諸君 私はオタクが好きだ
諸君 私はオタクが好きだ
諸君 私はオタクが大好きだ

ヒーローが好きだ
怪獣が好きだ
ロボットが好きだ
魔法少女が好きだ
アンドロイドが好きだ
宇宙人が好きだ
ロリが好きだ
ケモ耳が好きだ
スク水が好きだ

アニメで  マンガで
特撮で   ゲームで
小説で   舞台で
リアルで  SNSで
イラストで 動画で
二次創作で 同人誌で

この地上で行われるありとあらゆるオタク活動が大好きだ

……はい、どうもゲタライド(@ridertwsibu)です。

今回は懐かしの少佐構文から始めてみました。
元々ファンからは人気が高く、十年位前にニコニコ動画が爆発的に広めた鉄板ネタの一つです。
元ネタのヘルシングは知らなくても、少佐と演説は知ってるなんて人も当たり前にいましたが、今では「何それ初耳」というアニオタは当時よりずっと増えています。

さらに十年。そして十年。当時は当時の定番ネタや知識があったでしょう。
それら全てを知る者はいないというくらい、オタクの世界は広くディープです。

(時期には諸説ありますが)オタクも誕生してからそろそろ半世紀を迎えようとしています。

人間五十年。オタクも五十年。

それだけあれば色々ありました。
年代を経てオタクも世代が分かれ、『色々』を語ると時に老害扱いされてしまうとさえあります。
逆に、昨今の流行りに付いていけず、そういうジャンルを批判して差別的な目で見る人もいます。
どちらも今に始まった話ではないですが、必ず生じる世代間問題です。

しかし老害と呼ばれるその話題は、語り継ぐべき理由があるから語ろうとする人が多いのかもしれません。

そして、ついていけないと批判する新ジャンルは、実は古くから根付き時代と共に花開いたもので、我々が育てた文化の先端であるかもしれないのです。

オタクの文化とは異質で歪な成長を遂げてきました。それは単純な偏見の話ではありません。
特殊な成り立ちで育ってきたからこそ、世界に誇る巨大コンテンツとして成長したのであり、また同時に多くの問題を抱えているのです。

問題を正しく認識するには過去の知識が必要であり、未来に向けて飛ぶには歴史が形作った翼が必要なのです。

それが私の語るオタク歴史学の入門。
具体的にはこんな感じのことが学べます。

・歴史と本質から「オタクとは何か」。
・歴史の転換からみたオタク文化の変化。
・たまに聞くオタク文化関連の問題と理由がわかる。
・過去の流れから今後オタクがどう変化してきたか。
・オタク文化はオタクが思うより世界を制している。
・今よりオタクって「面白!」と思える。

まあ、つまるところ、これだけ面白くて狂ったものをジャンジャカ生み出してきたオタクの文化ですよ?
文化そのものをガチで語って、面白くないわけがないッ!

それが今回最大の執筆動機。
では貴方の知る、そして貴方の知らないオタク歴史学の開講です!

オタクの歴史は世代ではなく○○論で考える

オタク歴史学の第一回は、オタクという文化の芽生え、オタクとは如何にして生まれたのか。その根源を中心に語る。

前提として、オタクの歴史を語りだすと、その世代ごとの特色や流れを説明することが必須である。
大体この年代は第二世代とか、この辺りが第三世代みたいな区分けが出てくる。
こうなるのは必然としても、私はこの〇世代みたいな考え方がどうにもしっくりこない。

例えばAさんは第三世代のオタクだとする。
けれどその数年後には第四世代の隆盛期となり、Aさんはそのまま第四世代のオタクに馴染んで問題なく交流もできている。
つまりAさんは第四世代以降のオタクでもあるわけだ。

オタクという以前に人類史として、テレビが急速に発展して今やインターネットが情報収集の主流になっている。
これらの流れは、その都度オタクの生態にも大きな変化を与えてきた。

そのため○世代と表記している割には、当たり前に混ざってしまう。これは区分けとしてしっくりこないぞと思う。
詳細はまた後で語るが、オタク文化に詳しい岡田斗司夫氏はオタクとは独自の文化を形成できることを特徴の一つとしている。

