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仮面ライダーオーズ 復活のコアメダル いつかの明日は来るべきだったのか【評価・考察】

2022年3月20日

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ゼミ生の皆様こんにちは、語屋アヤ(@ridertwsibu)です。

今回の前説は、あえて映画の視聴前に書いております。
何故なら、本作においては視聴前の想いすらも、重要な感想の一部になるためです。

人によっては、完結編はもはやその存在が解釈違い。
アンクの復活ネタは映画やゲームで何度もやったけど、それはそれ……完全な復活シーンはなかったし……!

だがこれは違う。明確に、確実にアンク復活を描く気だ。
待て、いいのか、本当に、やっちまうのかよっ!

『存在しない』という事実は無敵です。
いつかの明日を自由に空想できるのですから。

百人いれば百通りの解釈があり、その全てに正しいも間違いもない。あるのは作品への想いだけ。
いつかの明日は来ることのない明日。優しい世界でした。
これこそまさに真木博士が目指した終末の理論です。
多くのファンは十年もの間、美しいままに終わったオーズを愛で続けていました。

その時間が今、終わりを告げようとしています。
神(公式)からの配給があったなら無視はできません。

嫌なら観るなは正しい。
けれど、観なくても作品は確かに存在するのです。『在る』という現実こそが胸をざわつかせる。観ざるを、得ない……!

たとえその先に待っているのが天国でも地獄でも名作でも駄作でも、私達は受け止めなければなりません。
アンクの復活。
オーズの完結。

鴻上会長は言いました。今日という日を明日にすることさえ欲望だと。
私達が望み、そして望まなかった、『いつかの明日』の陽が昇りました。

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ネタバレ無し感想

はてさて、本作を観る前から盛りに盛った前説を書いて、毒にも薬にもならぬ微妙な作品が出てきたらどうしよう、なんてちょっぴり思っていた。
しかし、そんな心配は完全に杞憂だったと断言できる。

深罪の三重奏に続いて、またネタバレ無しの感想が難しい作品が来ちゃった!
とはいえ、前回と違って作品の構成そのものがネタバレになってしまう類のものでもない。
宣伝通りにちゃんと完結編を描いていた。それは間違いない。
望んでいたものではあった。いや、こうじゃない。それとも、こうであるのが正しいのか……。
そういった悲鳴や悲嘆、納得、満足、不満足、様々な声がファン達から上がっている。

個人の感想としてはどういう形でも間違いではない。
これは作品としての面白さではなく、前説で書いた『十年間の想いと作品への解釈』に対する回答をぶつけられた反応が、そのまま感想として吐き出されているためだ。
言わば、心という機械の作動音みたいなものだろう。

だから中には「オーズという作品の解釈としては正しいと思うけど、心が受け止められない」という人もいて、本当に反応は様々だ。

こんな反応が出るくらいなのだから、やっぱり作品としてはダメだったのでは……と思うかもしれないが、それは違う。
勿論展開が駄目だったと思う人も中にはいるだろう。だが少なくとも万人が駄作だったと落胆する類ではない。

やはり一時間という尺のため、設定上かなり強引な部分はある。
もっと起承転結をしっかり付けて、全キャラにそれなりの活躍の場を与えるなら、この三~四倍の尺が必要になるだろう。
本来なら一本二時間で前後編の大作映画を、一時間の総集編にまとめましたという印象。

これをリアルにやると大概酷いことになる。好きなアニメの総集編映画で散々味わった人もいるだろう。
本作も一部はかなりガバガバ設定だが「物語的にはさして重要な部分ではないため、思い切って削ぎ落しました」という状態だ。
サブキャラに対して過度な期待を寄せている人は、高確率で肩透かしになってしまうだろう。

それでも一本の映画としては問題なく成り立っていた。
無理やりぎゅうぎゅう詰めに描いて物語が破綻するよりはよっぽど良いので、私は「必要な犠牲でした」と理解している。

実際、ファン達の感想はその多くが解釈論争だ。
なんだか聖書でも読み解いているみたいだなと思うけど、ある意味でオーズ本編が本当に聖典と化しているからと言える。
「タジャドルとプトティラはどっちが最強フォームか」の解釈一つで論争が起きるのがいい例だ。

更に付け加えると、本作の結末は無難な道を選ばなかった。
オーズとはどういう物語であったか。解釈の答えをかなり直球で容赦なく投げ込んできたのだ。
その現実を素直に受け止められない人が多かった。

誤解を恐れずに言うなら、私は公式の答えが常に絶対だとは思わない。
最終的な解釈は観る側に委ねられるものだと思うし、十年後に集まったキャスト達でさえ、受け止めるのは時間のかかる答えだった。

また、脚本担当が本編のメイン脚本だった小林靖子氏ではなく、毛利亘宏氏であることも論争に拍車をかけている。
「小林氏ならまた別の解釈で、もっとファンの心に寄り添った脚本が書けたのではないか」と考えている人も一定数いるのだ。

これは毛利氏を悪し様に貶したいのではなく、特撮界隈における小林脚本信仰が大きいだろう。
小林氏はアニメやドラマ、舞台作品でも非常にハイクオリティな脚本を書くことで知られている。

近年だと『岸部露伴は動かない』が有名だ。
アニメ作品の実写化は、その多くが失敗すると言われている。中でも岸辺露伴は原作の癖がとんでもなく強いジョジョシリーズのスピンオフ作品だったが、原作ファンの多くが大絶賛する脚本を仕上げた。

毛利氏も特撮作品ではサブライターが基本でこそあるが、十作品以上を手掛けており、オーズにも参加している。
(というか毛利氏の特撮脚本デビューがオーズである)

当ブログでも何度も登場している、私が個人的に一番好きなオーズの名言『正義のためなら人間はどこまでも残酷になれるんだ』が出た回を担当したのは毛利氏だ。
他には小説版オーズの執筆も担当した。

パンフレットでの内容からも、本作のシナリオは何度も話し合いを重ねた上で出た結論であるとも読み取れた。
毛利氏自身も本作の脚本がかなりの衝撃をもたらすことは公開前から自覚しており、「覚悟をもってお届けさせていただきました」と語っている。
毛利氏は、決してオーズに無理解で脚本を書いたわけではないことをハッキリ明記しておく。

そういった事情もあって、多くのファンが様々に複雑な思いを抱えている。
本作が出した結末に対して、ある論者は「オーズは既存の聖典が〇〇だったのだから、今回はもっと▲▲と描くべきなのだ!」と嘆く。
けれど他の論者は「いや聖典のこの記述を読み直せ。■■と書いてある。ならば××は聖典に則った正統な結末なのだ!」と声高に叫ぶ。

私が個人的に支持する派閥は、後者の解釈肯定側だ。十割肯定ではないにせよ、七割以上は肯定していると言っていい。
それでも、受け止められない側の感情もよくわかるし、その気持ちを否定したくはない。

だから今回の私は、後者側の解釈を語りつつも前者側に少しでも救いがあり、寄り添える形での感想と考察を、これから語っていきたいと思う。
(以後はネタバレ有りになります)

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