仮面ライダージオウ 49(最終)話『2019:アポカリプス

どうも、ゲタライド(@ridertwsibu)です。

ああ、終わりました。ジオウが、終わりました。
私は関西勢の人間なので、正確には明日の朝が最終回の放映日。
最終回はTTFCで視聴しました。

TTFCだと10時放送開始なのですが、10時になったら見事にサーバーダウンしやがりました……。
有料サービス、それもある意味ではメインであり、目玉コンテンツである作品でそりゃあねーよ!
とTwitterでも慟哭を上げてました。

仮面ライダーのコンテンツはリアルタイムで視聴しないと、一瞬にしてネット上のコンテンツすべてがネタバレに染まります。
SNSはもちろん、特に昨今はGoogleのDiscoveryなどでも、自動的に最新情報が飛んでくるようになりました。

これ、普段だとすごく便利なのですが、こういう時は最も恐ろしい爆弾となり得ます。
Discoveryによって、冬映画で佐藤健氏の主演ネタバレくらった人もいるのではないでしょうか。

関西勢の大きなお友達にとって仮面ライダー終盤におけるTTFCは、まさに最後の希望みたいなものなのです。
これを機にTTFCには是非ともサーバー強化をお願いいたします。

閑話休題。
ジオウが終わった瞬間の感想は、終わったなあ。何か懐かしい最終話だったなあ。とかそんな感じでした。
感慨深いかと言うと案外そうでもない。

多分それは物語の内容的な意味もあるのですが、ジオウの終わりとは、今更言うまでもなく平成仮面ライダーの終わり。

とはいえ、平成仮面ライダーの終わりは夏映画でやっていたわけで、仮面ライダージオウの最終回は『ジオウ』という一つの物語が終わったのだと思っています。
これは似ているようでいて、全然違うのです。
前提としてTV本編と夏映画は繋がっていないという理屈を置いておきます。

ジオウとしての総括的な感想は別に書く予定なので、今回は主に、TV本編におけるジオウとは何だったのかを語りたいと思います。

最終回で回収されなかった伏線を解説

白倉Pが既に語っていたことなのだけど、『ジオウ』の最終回はボリュームが有りすぎて、一話の枠に話が全然収まらなかった。
これは誇張でも何でもなく本当に収まっていない。

前回張られた伏線すら一部未回収である。
要は尺が全然足りなかったのだ。ええもうそんなの視聴したら嫌でもわかる。
とはいえ、何がしたかったのかは順序立てて考えればある程度察することはできた。

例えば、ツクヨミは何故裏切ったのか。
結局この理由は語られず終いである。

スウォルツを騙して不意を打つことが目的だったのは確かだけれど、それでわざわざ仲間に相談もせず裏切った理由にはならない。
一歩間違えれば、門矢士が立てて皆で積み上げてきた作戦が、ただただ無駄になるのだ。
普通に考えて仲間全員に黙ってやるにはリスクが高すぎる。

もう一つ、前回語られたソウゴが犠牲になる理由も説明されずに終わった。
これは話の流れからある程度考察はできる。
ツクヨミの世界が消滅するのは、仮面ライダーがいないから。
仮面ライダーツクヨミが生まれたことで世界消滅の危機は去った。

そしてジオウの世界を犠牲にするが、この世界に住む人々はツクヨミの世界に移動させる必要がある。
これは世界と世界を繋ぐ橋、多分いつものオーロラを生み出して物理的に移動させる方式だ。

ソウゴの世界とは即ちジオウの世界なので、ソウゴが離れると世界を維持できなくなる。
しかも既に崩壊しかかっている不安定な状態のため、ソウゴが離れるのは非常に危険を伴う。

事実上、ソウゴは全員が移動した後にしか移動できない。
全人類という規模だと、世界崩壊の前に全員が移住できる保証はない以前に、移住しきったかどうか確認する方法すらもないだろう。
だとすると自動的にソウゴは世界からの脱出が不可能。世界の破壊と運命を共にしなければならない。

