オタクが抱える罪悪感の正体とは?
自称の方々にとって『正義』となる根拠は、突き詰めると『私が不快になるから』だ。
本人らが認めようが認めまいが、主観を理論展開の中心に据える時点でこれは避けられない。
そして『私が不快になる』という考えは『自分と同じように考える人は他にもいる』から『大衆の正義』になる(実際にそれが成立する内容かは別問題)。
そしてこの正義はド直球に突き刺さることはなくとも、反対意見を持つ者でも部分的に掠める時はある。
今回その掠めた部分とは『実際に成年向け時には名義を変えて活動している人がいる』という事実であると私は思う。
自称の方々はこれを『個人によるゾーニング』だと考えた。これはまあ、実際そういう要素もあるだろう。
単純なイメージだけでいえば、過去に成年向けの仕事をしていたか否かは、現在の作風によってはマイナスに働く可能性はある。
まずは売れるためにやったが本位ではなく、倫理的な後ろめたさを感じてしまう。
家族にバレたくないとか、子供がイジメられる原因になるかもしれない、編集の意向等、それこそ理由は様々にあるだろう。
特にイメージで言うならば、実際今回それを理由に攻撃してくる人がいた。自衛を目的とした名義変更もゾーニング的な理由になる。
個人の意思で名義を変えることは自由で、そこに何ら問題は生じない。
イメージ的な事情は声優などにも大きな影響を与えると思う。
声という部分的な要素でもキャラクターを演じることから、キャラと声優を同一視する信仰みたいなものは、かなり昔からあった。
清純なキャラを演じるなら、声優も同じく清純であってほしい。倫理的なツッコミや問題は置いておくとして、そう思う人は一定数いる。
だからこそ、アイドル声優というジャンルが確立され、二次元と現実のアイドルユニットをリンクさせる企画が現在も成り立っている。
とはいえこれも声優本人にアイドル要素がなければ、人気が安定するとバレても問題ないケースは過去にいくらでもあった。
このゾーニングの有利不利は時代の変化も大きく関係していると私は考える。
ネットが未発達な時代ならば、漫画家やイラストレーターになる道は出版社への持ち込みや賞への応募などが主体だ。
そうなると仕事も、出版社から得る比重や重要度はとても高くなる。
また、今から二十~三十年前は宮崎勤事件により、成年向け作品に対する敵視や警戒はかなり強くなっていた。
オタクに対する偏見も苛烈を極めていた時期でもある。
それこそこの頃だと、自称の方々が唱えるオタクバッシングが軒並み正論として通ってしまう。
オタクに対する偏見がそのまま大衆の正義として機能していたためだ。
逆に言えば、成年向け関係の仕事をあえて読者にオープンするメリットはあまりない。
だったら伏せることを選択する人は、今より増えるのではないか?
しかしインターネットの普及と共に、この状況は大きく変わった。
今では出版社を通さずとも作品の発表場所はいくらでもある。
個人で発表した作品が大人気となっての書籍化は、今やプロになるルートとしてすっかり確立された。
仕事としても、Fantiaによるクリエイター支援。『skeb』や『skima』を使っての個人受注など選択の幅は大きく広がった。
Fantiaなら過去作品は全てそのままコンテンツの厚みになる。
仕事を依頼する場合でも、過去の作品の質や量は判断材料として重視される。
つまり個人による活動は実績を積むことが重要だ。
成年向けの依頼を受けることも、仕事の幅を増やすことに繋がる。
全体の風潮が傾けば、出版業界でも隠す必要性は減る。
出版社を通す仕事も、それ以外も作者にとっては両方が実績になるのだ。
ニトロプラスやTYPE-MOON作品も、この流れを生む一因になったように思う。
両者が成人向けゲームをメインに制作していた時期は、この業界自体が大きなブームを迎えていた。
成人向けは作品発表の場を作るフックであり、人気が出れば一部を削り整え直すことで一般向けへと転化できる。
言わば成人向けゲーム業界は、ステップアップしていくための第一歩だった。
作品単位で売り込み一般化していくなら、過去の実績はそのまま重要な武器となる。
これも社名を隠したり変更したりする必要性はあまりなく、仕事の方向性を調整していく。
つまり作品単位のゾーニングをキッチリしていくことで、ブランドイメージも徐々に変化していくのだ。
そうした積み重ねの結果、Fateシリーズは一般向けのスマホゲーム業界で日々トップを競っている。
ニトロプラスという社名はやがて、日曜朝から仮面ライダーの制作に堂々と名を連ねても全く問題ないものとなった。
自称の方々が語る正しさがスタンダードだったのは数十年前の平成レトロな時代。
ネットやSNSの発展は、私達の生活を少しずつ、だけど急速に変えていった。
今回の話もそういう大きな流れの中で生じた、意識のズレによる摩擦のようなもの。
我々の胸に小さく引っかかっていた罪悪感の正体は、時代の流れに取り残された古い価値観だったのだ。
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