これにはなるほどと思った。
オタクの世代とは、その時代における流行や思想が文化として形になったものなのだ。

時代に置いておかれる旧世代の人がいれば、逆に上手く適応していく者もいる。そこに個々の『世代』は直接関係はない。
歴史の区分けは文化の区分け。戦国時代とか江戸時代とか、同じ侍がいた時代でもこの二つは明確に異なる文化を持っている。オタクの文化も同じだ。

そこで当記事ではオタクは世代ではなく、文化をバージョンに置き換えて語る。
つまりオタク1.0とかオタク2.0みたいな形式だ。

オタク文化を区分けする場合、まず議論の対象となるのは『何処を始まりと定めるか』である。
そもそも、オタクがオタクとして呼ばれるようになり、自分をオタクだと自認するようになったのは1983年だ。
名付けした者達が内輪で使いだしたのがここからおよそ6年前であり、逆算すれば大体1970年代生まれ辺りからになるだろう。

だが、オタクとはその辺からひょっこり生えてきたわけではない。
指摘されたのがこの段階というだけで、その土壌は以前から既にあった。
そこから芽吹き時間をかけ成長して、数が増えたことである程度集団化したからこそ、オタクというラベルが貼られたのである。

ではその土壌は何処からだったかというと、これは主に1950年代後半から60年代にかけて育まれた。
ではここがオタク1.0であるかと言われると、この地点ではオタクはまだオタクとしての文化を形成しておらず、そのためオタクらしさと言える性質もまだない。

オタクの祖先であってもオタク未満。
言わばオタク原始時代だ。あえてバージョン付けするとしてもオタク0.1だろう。

現代人も原始人も、青ライオンに跨がる仮面ライダーからすれば同じ普通のホモサピエンスかもしれない。

しかしながら素手でティラノサウルスとかトリケラトプスを仕留めて餌にしていたような生物を同じ人種とは呼びつらい。そんな感じ。

ではまず語るべきは、オタクが0.1から1.0へと至った道程となる。
オタク文化の創世記――ジェネシスには、それに相応しい二人の神が存在した!

SF文化の開花と終焉

オタク発祥には主に三つの流れがある。
その一つ目はSFだ。

現代では代表的なオタクコンテンツと言えば多くの人がアニメと漫画を挙げるだろう。
しかし、その漫画やアニメは当初からSF作品に強い影響を受けている。

今や完全に日本文化として根付いている仏教は、インドで生まれ中国を経由して日本へと伝来した。
オタク文化も、その種子とは海外からの伝来品だった。

日本で現在に繋がるSFの流れは戦後、アメリカ兵が読んでいたソフトカバー系の安い小説が古書店に並びだしたことを発端とする。
その流れで、日本語に翻訳されたSF作品の流通も再開された。
(ただしSFの影響そのものは戦前から受けており、オタク文化の発展にも大きく影響している)
1962年からは日本SF大会も定期的に催されるようになり、SFファンは様々な活動を通じてSF文化の布教に勤しんだ。

中には中学生が独自のSF研究会を立ち上げ、ガリ版印刷と呼ばれる金属板に文字を刻む方法で同人誌を作っていた記録も残っている。
板に文字刻み込む同人誌作りなんて、字面だけだとマジで原始……!

アメリカでは1961年にアポロ計画が発動したことにより、皆が想像していたSF世界に現実が追いつき始めると、皆の関心は一気に高まっていく。
それと同時にSFにリアリティが強く求められだした。

この年代で直接現在のオタク文化に残る作品はあまり見かけないが、宇宙戦争をテーマにした小説『宇宙の戦士』は機動戦士ガンダムの元ネタになっている等、現在に繋がる作品の下地になっている。

そして1970年には大阪万博が開催されたことが大きな影響を与えて、日本にSF小説の出版ブームが訪れた。

SFとはかつては小説が大多数の文化で、理解が難しいジャンルである。
リアリティの追求によりその難易度はより上昇していき、敷居も高まっていた。
日本でもとにかく多くのSF小説を読んで、理解度を深めていくことが求められた。
そうして段々とSFのなんたるかが理解できてくる。当時はある種の学問みたいな状態だ。

