃ愛らしい。お前、こんなに愛嬌あったのか。

変身後もいつもの調子が出ずあっさり敗北してしまうのだが、理由は衛星ゼアがちゃんと宇宙に打ち上げられておらず(上から落ちてくることが不可能)、フルで性能を引き出せていたなかったと後に発覚。
軌道衛星上にいないからバッタも地面からやってくるしかなかったのだ。なるほど! と一捻りした演出を入れてくる。

ジオウはジオウそのものの素材を生かすが如く、アーマータイムは使わず、最後のグランドジオウで歴代ライダー達を続々召喚。
グランドジオウが! ちゃんと強い!(まあ、トドメはさせなかったのだけど、噛ませ犬扱いになっていない)
あくまで平成ライダーの力をジオウの固有能力として枠に嵌めて使っているため、目立ちすぎずゼロワンとのバランスも取れている。

敵対するアナザー一号はアナザークウガ同様に巨大系。
脚部はサイクロン号を意識したバイク型になっている。

終盤はそこから更に進化して色が変わり新アナザー一号へと進化。
そうきたかあ! な演出と共に、進化後は脚部がバッタに変わって、怪人としての仮面ライダー感をより全面に押し出してくるのがいい。
アナザー一号は仮面ライダーは本来悪が本質だと語っているため、それを現実化させているとも取れて順当な変化だなと。

最後の決め技はお約束のダブルライダーキックなのだが、正面からのカメラワークでゼロワンは体より足が高く上がっている。これまでにない形式でのキックでジオウとの差別化を作りながら映画独自のオリジナリティで、これも画面に映える。
この画と共にライジングインパクトタイムブレーク(ジオウ部分はカラーもジオウ式)の文字が入るのがもうたまらない。

物語としてはあえて距離を取った共闘関係だったが、アクションについては予想を超える作品の融合度数で、この画をスクリーンで観たことだけで十分な満足感だった。

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綺麗にまとめられたジオウという矛盾

今回のジオウはシナリオだけだと劇場版的な特別感は薄く、『ジオウのゼロワン編』としていつも通りに事件を解決したスタンスだ。
もちろんジオウとしての物語は一度終えているため、そういう意味では特別さはある。

物語としてはジオウ本編後、再び各ライダー世界が融合し始めて、その犯人であるタイムジャッカーを止めて歴史を修正する。
ソウゴ達が記憶を取り戻す流れは割とアッサリしていてサクッと蘇っていた。
ジオウサイドのスタートも、後期ジオウのように世界観の一部がゼロワンと融合によって引き起こされる慣れた流れで、違和感もなければ強い衝撃もない。
面白味がないわけではなく、その後のジオウを描いた導入部しては手堅く綺麗にまとめられて、最終話のあれからあったろう学園生活をちょっぴり見れた嬉しさがあった

そういうスタートでタイムマジーンを使ってゼロワンの世界に飛び歴史の歪みを修正する。
その過程はやはりいつものジオウであるのだ。

他の要素も、あくまで別の歴史なので協力しつつもどこか一歩引いて、慣れた様子で事件解決を図るジオウサイド。
劇場版だからと言ってあまり深くまで他ライダーの在り方や世界観にどっぷり踏み込まないのもこれまで通り。
ソウゴはオーマジオウに至りある種達観した性格になっているため、むしろこれまでよりも関わり方は少しドライになっているまである。

これまでがレジェンドの胸を借りた成長物語だったとしたら、令ジェネはレジェンドライダーの位置から或人を支えてあげていた。
ソウゴがまだ18歳で或人が22歳なのだけど、ライダーとしては完全にソウゴが先輩の風格を漂わせている。
その結果、ベッタリとゼロワンサイドに関わっておらず、ゼロワンとの共演! みたいな特別さがやや薄い。

