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暴太郎戦隊ドンブラザーズ 新・初恋ヒーロー メタフィクションが生んだヒーロー性【感想・考察】

2022年7月31日

桃井タロウの演技がヘタクソだった理由

ドンブラザーズは従来のスーパー戦隊が有していたヒーロー性を、真正面から破壊した作品だ。
四十六年かけて積み上げてきたスーパー戦隊の様式美をひっくり返した。
反則スレスレの荒業を本気で実行している、際どいバランスの上で成り立つ作品だ。

ヒーローではあるのだけど、歴代で最もヒーローっぽくない者達。
そんなドンブラザーズがヒーローを役を演じる。

けれど、桃井タロウと鬼頭はるかの演技は絶望的にヘタクソだった。
ここで大きな違和感が生じる。タロウといえば何でも努力せずに卒なくこなせてしまう完璧超人だ。

これまでも特異体質や逃げたカブトムシへのトラウマと言った弱点はみせていた。
しかしそれらは、不器用さや苦手意識から上手くこなせないわけではない。
演技のヘタクソさは正面から『出来ないこと』にカテゴライズされる、本当の意味での欠点である。

映画の撮影は当初、ソノイとソノニが主役とヒロインを演じていた。
脳人は人間とは違い完成された存在だ。

彼らが登場人物になりきった演技をすると、そりゃもう完璧にこなしてみせる。
しかし監督は『逆に完璧過ぎてどこか嘘っぽくなってしまう』とバッサリ没にしてしまった。

タロウは撮影の前に『嘘とセリフは違う』とハッキリ言っていた。
この二つは本来別にカテゴライズされる。セリフとは演技の一部であり、演技とは本当のように演じるだけ。


出典:暴太郎戦隊ドンブラザーズ THE MOVIE公式ツイッター

けれど演技はリアリティを求めだすと現実に近付いていく。
それでも演技は絶対に現実へは至らず、本物のような偽物と化す。
つまり完璧に役を演じきると、それは嘘になってしまうのだ。

ここでタロウ達のヘタクソ演技を振り返ろう。
タロウはとてつもなく過剰な演技でリアリティがまるでない。
嘘にならない台詞の読み方とは、正しく役を『演じる』ことだった。
(ちなみにこの過剰演技は『今日から俺は!』の実写版演技のニュアンスも含まれてると知り、確かにそれだと膝を打った)

しかしタロウはヒーローを演じるに当たり、一度変身してしまう。
ドンモモタロウになると人間性に変質が起きて、それまでの過剰な演技ではなく自然体のノリではるかを守りだす。

その後、もはや台本を捨て去ったアドリブに近い流れで、タロウは『好き』という台詞を言おうとする。
この時の演技は、それまでの過剰さはなくいつもの喋り方に近かった。そのせいでタロウ自身の気持ちが乗ってしまう。

故にタロウの嘘を付けない機能が、台詞ではなく言葉で感情を伝える行為だと認識してしまったのだ。

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メタフィクションから見出す『ヒーロー』の在り方

演技とはフィクションであり、嘘ではなくとも虚構の世界ではある。
役として恋人同士を演じても、現実では恋人にはならない。

だから嫁への愛情が大き過ぎ、一度はヒトツ鬼にまでなってしまった雉野が、ノリノリではるかを助けて初恋ヒーローになろうとする。
恋人と再会するため逃亡者となった犬塚も同様だ。

虚構だから、五色田介人がヒーロー役になったらゼンカイザーブラックで「ちょあー」と言って、他のゼンカイジャーが出てきても許される。
いや待て、そこは許していいの? 脳がブルンブルンし過ぎて、現実と虚構の線が曖昧になってません?

まあ、ともかく、ドンブラザーズは全体的にノリノリでヒーローを『演じて』いる。
いつもは真っ当にヒーローをしていない彼らがだ。

元々、本作は実在する映画『カメラを止めるな!』が元ネタであり、『映画を撮る映画』というメタフィクション構造の作品だ。
そのメタフィクションにヒーローの構造も同様に入れ込んでいる。

序盤に飛び出す「ヒーローなんて仮面ライダーに任せておけばいい」がメタなギャグでもあり、フィクションの本質を的確に突いてもいた。

ヒーローらしくない彼らがヒーローの芝居をすることでヒーローっぽい行動を取る。
雉野役の鈴木氏も「俺、今すごくヒーローしてるぞ!」と思ったとインタビューでコメントしていた。

そして良い映画を撮りたい欲望でヒトツ鬼化した監督は、自分をボスキャラとして決戦シーンの撮影を敢行。
ヒーロー役の演技が、ドンブラザーズにとっての『現実』にも侵食しだす。

普段は名乗らない彼らが怪人(監督)に名乗れと言われて思わず「名乗っていいんだな!?」と返す。ヒーローらしい行動が許されたというメタ的な驚きだ。
神輿の踊り子達も「なんて恐ろしい」とビビリだす。理由はわからん。

ヒーローらしく戦い、ヒーローらしく敵を倒す。
いいか、真っ当なヒーローは合体の度にコントなんてしないんだ!

今回、映画にあるまじき巨大ロボ無しはそういう理由なのか、予算や尺の都合上なのかわからないけれど。
劇場版なのに予算の都合でロボット戦を削るとか、もうマジで意味がわからんぞ。

かくして映画は完成して、エンディングと共に流される。
何気に本編で使われなかった、ディレクターズカット版でなら拾われそうなシーンを入れ込んでくる演出が嬉しい。

そして原作者以外はマジギレして伝説のクソ映画となったのだった。
『NO MORE 劣化実写化』までしっかりとメタフィクション。

原作者だけニッコニコで観客はブチギレの原作改変映画って、これもこれでものすごく身に覚えがあるんだけど。メタフィクション!!

かくして『ヒーロー』を一時放棄してヒーロー役に挑んだドンブラザーズ達は、メタフィクションを通して初めて本物『ヒーロー』になったのだ。

そして、こう書いても一ミリも感動的なオチのように感じないのが暴太郎戦隊ドンブラザーズである。

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