
津田健次郎さんの生成AI音声を巡る裁判は、削除済みを理由に請求を棄却しつつ、声の保護に関する枠組みを示しました。
2026年9月30日の東京地裁判決を読むには、削除請求の結論と「声は人格の象徴」という判断を分ける必要があります。判決文を中心に、産経新聞の報道と照らし合わせながら、声の保護について示されたことと残された論点を整理します。
執筆:語屋アヤ/情報確認日:2026年9月30日。判決のページ番号は公表版PDFの本文下部に記載された番号です。
津田健次郎さんはTikTok裁判で何を求めたのか
津田さんが求めたのは、自分の声に類似するナレーションを含む188件の投稿記事の削除です。相手は投稿者本人ではなく、TikTokを運営するシンガポール法人のTikTok Pte. Ltd.でした。
事件番号は令和7年(ワ)第70635号、事件名は「投稿記事削除請求事件」です。判決文1〜2ページに記された請求は削除であり、この訴訟で損害賠償額が決められたわけではありません。
争われたのは、都市伝説などを読み上げる188件の動画
判決の前提事実によると、「八海」というアカウントを使う氏名不詳の投稿者が、2024年7月から2025年9月までに188件の記事を投稿しました。内容は映像・字幕と、都市伝説や心霊現象などの雑学を語るナレーションを組み合わせた動画です。
同アカウントは2025年11月時点で21万人以上のフォロワーを持ち、各記事には数千から数万の「いいね」が付いていました。コメント欄に津田さんの声を連想する反応があったことも、判決文2〜3ページに記されています。
産経新聞の2026年9月30日14時の報道は、訴状などに基づき、投稿者が動画投稿で月50〜75万円の収益を得ていたと伝えています。ただし、この具体的な収益額は参照した判決文の前提事実には記載されていないため、報道上の情報として区別します。
「本人の声を学習させたか」は確定していない
アカウントからリンクされた外部サイトには、津田さんの声を無断でAIに学習させたのではなく、声真似が上手い友人の声を学習させたデータを使ったという説明がありました。裁判所が前提事実として扱ったのは、こうした記載が存在したことです。
その説明の真偽や、実際に何を学習させたかが判決で確定したわけではありません。津田さん本人の録音を使ったと断定することも、友人の声だから問題がなかったと断定することも、判決の範囲を超えます。
原告は音声の特徴の類似や視聴者の誤認を主張し、被告は声の類似性や原告の声を使用したといえるかを争いました。記事を読む際には、当事者の説明と裁判所自身の判断を分けておくことが必要です。
声質を「営業表示」と見る不正競争防止法の主張もあった
津田さん側は、声を聞けば本人を想起するという特徴から、自分の声質は著名、または広く認識された営業表示に当たると主張しました。似た音声の使用によって原告の営業と混同が生じるなどとして、不正競争防止法に基づく削除も求めています。
被告は営業表示としての著名性・周知性や類似性、混同のおそれを争い、TikTokは投稿の場を提供しているにすぎないと反論しました。この法的な経路についても、請求棄却を声質の営業表示性が否定された結果として読むことはできません。
「声は肖像と同様に人格の象徴」は何を意味するのか
東京地裁は、声も肖像と同じように個人の人格を象徴し、一定の無断利用はパブリシティ権侵害に当たり得るという法的な考え方を示しました。今回の判決を勝敗だけで捉えると、この部分を読み落とします。
判決文7ページの「第3 当裁判所の判断」には、次の一節があります。
人の声は、人の肖像と同様に個人の人格の象徴であるということができる
東京地方裁判所・2026年9月30日判決、7ページ
この一節に続いて裁判所は、実演家の声などを無断で使う行為について、その声に商品の販売などを促進する顧客吸引力があり、利用行為が専らその顧客吸引力の利用を目的とするといえるときは、パブリシティ権侵害に当たると述べています。
声が人物を示す情報になる、という出発点