ツクヨミの裏切りによって、結果としてソウゴは生き残った。
代わりに本来生き残る予定だったツクヨミが死亡する。
その際にソウゴに二つの世界を託すと告げた。直後に二つの世界が一つに融合したような描写が入っている。
この意味は物理的に一体化したのか、二つの世界を救うという比喩描写なのかはちょっとよくわからない。

ツクヨミは恐らくソウゴが自分を犠牲にして世界を救うつもりなことに気付いていた。
そんなソウゴを死なせないためツクヨミは自分が犠牲になり、二つの世界を救済する流れへと導いたのだろう。
そういう意図は読み取れる。

だからといって手放しにOKというわけではない。
少なくともツクヨミが裏切ったことで結果としてゲイツの死も誘発している。
これはもう話を圧縮した結果起きた展開上の問題点だろう。

そしてスウォルツも何故かツクヨミをあっさり信じた。
スウォルツは誰にも真意を見せることなく、他人は一切信用せずに利用してきた男だ。
小物感漂う人間性なのにラスボスになれたのは、全てこの他者を信用しない秘密主義と用意周到さの賜物である。

そんなスウォルツが自ら記憶を消して追放し、その後も力を奪う等諸々の事情で敵対してきた妹が、なんの脈絡もなく唐突に手の平を返したのだ。
手放しで信用するなんてあり得ない。本来ならオーラ同様に返り討ちがいいところだろう。
こらもツクヨミの真意に関わるシーンを削ったことで、ただ単に信用を得て奇襲をかける安直な展開になってしまったしわ寄せなのでは? と考えている。
話として重要なシーンを継ぎ接ぎして、結果話が上手く繋がらない状態になってしまったという印象が強い。

とはいえ、最終話が圧縮気味の最終話は何もジオウに限った話ではない。
むしろ平成一期の頃は珍しい話じゃなかった。

最終話一つ前なのに未だゴールが見えず、どう着地するのかドキドキするのは毎年のことですらあったのだ。
例えば『555』なんて、これだけのこと最終話だけでやっている。

・友人であり因縁のライバルだった男と最後の決着。
・仲間達と共にラスボスへと挑む。
・友人であり因縁のライバルだった男が現れて共闘。
・友人であり因縁のライバルだった男がラスボス戦で死亡。
・最終話で主人公の寿命が一気に縮み、そう遠からず死が確定する。
・夢を持たない主人公が夢を見つける。

まさに超圧縮! むしほ平成二期に入って畳み方がすごく丁寧になり、皆そちらに慣れきってしまっていた。

過去作と比べても『ジオウ』の最終話はシナリオの圧縮が上手かったとは言い難い。
けれど平成ライダーらしさというか、懐かしさを感じてしまったのも事実だった。

オーマジオウの本質とは平成ライダーの守護者

TV本編における『仮面ライダージオウ』の最終回とは何を観せたかったのか。
これを語るには同時にジオウという物語の本質と、オーマジオウを語る必要がある。

『ジオウ』とは開始当初、タイムトラベルによって仮面ライダーの歴史を巡る物語だった。
まずは皆おぼろげになってそうな初期のジオウをサクッと振り返る。

1.ソウゴのいる2018年でアナザーライダーに関係する事件が発生する。

2.アナザーライダーによって平成ライダーの過去が改変されて、変身能力や記憶を失う。

3.事件解決のため捜査してレジェンドライダーやその関係者と出会い、ライドウォッチを授かる。

4.過去へ時間旅行して、事件の発端となるアナザーライダーをライドウォッチの力で撃破する。

5.ライドウォッチにより継承されたことで、また違った形で平成仮面ライダーの歴史は改変される。

話によってパターンは複数存在する。
特に3~4は話の流れ次第での様々に変化するものの、概ね基本の流れは上記になるだろう。

この一連の流れにより、『平成仮面ライダー』のシリーズをウォッチとしてコレクションしていく。
全て揃え終えて『平成仮面ライダー』を終えることが目的だったとすら言える。

