本てほんっとーにすごいですよねぇー!!
はい! アルトじゃーないとぉ!!

なんかやっておかねばならないと思ったゲタライド(@ridertwsibu)です。

時代はゼロワンから令和二号へ。
正統派SFから王道ファンタジーへと切り替わりました。
ゼロワンが恐ろしく誠実にAIを掘り下げ描いたため、次作にいつものライトなサイエンス・ファンタジー系をやると、世界観が薄味に感じられてしまうかもしれません。
世界観の揺り戻しとして、ガッツリファンタジーは新鮮味もあって良いと思いました。

当然ながら多くの視聴者は例年の、特に前作の第一話を強く意識して比較します。
比較してどちらが良い悪いというよりは、前年の在り方から見て何が似ていて、どう変えたのか。分析とは近年の傾向と差別化の面白さがあると思うのです。

また、今回の比較はコロナ禍という情勢の中での変化も如実に表れていました。
そういう時代的なうねりの中で、セイバー独自の作品性というものを考察してみたいと思います。

ファンタジーとコロナ対策の親和性

ゼロワンとセイバーはどちらもコロナの渦中に制作された作品である。
その中で両者の違いといえば、ゼロワンは作品の途中で未曾有の災害に見舞われたこと。
事実上、制作が停止して再開時には対策方法の組み立てと、残りの話数で方向性を修正しながら、どう作品を畳むべきかとの課題があった。

セイバーはコロナの第二波が収まり切る前に番組がスタートした。第三波も当然のようにあると言われている。
収束がまるで見えない状況……つまりはほぼ確実に頭から足先までコロナの影響を受けながらの制作になるのだ。
高橋Pも公式サイトで番組制作が今程難しいと思ったことは初めてと発言している。

トライアンドエラーで日々挑戦。ゼロワンでの撮影停止が、セイバーでは発生しないように撮影スタイルや台本設定の改善と対策も練られた。

ゼロワン再開時から、密を避ける対策の一つとして撮影時の人員を減らし、CGの比率を上げる対策は実行されている。
これは間違いなくセイバーにも当てはまるだろうけれど、セイバーは元々王道ファンタジーの特性上、CGの割合は他作品より上がるのではないかと思う。

事実はどうあれ、少なくともCGの比率を上げることにジャンル上違和感はない。
今回の周囲が全部CGの異世界でも、セイバーなら純粋な作品性として吸収できている。

「コロナだからね」の仕方なさと、「ファンタジーらしい演出だね」とでは視聴者の意識も変わる。

もちろんコロナが猛威を振るうよりずっと以前からセイバーの企画は動いていたであろう。
そういう意味では「不幸中の幸い」ぐらいの幸運だったのかもしれない。

あえてポジティブに考えるなら、CGと合成の扱いを主力に創意工夫された新たな撮影技術がこれから確立されていくだろう。
コロナの影響が収束しても、それらの技術は仮面ライダー、ひいては東映の資産として残る。

どれだけ先になるかはわからないが、いつかには「あの頃は大変だったけど、その分仮面ライダーの●●はすごく進歩して見応えあるよ。あの時頑張ってくれた撮影スタッフの人達に改めて感謝しないとね」と言えたら良いなと、そう思うのだ。

テンポの良さという名の功罪

仮面ライダーは平成二期の後期に入ってからは、一話完結のスタイルが増えてきた。
特に序盤はテンポを上げてサクサク進めようとするケースが多い。

セイバーも例に漏れず一話完結からのスタートとなった。
世界観の全体説明に、異世界と繋がる地球。
主人公はキャラ性を出しつつ過去の重要な秘密の伏線も匂わせつつの初変身と戦闘。そして早速顔見せする二号ライダー……。

もうパンッパン詰め込まれていて、これを一話にまとめられただけで大したものだと思う。相当脚本を練り込みながらテンポコントロールをしただろうなと容易に想像できる。

それでも、ワンシーン毎に見ると大変良い出来なのだが、全体的に俯瞰するとどこかふわっとした印象になる話だった。
この理由は、大きく分けて二つあるだろう。

一つ目は純粋なテンポの問題だ。
大量の情報をテンポよく進めようとすると、時に話の筋よりもテンポが優先される場合がある。

芽依の好奇心を守ると約束するシーンは、飛羽真が一方的にそう決めただけで合意は取れていない。それ、約束と言えるの? と疑問を抱いてしまった。
主人公の特徴でありテーマでもある約束の扱いが曖昧だと、話の筋も通りにくくなってしまう。
一応別の見方もできなくはないが……話の方向性が変わるので、そちらの解説は後術。

飛羽真がゴーレムメギドと初対面した時は、怪人との遭遇よりも謎の本に強く反応を示して問いかけた。
これも普通は先に異形の怪物にも反応を割くべきであり、本来の筋よりテンポを優先して話を作っている。