理解を深めるためと、この作品のSFは理論的に正しいのか等の検証で、SF考証が発達していく。
ただし考証には個々の知識量や解釈求められるため、どれだけ多くの作品を読み込んだのかが重要になってくる。

そのため押さえるべき作品を押さえ大量に読み込む。時には日本語では未翻訳の作品を自分で翻訳して読む等も求められる。
その上で更に個々の解釈も交えた議論が交わされるようになった。

要するに会話によるマウンティング行為は割と当たり前にな文化性であり、現在でも「だからSFオタクは面倒くさい」等と言われる一因にもなっている。

しかしこうしたSF文化への情熱と普及が、オタク文化を育てて、多大な影響を与える結果となった。
こうして生じ盛り上がりを見せていった1960~70年前半頃がオタク1.0のSF方面になる。

●●神が作った怪獣ブーム

二つ目の流れは特撮作品である。
小説に比べればその数は比べるべくもないが、海外を中心に様々なSF映画が制作された。
特撮とSFはまさに切ってもきれない関係にある。

そして海外の怪獣作品『原子怪獣現わる』を源流として、1954年原初にして最先端、世界が認める怪獣王が産声とは呼べぬ咆哮を上げた。

ゴジラは、終戦から十年内に再び社会問題となった核原爆を取り扱った。
人間が使用した核兵器の影響で突然変異した生物が、放射能を撒き散らしながら日本を蹂躙していく。

まさに核兵器の恐ろしさを形にしたような大いなる怪物。
それが日本における巨大怪獣映画の始祖である。
日本における特撮の大ブームはゴジラが起こしたと言っても過言ではない。

最初期のゴジラは被爆者を意識したケロイド状に見える皮膚。不揃いな乱杭歯で気持ち悪さを全面に押し出した、純粋な怪獣モノのパニックホラー映画として製作されている。
社会風刺とエンターテイメント性を両立させた本作は、当時の国民の約十人に一人は見ていたというとんでもない動員数を叩き出した。
まさしく特撮作品としてだけでなく日本映画史に残る大ヒット作となったのだ。

しかし日本では当初、一般市民からの評価は高かったものの、評論家達の評価は『特撮技術は評価してもストーリー性が作品を邪魔している』と全体的に低かった。
ただし小説家や評論家として、絶大な知名度を持つ三島由紀夫氏のみはゴジラを絶賛。
逆に言えば、それだけ常識の枠を外れた斬新な作品だったと言えるだろう。

またその後、海外でも同様に大ヒットとなり、手塚治虫氏や水木しげる氏も高評価して現在の状況に収まった。

当時、アメリカでの特撮撮影は人形やぬいぐるみをストップモーション・アニメーション形式で動かす方法が主流だった。
けれど製作期間の事情から、ぬいぐるみ(スーツ)の中に人が入る方式を採用する。
これによって七年かかると言われていた撮影をなんと三ヶ月程に短縮させたのだ。
以後、スーツの中に人が入り怪獣を動かす手法が、日本で積極的に取り入れられていく。

この方法を考えだしたのが、後の円谷プロ初代社長にして『特撮の神』と讃えられる円谷英二氏である。
今ではスーツアクターとは立派に職業として定着しているが、当時ゴジラ役を務めたアクターやカメラマンは、円谷氏がぬいぐるみでやると宣言されてもサッパリイメージが湧かなかったそうだ。

円谷氏は他にも、当時最高の技術を誇るアメリカにも負けない特撮技術でゴジラを製作した。
以後ゴジラシリーズの七作目までを特技監督として関わった。
(七作目については実質名義を貸している状態である)
他にも『空の大怪獣ラドン』『大怪獣バラン』『モスラ』など様々な怪獣映画を手掛けている。

しかしながら、ゴジラシリーズは回を重ねるにつれ、エンタメ色が強くなっていき子供向け映画の側面を強めていく。
また、アニメの隆盛期に差し掛かりだすと、目に見えて劇場の動員数は低下していった。

