どうも、ゲタライド(@ridertwsibu)です。

今回はジオディケ解説と考察の後編です。
前半はジオディケ共通部分とジオウを語ったため、今回は残るディケイド部分がメインになります。

全体構造とジオウメインの前半はこちら。

話の尺という意味合いでは、当然の如くジオウよりディケイドの方がストーリーも凝縮されていました。
その分、評価もジオウよりディケイドの方が厳しいものが多くなるのも必然でしょう。

しかしながら、ジオウよりも尺が短い分だけ「ディケイド館が何をしたかったのか?」はよりシンプルに表現されていたと思います。

ただし前編でも解説した通り、井上脚本の濃厚さによりそれを読み取るのが難しい。
「濃縮還元されたストーリーを良い感じに希釈して解説するよ!」が今回の趣旨と言えます。

また、ある意味で本作最大の見所にして賛否両論だったろう士の終着。
これついても勿論ガッツリ触れていきます。

何故ディケイドの終着がああなったのか。
それを私達はどう受け止めるべきなのか。
この考え方は一つではなく、色々な面で見れると私は思っています。

それがディケイドというどのライダーよりも特殊な成り立ちで、長きに渡り『平成』を渡り歩いて生きたからこその面白さとも言えるでしょう。

平成の十周期に生まれ、
次代の十周期を旅して、
新時代にまでその在り方を届かせた。

平成の概念を象徴する門矢士の旅にも踏み込んで語りたいと思います。

ディケイド館の本質は○○オマージュ

ディケイド館側の特徴として、『ディケイド』を本編以後から変わっていった部分をそのままに、かつての『ディケイド』として描いたことだ。

これはディケイドという特殊な作品性が根底にあることを理解しなければならない。
門矢士というキャラクターは、本編を終えてからも度々他作品にメインキャラの一人として出演している。

スーパーヒーロー大戦では主役の一人に近い立ち位置で、『平成VS昭和』も本編から五年後とは思えない扱いだった。
直近のジオウではサブレギュラーであり、レジェンドの中では誰の目から見ても明らかに別格の扱いから、今回のジオディケに繋がっている。

その流れの中で、『ディケイド』はその後の門矢士を作っている。
実は、この『その後』の士をそのままか『かつてディケイド』に当てはめ直すのはかなり難しい。
喩えるならドラゴンボールZの大人悟空で、初期のドラゴンボールを作品雰囲気は変えずにやれというようなものだ。

しかし「ディケイドだからね!」と言える『わけのわからなさ』を今回もう一度やれている。
ディケイド館は何故かしっかりとあの頃のディケイドなのだ。

これについての読み解き方はジオウのキバ編と同じ。
キバ編ではキバを出してキバっぽいことをやらせるのではなく、キバが本来持つ作品全体の空気感をジオウの中で再現することでキバ編を作った。

なので、当時のわけがわからないけど雰囲気で突き進むディケイドを覚えている人は懐かしさを感じるし、すっかり忘れて美化している人や、あまりディケイドを知らない人は「なんだこのわけのわからない駄作は!」となってしまう。
元々ディケイドという作品自体が当時めちゃくちゃ賛否両論だったのを踏まえると、それを良くも悪くも再現したディケイド館が賛否両論となるのは当然の結果だ。

このディケイドらしい雰囲気を作っているのは、キャラクター性は違うけど色々出てきたレジェンドメンバー。
出番は短いけどキャラは濃い。特に吉田メタル氏のインパクトが強烈過ぎる!

それと意図的か偶然かわからない部分も含めた、細かな作品構成もあるだろう。
構成で一番わかりやすいのはユウスケと士のやりとりだ。
中には「でもユウスケ別人だったんだから、やりとりも偽物だろ」と考える人もるかもしれないが、これにはこれで理由があると私は思っている(ユウスケに関する考察は後術)。

ラストのオーマジオウ戦も、ディケイドの冒頭やラストのライダー大戦を彷彿とさせる荒野。
そこへ一切の説明なしに何処からともなくディケイドのライダー達が現れて参戦。オーマジオウへの徹底抗戦を始める。

