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唯阿が語る正義の最小単位
『バルカン&バルキリー』ではTV本編では全く描かれなかった唯阿の過去が語られた。遂に唯阿の時代がきたぞー!
TV本編で唯阿の掘り下げがなかったのは、不破と並列でキャラ造形がなされていたためだ。
滅亡迅雷.netを恨む不破の過去は全て捏造だった。本当の経歴は、ごく普通で語るべきのない凡庸な家庭で育った普通の青年。
それが悪いわけではないが、言うなれば『不破は語るべき背景がない者』なのだ。
そして少し形が違うだけで唯阿も同じ。
彼女はずっと天津によって道具のように扱われてきた。
反逆することなく、感情を押し殺したように耐え続ける。けれど道具であると言われれば否定する。違うと拒絶するのにその理由が語られない。
実は何かを抱えていて耐えているのではないか?
その答えは頭に埋め込まれたインプラントだったが、視聴者の多くが期待していたものとはちょっと違うと思う。
そこまでして天津というクソ外道に従い続ける理由は?
疑問の先には何もなかった。
目指すべき夢がない唯阿は、ただ今の不幸から逃げるのでもなく、かといって立ち向かうでもなく目を逸らし、自分は道具じゃないと思い込んでいるだけ。
道具であると認めたくない道具。それがかつての彼女だ。
つまり、かつてのバルカン&バルキリーは『何もない』が共通点だった。
けれど不破は過去を捨て、今の己を生き様とした。過去ではなく今見つけた仮面ライダーという夢のために生きる。
唯阿もまた、夢はなくても信念があると語った。
「テクノロジーは人に寄り添ってこそ意味がある」という台詞のバックボーンが本作で掘り下げられた。
女子大生・唯阿!
眼鏡の似合う美人でありながら、研究一筋でちょっと地味な娘。
だけど、完全に野暮ったいわけでもない絶妙なファッション。
一部のツボにグッサァ刺さりそうなお姿でしたね!!!
なおインタビューによると、実の姉が研究熱心でファッションに興味が薄いタイプだったらしい。
『妹のお下がりを着る』タイプなので、そういう人物像が参考になっているようだ。
そんないかにも勤勉な彼女には、事実上の師と思われる教授の男がいた。
彼は自分の研究結果であるテクノロジーを平和のためならと兵器に転用した。
けれど、結果的にそれは何の罪もない少女の命を奪ってしまう。
教授である男はただ技術を提供しただけであり、罪を問われる立場ではない。
使い方を間違っただけではと唯阿が問うても、間違わないようにするのが我々の仕事だと認めずに、彼は第一線を退いた。
そして現在、唯阿は最新テクノロジーを兵器に転用して、管理・運用する現場で働いている。
言わば、教授の信念を引き継いだのだ。
最初にヒューマギアを道具だと言い切ったのも、純粋な技術者視点として理解できる。
ヒューマギアの心だって、それが誤作動を誘発する原因になり得ると考えれば、易々と肯定はできなかっただろう。
その後イズとの交流や、自分が道具扱いされたことで疑似的にヒューマギアと近い経験をして意識も変わっていった。
けれど、教授と事件に関する苦い記憶は今も消えていない。
滅亡迅雷.netがZAIAを破壊して多数の死傷者を出したと知り、唯阿はトラウマのように死んだ少女の幻影を見る。
眺めてる少女側からすると教授のことすら知らない間接の間接で、お前誰やねん過ぎるのでマジの幻覚だこれ!
記者会見がどれだけ精神的に追い詰められた状態だったのか……。
テクノロジーを正しく扱い、傷付けるのではなく守る力にする。
これが技術者として、A.I.M.S.隊長としての、刃唯阿の信念。
その唯阿がソルド20に対して答えた正義とは『命を守ること』。
あまりに当たり前で、人によってはありきたりでチープに聞こえる人もいるだろう。
その通りだ。ありきたりで当たり前。だからこそ、この言葉は誰にも否定できない。
正義とは一つではない。
誰かが主張・行使した数だけ存在する。中身も千差万別であり、誰かの正義は誰かの悪になり得て、その逆もまた然り。
滅亡迅雷.netがZAIAを破壊したのだって、そこに正義は確かにあった。
それら全てが正義なら、正義という概念の本質は空洞なのではないか?
空虚で人が勝手に中を詰め込んで正義と言えばそれが正義。そんな暴論だって成り立ってしまう。
けれど、そんなともすればそんなあやふやな概念にさえなりかねない『正義』に対し、唯阿はハッキリとした核を与えた。
どんな正義であれ、守るべきものがある。それは突き詰めていけば命を、生存の権利を守ることになる。
滅亡迅雷.netが聖戦を起こしたのはソルド達を戦闘の道具にせず生かすため。
その戦争だって、人類にとっては生きるための行い。
もっと根源的に言えば、人は生きるために様々な植物や動物を殺して食べて栄養にする。
毛や皮を剥ぐのはそれで服を作って寒さや障害から身を守るためだ。
木を切り倒し、安全内場所を確保できる家を作る。
どれも他の生物を犠牲にしながら、『生きる』ための正しい行為としてほとんどの人が認識している。
人の命には意味がないとはよく言われる言葉だが、生きていることに意味がある。
生きているから笑えるし、泣けるし、怒れるし、何かを為せる。全て生きてこそ。
『命を守る』とは、人の尊厳にして最も根本的な権利を守ることだ。
そしてこれは、教授が技術提供した理由と同じなのだ。
だからこの理由を語った時にも『寄り添えなかった』戒めとして、あの少女の幻影が写ったのだろう。
このように実在しない誰かが自分を見つめている画とは罪悪感の象徴だ。
善意で生まれたはずのテクノロジーが、無常に人を殺める事実を唯阿は知っている。
それを振るうには大きな覚悟と責任を背負う。
かつて人形のように命令に従うだけならば、その責任は上司に押し付けられた。
だが、今は自分がその責任を全て請負い立っている。
だから彼女の信念は固くて重い。
暴走する仮面ライダー滅亡迅雷を前にして、自分の命が狙われている。
滅亡迅雷を放置すれば多くの人命が失われるかもしれない。
政治家は民衆の言葉として破壊しろと命令する。
だが自分の足で立ち、覚悟を背負った刃はもう人形ではない。己を曲げない。
テクノロジーは人を幸せにするためにある。
時に戦う武器にもなるだろう。だけどそれは人を傷付けるためではない。
理不尽な力から人の命を守るために使う。
意思を持った滅亡迅雷.netは理不尽だったか?
そんなわけはない。唯阿は知っている。信じている。
命を守ることが正義だから。誰も死なさない。滅亡迅雷の命だって守る。
守った先にこそ、未来はあるのだ。
【次ページ:破諌は何故死の覚悟を持つに至ったか】
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