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平成ライダー史 仮面ライダークウガ『新たな伝説を創った者達』感想・考察

2020年4月28日

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A New Hero. A New Legend.

意図的な封印期間を経て復活した仮面ライダープロジェクト。
この企画に対して白羽の矢が立ったのが高寺プロデューサーである。

高寺Pは東映にいたものの東映の特撮作品には基本的に否定的だった。
仮面ライダー作品として人気を博したBLACKに対しても、当時は憤慨と嫌悪感を抱いていた程だ。

現在の東映特撮は子供に対して本気で向き合っているとは思えない。子供騙しになっていると考えていた。
BLACKは当初、新たな時代の特撮にしたいと聞いていたため、出来上がった内容に対する失望も大きかったそうだ。

そんな事情から高寺Pにとって仮面ライダーはもう復活すべきではない作品とすら思っていた。
(なお、昭和特撮から抜けられない時流の中で、ZOはすごく頑張っていたとも評価している)

とはいえ新作着手時点で出した案『仮面ライダーガーディアン』は、ヒーロー色が強く、従来の東映観を意識した作風だった。
けれど石ノ森プロ側が出した案『仮面ライダーオーティス』はホラー色を強めた悲劇性増し増しな内容で結構お互いの意図がズレている。
(なお、オーティスの名称は後の仮面ライダークウガショーで出てきた)

ここで高寺Pはここでヒーロー番組として抜根的な改革に着手する。
とはいえガーディアン初期構想の快活で探検家志向な主人公を基にして一から構築すると、アメリカ大作映画級の予算が必要になってアウト。
地球人と宇宙人のハーフ設定を提案したら、あまりに仮面ライダー色が失われ過ぎてしまって却下……と中々上手くまとまらない。

そこで土台は従来の仮面ライダーを置きつつ、設定を見直していく方針に転換した。
子供騙しのような作品にせず、特撮ヒーローの様式美からくる矛盾を廃止するため、作品に整合性を持たせた現実感の追求を試みた。

また、ディレクター鈴木氏からも仮面ライダーに対する要請が三つあった。
敵にヒエラルキー的な序列を付けない。そしてイーイー叫ぶ戦闘員は出さない。
これで世界征服を企む悪の秘密結社設定が根底から消え去った。

そして最後は改造人間にはしないこと。
どれも以前と同じことをするなという意味だ。

また三つ目の理由は様式美とは別に、改造手術という概念に現実が追いついたためでもある。
臓器移植や整形などでの人体手術が多く実現している以上、改造手術によって哀しみを背負う主人公にはしたくない意図があった。

これらを踏まえて、これまで闇に潜んでいた悪の秘密結社は、古代に封印された独自の文化と言語を有する『グロンギ族』へ。
改造人間だった仮面ライダーは、古代の力を引き継いだ戦士へと変化した。
戦闘員の設定がなくなったことで、仮面ライダーの名称も劇中で呼ばれず、現実的ではない必殺技を叫ぶ行為もなくなった。

数少ない残った様式美の一つが「変身」の掛け声とポーズ。
だがこれも、五代雄介が戦う覚悟を決める精神的な意味でのスイッチ扱いにしており、ポーズだって昭和のように大仰なものではない。
きちんと必要性と意味を付けた上で要素を残している。

そして秘密結社ではなくなったのでその存在は公に周知され、警察もグロンギ族の謎を追いかけながら戦い、クウガとも積極的に協力する体制を取った。

本作は仮面ライダーだけでなく怪人についても深く掘り下げている。
怪人が現実に現れたら人々の生活はどう変化するのか。そして警察は怪人をどう対処するのか。
現実的なリアリティを出すために、警察官や一般市民についての描写もかなり多い。

そうして一話単位の描写量が大きく増えたため、一話完結方式ではなく二話前後編構成になった。
根本的な方式までどんどん塗り替えていき、恐ろしいまでの綿密さで丁寧に『社会』を描いている。

この世界観を作り込むため、脚本作りにかなりの時間と手間暇を割いたようだ。
なお、メイン脚本となった荒川稔久氏は、当初全部変えて新しい作品を作りたいと語る言葉には懐疑的だった。
いきなりハリウッドテイストでいきたと言われて、BLACKやカクレンジャー等の脚本も経験があったことから、それは現実的ではないだろうと思ったらしい。

日本や東映の限界を加味して企画に質疑をする姿勢から、これはもうダメかもわからんねと評価され、一時期小林靖子氏(後に龍騎のメイン脚本を担当)になりかけていた時期もあった。
だが実際にそうなるより前に高寺Pの本気度合いを理解して、荒川氏はこれでもかと作り込んだ世界観を手掛けていく。

リアルで嘘のない世界観を出すために、場所の移動は実際に可能な時間推移を意識している。
怪我をした時の治療シーン一つを取っても、医療番組につく専門スタッフの考証を経た。

警察についてもガッツリ取材をしている。
例えば最初に未確認生命体第0号が殺戮を起こした際の捜査も、大怪獣でも出てこない限りいきなり自衛隊の出番はない。人型の怪物ならば殺人課でもなく、熊などを対処する部署になる。そこで一条は警備部の担当になった。

なお、クウガがリアリティを重視した作品であるのは疑いようのない事実だが、荒川氏はクウガを初代仮面ライダーの平成風にリメイクする感覚で制作している。
だからこそ切り捨てた部分もある。

