神山飛羽真が選んだヒーローと青春の終わり

飛羽真は冒頭から次回作の執筆が滞りスランプに陥っていた。
物語のキャラクターとはいえ、そこに試練を与えているのは己だ。物語の造物主としてで、登場人物を苦しめる行為を許容できなくなっていた。

一作目ではそういう疑問は出ていなかった。
次作でその問題に突き当たったのは、飛羽真自身が今、試練を与えられているような環境に身を置いているからだだろう。
冒険や戦いが絵空事ではなくなったため、物語の登場人物に同じ苦しみを与えることに躊躇してしまった。
せめて、物語の中でくらい皆幸せに生きてほしい。そう思ったのではないだろうか。

ユーリはスランプの打開策として、どんな状態になっても楽しんで乗り越える者達の物語を飛羽真に勧めた。それは『機界戦隊ゼンカイジャー』の物語である。
あまりにスピーディーな展開で頭から消し飛んでしまいそうだが、この冒頭部分は様々な伏線として機能する超重要シーンだった。

その後、紆余曲折あって物語の世界から追い出された飛羽真は謎の白い空間で目覚める。
そこは飛羽真達にとっての『何でもない日常の現実世界』だった。

SNSだと年頃の男女三人が一緒に過ごして抱き合う姿を爛れた関係に見えて仕方ないという感想があった。
それもうお前の心が汚れているからだというツッコミが一番妥当な気はするが、もうちょっと客観的に考えたい。

最初に物語の世界から開放されて混乱状態の飛羽真を、ルナが抱きしめる。
この絵面だけだと二人が恋人同士みたいに見えてしまう。
そこから、今度は飛羽真を抱きしめるルナを、背後から賢人が抱きしめる。皆穏やかな表情をしている。

抱き合うシーンに賢人が混ざることで、恋人同士から心の通じた三人=家族になる。
三人一緒にいたいの想いが強くなり過ぎて、恋とかそういう関係を通り過ぎてしまっている状態だ。
そしてこれは幼くしてルナを失い、取り戻そうと足掻き続けた飛羽真と賢人が望み、二人との再開を望んだルナの理想的な関係である。

わかりやすいが嫌な言い方になってしまうけど、子供時代の約束が現代で形になった、つまりマイナスがゼロに戻った状態。ここはまっさらマサラタウン。
故に大の大人が三人で真面目におままごとしているようなものだ。関係性が変化していくならこれからである。

白ばかりの世界なのは、その清廉性を表しているのではないだろうか。
同時に、物語の世界から抜け出した先なんて存在しない。それはある種の虚無。どうあっても虚構の世界。
あり得ないからこそ過剰に美しい理想郷として描かれる。

しかし、それではいけないと飛羽真は抜け出して、章太郎が理想とする現実=虚構の世界へ乱入した。
そこで章太郎に今一度ヒーローを描くように伝える。

章太郎は己が描きたい理想のヒーローを求めて、もしかするとアスモデウスの口車に乗り、ヒーロー達の戦いを絵にしていた。
最初はリアルなヒーローの戦いに興奮していたが、やがて章太郎はそこに過剰なリアルさを見出してしまう。

かつてディケイドの門矢士は語った『ライダーとはしょせん殺し合い』だと。
知ってしまった、見てしまったからこそ理想の形とのギャップにも気付いた。そしてヒーローを描けなくなってしまう。
これは途中の工程が異なるだけで、行き着いた結論は冒頭の飛羽真と同質だ。

故に、飛羽真の章太郎への説得は、冒頭の自分が抱えていた悩みに対するアンサーでもあった。
つらい戦いを忌避する自分には『物語から逃げてはいけない』と叱咤する。
物語の創造主としての迷いに対しては、『それが自分の作風なのだ』と結論付けた。

石ノ森氏はヒーローを通して人間を描きたかった。
現実の作品だと、例えば『人造人間キカイダー』がわかりやすい。

漫画版のキカイダーには良心回路『ジェミニィ』が取り付けられており、悪の心に対抗するはずだったが、それは不完全だった。
その中で正しくあろうと徐々に人間らしさを得ながらキカイダー=ジローはもがく。

しかし、最後は敵に服従回路を取り付けられてしまう。
けれどその結果、ジローはこれまでできなかった正義を執行するための悪行が可能になる。
善と悪。両方の回路を取り込んだことでジローは『人間』になったのだ。

それは同時に、傷ついた心で傷ついたまま生きていくことも意味していた。
あえて機械の青年を主人公にすることで、人間とは何かを描こうとしている。
(重要シーンをネタバレしないよう極力ざっくり書いたけど、ジローが背負う罪と悲壮感はかなり重い)

石ノ森氏はヒーローを通して人間を描こうとしていた。
もちろん描こうとしたテーマや方向性は一つではないが、その意図があったのは紛れもない事実だ。

原作だと、姉は章太郎を応援するが、全てを肯定していたわけではなかった。
弱気になった章太郎が現実から目を背けて逃げないよう叱咤激励している。

おそらく理想の現実世界という名の逃げ場なので、芽依もとにかく章太郎を応援する都合の良い存在として配役された。
そのため、飛羽真が章太郎に本当の現実に向き合うよう諭す役割となった。

物語を書き上げようとする飛羽真に対して、世界の外側から巨大な賢人やルナが声をかける。
飛羽真と章太郎がいるのは万華鏡のように広がる虚構世界の一つ。ならば二人は万華鏡の外、観測者の立ち位置だ。

観測者の俯瞰した視点から、物語の苦難に対して現実を語る。
物語の世界だって、登場人物は生きているから苦しい。
飛羽真にとって、ただの日常は何よりも尊いものに感じられる。
だとしても、物語の人物が物語から逃げてはいけない。