こういう細かい疑問がいくつも重なると、話全体の流れがあやふやになってふわっとした印象になってしまうのだ。

二つ目は、あえて前作を引き合いに出すとわかりやすい。
ゼロワンの第一話は言葉にするなら研ぎ澄まされた一本のナイフだった。

SFとして絶対的に必要不可欠な世界観の設定をかなり印象的に見せた上で、きちっと主人公と相棒のイズにスポットを当てて活躍を描いていた。

この差はどこで生まれたのかというと、ベースとなる世界観だ。
ゼロワンはかなり特徴的な世界だったが、ヒューマギアが強く関わる部分を除けばベースは現代社会だ。
故に冒頭の飛電インテリジェンスとヒューマギア解説CMが入れば、なんとなく世界観は理解できてしまう。

ではセイバーはどうだろうか。
こちらは物語のメイン舞台こそ地球のローファンタジーではあるが、世界観には未知の異世界が絡むためハイファンタジー要素もある。

セイバーも同じように冒頭から世界観の解説が入るが、あれだけではワンダーワールドがどのような世界なのかはわからない(本来はここでわかる必要もない)。

同じファンタジー系の仮面ライダーウィザードは、現代社会に現れた魔法使いが人を救う設定だったので、ベースは現代の純粋ローファンタジーだった。そういう意味でも、セイバーの世界観は歴代ライダーの中でも独自性が強い。

その上で地球が突如異世界に繋がり、敵陣営が謎の本二冊に何かを書き込んだり、白い本を黒くしたりする。
二号ライダーの顔見せからの意味深な発言。主人公のワンダーワールドへの関わり等など、一話で大量の情報が矢継ぎ早に出てくる。

ゼロワンの時は滅亡迅雷.netや或人の過去などふわっとした先の情報を含みつつも、根幹のヒューマギアについては腹筋崩壊太郎でかなり具体的な例を示して、冒頭の飛電インテリジェンス解説を補強していた。

つまりセイバーはふわっとした土台にふわっとした情報を重ねまくるので、全体的にふわっとした仕上がりになったのだろう。

また、冒頭から漂うスーパー戦隊テイストな空気感も一役買っていたように思う。
ワンダーワールドの独特な異世界感を映して、そこからもっと独特な格好したオジさんが解説を始める。この流れは確実にこれまでの仮面ライダーにはないテイストだ。

良い悪い以前にかなりの困惑だった。完全にそうめんの口してるのに食べたら冷麦だった的な、慣れたらこれはこれでと思えるかもしれないが、不意打ち的な想定外によるコレジャナイ感が出てしまう。
スーパー戦隊シリーズにはあまり明るくない私がそう錯覚するのだから相当なものだろう。

冒頭を過ぎればしっかり仮面ライダーしていたのだが、戦闘でピンチになったメギドが突然の巨大化! やっぱスーパー戦隊だこれー! なテンション。
スーパー戦隊でも巨大化には設定があるものだけど、今回は唐突なサイズアップだったのでここもふわっとしていた。

セイバーのメイン監督を務められる柴崎貴行氏は、仮面ライダーでは初のパイロット監督でもある。
スーパー戦隊シリーズでは三度の経験があり、近年も二連続でパイロット監督を務められていた。

元々小さなお友達への分かりやすさを重視する方で、最近は特にお子さんが仮面ライダーに触れる年齢になり、より一層強く意識するようになったとウラ仮面ライダーでも話していた。
小さなお友達に向けたファンタジー感の説明なら、スーパー戦隊シリーズの空気感は伝わりやすそうだなと思う。

ただ、スーパー戦隊シリーズの設定自体が、仮面ライダーに比べると緩めになる(番組としての方向性的な理由であり、それ自体が欠点というわけではない)。
ふわっと重ねられた設定に、小さなお友達が好みそうな甘めのクリームやシロップで味付けしたようなイメージだ。
これがパンケーキなら完璧だったかもしれない。黒猫とパンケーキを作ろう。
(FGOであの歌リピートし過ぎた……)

とは言え、演出面での世界観描写は決して悪くなかった。
一話全体を通してみると、セイバーがファンタジー大作のアーサー王伝説を強く意識しているのがわかる。

別世界に留まり物語を客観的に語るラッセルはマーリンの役回りだろう。
飛羽真が最初に引き抜くのは素質ある者のみが抜ける聖剣エクスカリバー。倫太郎の普通のホモサピエンス発言がその裏付けとなっている。

またアーサー王は竜とも関わりが深く正式な名前はアーサー・ペンドラゴンだ。
作家=ペンであり、竜と合わさることでペンドラゴンのワードが完成する。
名前が仮面ライダーセイバーなこともあり、Fateシリーズをネタにされるが、明らかに元ネタは原点の方だ。

映像面だと、絵本を読み聞かせながらその世界にいるような画作をしながら、主人公の子供に対する面倒見の良さを作り出せていた。
このシーンは先に背景の下絵を別撮りしており、キャストはスタジオ撮影でのライブ合成で制作された。これもコロナ対策の一つである。