今回の敵役であるタイムジャッカー・フィーニスは設定的に方向性の異なるティードで、目的はあっても動機は不明。
実はこれってジオウの物語全般に言える。

そもそも最初にオーマジオウが覇道を選んだ理由は最後まで明かされず、(『Over Quartzer』は明らかに世界観が違うため)ウォズが何故オーマジオウに仕えゲイツ達を裏切ったのか。そもそもゲイツウォッチは誰がどうやって開発したのか諸々過去の掘り下げなどは全くなかった。
ジオウは基本、目的有りきで動機やそこに至る流れが曖昧だ。
過去に何があったかよりも、未来のために今をどう生きるかを優先して描くスタンスであり、その在り方を特徴の一つとして再現されていた。

世界観的にも『Over Quartzer』はバッサリ切り捨てて、ソウゴはかつて見た予知夢の話は一切せず、或人も同様にジクウドライバーを見て思い当たることは何もない。
両者世界観レベルで初遭遇の状態。これはあくまでTV本編の後だと明確に線引きしている。

世界観の擦り合わせについて、矛盾は極力切り落とすスタイルでまとめられていた。
このスッキリした構成はそれこそ、平成ライダー後期の安定感そのものと言える。

ここまでをまとめると、令ジェネにおけるジオウとは、TV本編のジオウ性を抽出してゼロワン編として形にしたようなものだ。
その結果ジオウってこんな感じの展開だったなーとまとめられている反面、まとまっているからこそジオウの濃密な爆発力も失われていた。

その最たる事象が過去作レジェンド不在である。
ネタバレ怖くて初日の初回を観たけれど、サプライズレジェンド出演は無し。
なんだったら普通にレジェンドのウォッチすら使わなかった。

レジェンドを伴わない通常~グランドは一通り出ており(ヘイセイバーは犠牲になったのだ……)、平成FOREVERでのビルド側的な扱いを思い出させた。
オーマジオウ? 出しちゃったらその時点で話が終わってしまうでしょ!
(逆にゼロワン側がフォームチェンジはあれどライジングホッパーの出番は無しで、かつてのジオウ側を踏襲している)。

ティードが平成ライダーの歴史を根っこから壊すことを目的として、自分がアナザークウガなった平成ライダー原理主義なら、今回のフィーニスは初代原理主義者。
自分がアナザー一号となって仮面ライダーとは本来『悪』であると断じて、あるべき仮面ライダー像を体現しようとした。

その上で一号こそ原点にして頂点だと言い切る、完全に拗らせた昭和ライダーファンである。

それに対してソウゴは『仮面ライダーに原点も頂点もない』と切り返す。
この台詞はものすごくジオウらしいしソウゴらしい。

らしさはあるのだ。けれど同時にらしさを補強する要素が欠けている。濃度が薄い。
この『らしさ』とは言語化すると、『平成仮面ライダー』という概念そのものである。

ジオウとは『平成仮面ライダー』を概念化したマウントの取り合いだ。
例えば、まず仮面ライダーとアナザーライダーの関係が『番組』を歴史と置き換えた作品の塗り潰し合いである。
令ジェネではアナザーゼロワンをAIMS組が倒して、歴史の修正をアナザー一号破壊に置いたため、ゼロワンとしての番組塗替え要素は薄い

他にも比較対象はある。ジオウ本編だとアナザーワールドを破壊した時は、歴史改変の象徴として仮面ライダーエターナルを配置。
『地獄を楽しみな』ポーズをサムズアップへの逆転。IF世界を壊した行為に対して、壊された側がソウゴ達を肯定することでマウントを取った。

そもそも歴史改変から始まったのに、オチで『実はディケイド式平行世界方式でした』というのも壮大なマウント返しだ。
その伏線として、いつの歴史かすらも不明で、視聴者の知らない番組として先にギンガを投入している。

『FOREVER』ではクウガを起点とした平成ライダーの理論的歴史破壊を、平成ライダーとは視聴者が辿った記憶であると電王で切り替えした。
大人と子供達がライダーの名前を呼び復活させるエモマウント。

