どうも、ゲタライド(@ridertwsibu)です。

アギトから始まった夏映画は、平成仮面ライダーの歩みの中でもかなり早くから定着した、スーパー戦隊と運命を共にする不文律でした。

夏映画文化の枠が破壊される。
それは仮面ライダーを追い続けてきた者にとって、歴史の道に地割れが走り途切れるにも等しい事態でした。

けれど東映は夏映画がなくなっても、作品そのものは無かったことにはせず、冬に夏映画の枠を移してくれました。

このズラしは、とても大きな意味を持ちます。
ディケイドによる放送期間ズラしを経て以降、夏映画は作品性のまとめを兼ねた、総決算的とも言える立ち位置です。
冬映画は作品としてバトンタッチも兼ねたクロスオーバー枠であり、二つは趣きが大きく異なるのです。

当然、東映としてこの時期はセイバーを主体で売り込みたいはず。
それでも枠の移動をすることにより、ゼロワンの世界観を優先して守ってくれたとも言えるでしょう。それには感謝しかありません。

そうして送り出されたゼロワン劇場版は、ゼロワンにおいて非常に重要な作品となりました。

もう一つ、これはあり得ないIFとわかっていても、ファンは常々思っていたことです。
夏映画の枠で純粋な後日談をやれば、最大級に盛り上がるものが作れるのではないだろうか?

決してコロナのおかげとは言いたくありませんが、結果としてファンの夢想がここに実現したのは事実です。
そうして遂に公開された『REAL×TIME』は、私にとって想像を超える名作となりました。

これは夏映画の特質、ゼロワンの作品性、想定外の延期、全てが良くも悪くも噛み合い生まれた一種の奇跡であるでしょう。
これがどう奇跡だったのかも含めて本作の感想と考察を書き連ねていきたいと思います。

ネタバレ無し感想

今回の劇場版について、ストレートな感想は面白さがわかりやすいことだろう。

ゼロワン本編は、人工知能と人間の付き合い方に対して突き詰めれば面白いが、突き詰めなければ面白さがわかりにくい。
Twitterでも、面白いと感じるが上手く言語化できないと言う人を多く見かけた。

これは特に、お仕事勝負での、『飛電 VS ZAIA』、『人間(レイダー) VS ヒューマギア(マギア)』、による複雑な多重構造でかなり加速した。
本作ではある要素を一つ減らしたことにより、話の簡略化とダイナミックな構成に成功した。

物語とは要素が増えていくごとに、破綻しないための緻密さを求められ、嘘が付けなくなっていく。

例えばリアリティの追求を重視したクウガだ。
リアルな場所と時間を舞台として想定したことにより、『この時間内ではこの範囲。電車だとここまでしか移動できない』といった制約が生まれる。

人工知能が発達したアンドロイドが様々な職場で働くことを想定したSFは、これによりAIに対する嘘がかなり制限されてしまう。
そこに人間の悪意や、テクノロジーによるお仕事勝負、機械に心が芽生えたらどうなるか? 等などの要素が積み重ねられた結果、ゼロワンのストーリーはかなりガチガチに固められていた。

劇場版では、本編で語り終えた要素を一つ、すっぽ抜いたことで恐ろしい程に自由度が上がった。
設定に対して大嘘ぶちこめるようになったのだ。

そうなるとエグゼイドで人気を博した脚本の勢いも活きてくる。
AIと仮想空間を結び付けた架空のリアリズムは、無茶だがとりあえず理屈は通る。
テクノロジーとテクノロジーを掛け合わせて作られる演出は、ヒューマギアとは違う独自の世界観を見事に形成した。

紛れもなく日本なのに異世界的な空間もその一つ。
直接人類滅亡を描いてしまうと陰鬱になり過ぎてしまう。
お仕事勝負の非難を繰り返してしまうところを、非現実性だから描ける世界の終わりで彩っている。

ゲーム医療やゲームキャラは命も設定なので実質不死身! みたいなロジックのゴリ押しを可能としたのだ。
まさにエグゼイドの如く、細けえことはいいんだよ! 感は加速しているが、勢いとワクワク感で面白さが勝る。
ある意味わかりやすく多くの人が放映開始前に期待していた派手なSFテクノロジー描写だと言えるだろう。