ちなみに、魔法の合言葉で反射的に「ちちんぷいぷい」が浮かんでしまったのは私だけじゃないはず。誰かそうだと言って……!
実際、ファンタジー繋がりか、絵本の中に瞬平が好きな本も本当に紛れ込んでいた。東映はこういう遊び心を仕込むの、昔から大好きさんである。

他にも根幹の設定となるワンダーワールドは、『美しさ』を際立たせるため、あえてゲームの作成で使われるソフト『Unreal Engine』を使用して作成している。

見ていて砂漠での戦闘シーンで、CGに切り替わったセイバーが物凄くゲーム感あったので、後でこの話を聞いてすごく納得した。
これをライダーゲームのPVワンシーンですと言われて見せられたら、何の違和感もなく信じる。

独特な構図とエッジの利いたゼロワンとは異なりつつも、ファンタジックで大胆な戦闘アクションだった。

セイバーのスーツアクターは浅井宏輔氏。
戦隊ではレッドのアクターを経験されている。匠な剣捌きと、明るい主人公像の表現を期待されオーディションにて役を勝ち取ったとのこと。

巨大モンスターな怪人相手の火炎十字斬で回り込みながら切るシーンは、仮面ライダーシリーズではあまり見ない類のアクションと構図だったなと思う。
ファンタジー感のある構図と動きは十分見応えがあったが、斬り方が大胆過ぎて十字になっていないのはご愛嬌。いきなり特殊な相手に初必殺技キメるから……。

主人公が交わした四つ目の約束とは?

最後にキャラクター面にも触れていこう。
昨今のライダー作品を継承するよう、全体的にアニメっぽさに寄せた濃い目の味付けだ。

冒頭から出オチの如く登場したタッセルは、視聴者の掴みになり、暫くは客観的に作品を覗きながら語る役割になるだろう。

新堂倫太郎はもう見るからに天然だ。台詞的な意味では、飛羽真の『約束』より『普通のホモサピエンス』の方が視聴者の記憶に焼き付いている。
青いライオンに乗って現れるオチも、微妙なサイズの合わなさが、100円入れたら動く子供向けの乗り物に大人が乗っているような感じでシュールだった。

ヒロインの須藤芽依は前作イズと正反対で、グイグイと前に出ていくタイプだった。
約束にストイックな主人公に対して、遊びに行きたいから前倒しで原稿寄越せと、悪びれもせず正反対に自分の欲望に忠実だ。

一時の感情を優先できるから、周囲がパニックに陥っても空気を読まず異世界の風景に対して好奇心で楽しめる。性格的に主人公ではできない未知の世界に対する派手なリアクション芸は日常側の住人だからできることだなと思う。

本作の主人公、神山飛羽真は作家と同時に本屋を営んでいるぞ。
昨今の作家は当たり前のように大多数が兼業だ。地に足付いている感がある。
逆に、今時原稿用紙で執筆は絶滅危惧種なのだが、そこは作家のパブリックイメージを優先にしたのだろう。
人魚姫の作者も子供化して、再臨するとタブレット使い出す時代だからね!

本屋はただの書店ではなく子供向けに絵本を主軸にしている。
作家におけるもう一つのパブリックイメージ、とっつきにくい偏屈を、子供に好かれるキャラ付けで上手く消した。

原稿の締め切りをきっちり守る誠実さも魅力にしており、ここ最近ではかなり王道寄りの主人公像だ。

締め切り守るスタイルから、ネットの作家や漫画家勢から、
「仮面ライダーが世界を守りながら締切りも守るので編集に言い訳できなくなった」
「俺は聖剣を抜けないホモサピエンスなので締切りも守れなくて仕方ない」

等などのコメントが出ている。締切りネタに対する食い付きの良さよ……。

締切りもその一つとして、飛羽真は約束を重んじる。
第一話だけでいくつも約束をしたが、話の流れ的な事情から誠実な男というよりは、セルフで約束からの有言実行! で、自分に自分のやるべきことを言い聞かせているようにも見える。

一人では目の前の困難に心が折れてしまうかもしれない。けれど「約束したから」と自分を奮い立たせる。守らなければという義務感は時に人を突き動かす。それもまた人の誠実さと呼べるものだ。
尺の事情によりそう見えるだけかなとも思うが、何かしらの形でいずれそういう約束が持つ性質にも触れる機会があるかもしれない。

ともあれ飛羽真は約束を重んじ、そこから人としての信頼を勝ち取っている。
なら彼にとってのその起点は何処だろう?

セイバーにとって約束は大きなテーマの一つだ。
それは間違いなく物語の根幹に関わってくるだろう。

過去の記憶で飛羽真は少女の手を取っていた時、指切りのような形になっていた。
飛羽真が忘却しているだけで、あの時何かを伝えていても違和感はない。

ならば指を切る別れは、同時に約束の始まりだ。
セイバーは大切な約束から始まり、それを守るために戦う物語なのかもしれない。