『仮面ライダー鎧武』で主演の葛葉紘汰役を演じた佐野岳氏も、ライドウォッチを渡すこととは卒業の証だと語った。
『ジオウ』とは平成仮面ライダーの終わりを看取る役割だったのだ。

平成が終わると発表された時、『平成ライダー』というブランドに終わってほしくない。
そう願った者達は多くいただろう。
けれど時間は進む。時代は変わる。

それでも平成ライダーを終わらせたくないのなんて無茶は、どうすれば叶うのか。
その答えの一つが、平成ライダーの後に仮面ライダーを生み出さなければいいという思考。
その体現者がオーマジオウなのである。

ジオウが平成最後の仮面ライダーであり、後に新たな仮面ライダーが生まれたら、その時点で『平成ライダー』は過去の歴史となってしまう。
オーマジオウとは平成ライダーを看取り終わった後の存在である。
オーマジオウの後に仮面ライダーは生まれない。
これにより平成ライダーは流れの止まった時代にて、永遠に保管された。

言わばオーマジオウとは平成ライダーを看取り、その存在を守り続けた者。『墓守』と呼ぶべき存在だ。
(オーマジオウが墓守なのは白倉Pが語っている設定なので、ここまでは割と明確な事実)

何故、オーマジオウが自分で『常磐ソウゴ 初変身の像』を作ったのか。
オーマジオウにとって仮面ライダージオウの始まりとは、平成ライダーを保管することの始まりだったのではないだろうか。

全ての平成ライダーを看取ったオーマジオウは、世界を破壊して歴史の終着点に仮面ライダー達の墓標を立てた。
それこそが変身像と共に立ち並ぶ歴代ライダー像である。

歴史が改変される前、かつてのソウゴとて初めからそのつもりでウォッチを集めていたわけではないだろう。
けれど結果的にそうなった以上、オーマジオウは平成ライダーを保管した象徴を己の位置として定めた。
彼は永遠なる平成ライダーの王として、自らが破壊した世界の王であり続けたのだ。

ソウゴの世界創造が『平成ライダー』を終わらせた

オーマジオウが平成ライダーを保管して終わらせない存在だったのならば、これに対抗したソウゴは、逆説的に平成ライダーを終わらせる存在だった。
事実として『ジオウ』の終わりとは平成ライダーの終わりなのだ。
我々は『ジオウ』の完結で、平成ライダーの終わりを受け入れなければならない。

夏映画による平成仮面ライダーの完結編は『平成ライダーとは何だったのか』を語り尽くすための作品だった。
気持ち的に平成ライダー終わった気分になれる作品ではあったのだけど、同時にこれからも平成ライダーは僕らの胸に生き続ける。終わらない存在だというイメージを植え付ける作品でもあった。

けれどTV本編の『ジオウ』はそれが許されない。
泣いても笑っても、来週からは新番組が始まる。
平成ライダーは今日で終わり。その現実からは逃げられない。

我々はこの現実を受け止めなければならない。
『ジオウ』の最終話はまさにその役割を担う話だった。

どの切り口から語れば上手い段取りで語れるかと考えたのだけど、やはりここはオーマジオウと対になる存在が良いだろう。
オーマジオウが平成ライダーを保管した存在ならば、対抗する力として生み出されたグランドジオウとは何だったのか。

グランドジオウの変身プロセスだと『像=墓標』から平成仮面ライダーが復活してジオウへと取り込まれる。
そして仏像と化して歴代の平成ライダーを祀り上げた。
祀り上げるということは、ある意味平成ライダーとはもはや伝説であり神話。つまり過去の存在なのだ。

グランドジオウはソウゴがオーマジオウにならないことを誓って生まれた、正しい意味で最高の平成仮面ライダー継承者だったと言えるだろう。
ただしこの時のソウゴにとって、ライドウォッチとは恐らく『仮面ライダーという力の継承』だった。
故にウォッチ集めを『オーマジオウを倒す力を集めること』だと解釈していた。