警察内部のゴタゴタはかなり端折っていて、警察にも事情はあれクウガとの協力体制を大事にする。基本皆良い人の雰囲気は崩していない。
その流れから、どれだけ話が大きくなっても自衛隊は影も形もない。
絶対に騒ぎまくるマスコミや市民のクウガ叩きは『そういうのもある』程度に抑えている。

他にも、当初の脚本では登場人物がドラえもんのキーホルダーを付けている描写もあったのだが、これはリアリティがあり過ぎるという理由で削除された。
あまりにリアリティを追求し過ぎると、古代から蘇ったグロンギや諸々の超古代文明設定にすら無理が出てしまう。

リアリティが出るように描写と設定を切り分ける。これがすごく上手い。
リアルはリアルでも仮面ライダーをリアルにやる。その視点でクウガは突き詰められている。

そして徹底した昭和特撮嫌いはもう一人いた。主演のオタギリジョー氏はそりゃあもうハッキリと特撮ヒーロー嫌いを明言している
彼は当初、仮面ライダーのオーディションを受ける気は更々なかった。

今でこそ仮面ライダーは若手俳優の登竜門として、期待に満ちた明るい道として扱われている。
けれどオワコン扱いされていた当時だと、全くそんなことはない。
むしろ有名事務所は「うちの所属俳優を仮面ライダーに出演させるなんてあり得ない」と嫌悪感を示すところもあったという。
こうした反応からも、クウガ以前は『古臭くて死んだブランド』と認識されていたとわかる。

何かの間違いみたいな状態で呼ばれた気分のオダギリ氏は、そりゃあオーディションでも「受かりたくない」一心でめっちゃくちゃやったそうだ。
演技はヒーロー感なし。面接では何で自分がここにいるのかわからないみたいなこと言っちゃう。

『ないわー。マジ特撮とかないわー』精神丸出しで特撮ヒーローのオーディション受けたわけだが、他の人達はどうだったか。
彼らはヒーローをやる気で受けている。そして『やる気できた人達が抱いていたヒーロー像』とは、かつて自分達が子供の頃にテレビで観たヒーローだった。
自然体で演じてと言われても、彼らは誰も彼もがキリッとした表情で本郷猛や南光太郎になってしまう。

なんと皮肉な話か。ヒーローになる気でやってきた者程、高寺P達が望んだヒーロー像とはかけ離れてしまうのだ。
逆に誰よりもヒーローになりたくなかった、特撮嫌いを隠しもしない。
そんな唯一の例外こそが、五代雄介のキャラクター性を正しく読み取れた。まさしく望まれていた人材だった。
(むしろそういう本音を隠さないところと、嫌味な感じがしない飄々とした部分も気に入られた)

落ちるために受けた気分の人が、思いもしない理由で合格しちゃったのである。
合格通知後に現れたオダギリ氏は、オーディション時とは似ても似つかない意気消沈ぷりだったらしい。
彼は本当に申し訳なさそうな態度でやってきて、すみませんマジ勘弁してくださいなノリで断りにきたのだ。

繰り返すけれど、オダギリ氏が嫌がったのは体制式ガッチガチで様式美に染まりまくった昭和特撮ヒーロー。
高寺Pが嫌った特撮像と基本は同じ。そういうのは作りたくない。新しいヒーロー作品を作りたくて君を選んだので協力してほしいとオダギリ氏を説得した。
その意思が届いてオダギリ氏は五代雄介となり、新たな伝説の『顔』となったのである。

撮影が始まってからもオダギリ氏の意思は健在だった。
例えば第二話で初めて変身の掛け声があった時のエピソード。

このシーン撮影時では「変……身!」と溜めていた。
それをオダギリ氏のダサいという提案から、後にアフレコで「変身!」と短く叫ぶ形式に変更した。
現在でも(二号ライダーなど敢えて溜めるタイプもあるが)こちらがスタンダードとなっている。平成ライダーからの変身はオダギリ氏によって変わったのだ。

リアリティを尽くしたドラマ性により特撮ヒーローの概念を塗り替えていったことで、オダギリ氏は仮面ライダークウガや五代雄介に対して深い愛着を抱いていた。
後に高寺Pが担当した特撮作品『大魔神カノン』にも出演していることから、固定観念的な嫌悪感も払拭されたのは明らかだろう。

こうした現実感の追求や、古臭いヒーロー像を塗り替える爽やかイケメンオダギリ氏の起用。
これらの要素をかみ合わせたことで作品そのものはかなり複雑化していった。
日曜朝の放映でもはや小さなお友達には理解が難しいだろう内容が許されたのは、先に語った『親子二世代のライダーファン』を意識した構成だ。

また、父親だけでなく母親の視聴も考慮した現代風のイケメン要素も加味している。
(現在だとイケメン=女性人気といった固定観念は嫌われるが、それは多大な女性人気を得た今だからこそ言えること)
当然ながらクウガのデザインや必殺技の要素は子供を意識したものだ。
仮面ライダー作品は純粋な子供向けではなく、『子供を中心としたファミリー向け作品』とすることで大きく生まれ変わった。

今でこそMCUなどヒーロー系のハリウッド映画がメジャーになっている。
だが二十年以上前の当時だと、作品の礎を作り直して多くの人々に受けられるようにする作業は、もはやそれだけで一つの戦い。大変な挑戦だったのは想像に難くない。

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