ただし、ヒューマギアという存在の扱いに対する嫌悪感が強い人は、その感覚を払拭するような要素はない。
人類のヒューマギアに対するスタンスは、ゼロワン最終回から大きくは変わっていないからだ。
(時間軸的には採取会から三か月後なので、ゼロワンの社会そのものは大きな変動は迎えていない)

イズに発生するイベントや、或人の発言から「なんだやっぱりヒューマギアは自分の意志や人権なんて認められないんだ」と感じる人はいるだろう。
AIと心を掘り下げ続けたゼロワンの作品性は、人によって捉え方の変わる答えのない物語だ。
人の心を持つ人型アンドロイドという存在自体が奴隷として映って倫理的に受け入れられなかった人は、相変わらず嫌いな作品としての評価は動きにくいと思われる。

それもキャラクター単位で言えば話は別だ。
それぞれ最終話で描かれた環境での活躍がしっかりと描かれている。
特にイズと滅が好きで、最終回後どうなったのか気になるという人なら、その活躍を大いに楽しめるだろう。

物語的にストレスが溜まる展開が苦手だったという人も、劇場版では精神的な負荷をかける要素はそこまで大きくない(従来の平成二期以降と変わらない水準)。

要するにリアリティを重視しなければならない要素が減ったことで、視聴者を驚かせるシナリオ構造や、純粋なエンターテイメント性に割合を振りやすくなった。
それ故にストレートな面白さ追求できた。

しかしながら本作の立ち位置あくまでゼロワンの後日談的なエピローグである。
劇場版の面白さは劇場版だけが作っているわけでは決してない。

その集大成として完成された物語なのだ。
だからこそ、ゼロワンを好きだった人には是非とも触れてほしい。

以下、ネタバレ有りの感想。

ゼロワン劇場版は●●要素を引き抜いたからこそ面白くなった

ネタバレになるため一生懸命触れないように書いたが、ゼロワン劇場版が引き抜いた要素とは何か。
それは『ヒューマギア社会』である。

アークの破壊、そして滅との決戦を経て、人とヒューマギアの関係と社会はどうなったか?
本作ではそう言った部分には一切触れていない。
あくまで或人やイズ、主要キャラクター達のその後に内容は絞られている。

あれだけ人類とヒューマギアの確執があり、こじれにこじれたのだ。たった三か月で関係の修復なんて不可能なのは考えるまでもない。
視聴者や或人達が滅のことを受け入れても、社会が素直に滅亡迅雷.netの変化を認めるはずもないだろう。

そういう社会性を掘り下げようとすると、『正解のない賛否両論部分』がまた暗い影を落とす。
『REAL×TIME』では、そういう部分をバッサリと排除した構成だ。

これには相応の理由がある。
本作がその後の社会をストーリーから切り離しているのは、当初は夏映画として放映される予定だったため。
初期の脚本はコロナ禍以前に出来上がっていた。そこから時期がズレたことにより一部修正がなされたものの、作品の大筋は変わっていない。

仮面ライダーW以降、夏映画は作品が終盤に入ってから公開されることが慣例になった。
そのため劇場版の内容は、最終回ではないけど作品のテーマ性を集約した一種の集大成になる傾向が強い。

けれど、本来最終回後の想定ではなかったので、その後の社会が作品には盛り込まれているはずがないわけだ。
その代わり脚本変更による、新しいイズと変化した滅亡迅雷.netが『ゼロワン世界のその後』を映す役割となっている。
そのためゼロワンの集大成ではあるけれど、ヒューマギア社会ではない切り口から生み出され、盛り上がる要素が強い作品性になった。

では、本来『REAL×TIME』が描きたかったゼロワンのテーマ性とは何かという話になる。
これこそがヒューマギアとは異なるテクノロジー、ナノマシン。
そして進化したテクノロジーを扱う、エスとシンクネットによる人間側の悪意である。

