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仮面ライダージオウ 39話『2017:グランド・クライマックス!』
ゼミ生の皆様こんにちは、語屋アヤ(@ridertwsibu)です。
今回は電王のジオウ編後編でしたね!
前回と書き出し同じだけど、やっぱり後半も同じノリだったからしょうがないじゃない!
ただし、後半はモモタロスがメインでピックアップされていましたね。
流石にガヤガヤしっぱなしだと話を畳めないのでイマジンの出番は絞られました。
というかワイワイする流れを削ったことで、電王が持つもう一つの大事な持ち味を活かしてくれています。
モモタロスがタイムマジーンの操縦に手を出すノリが、ああモモタロスはこういうことする子だなと自然に思えるのですよ。
てんこ盛りフォームや侑斗とデネブのプロレスネタや増えるモールイマジンなどのお約束はしっかり回収しているので電王感は全く損なわれていませんでした。
うん、これジオウなんですけどね!
とはいえこれだけ電王ノリ全開でもグランドジオウの存在感がものすごい。
放送終わってから何度もTTFCでリピートしてしまう。
ゴルフの一週お預けされた後なので感動もひとしおでした。
ではでは、今週の感想と考察を始めましょう。
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グランドジオウの演出がライダーサイキョウ!
グランドジオウがちゃんと変身シーン付きで本格登場だ。
オモチャの宣伝文句でも長さがウリになっていたけれど、本っ当に長かった!
そして観終わってからAmazonでの購入も完了した。本当に心から感動を味わったし、これは買って記念碑として我が家に供えておかねばならない。
第一話で像になっていたライダー達が元の姿になってジオウへと収まっていく。
本当に記念碑としての圧倒的存在感であり、迫力を優先して映像の方をスローにすることで変身の尺を合わせにいった。
ヘイセイバーの如く二回目のフルバージョンがあるか疑わしいけど、こりゃあ短縮されても仕方ない。
感想が神々しいとダサいで見事に二分していたけど、この賛否両論こそが平成仮面ライダーの最終フォームというものだ。
平成ライダーの最後として歴史を祀る存在としては完璧な演出だった。
戦闘は39話冒頭のリピートになるのだけど挿入歌と、演出面の強化が入って迫力と勢いが全然違う。
今回はちゃんと時空を切り取って召喚した流れも含まれている。
オーズの柱が後半でちゃんと意味を持つ構成だ。
しかも柱で当たりが弱いのを、時を戻して調整している。
この使い方はそうきたか! と演出の上手さを噛み締めた。
ジオウの時を操る能力がジオウⅡ時よりも更に自由自在に使えるようになっており、純粋にジオウとしてもパワーアップしている。
召喚もライダーだけではなく武器単品や様々なシーンから切り取って出してきている。
応用性の高さについては前回の考察でも書いたことだけれど、武器単独召喚レベルの小回りまで効くのは予想以上だった。
これは素直にコンプリートフォームよりヤバい。
ただ、やはり時空から呼び出す構成上、動きは再演の形式になり自由度には限界があるようだ。
というかせめてそういう制限がないと本当に何でもありになってしまう。それくらいのチート性能だ。
フィニッシュタイムでは強化フォームまで複数同時召喚した。
しかも時間を止めてヒットタイミングを操れる。やられている側は相当な恐怖だろう。
おまけに昔の電王を召喚して、そこにモモタロスが乗り移る離れ業まで見せた。
あのやる気のない俺参上は偽物だからではなく、タトバキックの柱と同じでそういうシーンが実際にあって、そこから切り取ったためである。
モモタロスが入ってコントロールを得たということは、時間を切り取って召喚されたライダーは完全な本物ではなくディエンドの召喚に近いのだろう。
ただこの召喚による戦闘には思うところもあって、アナザー電王相手にこれは流石にオーバーキル過ぎないかという問題だ。
歴代ライダー達の必殺技を受け続けているので、相対的に理不尽なまでの頑丈さになっている。
そもそもアナザー電王はアナザーライダーの中でも願いが切実で悪役感がないので、そこまでもしなくても……とちょっと可哀そうに思えてしまうのが厄介だ。
実際には救っているのだけど、映像演出だけみるとリンチっぽく見えてしまう。
通常の仮面ライダーだと最終フォームが登場する頃には相応に敵も強くなっている。
相手も上位の幹部級で明確に倒すべき敵感が強くなっているのだ。
これは全体的にアナザーライダーがあまり強くない構成上の問題と、一般人が半ば強制的に力を操られて実質傀儡扱いになっている問題が重なってしまったなと。
せめて人間ではないカッシーンやマンホール女王様ぐらいの問題児なら良心の呵責は起きなかったのに……。
とはいえ、言いかえればそれは最終フォームに相応しい強さと演出が出せていたという裏返しでもある。
まさかこんな形でガタキリバの集団キックが再利用されるとは思わなかった。
タトバキックとは異なり、わかりやすく強いけど予算の都合上出番の限られていたあのガタキリバが!