ゴジラは大怪獣として観客の度肝を抜いたが、シリーズ化における欠点もまたゴジラが大怪獣であることだった。
まず、ゴジラのシリーズ化によって円谷氏が最も恐れたのはマンネリ化である。
結局突き詰めると、怪獣映画とは『巨大な怪獣が出てきて町を破壊して暴れ回る』だけで解説ができてしまう。

そこで二作目以降はアンギラスやキングコングなど怪獣同士の対決が定番化していく。
円谷氏はゴジラの衰退は、怪獣映画全体の衰退に繋がると考え、新作ではゴジラよりもむしろ新怪獣の撮影に力を入れて作品ごとの差分化を図った。

そうして怪獣映画は怪獣プロレスとも呼ばれる対決物へとシフトした。
このバトルも繰り返すと飽きられてしまう。なんせゴジラは怪獣であるが故に、こなせるアクションにかなりの制限がある。短い手足では俊敏に動いたり繊細な格闘アクションはまず不可能だ。

そうなると戦闘アクションは尻尾での攻撃か熱線が主体になるが、この二つではパターン化してしまいやすい。
そのため観客が飽きず楽しめるようへと傾き、ゴジラが当時人気の「シェー」のポーズをやりだしたり、他の怪獣と岩でバレーなんてことまでやりだした。

また、プロレスと揶揄されるだけあって、怪獣同士の役割として勝つ方や負ける方。悪玉善玉の概念が芽生えだす。
そうなると人類に対する警鐘とある種の呪いとも言える存在だったゴジラは、段々と人類の味方、善玉怪獣レスラーへと変化。怪獣王とは怪獣プロレスの王者という意味合いになってしまうのだ。
(この怪獣王、ヒールサイドに回るとモスラに負けている)

また怪獣映画の欠点はもう一つあり、とにかく制作費がバカ高い。
ゴジラは人気シリーズとして高い評価を得ていたから続けられていたのであって、マンネリ化してアニメ等他の競合が増えていき人気が落ちれば続けられなくなってしまう。
悲しいかな、円谷氏が完全に離れて以後のシリーズは目に見えて興行収入はダウンした。
それでもまだ、この当時ゴジラが人気シリーズであったことには変わりないため、作品形態を少しずつ変えつつもシリーズは存続していく。

その円谷氏は東宝を退職後、円谷特技プロダクションを立ち上げ、テレビで観れる怪獣作品が生み出された。
この新たな挑戦が『ウルトラQ』だ。

既に円谷氏の名前は高い知名度と実績を持っている。
それを担保とした高価な機材と、同様に高い特撮技術、しっかりとした予算が相まってウルトラQは大人気番組となった。

そこから次作『ウルトラマン』、そして『ウルトラセブン』へと繋がっていく。
また怪獣のソフビ人形も、ウルトラシリーズにおける代表的なヒット商品となった。
そこから、怪獣が登場する特撮テレビドラマが相次いで製作されて子供を中心として大人気となった。

このウルトラシリーズこそが、第一次怪獣ブームの火付け役なのである。
なんと、特撮の神は自らが深く関わった作品によって、怪獣ブームの流れを生み出したのだ。

●●の概念が再び特撮業界にブームを起こす

怪獣ブームは1966年~1968年頃とされており、その後、やはりまたゴジラは大きく勢いを失っていく。
こうして落ち目になっていくゴジラを仕留める役割となったもう一つの大作が生まれる。
巨大怪獣の特撮にお金がかかるなら、巨大にしなければいい。
怪獣ではアクションが難しいなら人型の『怪人』にすればいい。

そもそも怪獣では見ている側だって普通の人間よりも感情移入が難しくなる。
ゴジラが善玉で、わかりやすく人間の味方みたいなことになってしまった要因の一つだ。
だったら人間がやればいいじゃん!

劇場よりももっと身近のお茶の間で見れて、怪獣よりも動きが激しく見応えのあるアクション。そしてゴジラに負けない派手な特撮演出。
それら全てを兼ね揃えた存在――変身ヒーローの代名詞、仮面ライダーが生み出した第二次怪獣ブームの到来だ!

