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活かされた剣士達の王道
感想なしでは、根底となる構成の問題を主体として語ったが、この欠点はセイバー側でみるとこれはプラスにも作用する。
というのも、セイバーという作品は短い尺で複雑なことをやるのはかなり不向きなのだ。
この理由はライダーの多さと群像劇が悪影響を与えており、以前のセイバー総括記事でも深堀りして解説している。
むしろセイバーの魅力は、物語がシンプルになった時にこそ最大火力が発揮される。
矛盾しているが、ビヨジェネは剣士達の出番を大幅に数ったからこそ『剣士達が巨大な敵に一丸となって立ち向かうぞ!』というノリがストレートに活かされている。
これはセイバー短編劇場版と同じような効果だ。
剣士達のキャラクター性はビヨジェネ内ではあまり活かされていたとは言えない。
物語にガッツリ絡んだのは飛羽真、倫太郎、ユーリの三名。
他では、ゲストキャラの不仲な親子と対比するため、子育て王と息子がピンポイントに出てきた。
後は強いて言うなら家族というテーマ性のためか、神代兄妹も台詞は少し多めだったように思えるが、それはあくまで他の剣士達に比べると程度でしかない。
今回の敵役ディアブロは配下がいて、ボスの完全復活を目論んで世界各地に飛ぶ。
それを剣士達が追いかけて戦うのが基本的な流れだ。つまり剣士達の活躍はほとんど戦闘アクションに割り振られている。
だからこそソードオブロゴスの剣士達が持つ本来の使命、『世界の均衡を保つ』がそっくりそのまま発揮されていた。
通常と異なる部分として、今回は使命を果たす存在を『聖剣に選ばれた剣士』ではなく明確に『仮面ライダー』だと表現したことだろう。
これもまあ、取って付けて少しばかり露骨な感はあった。
ただし終盤は、配下との戦いにリバイスを除くフェニックスのライダー達も参戦している。彼らを総称するネーミングとしては仮面ライダーの方が適当だ。
何より、50周年において『仮面ライダーとは何か』をレジェンドライダー達のように示す役割もあった。
力強くわかりやすい仮面ライダーを象徴する役割を、リバイスでも1号でもセンチュリーでもなく、セイバーの剣士達が主体となって果たしたのは意外だった。
それと同時に、これはセイバー組の王道性があってこそだろうと思う。リバイスは現状だと『自分の中にある悪魔と向き合う』要素が強く、世界よりもずっと個人寄りだ。
フェニックス組で唯一の例外が仮面ライダーデモンズことヒロミだろう。仮面ライダーリバイスの中でも剣士達に混ざって一番違和感ない、熱い男である。
劇中での扱いも酷かったけど、この中に混ぜて貰えてよかったね! ヒロミの仮面ライダー性はここでちゃんと評価されたのだ!
そして仮面ライダー達の意思と決意は、刃王剣十聖刃として飛羽真の手に収まった。
飛羽真もまた仮面ライダーの決意を胸にディアブロとの最終決戦に挑むのだ。
もう一つ、セイバーにおいて重要視されるテーマ性は言わずもがな『約束』である。
物語の後半、バイスは裏切らないからと一輝に頼み込んで、悪魔が支配する未来へと戦いに赴く。
重要な戦力分けを個人レベルで決定していいの?
ていうか、悪魔と契約して(スタンプを押す)その力を借りるようなシステムなのに、バイスおらんでも変身できたんかい。とか心の中でツッコミ入れたのは私だけじゃないはず。
しかも未来での戦いは数に押されて劣勢で、バイスは裏切って悪魔側へと寝返ろうとする。
それを止めたのが飛羽真をはじめとしたセイバー側の剣士達だ。
バイスは諭されて最後まで戦い抜き、最後はご褒美として未来のバイスタンプを渡される。
ここから『約束を守ると良いことがあるぞ!』とバイスの猛アピールが始まった。
かなり剛速球のストレートで約束を守ることの重要さを説いた。
これはあまりに直球過ぎてセイバー本編でもありそうでなかった展開だと思う。
(むしろセイバーの重要な『約束』は一方的な部分もあり、約束よりもされた相手『個人の決断』が重視され、結果的に守り切れなかった部分すらある)
視聴しながらでも『情けは人の為ならず』的なニュアンスであるのは感覚的に理解できたが、同時にめっちゃ即物的だなとも思う。
バイスがあまりにはしゃぎ過ぎたせいで、「バイスみたいに約束守ったでしょ!」とお子様に見返りを要求される親御さんの姿を未来視したよ。
とはいえ、バイスだからこそ約束を守ることの重要さがダイレクトに伝わりやすかったのも事実だ。
それに第一話でフェニックスが国民に向けた『約束』を悪魔を操るデッドマンズが破壊した。
悪魔が約束を守るというのは、この意趣返しにも機能するのではないかと思う。
クロスオーバー映画は新旧ライダーのバトンタッチ的な要素を持つが、飛羽真からバトンを受け取ったのはなんとバイスだったのだ。
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