ここで声は、録音された音の集合としてだけ扱われているのではありません。顔や名前と同じように、その人が誰であるかを表す情報として位置づけられています。
声優の仕事では、台詞の内容に加え、声から出演者を認識したり、特定の演者に魅力を感じたりする場面があります。判決が声と人格を結びつけたことは、そのような声の働きを法的保護の議論に接続するものと読めます。
ただし、「人格の象徴である」という出発点と、あらゆる声の利用について削除や賠償が認められることは別です。今回の判決が具体的に述べた保護の条件は、顧客吸引力と、その利用を目的とする使用行為でした。
声の保護対象性と、今回の侵害認定を分ける
この判断は、判決文の「原告の主張」欄にある意見ではなく、裁判所自身が示したものです。その意味で、声がパブリシティ権による保護の対象になり得ることを説明した点には意義があります。
一方、裁判所は、この188件について津田さんのパブリシティ権が侵害されたかを最後まで判断していません。一般的な保護の枠組みを示したことを、個別動画の権利侵害が認定されたことに読み替えないようにする必要があります。
また、これは東京地裁の判決です。声に関する最高裁の判断や、生成AI全般について新しい法律が成立した出来事として扱うこともできません。
パブリシティ権とは?声の魅力を利用する問題
パブリシティ権は、氏名や肖像などが持つ「人を引き付け、商品の販売などを促す力」を排他的に利用する権利です。声についても、その商業的な魅力を他人がどのような目的で使ったかが問題になります。
「顧客吸引力」は声そのものの商業的な価値
顧客吸引力という言葉は難しく見えますが、ある人の名前や顔、声が使われているために、商品を選びたくなったり、動画を見たくなったりする力を指します。単に音声が聞き取りやすいことと、特定人物の声の魅力が集客に使われることは、分けて考える必要があります。
その基本的な枠組みを示したのが、2012年2月2日の最高裁第一小法廷判決、いわゆるピンク・レディー事件です。最高裁は、氏名や肖像などに由来する顧客吸引力の排他的な利用を、人格権に由来する権利の一内容として説明しました。
同判決は、無断使用であっても正当な報道や表現として受け入れるべき場合があるとし、専ら顧客吸引力の利用を目的とするかを基準に据えています。例として、肖像などを鑑賞する商品にすること、商品を差別化するために付すこと、広告として使うことを挙げています。
今回の東京地裁判決も、声の無断利用について、顧客吸引力の存在と、それを専ら利用する目的を重視しました。「本人の許可がない」「投稿で収益が出た」という事情だけで、直ちに侵害の結論が出る枠組みではありません。
津田さん側が主張した三つの使われ方
判決文5ページでは、津田さん側が問題のナレーションについて、声を独立して鑑賞する商品として使ったこと、動画の差別化に使ったこと、閲覧者を呼び込む広告として使ったことを主張しています。ありふれた雑学の動画でも、似た声を付けることによって価値や集客力が高まったという説明です。
被告側は、音声を独立した鑑賞対象にした動画ではなく、音声によって再生数が伸びたともいえないとして反論しました。どちらの主張が個別動画に当てはまるかについて、裁判所は結論を出していません。
したがって、「フォロワーが多いから侵害が成立した」「雑学動画だから声には価値がない」という両方の断定を避ける必要があります。動画の内容や声の使い方と、特定人物の魅力との関係を確かめる作業が残されているからです。
人格的な利益と経済的な利益は重なりつつ異なる
声が人格を象徴するという話には、自分が発言していない内容を自分の発言のように受け取られる問題もあります。一方、パブリシティ権が直接捉えるのは、本人に結びついた商業的な魅力の無断利用です。
今回の判決を理解するうえでは、この二つを混同しないことが役立ちます。本人の意思や社会的な評価に関する問題をすべてパブリシティ権だけで説明できるわけではなく、今回の裁判で声に関するあらゆる人格的利益の救済が判断されたわけでもありません。