『Over Quartzer』だと『平成ライダーは不揃いで醜い』という指摘を、ここまでに至る歴史を記した預言書を破り捨てたことで物語単位のアンサーとした。
そして『型にはまらないもの』だと平成仮面ライダーとは何かを叩きつけたのだ。

この流れに則るなら、原点の否定要素としてまずは『THE FIRST』や『NEXT』をレジェンドとして投入。
『仮面ライダー』に歴史としての原点や頂点など意味がないとマウントを返した上で、だからお前が始まりでもいいんだとゼロワンに結論を投げ渡す辺りが、ありそうなネタではないかと思う。

また概念としても少々問題がある。
ディケイドと違って、ジオウは昭和ライダーの歴史を内包していない。
タイムジャッカーに力を奪われたとしても、本来ジオウからアナザー一号が生まれることは理屈に合わないのだ。

強引に言えば平成ライダーの歴史には昭和ライダーとの繋がりもある。
けれどそれは平成ライダーの中にある昭和ライダーとの繋がりであって、昭和ライダーという『番組』そのものではない。

ゴーストの時に出た仮面ライダー一号ですら、平成の時代を生きる一号の物語であって、あれを基礎に一号を語るには今回のアナザー一号はあまりに観念的過ぎる。
今回のネタをやるなら、それこそせめて何らかの形で一号の歴史は取り込んでおくべきだった。

レジェンドライダーを惜しみなく投入してエモさ盛りつけまくり、そこから仮面ライダーを概念化した壮大なマウント合戦。
その中に色々無茶とか説明不足とか出ても知ったことか。俺達は瞬間瞬間を必死に生きてんだと賛否両論を承知でぶん殴る。
むしろ賛否両論こそが我らの持ち味だと言わんばかりに煮詰めた濃密さ。

これこそが平成最後にジオウが置いてった功罪なのだと私は思っていて、このノリをそのまま持ち込んでしまうと、まあ間違いなく盛り上がる。
だけど今度はゼロワンサイドが破綻して、作品として完全に食われてしまうのは火を見るより明らか。
筋道立ててまっとうにストーリーを構築しているゼロワンと、ジオウの瞬間最大風速で駆け抜ける作家性は根本的に相性が悪い。

そのためジオウはあくまでゼロワン編として物語構造をメインで使用。従来通りの流れを作り、深堀せずストーリーはあくまでゼロワンの過去に焦点を定めた。
メインテーマのAIと笑顔に物語の焦点を合わせて、一本筋の通った物語として仕上げているのだ。
これこそ、今回のタイトルが『ジェネレーションズ』にならなかった所以である。

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新時代と令和初のライダーは同じで違う

要するに令和ライダーの時代とストーリーを壊さないために、ジオウ側は特質を抑えつつ自分色を出していた。
これが面白いことに、ゼロワンの視点から見たジオウの影響だとまた話が大きく変わるのだ。

ゼロワンは令和のファーストライダーとして世に放たれた作品である。
けれどゼロワン単体では物語としてそれを主張できない。
仮面ライダーの概念を『ゼロワンの世界』として可視化できないためだ。

付け加えるならゼロワンは本編がAIの在り方に対してかなりディープな掘り下げ方をしている。そのためゼロワン単品で本作を作ると、ヒューマギアが人間を征服した世界観はシンプルかつ極端過ぎて、どこかチープに映ってしまう。
そこにジオウフィルターを一枚挟むことによって無茶を納得させられる。「タイムジャッカーって奴の仕業なんだ」と皆の心に草加雅人や鳴滝が宿るのだ。

ゼロワンにおける新時代の仮面ライダーとは、あくあで令和ライダーではなく、これから作られていく人とAIが共に生きる新たな時代を指している。同時に、ジオウが存在するだけで視聴者の視点はメタになり、『仮面ライダーゼロワン』に『令和ライダー一号』の属性が付与される。
結果として上手く『ゼロワン』内における新時代と、令和ライダーの要素が融合していた。