医療用ナノマシンは単なる夢物語ではなく、既に開発されている最先端医療だ。

AIは医療から発達することからも、その起源はヒューマギアと同じ。
だがナノマシン自体は人工知能があっても、ヒューマギアのような人型の肉体を持たない。

また面白いのは、心の見せ方もヒューマギアとは大きく異なる点だろう。
ナノマシンは個ではなく群れとして成立する存在。

肉眼では捉えられない粒子みたいなものに意思が宿る。
すると人間の観点はヒューマギアとは全く異なっていく。
特に視聴者は『ヒューマギアも人間と同じ心があるんだ!』から『一寸の虫にも五分の魂』みたいな感覚となる。

より純然たるテクノロジーの結晶と呼べるものを扱い、高度なテクノロジーと人工知能は人を幸せにするのか? と問いかけてきたのだ。
実際、こちらの方が観る側にとっては、テクノロジーとして断然割り切って考えやすい。

極小のテクノロジーに意思が宿ればどうなる?
ヒューマギアと同じく悪意を植え付けられたら?

その結論こそ、人工知能搭載型ナノマシンに悪意が宿り、人間と同じ姿を得た存在がエス。
群れとして成り立つ存在が故に、エス個人の悪意と、人工知能の意志が矛盾せず同居して成立する。
これこそ、存在としてのエスの本質だ。

人の意志によって、テクノロジーが悪意で動く。
シンクネットはその延長である。
エスの信者達も同じく、ナノマシンをアバターとして活用する発想から、仮面ライダーアバドンを量産型の不死身兵士として機能させた。
人が悪意を持ってテクノロジーを扱った結果だ。

天津は近い立ち位置ではあるが、1000%を目指しちゃった結果様々な要素が絡まって、更にはコロナ禍の影響もあり、最終的に悪意にも善意にもやたらと前向きなさうざー大好きオジサンに着地した。
わけのわからなさも1000%だ!

感情論だと、お前はちゃんと社会的な制裁を受けろという気持ちは大いに残っている。
それでもラストで皆をサウザー課に誘い、全員からアッサリ袖にされても「これから仲良くなっていけばいい!」と断言するポジティブさも大好きだ。
(しかも味方になると、敵時代の厄介さがそのままプラスに転化され、技術・戦力両面で超優秀なのもまた、味方視点で扱いに困る)

ちなみにこの一言は、最後になんか言って締めてと無茶振りされたアドリブ。
他のメンツは仮面ライダー亡のZAIAパンツ事件同様に、「最後で天津に持っていかれた……」な気分だったそうな。
桜木那智氏の天津に対する愛情とセンスが半端ない。

話が1000%逸れたので元に戻す。
テクノロジーと向き合うテーマ性として、ナノマシンはそれ単体で完結する非常にわかりやすい敵役であり、人間とヒューマギアが手を取り合って打ち倒す相手としても最適だった。

TV本編ではアークとの戦いで人類とヒューマギアの共闘はあったが、アークはテクノロジー云々よりも黒幕であり、悪意の集合体としての立場が強かった。
状況的にも和解ではなく、より質の悪い共通の敵を一時共闘して倒した状況に近しい。
しかも一度倒されてからは、人やヒューマギアに伝播する『悪意』の概念となったので尚更だ。

本編後に協力し合って、第三の新勢力を共に打倒する。
エピローグの後日譚として非常にわかりやすく盛り上がりやすい展開だ。

尺の短さを逆手に取るリアルタイム

本作の注目すべき点の一つは、やはりそのタイトルであるリアルタイム制だろう。
本来、劇場版における正味一時間の尺は、一本のドラマとして考えると厄介な制限である。

現在の映画は二時間を超えるものが主流である。
これは視聴者が鑑賞に堪えうる時間や、劇場の回転効率といった要素もあるが、やはり一本のドラマとして作るにあたりそれくらいの時間は必要ということだ。
もう少し尺があればここも描けたろうに……と思うライダー映画は少なくない。

というか、ライダー作品に詳しい人程、仮面ライダーにも二時間枠の映画が欲しいなあと思うだろう。私は思う。毎回思う。
ディケイドには是非映画作品の時間枠も破壊していただきたい。これには思わず鳴滝さんもニッコリ。