物語とは誰かが見るもの。何かを伝えるためにある。だから描く。
そして物語の中であっても、そこに生きている以上、選び戦うのは己だ。
自分で決めて、自分が走る。

物語の世界に生きる飛羽真は、けれど同時に己が創造主となって、自分が生きる世界――物語を己で書き上げた。物語の結末は俺が決める。

ただ、このシーンは一つもったいないと思うこともある。
もう一人の主役である五色田介人は、唐突に飛ばされたセイバーの世界も、次の西遊記世界も臆したり悲観したりせずゼンカイでその場を楽しんでいた。
まさにユーリが紹介した物語の通り、頭ゼンカイでポジティブな生き方だ。
真面目かつ冷静に対処しようとする倫太郎との対比も面白い。

人間とは多様性だ。介人は今自分が生きている世界をありのまま楽しんでいる。
冒頭のユーリが語った苦しいだけじゃないヒーロー。自分が生きる物語を肯定している者の視点から、章太郎に声をかけてほしかった。
まぁそれはそれとして、一つのシーンとしては十分に完成していたと思う。

グチャグチャに混ざり合い、ヒーローが根源から消えてしまった世界。
章太郎は自分が本当に描きたかったヒーロー、仮面ライダーと秘密戦隊ゴレンジャーを完成させて、世界に再びヒーローが現れる。
飛羽真は混沌と化した世界を『スーパーヒーロー戦記』という新たな一つの物語として再編した。作家としての設定がゼンカイで活かされている!

仮面ライダーとゴレンジャーの歴史が戻ったことで、歴代ヒーロー達も再び復活して終結。大決戦シーンとなる。
なお、本物のスーパー戦隊が登場しているのでゼンカイジャーはセンタイギアで戦隊を呼び出せない。
集合映画の乱戦シーンではディケイドがカメンライドしないようなものだ。

しかし、ゼンカイジャーにとってそれは重要な特色なので使う。そして東映が公式に生み出しながら歴代戦隊に含まれない例外を呼び出す。
まさかの『非公認戦隊アキバレンジャー』のギアだ! っていうかあったの!? 公認が非公認を呼び出す! そしてサインを求める非公認!
これには原作者の八手三郎氏も草葉の陰から苦笑いしているぞ!(※ ご存命です)

一見滅茶苦茶だし実際滅茶苦茶やっているが、アキバレンジャーはある意味どの戦隊よりもメタフィクションの申し子である。
劇中でヒーローモノの『お約束』を『お約束』とわかった上で使う。死亡フラグのその一つだった。
そして自分達がアキバレンジャーという番組であることも理解している。出すこと自体が反則手でありながら、出しどころとしてはこの上なく正しい。

どんどこ追い詰められていくアスモデウスは急にメタ視点になって、視聴者も気になっていた『お前ら大部分石ノ森章太郎氏は実際に関わってない『二次創作』やろがい』とツッコミを入れだす。
同じようなこと繰り返しているネタ切れ、オワコン。言いたい放題だけど、これらは全てスーパーヒーローアンチがよく使うワードである。
子供にこれらアンチワードの意味が理解できるはずもない。完全に大きなお友達に対して、そして『ヒーロー一筋、半世紀!』に対するアンチテーゼだ。

普通に考えたら追い詰められたラスボスがこんなこと言い出したら普通に興ざめなのだけど、事前に使われたアキバレンジャーギアの影響直撃していると考えれば辻褄は合う。アキバレンジャー、敵でもそういうこと言う。
ゼンカイジャー本編でもセンタイギアの効果は、怪人も逃れられない固有の世界観まで生み出すチート兵器だ。ジェットマン……。

それらを総括するような『ヒーローなど幼稚で薄っぺらい夢物語』ならばそんなものに意味はない。
しかし介人は真っ向から言い返す。
『意味が無かったら、こんなに続くわけないじゃん!』

実際には、仮面ライダー、スーパー戦隊共にここまでの道のりは決して安泰でも安定してもいなかった。
仮面ライダーは途中で何度も途切れて、スーパー戦隊も夕方の放送枠から朝に島流しされた。

それでも人を惹きつけ続ける魅力。そうあろうとする努力があったからこそ、島流しだった朝の時間は、今や特有のゴールデンタイムとなった。
言い換えれば、朝の時間でゴールデンタイムと呼ばれる時間帯になったのは東映のヒーロー(ヒロイン)だからである。

そして章太郎少年は始まりの男『本郷猛』と言葉を交わす。
石ノ森章太郎という存在がいなければ何も始まらなかった。そして彼の生んだヒーローは半世紀に渡り、人々の記憶に残り、今なお歩みを止めず進み続けている。

そして章太郎少年は本当の現実へと帰る。
その時にこれからを問われ、上京してプロの漫画家として生きていく道を語った。

『青いマン華鏡』では、己の描きたい漫画を理解して支え続けてくれた姉を失い絶望した後、章太郎は漫画のことをほとんど何も知らない女性に恋をして告白する。
気が付けばパートナーとして姉とは全然違う人を選び、そして反射する鏡の世界で最後に映ったのは石ノ森章太郎氏がこれまでに描いてきた作品のキャラクター達。

目的地に辿り着いた石ノ森氏は、そこで青い万華鏡を落として壊す。
それらはもう失われた時間。石ノ森氏が過ごしてきた青い時代。
青春をなくした漫画家は既に認められた世界で、大人の自分に帰っていく。

『スーパーヒーロー戦記』の章太郎は、無邪気で暖かな空想の中ではなく、苦しみもがきながら自分が本当に望んだヒーローの形を見つけた。
そして彼は章太郎から『石ノ森章太郎』になっていく――これは彼の青春が終わり、大人になる物語だ。