対してオーマジオウとは平成仮面ライダー歴史全ての継承者だ。
歴史という観点であれば、それこそ特異点となる主役ライダーだけではない。本当に全ての歴史を取り込み束ねた存在。
力を像から呼び出して小出しするグランドジオウと違い、オーマジオウは息をするようにライダーの力を切り替える。

グランドジオウとオーマジオウの間にあるこの差は何なのか。
それはソウゴの意識レベルによる違いだろう。

ソウゴがオーマジオウになったタイミングは世界崩壊を迎えた時。
全ての世界から敵が溢れだし、混沌を極めて破壊される段階での出来事である。

ライドウォッチの破壊が契機として、世界の融合と破壊が始まったのだ。
ウォッチの本質とは仮面ライダーそのものではなく、仮面ライダーの歴史全てが詰まっていたと理解した。
そして門矢士が、仮面ライダーとは歴史ではなく、それぞれが独立した一つの世界だったという真実を語る。

これ以前と以後だと、ソウゴ視点による仮面ライダーやライドウォッチに対する意識は大きく異なるのだ。
そりゃあライダーの力を継承した存在と、歴史全てを背負った者では存在の重さが違う。
あの場にいたダグバやエボルトですら歴史の一部を切り取った存在でしかなく、総体であるオーマジオウが相手では根本的に勝負の質が異なる。

例外としてジオウとの初対戦では、あえてウォッチを使って力を明示的に引き出していた。
あれは敢えて同じウォッチを使うことで当時のソウゴに格の差を見せる演出だったのだと思う。

オーマジオウという存在の力と本質を整理したことろで、ゲイツがソウゴへオーマジオウになれと言ったのかを考えよう。
2068年を現実に生きたゲイツにとって、オーマジオウの本質は関係がない。まさしく最低最悪の魔王だ。

だがゲイツは今のソウゴなら、たとえオーマジオウになろうとも絶対に最低最悪の魔王にはならないと確信した。
それは過去と未来、ソウゴとオーマジオウに明確な違いを感じたからに他ならない。
過去ソウゴはオーマジオウになる前の自分に対して、「かつての私にこんな力なんてないない! トリニティなんて知らない!」と語った。

トリニティとはソウゴが生んだオーマジオウ脱却の可能性にして、三人の絆によって生まれた力だ。
つまり過去ソウゴ(オーマジオウ)と現在ソウゴにおける最大の違いは仲間と友の存在である。
物語の観点で考えると、過去ソウゴが最低最悪の魔王になったのか、ここがその明確な分かれ目でなければならない。

過去ソウゴは現在ソウゴとのファーストコンタクトにて、自分は最前最高の魔王だと語っている。
つまり過去ソウゴはオーマジオウになった時、その選択がこの場において最善だったと考えていたはずだ。

最初の過去ソウゴは浮世離れした夢のせいで、友達の作り方がわからない人間だった。
叔父さんはその問題に勘付きつつも、息子であって息子ではないソウゴにどう接していいかわからない。
ウォズにとってソウゴは魔王であり崇拝の対象。そもそも仲間や友になる発想がない。

全てのターニングポイントになったゲイツとツクヨミが現れなかったことで、ソウゴは最善を目指すも人の痛みがわからない王になってしまったのだ。

ただし、過去ソウゴが悪人に育ったかと言えば、それもノーだ。
だとしたら歴史の改変に手を貸して、未来を変えた現在ソウゴを認めるはずがない。
起きたことは恐らく、辿った道の違いによるほんの少しのズレ。

独りぼっちのソウゴは、世界の終わりという極限状態にて、世界を壊すかオーマジオウになるかの選択を迫られた。

その結果、ソウゴはオーマジオウになった。
仲間がいないのだから、ここに選択の余地はない。

問題はこの先、過去ソウゴは『創造による王道』と『破壊による覇道』で覇道を選んだ。
ソウゴは王になりたかった。その道は絶対に諦めたくない選択肢。
そのためにソウゴは平成ライダー達の世界を犠牲にしてきた。