ゼロワンでは60分の尺を逆手にとって、『始まりから60分で解決する事件』としてメタフィクション要素を取り込んだ構成とした。
こうなると60分のキリの良さがプラスに働き、一時間枠なんてほとんどない他の映画よりも『リアルタイム』をウリにできる。
タイトルも『REAL×TIME』で、昨今のOPテーマをタイトルに絡める枠も絡めた洒落た対応だ。

というわけで、この逆転的な発想を私はとても評価していた。
過去系なのは本作の問題である。全然リアルタイムじゃないよ! タイトル詐欺だこれ!

なんと『REAL×TIME』の尺は約80分であり、実はリアルタイム進行していない。
映画の放映時間枠まで破壊されてしまった! おのれディケイドォ!(風評被害)

どうしてこうなったかというと、脚本段階では本当に60分想定で作られていたのを、監督が1000%気合入れて撮影した結果20分程オーバーした。
普段ならスーパー戦隊側と合わせて尺が決まっている以上、ライダー側を削ることになる。
中には円盤化される際に、削った部分を入れ込んだディレクターズカット版が発売されているタイトルもいくつかある。

それが今回、冬映画のライダー作品オンリー枠になったことで、80分尺をそのまま入れ込めた。
これにより作品としてのクオリティは保たれ演出やシナリオの満足度はアップしたものの、だんだん作中時間(度々残り時間が表示される)とリアルタイムがズレていくタイトル詐欺現象が生まれた。
最終的な作品クオリティは大変よろしいので、良いのか悪いのか非常に判断に困る。

ちなみに、ビルドとジオウはそのままOPタイトルが映画タイトルだったが、劇中では流れていない。
『REAL×TIME』ではここぞというタイミングでOPが流れた。でも進行はリアルタイムじゃない……もはやタイトル詐欺が慣例になっているとか言っちゃいけない。

なお発想の転換は非常によろしいのだが、尺的に無理したと思われる描写は例年通りにしっかりと残っており、勢いで押し通している部分は散見された。
特にヒューマギア達が野立万亀男から情報を聞き出す部分はかなり無理やりだ。

腹筋崩壊太郎の腹筋を凶器にするのは、見たままヒューマギアの悪用じゃねえかと。
ビンゴも法律を武器にしつつも、指圧による実質拷問や腹筋パワー脅迫はスルー。
君、あれほど法廷外での戦いを嫌っていたじゃないか……(別固体かもしれないけど)

緊急で情報収集する大義名分はあり、メイン外のヒューマギア達を入れ込む場面を作りたかった気持ちもわかる。
けれどヒューマギアのテクノロジーを悪用するような使い方は、ギャグ方面でもあまりして欲しくなかったというのが本音だ。
ヒューマギアとしては準レギュラーのシェスタもいて、あのシーンのネタは100%(全裸)VS1000%(課長)の構図で十分作れていたので、無理に入れ込む必要性もあまり感じなかった。

もう少し尺があれば、ヒューマギアにはもっと別の描写はできたはずだ。
瓦礫を破壊して一般市民を助け出す最強親方とか、アバドンに腹筋崩壊を物理的に炸裂される太郎とか(同じ腹筋パワーでも、生身の人間と死なない敵にぶち込むのとでは印象もかなり変わるだろう)。

尺の面でもう一つ気になってしまうのがアズだ。
最終話で漆黒のドレスに着替えて登場して、新たな悪意に破滅の力を授ける。
もはやアークと共に悪意の象徴になったといえるアズは、劇場版でもさぞ悪辣で目立つ存在になるだろう……と思っていたら、案外そうでもなかった。

ちょっと拍子抜けではあるが、押さえるべきポイントで出番や相応の演出はあった。
最終話の黒いドレスは、アズが対応する相手を変えたことに起因している。

最初に登場したアズはアークに対する秘書。イズとアズの対比関係だった。
衛星アークが破壊され、或人がアークの力を得る対象になると、アズは髪をイズと同じ緑に変更する。
或人がイズを想い、悪意に堕したための変化だ。