これはオーマジオウをかつての破壊者ディケイドに置き換え、襲いかかるライダーをディケイド達にシフトしている。
これら全てがディケイド本編に対するオマージュだ。

大爆発の後に校舎で目覚めるソウゴは、まるでディケソウゴが目覚めたようにも見えるがそうではない。
そもそも変貌した校舎で眠る構図そのものは、『7人のソウゴ』側のシナリオにも繋がりはなく全くの不要。むしろ目覚めたら世界が一気に置き換わってましたでは矛盾すら起こる。

ディケイドではライダー大戦が起こると、それを夢の光景として夏海が目覚める。
オーマジオウによる世界の破壊は、そのままディケイドのライダー大戦をオマージュにしているという事実を画で見せている。

夢を繋ぎにしてジオウ側へと話を繋げて、ジオウ側を観てない視聴者から大ブーイングされた流れも、やはりディケイドのオマージュだ。
TV版では最終回で戦いが決着せず、いつも通りの次回へ続く演出が出て、そのまま『真の完結編は劇場版へ』という予告が流れた。

かつて数多の視聴者をジオディケどころではなく大激怒させて、お偉いさんの謝罪騒ぎにまで発展した伝説の最終回。
あの流れをそのまま再びジオディケでやって、ジオウ側を完結編としたのだ。

流石は白倉P、当時あれだけ問題になったというのも喜々としてもう一回やる。エボルトばりのド畜生さだよ!

井上正大氏の配信にて、とあるハッシュタグを付けて自分の見たかったディケイド館はこんな作品だったと内容をツイートすれば、後で見て判断してくれるという話をしていた。
私はそんな出演者にダメージを与えて憂さ晴らししたいとは思わないし、そもそも楽しめたと思っているのでツイートする気は全くない。

ただ、自分が観たかった理想のディケイド館というものは、それはそれである。
無論、作品制作には決められた尺や予算その他諸々があって、その枠内でベストを尽くさなければならない。
これから書くのはそれらをわかった上で、あえて妄想のみで語る理想の展開だ。

士とソウゴがオーマジオウに戦いを挑むが全く手も足も出ない。
そこへ駆けつけたのはユウスケ。警戒する士に対して彼は「待たせたな士」と言いアークルを装着。クウガへと変身。
同時にオーロラから仮面ライダーキバーラとディエンドも参戦する。

更には何処からともなくドラグレッダーやデンライナー達が飛来。キャッスルドランとその上に乗ったゾルダがファイナルベントを発動。
地上ではバイクで疾走するライダー達。その中にはトライドロンやリボルギャリーの姿もある。
数多の並行世界からライダー達が集結した、第二次ライダー大戦が勃発したのだ。

しかし相手はあのオーマジオウである。
集いしライダー達すらも次々と倒されてしまう。
軍団の壊滅を象徴するように、オーマジオウの前で倒れ落ちるドラグレッダー。

ソウゴは最後の希望としてセイバーウォッチをディケイドに預けてオーマジオウへと特攻。
大爆発が起きて場面は暗転。そして校舎の中でうたた寝から目覚めるソウゴの姿が――そこでネオディケイドライバーが画面全体に現れ次回へ続く演出が入る。

そして通常と同じくエンディングが流れて終わりかと思いきや、『ライダー大戦は7人のジオウへ』の文字と共に入る予告動画。

驚愕するスウォルツ。

「これが本当の世界だったとは!」

突如オーマジオウの背後から組み付く鳴滝。

「今度こそ真の正体を明かす時がきたな!」

ネオコンプリート21が襲いかかるのはオーマジオウではなくソウゴA。

「お前が真実のソウゴだと……!」

死んだはずの異世界ユウスケは黒目のアルティメットとなり、それに対峙するのはもう一人のユウスケにしてライジングアルティメットだった。

「世界は俺がもらう!」

そして、全ての決着を付けるためにジオウとディケイドは並び立ち、オーマジオウと歴史の行末を決める最終決戦に挑む!

「俺と士さんなら、やれる気がする……!」

という感じで一つ。
え、『7人のジオウ』最終話の展開? もちろん実際に配信されている内容のままですよ? 全部嘘予告に決まってるじゃないですかー。

ここまでやったらわかる人間には最終回オマージュだと絶対わかる。
結果、何も知らないまま誘惑に負けてテラサに登録してもっとガチギレする人か、「おのれディケイド!」と叫びながらも実際は腹抱えてゲラゲラ笑い転げる人に二分されて、とても楽しいと思います。

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