故に作中で令和ライダーとは名乗っていないが、ジオウがいればそれだけで新時代とは令和ライダーのことだと脳内変換される。
皆知ってる北斗の拳は、作中で一度も世紀末というワードが出ていないが、誰しもが北斗の拳の世界=世紀末と連想する。
これと同じ状態で、(時間改変の要素を除いたとても)ゼロワンにおける一号を巡る物語は、ジオウなしでは成立しないと言えるだろう。

劇中だと、ゼロワン世界において仮面ライダーという名が与えられたのは、ゼロワンが最初だと思われる。
システム的な意味で、1型は仮面ライダーを名乗っていない。

そしてエイムズショットライザーには変身時に『Kamen rider』と音声が入る。
これはゼロワンの仮面ライダーというシステム名称から取られたのだと推測も付く。

仮面ライダーを一つのシステムと象徴として置いた上で、或人は仮面ライダーになる資格を問われる。

或人が仮面ライダーとなったのは、ある日突然、飛電インテリジェンスの社長に任命されたから。
最終的には皆を笑顔にするという目的ができたものの、あくまで最初は突然仮面ライダーとなって戦うことを押し付けられた。

或人が願った父の笑顔。
そして其雄も自分が笑顔になることで、息子の笑顔が見たいと願った。
或人の目的である笑顔と夢の意味を、父親を通してもう一度問いかける。

本作は或人が令和初の仮面ライダーとなるのに相応しい人物かを問う物語でもあった。
そのためゼロワンとしての戦闘は最初と最後のみで、むしろ001での戦闘が主体だ。
ゼロワンに至る以前の001で、1型の父と決着を付ける。

そもそも人間が扱うには反動が強すぎる001での戦闘は、それそのものが試練だ。
肉体的にも精神的にも追い詰められた状態。なおも全力を尽くして、誤った夢の結果を導いてしまった父親を乗り越える。
その果てで、誰かのためではなく自分の夢のため跳ぶのだと教えられ、其雄から直接飛電ゼロワンドライバーを授かった。

1型に勝利して、人類の正しき夢として衛星ゼアが打ち上げられる。
そうして或人は再び、今度は己の意思でゼロワンとして戦う決意を固めた。

父の死を乗り越えて、
人とヒューマギアが笑顔になる夢を持ち、
側に立つイズもまた、己と共に夢を望んでくれた。

飛電或人こそが仮面ライダーゼロワン。
令和最初の仮面ライダーだと、胸を張って言える存在へと成長したのだ。

そして最後のジオウVSゼロワンの一騎打ちへと繋がる。
ジオウ側の目的は再び融合し始めていた世界を分かつこと。

今は王様になるため戦っているわけではないので、ジオウとゼロワンの世界が繋がったままではいけない。
決して交わってはならない二人のライダー。

そもそも『ゼロワンの世界』は、ジオウが王道を選んだことで各世界が分かたれ、令和へと新たな時代を進めたことで生まれた。
そういう意味で、ゼロワンとジオウは本来絶対に交わらない。

決着そのものに大した意味はないだろう。
きっと儀式として二人が決別して戦うことに意義がある。

それはかつてディケイドが世界同士で絆を結び繋いでしまったものを、壊すことによって再構成して分離させたのと同じようなことだろう。
そして、ゼロワンは自ら新時代の仮面ライダーだと宣言したことで、『ゼロワンの世界』が確立して、飛電或人=仮面ライダーゼロワンが特異点となったことの証明にもなるのだ。

飛電或人。
仮面ライダーゼロワン。
だからこそ彼は平成を統べる魔王と戦う。

常盤ソウゴ
仮面ライダージオウ。
だからこそ彼は新たな時代を跳ぶライダーと戦う。

それこそが決して交わらぬ伝説の終わりと始まりのバトンタッチだ。

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