ならば黒いドレスはエスの悪意に対する変化なのだ。
エスは婚約者を失ったことが悪意を持った原因である。
アズのドレスは悪意に染まった漆黒のウェディングドレス――出番は短いながらも演出上の工夫は見事の一言だ。

ただ、この変化は気付かなければさっぱりわからないのと同様、アズの立ち回りはやや説明不足の感がある。

滅の質問に対して素直に答え、教えても結論は変わらないと言い切った。
この理由も明確には説明されていない。

恐らくはエスがシンクネットを生み出した意図に気付いており、滅を切っ掛けに真相が暴かれても、他のシンクネット幹部が人類滅亡を完遂するためだろう。

同じ滅亡でも、エスの計画では実際に死亡するのはシンクネットの面々だけで、人類の多くは精神のみを楽園に移して生き続ける。
アズとしてはむしろエスの真意が伝わった方が、計画が人類完殺へと向かい、より明確な滅亡を迎えられる。
(ガーディアの中でも目覚めない時点で、ある意味地獄絵図ではあるのだが……)
そう考えると、滅への情報提供はわざとであり、計算尽くの行動だったようにも思われる。

オチとしては計算が狂い、人類滅亡はまたも失敗。
計算ミスの分岐点はイズの記憶引き継ぎだと考えられるが、アズが悔しがってくれなかったので具体的にどこで計画失敗になったのかは不明瞭だ。
黒ドレスで黙したまま去っていくアズも絵にはなっているのだが、カタルシスとわかりやすさを考えると、もう少しリアクションが欲しかったと思わなくもない。

劇場版仮面ライダーは、これからもショッカーを相手取るように尺やタイトルと戦い続けるのだ!

ゼロワン集大成としてみる『REAL×TIME』はココが素晴らしい

『REAL×TIME』は各キャラクターの歩む道のその後が、活躍や演出と一体化する形でしっかりと描かれている。

流石に滅亡迅雷.net全員が変身は果たせなかった。
だが、ただ尺を稼ぐためだけでなく、変身しないことで雷と亡はそれぞれが選んだ道の先を示している。

雷電はゼアの指示でいち早くライズホッパー(バイク)を運んできた。
出番としては短いものだが、雷電の初登場は或人が遅刻しないためだけにライズホッパーを射出したことに怒り、雷を落としにきたことが切欠だった。
初登場に被らせたことで、宇宙野郎雷電に戻り、飛電インテリジェンス社員の一人として或人をサポートしたことを示した。中々に心憎い演出だ。

もう一人の亡は、A.I.M.Sのエンジニアとして唯阿達を支える立場に終始していた。
その唯阿は再び隊長としてA.I.M.Sに完全復帰。
人間の自由と平和のために戦う仮面ライダーとして、テクノロジーを役立てている。

本編で散々道具として扱われることに悩み、苦しんでいた期間が長かっただけに、凛々しいアクションシーンが多かったのはそれだけで嬉しい。
変身フォーム数の少なさも、久方ぶりにみるラッシングチーターのダイナミックな動きと、なんとバイクアクションでカバーしてくれた。

バイクは部分的に吊りを入れながらも、多くは実際の動きでめちゃくちゃ見応えがある。
仮面ライダーらしいバイクの重要性を割り当てられ、『走る』ことに新たなバリエーションが加わった。

生身と変身両方で激しいアクションを入れつつ、事件解決のためにも動く。
或人と不破は異世界行ったり行方不明だったりで、天津は割と裏方中心での活躍だったこともあり、実は人類側での事件解決は唯阿が主軸になっていた。
A.I.M.Sはまさしく人類守護の要として中心軸で在り続けたのだ。

そこには亡のバックアップもしっかりと反映されていたことにも注目したい。
事件解決を成した時の亡が見せた安堵の表情は、心が成長した証であり、与えられた役割を自分の意志で果たせたからこそでもある。
テクノロジーで誰かを助けることを信条とする二人は、最良の形で機能して事件解決に大きく貢献したのだ。