もしソウゴに仲間がおらず、世界の崩壊で自分のしたことが、仮面ライダー達の歴史(世界)を奪い破壊する行為だったと知ったなら。

もし歴史を奪う行為が、レジェンド達が自ら選んだことだとソウゴに伝え支える者がいなかったから。

もし世界を守る意識がほんの少しズレていて、全員を救う『世界を創造する』選択肢に気付かなかったら。

こうして、たとえ未来を捨ててでも自分が壊してしまった歴史を守ることを選び、平成ライダーの歴史を保存し続ける魔王は誕生した。

魔王が倒れると仮面ライダー達の歴史を守れない。新たな歴史が、いつか仮面ライダー達の歴史を風化させてしまうから。
魔王はたとえ最低最悪と呼ばれても、最高最善の選択を選び続けなければならない。

現代のソウゴはたくさんの出会いを経た。

間違った選択を選びかけていた時に、優しさで叔父さんが叱ってくれた。

魔王を信奉する従者は、元の魔王より新たな可能性を支持してくれた。

世界の破壊者が、世界の真実と、世界を壊してでも守るべきものを守る選択を示してくれた。

ゲイツという友が、お前なら最低最悪の魔王にならないと最後の背を押した。

ツクヨミという友が、何も犠牲にしない最高最善の選択を託した。

オーマジオウになる運命は変わらない。
けれど辿った軌跡によって、最後の一頁だった歴史書から新たな白紙の物語が生まれ落ちた

そしてオーマジオウとはある意味において、仮面ライダーディケイドと真逆の存在である。
ディケイドは崩壊しかけていた仮面ライダーの世界を、破壊することで新たな創造へと繋げた。

破壊という通過儀礼を経て、物語を再び人々の目に留まらせる。コンテンツの再利用こそがディケイドの本質だ。
つまり『ジオウの世界』を存続させるには、一度壊して新たな歴史を創造する必要があった。
ディケイド単独では重なる世界を壊せない(リ・イマジネーションがない)状態だと、世界融合を果たしてしまったジオウの世界は元に戻せなかったと思われる。

オーマジオウには全ての歴史を継承したことで、因果律を自由に操作できる力を得た。
これはかつてソウゴが行った『キカイの世界』創造と同質のもの。

つまり今の『ジオウの世界』を一旦破壊して、ソウゴが望む『新たな世界』を創造し直したのだ。
そしてソウゴは新たな世界でも王になる夢は捨てなかった。
故に新たな世界には本来いないはずのゲイツやツクヨミが、当たり前のように友ととしてそこにいる。

それどころかウールとオーラまで後輩になっていた。
ソウゴはウールとオーラの改心に希望を持っていので、ソウゴの望む未来に二人がいるのは当然だ。
視聴者から結構突かれていたが、オーラの罪やら罰やらは視聴者視点でしかなく、受け入れ進むのが王の器なのだという話はもう済んでいる。

ソウゴが創造の前に破壊が必要だと語ったのは、ただ『ジオウ』の物語が『ディケイド』の設定に寄っていったからだけではない。

終わらせないために終わらせること。
大切なのはそれが意味する平成ライダー最後の物語としての本質。

ジオウの世界は終わった。
それは同時にオーマジオウが創った平成ライダーを保管し続ける世界の消滅と、ジオウの物語が終わったことも意味する。
そして新たな歴史。新たな世界がやってくる。

それこそが最後に現れた、平成の先にある歴史のライドウォッチ。
本来あり得なかった歴史が紡がれた証。

士も最後に旅の続きがあると示した。
ディケイドには平成も昭和もない。もちろんその先も……。
旅が続くということは、また新たな世界が生まれていくことを意味する。

ソウゴが望み、ソウゴが受け入れて、新たな世界を創った。
平成ライダーではないその先の世界を、視聴者という視点であたたかく受け入れた。
それによって、我々は平成ライダーという鎖からようやく解き放たれ、次代の幕開けを祝うことができるようになったのだ。

空っぽの歴史、時代を令和(ゼロワン)から始めよう。