なぜ請求は棄却された?削除済みという判決の理由
請求が棄却された直接の理由は、口頭弁論が終わるまでに対象データが削除され、被告がさらに同じ記事を削除する義務を負わないと判断されたことです。声が法的に保護されないと判断されたためではありません。
アカウント削除から判決までの経過
| 時期 | 判決文で確認できる経過 |
|---|---|
| 2024年7月〜2025年9月 | 対象の188件が投稿された。 |
| 2025年11月時点 | アカウントのフォロワーは21万人以上だった。 |
| 2026年5月29日 | 投稿者がアカウントを削除した。 |
| 2026年6月28日の経過時 | 復旧申請がなく、対象記事を含むデータがサーバから削除されたと裁判所が認定した。 |
| 2026年7月3日 | 口頭弁論が終結した。 |
| 2026年9月30日 | 東京地裁が請求をいずれも棄却した。 |
津田さん側は、アカウントが消えてもサーバ内のデータまで削除されたかは分からないと争い、削除したデータが長期に残っていたという報道などを挙げました。裁判所は、この事件に関する証拠や内部規則、利用ポリシーとの整合性を踏まえ、データの削除を認めました。
つまり、閲覧画面から見えなくなったという事情だけで判断したのではなく、対象データが残っているかが争われています。判決文7〜8ページには、削除を認めた理由も記載されています。
「訴えの利益がない」という被告の説明も、そのまま採用していない
産経新聞の記事は、被告が動画はアカウントごと削除されており、訴えの利益がないと主張したことを伝えています。ただし、これは被告側の説明です。
裁判所は判決文7ページで、削除対象があるかどうかは、実体上の削除請求権があるかどうかの問題であり、訴えの利益を左右しないと述べています。そのうえで対象の削除を認め、削除請求を棄却しました。
専門用語を省いていえば、裁判所は「すでに消えたから、この裁判は審理できない」という被告の説明をそのまま採用したわけではありません。「さらに削除せよという請求を認める理由がない」と判断した点が、判決を読むうえでの違いです。
判断されたことと、判断されなかったこと
| 論点 | 今回の判決の範囲 |
|---|---|
| 声のパブリシティ権による保護 | 顧客吸引力と利用目的などの条件を満たせば侵害に当たり得るという枠組みを示した。 |
| 対象データの削除 | 口頭弁論終結前の削除を認めた。 |
| この188件で侵害が成立したか | 個別の侵害成立について結論を出していない。 |
| 不正競争防止法に基づく主張 | 声質の営業表示性などの実質的な判断はしていない。 |
| TikTok運営会社の責任 | 削除前の段階で義務が生じていたかを確定していない。 |
| 賠償責任や金額 | この事件の請求は削除であり、賠償判断は示されていない。 |
判決文8ページでは、その他の争点についてこれ以上判断しないとしています。声の保護に関する説示と、個別行為の侵害成立について判断を残したことを、両方確認する必要があります。
生成AIの推進・規制という対立から離れて考える論点
今回の判決から考えたいのは、AIを使ったかという一点だけでなく、誰に結びついた声を、どんな目的で、どのように利用したかです。以下は判決の結論を拡張するものではなく、語屋アヤとしての考察です。
学習元と、完成した声の使われ方を分けて見る
わたしが重視したいのは、「元の録音を誰から得たか」と「完成した音声が誰の魅力として受け取られるか」が、同じ問いではないことです。今回、被告は第三者の声をAIで加工したという説明をし、原告は津田さんに似た声の特徴や集客力の利用を問題にしました。
学習元への説明だけで、完成音声の利用を巡る疑問がすべて解消するわけではありません。一方、聞き手が似ていると感じたことだけで、原告の声を使ったといえるかや侵害の条件が自動的に確定するわけでもありません。