逆に未だA.I.M.Sに戻らない不破の役割は二つ。

一つは不破の硬派な性質から、あえて古い価値観での仮面ライダーを描いている
頑固さから孤独を選び続け、それでも人を助ける道を歩む不器用な男。
これは以前に語った二号ライダー故にできる王道のヒーロー性。その先にある仮面ライダー観であると言えるだろう。

もう一つ。これも不破という人間を語るには欠かせない。とても重要だ。むしろ、これがなくては不破諫というキャラは成り立たないと言っていい。

つまりはゴリラ枠である。大事なことなので二度言う。ゴリラ枠だ。

劇場版の監督は、本編で初めて不破をゴリラネタで直接弄った杉原輝昭氏である。遊ばないわけがない。

ゼロワンの物語は基本的にシリアスで重い。
ゴリラはゼロワンミームの一つとして完成しており、戦闘中であろうと違和感なく我々の意識に入り込み笑顔にしてくれる。
1000%と共に息抜きの役割を果たしていた。

というか、あえて重さ頼りにパンチングゴリラで戦闘機に貼り付き、それでも振り落とされて切なげな声で「あっ…………!」とか、笑うわあんなん。
直後の迅も、不和に対する扱いが軽くて容赦ない。

台詞にはないけど、「まあ、大丈夫でしょ、多分」くらいのノリが、しれっとキーブレイカーゴリラの人間辞めてる肉体を信じてる感がある。
お前の父ちゃんに一度殺されかけてるので、ほぼゴリラ寄りのギリヒューマン枠だからな!

ここは不破と迅のネタ合わせはあまりなく、素のやり取りに近い感覚もあり、一年間やってきた連帯感が生んだシーンだった。

個人的にキャラクターとして、人間的な成長が一番感じられるのが迅だ。
シンギュラリティを起こし精神的に大きく成長した迅は、本編の最終回で再び最初の子供っぽい雰囲気に戻っている。

しかし本作だと彼の動きは滅の命令に拠るものではなく、独自判断によるものだ。
シンクネットを追い逆にハッキングを受けた時の笑い方も独特だった。
大人の判断でこれマジやっちまったというのを、子供っぽく笑って誤魔化そうとしている姿勢はめっちゃ味があってたまらない。

かと思えば、流石のゴリラもこれは死ぬなと思えば割り込み助ける。
最後の戦いではボロボロになりつつも、不破と支え合い参戦。
この絶妙な関係性は、二人の成長が揃ってこその空気感だ。

態度は子供で、対応は大人。
己が為すべきこと、そして滅の子供でいたい気持ち。
自我から選び取った『ありたい自分の体現』こそが今の迅なのだ。

ここでわかることは、滅亡迅雷.netは最初のコンビに戻ってこそいるが、お互いに依存はしていない。
滅は迅と連携を取りながらも、連絡が付かなければ必要以上に動揺せず、独自の動きで事件解決に動いている。

かと言って心がないわけではない。
それが見えるのはイズへの呼びかけだ。

「飛電或人のところへ行かなくていいのか?」
「それはお前の意思か? それがお前の心なのか?」

滅にはイズを破壊した罪悪感が残っており、心から出た言葉だった。
この呼びかけだけで17テイクもかけ、雰囲気作りに集中している。

イズへの心配はある。
けどこうあるべきだと叱責もできない。
不破の冷静な指摘通り、今のイズは今のイズ。過去のイズではない。

ならばこれは、イズにはこうあって欲しい。そういう身勝手だけど、何処までも真摯で切実な願い。
そんな目で俺を見るな! と叫んだあのイズに対する想いが、滅に心を強く意識させたのだから。

だからこそ滅は悪意と戦う。
諫からも「いつから正義の味方になった?」と呼ばれる程に自然な在り方として。

その悪意の根源が人間の悪意でも、滅亡を望む者達に言ってのけるのだ。

「この世界は捨てたもんじゃない」

大きく変わったのは滅亡迅雷.netだけではない。
副社長達も、或人を信じて支える仲間となった。

そう昔でもなく会社をめちゃくちゃにした天津を社内に受け入れても嫌な顔をせず、情報収集に協力していた。
人類滅亡が迫っても、或人社長を信じて着いていくと迷わず言い切る。

