セイバー坂をアニメの作画崩壊で考える
群像劇や団結して戦うストーリー性についてでも語ったように、仮面ライダーセイバーはどうにも物語構成のバランスが悪いように感じる。
これは終盤に入って見直されだした部分もあるが、そこまでの積み重ねがある以上、全てが改善はまず不可能だった。
私は本作が始まる前に不安視していた事柄の一つに、設定の荷降ろしがきちんとなされるかがあった。
ただでさえ多人数ライダーで話の尺が厳しいことは目に見えている。そうなると犠牲にされやすいのは劇中の必要な設定解説だ。
けれど、これは杞憂に終わっている。
物語上で必要な設定は、おおよそ本編内で解説されていた。
マスターロゴスの計画など一部はBDの特典に付けられているが、なくても物語としては一応成立する。
(特典内の設定でも、必要なものは一応本編でも触れられた)
公式サイトで解説された部分もあった。本編外でやっているという事実に変わりはないけど……。
ただし、解説はしているものの、そこに物語的な面白さがあったかどうかは別だ。
本作の残念な点として、設定に物語的な積み重ねが不足しているように思う。
例えば、この設定は〇〇だったんだよ。と解説はする。するのだが、解説だけして、それで終わりみたいなパターンが散見された。
これの最たる存在が件の『セイバー坂事件』である。
セイバー坂は、設定上は光の階段なのに実際は坂にしか見えず、飛羽真がそれを駆け上がっていくシーンの合成が明らかにズレている。
(多分、飛羽真はちゃんと階段を駆け上がる撮影をしていたのではないだろうか)
このシーンがあまりにシュールだったため笑いを生んだのだが、この回の問題はそこよりむしろ全体のシナリオにあった。
トンデモスピードで話が展開して、これまでの設定や伏線を次々と回収していく。
わかっていた部分の再確認から衝撃の事実まで様々な要素や、因縁の対決再びなどイベントが目白押し。ただしどう見ても一話の尺でできる分量ではない。
そのため大事なシーンはどこをとっても薄っぺらく、視聴者の心情が話についていかない。
そのクライマックス、一番の盛り上がりに出てきたのが件の坂だった。
要するにこの回自体があまりに酷くて、もう坂が出た時点で笑ってネタにすることで話そのものを消化するしかなかった。
この現象は仮面ライダー剣のオンドゥル語事件とよく似ている。
前置きしておくと、剣は平成ライダーシリーズでも好きな作品で、私個人は最初から最後まで結構楽しんで観ていた。
主観的には良い作品だが、客観的には残念な扱いを受けることが多い。
多分、私が剣の時に受けていたやるせなさを、今の仮面ライダーセイバーファンは受けているのだろうなあと思っている。
剣は第一話から唐突な急展開が初っ端から流れに置いていかれる視聴者が少なからずいた。
そしてそのラストに主役である一真から、あまりにも悪い滑舌で何を言ってるのかわからないセリフが飛び出す。
『本当に』が『オンドゥル』と聞こえたかことからそれは『オンドゥル語』と名付けられた。
(実際にはその台詞まるっと滑舌最悪だった)
実際リアルタイムに観ていて、肯定的だった私もこの台詞は聞いてから何を言っているのか理解するまで数秒を要した。
聞き取りにくいのではなくちゃんと聞き取れた上で、何を言っているのか状況から推測して脳が理解するのに時間がかかるという体験をしたのは、これが生まれて初めてだった。
オンドゥル語がお祭り騒ぎでネタになった理由は、この滑舌の悪さだけでなく展開そのものに問題を感じて、オチとしてオンドゥル語が炸裂したためだろうと私は推測する。
事実、その後も新しいオンドゥル語は生産されていくのだが、話が進むにつれストーリーは盛り上がりだして、オンドゥル語をネタにするのは自然と減っていった。
役者さん達もあるが、オンドゥル語以外で普通にシナリオを楽しみファン達が作品を語り合えるようになったことが理由であると、現在の私は客観的に分析する。
オンドゥル語ネタが減少していく中で、全く別の謎台詞や名言がネタとして語り継がれるようになってく。
