ゲタゼミ生の皆様こんにちは、ゲタライド(@ridertwsibu)です。
今回は久しぶりのFGO記事でございます。
最新イベントのまんわかコラボが、SNSだとシナリオ面の評判が微妙だなと。
バニヤンでサジェストすると『嫌い』が出てくる哀しみ。
それにまぁ確かに思う所はあるのですが、全体を通して見ると非常にロジカルで完成度は高くて凝ったシナリオだと思うのです。
意味がわかると怖い話ならぬ、意味がわかると面白い話。
これは早い内にサクッと語っておきたいと思った次第です。
出典:マンガで分かる!Fate/Grand Order×Fate/Grand Orderコラボレーションイベント「連続活劇神話 ミシシッピ・ミササイザーズ」TVCM
今回のにまんわかコラボイベントに不評が多いワケ
これはいくつかのミスや偶発的な事故が重なったのではないかと思う。
まず、前回の『水怪クライシス』が竹氏のイラストを目玉に、シナリオの評価も全体的に高かった。
そこから続いてのまんわかコラボ。そして前回のまんわかコラボ『オール・ザ・ステイツメン』はミニイベントのような扱いだったけれど、シナリオの評価は普通に良かった。
これらによってプレイヤーの目が肥えて、期待値が高くなっていたのは否めない。
要は始まる前から設定されたハードルが高かったのである。
次に、まんわかコラボなのに、シナリオは結構シリアス寄りだ。
前回の大きなイベントの中にしれっと盛り込まれるように出てきたバニヤンイベとは異なり、本格的なまんわかコラボだとハッキリ明言しているのに、シナリオ面は全然それっぽさがなかった。
子供バニヤンとSバニヤンは「別キャラかな?」ってくらい思想が大きく変化しており、最初はかなり違和感も大きい。まんわかからちゃんとキャラを引き継いでるなぁと思うのはアニングぐらいだった。
全体的なリヨイラストやBGMとも合っていない。
シリアスなノリでアニングが孤独に足掻いたり、プレシオサウルスくんと決戦したりした直後にあの気の抜けたBGMでリザルト出されると普通に気分が削がれる。これならいつも通りの方がずっといい。
しかも後述の理由によってスッキリしない要素もある。
これなら『まんわからしく終始トンチキなネタイベントにしてもらった方が良かった』と言いたくなってしまう気持ちはわかる。
最後にシナリオ自体の問題だ。
FGOのプレイヤーは胡散臭いヤツと、それをぶっ飛ばして形を整え直すシナリオを浴びる程体験してきた。
カエサルとかアラフィフとかコロンブスとかキャスターリンボとかetcetc。
そもそもイベントだと、ピックアップのメインキャラが実は黒幕という展開は、基本中の基本と言っていいベーシックな流れだ。
だから序盤のSバニヤンの怪しさや傲慢さから、多くのプレイヤーが「最終的にはぐだがSバニヤンの歪みを拳で正すんだな」となんとなく思ったのではないだろうか。
もしくは彼女に溜まったヘイトをぐだが掘り下げて禊させる流れがあるのではないかと。
だが、今回は最後までぐだこと藤丸立香と、Sバニヤンが敵対することはなかった。
しかも良かれと思ってSバニヤンに加勢すると、計画外の悪手扱いされてしまう。
最後にわかりやすい悪役としてマイクが敵対するが、これも肩透かし的なオチでなんともスッキリしない。そうスッキリしないのだ。
今回の藤丸立香の立ち位置は『FGOの主人公』であっても『物語の主役』ではなく、イベントの中核であっても中心ではなかった。
真ん中にいたのはあくまでSバニヤンであり、立香はぶん殴る役ではなく彼女のためにあくせく働くだけ働いて、あくまで応援する役割だった。
藤丸立香(プレイヤー)の視点で見ると、ぶん殴るってスッキリするためのカタルシスが足りない。
それが最後までモヤモヤとして残ってしまった。
他にも色々と細かな問題はあるが、やはりSバニヤンの扱いが一番大きいのではないかと思う。
という問題点を踏まえた上で、じゃあこのシナリオは何を描こうとしていたのかを考えてみたい。
自分が見落としてたら申し訳ないんですが、結局Sバニヤンの中に居たっぽい別人格(アルターエゴの所以のひとつ?主人公が度々感じていた雰囲気の変化の原因であり、最後に真名を尋ねた理由?)って誰なんですかね…?
マテリアルでは明かされてるんでしょうか…
「まんわかコラボ」の見落とされがちな難しさとして、FGO世界の1イベントとして物語を描く場合、「ストーリー世界やキャラクタの逆変換が必要」という事実は、あまり指摘されていないように思う。
つまり、FGO>(パロディ化)>まんわか という変換を経て成り立っている作品であるので、まんわかのキャラをFGOに出す場合、まんわか>(逆パロディ化)>FGO という作業が必要なのだ。リヨさんのイラスト(バニヤンなどの等身がマンガ本編とは違う事)やシリアスなストーリー内容の選択は制作陣がその事をキチンと把握している故なのだけれど、それはユーザーには伝わりにくいし、予想外のものをぶつけられたという気持ちにさせられるのも致し方ないような気がする。
FGOがあり、そしてそのパロディとして「マンガでわかる!FGO」という作品があるので、世界やキャラの変換する関数が必要になる。