或人は役割上戦いに赴くため、非常時には社内で取り仕切る者が別途必須だ。
また、社長としてはまだまだ未熟な或人は、けれど三ヶ月の間にその貫禄が目に見えて出ていた。

道を示し切り拓く或人と、信じて付いていき経験と立場から社内を纏める副社長。この関係性が結実した感が出ていたと思うのだ。

そしてゼロワンらしさの一つとして、本作は敵であるエスにも単純ではない役割が振られていた。

劇場版作品では尺の都合から敵役のキャラ性はシンプルにされやすい。
同じ劇場版の敵キャラとして人気の高い大道克己ですら、話の中では悪党として割り切られていた。

彼もまた仮面ライダーだったと言われたのは、後のVシネマによる掘り下げがあってこそだ。
怪人やライダー化する敵の首魁で直接倒されなかったのは、ディケイドの士以来ではないだろうか。

エス役の伊藤英明氏は仮面ライダーのガチファンだ。
高橋氏を見て「或人だ!」とテンション上げたり、監督に初めて会うとサイン求めたり、どちらにも「いや、逆でしょ?」と思われていたそうな。
なお、グッズにも詳しく説明された高橋氏がそんなのもあるんだと思ったくらいだ。

他の劇場版や作品から演出の方向性を知っていて、確かめるために質問や役に対する提案もしている。
仮面ライダーのドラマ性を深く理解しており、撮影もやりやすかったそうだ。
もう最新ライダーの鍛冶師連れてきてあげるべきでは?

印象に残ったシーンでは、エデンだけでなくヘルライジングホッパーの壮絶さを語っており、ライダー作品として俯瞰した目線でも観ているのがわかる。
作り込まれたキャラ性は、劇場版限定にするのは勿体ない程にゼロワンに馴染んでおり、作品に欠かせない一人になっていた。

加えて、エスは演技だけでなく設定と演出そのものも凝っていて深い。
そもそも何故、一色理人からエスと名乗ったのか。

これはゼロワンが下地にしている神話から考えれば想像できる。
アークは人類滅亡の方舟であり、天津は仮面ライダーの新たな神話を目指していた。
その観点で言えば、

一色理人→イッシキリヒト→イエス・キリスト

それ故にエス。
エスはシンクネットにおける教祖であると同時に、楽園へと導く聖人だ。

そして楽園ガーディアの正体は、婚約者である朱音の脳から生み出された仮想空間の世界である。
同時に破滅願望者を取り除いた、彼女のための楽園だ。
婚約者を守るためのガーディアンとも考えられるだろう。

仮面ライダーエデンの変身演出も凄まじい。
血煙に女性の骨が抱きしめることで、人体と血管を構成する。
ナノマシンにより肉体を構成するエスであり、女性は朱音を意識したものだろう。

そして現れるエデンの禍々しさ。歪んだ理想を叶えようとする歪んだ想いの結晶を思わせる。
歪んだ理想郷、そして歪んだ理想の体現者がエデン。皮肉の効いた悪意の発露だった。

エスは朱音を自分が殺したも同然だと思い込み、もはや許されない悪だと己を認識している。
ならばエスは自分が救われようとは思っているはずもなく、シンクネットと同じく滅亡の対象となるはずだ。

愛する人のための理想と言えば美しいが、エスの理想は徹頭徹尾他者のため。
誰かの役に立つテクノロジーという観点が成り立つ。血の通う悪意だった。

裏切りに気付いたシンクネットのベルが叶えようとする滅亡は、もはや理想もないただの破滅。
そのため仮面ライダールシファーは、楽園から堕ちた者。もはや在るのはただの骨と純然たる悪意のみだ。

それに立ち向かうのは、理想に向かって飛ぶ青年。或人は理想を現実にするため戦い続けている。
ただし、その理想には未だ壁が多い。

人々とヒューマギアとの諍いはまだ色濃く残り、実験都市の再開も叶っていない状態だ。
アークが生む悪意も、エスのような形で突如噴出する。

或人自身も一度は憎しみに囚われ、悪意を宿した。
今回もヘルライズプログライズキーを破壊するためへライジングホッパーとなり、自己犠牲でもって世界を救おうとした。

なお戦いはヘルライジングホッパーや技術の結晶ゼロツーだけではない。
エスがナノマシンの集合体だと知ると、性能で劣るメタルクラスタで飛電メタルを有効活用してエデンに善戦してみせた。