オンドゥル語の説明が長くなったけれど、これと同じくあまりに酷いシナリオに対するオチの爆発力がセイバー坂の本質なのだ。
ちなみに、もう一つオンドゥル語との違いはオンドゥルは完全に偶発的な事象だったが、本作はアニメの作画崩壊に近い状況だったのではないかと私は考える。
まだ叩くかと思われるかもしれないがちょと待ってほしい。アニメにおける作画崩壊とは理論的には頑張った現場でしか起こらない。
何故なら作画崩壊とは70~80点の良かった作画がいきなり30点になってしまう事象であり、最初からずっと40点や30点で安定している作画のアニメだと作画崩壊ではなく駄作と呼ばれる。
作画崩壊のメカニズムを本作に当てはめながら簡単に解説しよう。
セイバー坂は、言っちゃ悪いがあの坂CGが制作スタッフにとって満足できるものだったわけがない。
シーンとしてはとても重要なのもあって、後の映画『ヒーロー戦記』でも坂のシーンは登場した。けれど実際の坂は見えないよう編集でカットされていた。
これだけでも、忸怩たる思いで坂を放映したのがわかる。
明らかに妥協の産物であり、もうあれで妥協せざるを得ないくらい現場の制作が逼迫していたのだろう。
それでオッケーだと思えるスタッフではないからこそ、要所で素晴らしい演出の数々があるのだ。
例えば、この数話後に登場する最終フォームはデザインだけなら初期フォームの色違いだが、そのカラーリングは手書きも多く見た目以上に『狂気かな?』ってぐらいに手が込められている。
初登場の演出も、あの坂を出した作品と同じとはまったくもって思えないぐらい手が込んでいた。ロスセイバーのテーマである宇宙と、作品の重要な要である聖剣を完璧に融合させた本作でも屈指の名シーンに仕上がっている。
逆に言えば、仮面ライダーセイバーが持つ本来の作画スペックは後者なのだ。
しかし高い完成度を維持するには、相応の資金と時間がかかる。
無理してでも維持しよう頑張ろうとするとひずみが生じだす。それでも足掻きに足掻くと、ひずみはやがて大きくなり何処かで破綻する。
故に無理のある極端なシナリオと坂は同時に起こった。
予想としてはシナリオと坂は、シナリオの無理が先にあっただろう。
台本が決まって撮影が行われないと演出は付けられないのは道理だ。
そして、話をぎゅうぎゅう詰めで賛否両論を起こした話はもっと前にもある。それは年末に起きた仲間割れ回だ。
こちらは前に個別記事として書いたので、詳細はそちらを参照。
仲間割れ回に理不尽な演出崩壊はなかった。大事なのは決まった話数までに決まったイベントを無理やり詰め込んで消化しようとすることだ。
これは制作スタンスや販促など諸々の事情があるだろう。
ハッキリ言ってセイバー坂回の詰め込み加減は仲間割れ回より酷い。これをどうやって一話でまとめるか、制作側も相当に頭を悩ませたのではないだろうか。
開き直れず、あーでもないこーでもないを繰り返しているうちに時間は過ぎていく。
そして切り詰められた時間は、後の作業に押し付けられてしまう。
例えば光の階段を作る必要があるのに、伝達ミスが起きて坂となってしまった。
ミスには気付いても直しが間に合わない。
あるいは急ぎの時ほどミスは出やすい。他にも直すべき部分があって、どれかを諦めねば放映に支障がでたり、予算オーバーでもう首が回らない等があった可能性もある。
制作する側も最初にラインを引きからギリギリにすることは稀だ。仮面ライダーの長期シリーズならそこは長年の蓄積がある。一つのミスでせいがガタガタになるとは考えられない。
様々な要因が重なり、あったはずの余裕は食い潰されて、遅延となり、本当のデッドラインへと近付いていく。
(そう考えるとコロナ禍も遅延理由の一つとしては十分考えられる)
アニメ制作でも起きる崩壊は、こういう回り回った結果で訪れるのだ。
ところで最終回のリバイスで変身やフォームチェンジを全部映像端折って芽依の説明台詞だけで誤魔化したのは予算ではなく来週のお楽しみにしたのだと信じたい。
(既に劇場版でド派手にやりまくったけどネ!)
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