ジオウⅡでジオウサイキョウになったとして、全主人公ライダーと時間を自在に操るグランドジオウはまさにライダーサイキョウ! って勢いだ。まさに魔王。
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電王とジオウの時間に対する姿勢の違いについて
前回の予想考察にて電王とジオウは時間モノという概念において水と油だという話をした。
今回はそこをどう調節してくるのかも気になっていたが、姉についてはまんま予想通りの結果だ。
http://kamen-rider.info/zio-40-p/例えばもう助からない不治の病で、最後の願いを叶えるため外へ連れ出し、それが原因で病状が悪化してしまったとか。
やはり世界観の違う時間モノの整合性をぶつけ合わせるのは二話完結では難しかったのだろう。
結果としてはストーリーラインは電王そのもので、解決方法はジオウの歴史改変によるもの。
弟に真実をそのまま伝えてしまったことによる歴史改変はスルーされた。
モモタロスは基本ノリで行動しており、人情に厚い性格なので突っ込む理由が特にない。
時の運行云々の問題は、そもそもオーナーやイマジン以外のデンライナーメンバーを出さないことで強引に蓋をした。
というかイマジン達すらモモタロスを除き捕まっていたので、実質口を挟むタイミングがなかった。
(ウラタロス辺りなら時の運行の在り方と比較して何か言ったかもしれない)
特にオーナーはイマジンを除き、電王出演の皆勤賞だった。
それが崩れてしまった寂しくさと、同時にその役割の重要さを示す結果となった。
このシチュエーションを作るために、モモタロスが勝手にデンライナーを操作して壊したという流れに持ち込んだのだろう。
逆に言うと時の運行を阻害するジオウの在り方は本来電王とは合わない。
そうなるとウォッチの継承はしてもらえない。
『ジオウ』はソウゴが王になりたいと願い、その通りに未来が創造されている。
そしてその結果としてライダー達と引き合っているのだ。
だとしたら継承を阻害する要因が自動的に排されているのはソウゴの力によるもなので説明が付く。
これは基本的にウォッチ継承が自然と為されてきたのも同じ理屈だ。
皆気前よくウォッチを渡してくれるのは、ソウゴがウォッチを手に入れ王になると願ったからなのである。
そう考えるとブレイド以降現代にアナザーライダーが出現するようになったのは、残りのウォッチを集める意思を明確にしたソウゴに引っ張られた結果なのかもしれない。
若干の不満は残るものの、じゃあ今回は電王編として不出来なのかというとそんなことは全くない。
それ以上に重要な物語が後編では静かに、そしてこれ以上なく電王らしく進行していたためだ。
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アナザー電王はアナザー野上良太郎と呼べる存在
私が前回から何故実質最後のアナザーライダーがごく普通の一般人だったのか。と密かに疑問を抱いてきた。
タイムジャッカーのウールとオーラからすれば、現状はかなり崖っぷちである。
もはやほとんどのウォッチは集めきり、放っておいてもソウゴは勝手に歴代ライダーと出会う。
ならばもう王を擁立できるチャンスは数少ない。
そういう条件下でアナザーライダーを選出した割には普通の青年だった。
アナザー電王が過去に強い執着心を持った者であるべきだという考え方はわかる。
けれど、選ばれたタクヤには王になるという意思がない。
人選の理由がいまいち思い浮かばなかったので、選んだのはオーラちゃんだったこともあり、マンホール女王がよっぽどお気に召さなかったのだろうかと思っていた。
結局のところ人選理由はハッキリしなかったのだけど、物語的な構成で考えると40話を視聴してすごく納得がいった。
弟タクヤの願いは愛する姉を救うこと。
そして姉の命を奪った恋人ユキヒロから姉を守ることでもあった。
この構成は姉を救うために守り、姉の恋人である桜井侑斗の謎を追いながら苦悩していた野上良太郎と似ているのだ。
そう考えると、やる気のないモモタロスが召喚された話は、桜井侑斗を見つけて良太郎が姉に関する問題を抱え込んでいた時期の話でここも被る。
(モモタロスは良太郎が姉のことについて話さず苦しんでいたから不機嫌になりやる気がなかった)
そして苦悩の末に姉の恋人は敵ではなく、自分と同じくらい姉を想い行動していたと判明する。
この構造は野上良太郎と桜井侑斗と重なるのだ。
電王の物語はイマジン達がワイワイやるだけではない。
切なくも胸を熱くするシナリオもまた重要なのだ。
要するに前回は欠けていた小林脚本味である。
その人情劇を後半で、良太郎達と重ねるように形作ったのだ。
電王とは家族や人の想いを守る物語。単純なお祭り騒ぎを超えた部分の魅力を電王編はきちんと描いてくれた。
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