壁にぶつかっては挫け、また立ち上がり、苦しみながら少しずつ道を切り拓いていく。
或人は理想を諦めず、恐ろしく厳しい現実の中で、途方もなく大きい夢を追う。

人に役立つテクノロジーを信じて、ヒューマギア達の心を夢と応援する。
そうやって人工知能の厳しさと希望に向き合い続ける或人だからこそ、ナノマシンにも可能性を見出し信じた。

ナノマシンは朱音の肉体を殺したが、心までは壊していなかった。
人工知能は暴走しても確かに朱音を生かし、エスの凶行を止めて、無念に沈む彼の心に最後の救いを与えた。
AIに寄り添った或人だからこそ、エスに響く言葉を投げかけられたのだ。

その或人に最も近くで寄り添い、支える役割こそがイズだった。
新しいイズは秘書として或人の近くにいようとするも、何故か強く拒絶されてしまう。
逆に滅からは近くにいないことを問われる。

何故?
その疑問が新たなイズにとって、シンギュラリティの兆しとなった。
その『イズ』を導くのはかつてのイズ。

イズは答えを求めた。
イズが答えを与えた。

ヒューマギアの心とは記憶でありラーニング。
学びが心を形にする。
同じものを学べば同じ存在へと至る。

それは洗脳と呼ぶべき行為だろうか?
人の観点で言えば、そうなるのかもしれない。
少なくともイズを演じた鶴島氏は良いシーンだなと感じていた。

芽生え始めた心は矛盾なくラーニングを受け、記憶を引き継ぐ。
そして『イズ』は再びイズになった。

存在しないはずのメモリー。それを持っていた上に隠し通していたのは衛星ゼアだ。
アークと対をなし、アークの計算に対抗し得る存在。

本来危険故に保持できないデータを、危険わかりながら必要だとして保存していた。
それがアークの計算をまたも狂わせたのではないだろうか。

イズは己の死を認識していたのだろう。
それでもイズは或人を支えるため、迷わず危険な場所へと急ぐ。

そこにいたのは自己犠牲により世界を救おうとする或人だった。
或人のがどれだけ心配しようとも、救うためなら迷わない。身を挺して守ろうとする。それがイズの心だった。

だが、破壊された事実からラーニングしたのだろう。
或人の心配を払拭して、尚かつ彼を支える最善の回答。それが『変身』だった。

或人にはリライジングしたゼロワンもある。ならば可能なのだ。

ゼロワンとゼロツーが並び立つ。
最も近くで支え、共に戦う。

それがイズと或人の悲劇を越えた先の光景。
以前と変わらず共に、けれど少しだけ変化した『結論』だ。

ゼロツーイズも見事な演じ分けで、難しいダブルライダーキックですらイズポーズを維持している。
新たなゼロワンとゼロツーの関係がここに成った。
バンダイはゼロツーアーツを、イズポーズ用の専用手パーツを付けて発売すべき。お願いします!

ゼロワンツーの並び立ちは予め決まってはいた。
けれどイズが破壊されると決まったのはコロナ禍の後。
この展開は延期があったからこそ実現できた奇跡の一つ。

『REAL×TIME』は一つの作品として完成された名作だ。

けれど、それらは全てTV本編での積み重ねがあってのこと。

或人とイズが共に歩んだ日々

ゴリラがこじ開け続けたプログライズキー

或人がお仕事勝負で味わった苦しみ。

夢に向かって飛ぶと決めて、ヒューマギアへの情熱を抱き戦った時間。

イズを失い心に悪意を生み出してしまったこと。

滅との決戦と和解。

そして新たなイズとの再びの始まり……。

そのエピローグが本作なのだ。

そして未来へと時間は進む。
イズが、ヒューマギア達が、心から笑顔になれる未来へと。