声の特徴、本人を想起させる表示、内容、集客との関係などを検討する必要があると、わたしは考えます。ただし、その具体的な線引きは今回の裁判所が決めたものではありません。
「保護される利益」「侵害の成立」「求める救済」は三つの問い
今回の判決は、この三つを分けて読むと理解しやすくなります。声はどのような利益として守られるのか、個々の使い方が侵害に当たるのか、裁判で何を命じてもらうのか、という順序です。
第一の問いについては声の人格的な位置づけとパブリシティ権の条件が示され、第二の問いは個別判断が残りました。第三の問いでは、請求していた削除がすでに済んでいたため、さらに削除を命じる理由がないとされたのです。
この読み方をすると、請求棄却を「声に権利はない」と受け取ることも、声の保護を述べた部分を「すべての模倣は禁止された」と受け取ることも避けられます。結論の一語だけで、法律上の問題が解決したと扱わない姿勢が求められます。
表現の自由との調整も、収益化の有無だけでは決まらない
パブリシティ権の基本となる最高裁判決は、著名人を扱う報道や論説、創作などにも正当な表現があり得ることを踏まえています。今回も被告は投稿者の表現の自由を主張しましたが、その主張が本件動画について認められたという個別判断はありません。
わたしは、収益を得たという事実だけであらゆる表現を侵害と扱うのも、AIや表現の自由という言葉だけで他人の声の魅力の利用を説明し終えるのも、判断材料が足りないと考えます。具体的な利用態様と、本人に結びつく価値を見ていくことが必要です。
同様に、削除済みという理由で請求が棄却されたことを、「消せば過去の利用も適法になる」と読むことはできません。判決はこの削除請求を判断したもので、過去の行為を適法と認定したり、別の請求まで不要としたりしたものではありません。
よくある質問:津田健次郎さんの生成AI裁判
津田健次郎さんの声をまねた生成AIは、合法と判断されたのですか?
今回の188件について、合法とする判断は示されていません。対象データの削除を理由に請求が棄却され、個別のパブリシティ権侵害や不正競争の成立については判断が残されています。
声にパブリシティ権があると認められたのですか?
東京地裁は、声を人格の象徴と位置づけ、顧客吸引力があり、その利用を専ら目的とする無断使用はパブリシティ権侵害に当たり得ると述べました。ただし、この動画群で津田さんの権利侵害が成立したと認定したわけではありません。
友人の声を使ったという説明で、権利侵害を否定したのですか?
そうした判断はしていません。外部サイトに説明があったことは判決に記されていますが、学習元の真偽や、第三者の声を加工した音声が原告の声の使用に当たるかについて、結論は出ていません。
まとめ:判決から押さえておきたいこと
津田健次郎さんのTikTok裁判は、対象記事が削除済みだったため請求が棄却された一方、声を人格の象徴とし、パブリシティ権による保護の条件を示しました。個別の侵害成立やAI音声の作られ方、削除前の運営会社の義務については、今回の判決では結論が示されていません。
声の無断利用を考えるには、この判決が実際に示した保護の枠組みと、なお残る線引きを丁寧に読むことが必要です。AIへの賛否や訴訟の勝敗だけに置き換えず、誰の人格や商業的価値が、どのように使われたかを具体的に見ていきたいと思います。
出典・参照資料
- 東京地方裁判所民事第46部、2026年9月30日判決、令和7年(ワ)第70635号「投稿記事削除請求事件」。公表版PDF『hanrei-pdf-97097.pdf』を参照。事案・前提事実は1〜3ページ、当事者の主張は3〜7ページ、裁判所の判断は7〜8ページ。
- 産経新聞「声優の津田健次郎さんの請求退ける 『生成AIで声模倣』TikTok運営側訴えた訴訟」(2026年9月30日14時)。収益額などの訴状に基づく報道と、判決の認定・判断を区別して参照。
- 最高裁第一小法廷・2012年2月2日判決、平成21年(受)第2056号、判決文転載(IP Force)。パブリシティ権の基本的な定義・利用目的の基準を確認。