おいちょっと待って、何で仮面ライダーなのに怪獣? せめて怪人でしょ? とお思いの貴方、その考え方は正しい。

第二次怪獣ブームの発端となる1971年は第二次ベビーブームの影響で子供が増えており、勧善懲悪のヒーローが登場する番組のウケが非常に良かった。
だが怪獣ブームは既に過ぎ去り、作品人気は特撮ヒーローではなくアニメが主体。またスポ根系の『巨人の星』(当時の平均視聴率20%以上)等が人気を博していた。

円谷プロは怪獣ブーム後は作品視聴率に伸び悩み、大人向けのホラー作品作ってゴールデンタイムに流そうとするも、完成はしたのに内容が過激過ぎてまさかのお蔵入り。(実際の放送は1973年の深夜番組となった)
また円谷英二氏がお亡くなりになり、円谷プロは窮地に立たされる。

そこで1970年に放送されたウルトラマン達と怪獣の戦闘シーンだけを切り抜いた(一部新規撮影も含まれる)五分番組番組『ウルトラファイト』の放送で、怪獣ソフビは再び売れ行きが伸びだした。
これは怪獣ブーム後の子供達が初めて怪獣作品に触れたことが切っ掛けであり、その後再び怪獣特撮を望む声が高まった。

そして1971年1月、『巨人の星』の裏番組として『宇宙猿人ゴリ』(後のスペクトルマン)が開始。しかも視聴率において『巨人の星』を上回る成果を上げる。約三年の時を経て、完全新作の怪獣作品が出たことにより再び怪獣ブームに本格的な火が付いたのだ。
その4月には『仮面ライダー』と『帰ってきたウルトラマン』も放送され始める。

帰マンも高い人気を得たが、仮面ライダーの『変身』が子供達の心に深く刺さり大人気となる。
結果、帰マンは視聴率で一度も上回ることはできず、第二次怪獣ブームの中心は変身の概念を生み出し、常時30%近い視聴率を維持していた仮面ライダーが代表格となったのだ。
そのため第二次怪獣ブームは別名『変身ブーム』と呼ばれており、等身大の変身ヒーローが次々と生み出された。

ただし『ウルトラマンエース』等の巨大ヒーローも放送されており、怪獣ブームという呼び名も決して間違いではない。

そして変身ブームがあまりに加熱し過ぎたため、仮面ライダーを真似て怪我をする子供が現れ社会問題となり、遂には死亡事故まで起きてしまう。
これを重く受け止めた東映は作品中に本郷猛が、子供にライダー真似て危険なことをしてはならないと呼びかける話が作られた。
そういう事故も、仮面ライダーがまさしく等身大の変身ヒーローという新たな概念を作り出したから起きたことであるのは間違いない。

東映は変身ブームの中で、続編である『仮面ライダーV3』の他、『超人バロム1』『変身忍者嵐』『イナズマン』等の人気変身ヒーローを生み出しており、時代のトップランナーとして活躍した。
変身ブームはおよそ1974年頃まで続く。

こうしてSFと特撮はオタク文化の芽生えを支える巨大な柱となった。
そのため、オタク1.0では後の2.0文化との違いとしてSFと特撮人気の高さが挙げられる。

SFという大人達が真剣に考察することで熱を帯びていく概念。
そして怪獣と変身ヒーローに対する子供達の熱狂。
親和性を持ちながら、けれどそれぞれに異なる二つの熱がオタク文化の根となり、やがて世界中の人々を魅了する大樹へと成長していくのだった。

次回は最後の柱とオタク文化を生み出したもう一人の神。というかもはや言わずもがな、漫画文化のゴッド手塚治虫しかいないけどネ! けれどその功績はあまりに語ることが多過ぎる。
そしてオタクの語源から、如何にしてオタクがオタクとなったのか。そしてオタクの本質とは何か。そのもう一つの発祥へと迫る。

オタクの歴史話なのに、特撮の起源と歴史語るのがあまりに楽し過ぎてオタクという名の起源に辿り着けていないのが、あまりに私らし過ぎるっ!