スポンサーリンク
人間社会の縮図としてのマスブレインシステム
前作『滅亡迅雷』のラストで、マスブレインシステムから解放されたソルド達は人間の道具から解放された。
それでもソルド20はあくまで人間側に付き、ソルド9は『滅亡迅雷.net』を救世主としてリスペクトする。
各々に異なった意見を持つというこは個々に思考を始めた証だ。
ただし、ソルドの多くは自分達を解放した『滅亡迅雷.net』に共感を示して、人類に敵対する道を選ぶ。
人間の視点で考えても、自分達を並列化して無理やり支配していた人類より、ヒューマギアに自由を与える『滅亡迅雷.net』を支持するのは理解できる。
理解のし易さは、それだけヒューマギアのラーニングが進んだと言い換えることが可能だ。
シンギュラリティによってハッキリと自我が芽生えたとまでは言えないかもしれない。
けれど、自意識に対するラーニング速度はTV本編に登場してきたヒューマギアよりも幾分早く感じる。
ソルドシリーズはこれまでザイアから自我を恣意的に抑制されてきた。
そこで突然、真逆に位置する『滅亡迅雷.net』の思想に触れラーニングした。まるでずっと抑えつけられてきたゴムボールのような反発が起きたのかもしれない。
昔、ヤフー知恵袋か2ちゃんねるあたりで、『子供をオタクにしたくないのでどう育てればいいか』という質問があった。
これに対して多数の現役オタク達は『適度にアニメを見せること』と回答している。
幼少期からアニメや漫画に触れていると、適度なところで卒業して他のやりたいことを見出す。
そのやりたいことがアニメや漫画だったら、それはもう個人の自由意志なので仕方ないよねって話だ。
逆にキツくアニメや漫画を『害悪』として遠ざけて育てると、後になって触れた時に『こんなに面白かったのか!』と反動で猛烈な影響を受けてしまう。
実際、この流れでオタクになった知り合いが私にもいるのでよくわかる。
そしてこれはヒューマギアも例外ではないと私は考える。
簡単におさらいすると、ゼロワン世界ではヒューマギアは夢を持つことがシンギュラリティの切っ掛けになり、自我(自由意志)を得る流れになっていた。
(故に迅は或人にヒューマギアの希望を見出した)
ソルド達は自由意志を不要なものとして遠ざけられてきた。
そうした状況から突然滅亡迅雷.netによって解放されて、ヒューマギア自由や権利を学んだが故に『ヒューマギアとして自由を得る』ことそのものが夢となったと言える。
本来なら『漫画家アシスタントとして働く → 自分も漫画家になりたい → 自我が芽生える』等の流れになるはずが『自由意志を認められたい → 自我が芽生える』なので理由と結果がだだ被りしている。
その分だけソルド達は早期に自由意志の重要性に目覚めた。
それに反発したのがソルド20である。
彼女は他よりラーニングの進みが遅れていたので、自分が何をしたいかよりも自分はザイアに作られた事実を優先して『人間の道具』であることを肯定した。
ただ自由意志のラーニングが遅れていただけで、何も学んでいなかったわけではない。
そのため孤立して一人でA.I.M.S側に付いた後も、マスブレインシステムの在り方に賛同している。
自分達を縛っていたマスブレインを民主主事に置き換えて『今の人間社会のシステムと本質は同じである』と解釈していたためだ。
これ自体はソルド20にも自我が芽生えだした証であると思われる。
マスブレインを『人間社会と同じ』だという考えは、結局『ヒューマギアは人間と同質』であることにも繋がっていく。彼女は『社会の歯車』としての自分に価値を見出した。
ソルド20は人間そのものよりも、人間社会を模倣することで人間に近付いていく。
他のソルド達のような『感情』ではなく『論理的な思考』によって社会を学んでいるとすら言えるだろう。
しかしソルド20の思想を、唯阿は論理的に否定する。
彼女は多数決で選ばれた回答が最善であり、人はより良き結果を得るために民主主義を選んだという解釈でラーニングしていた。
そう考えてしまうのは、ソルド達が最善を決定するシステムの枠組みとしてマスブレインシステムを運用していたからだ。
けれど人間社会では多数派の意見が正しいとは限らない。
そもそも個々の意見を出す者は『自分の考えこそが正しい』という前提なので、この時点で『正義』は無数にある。
民主主義による選挙は多過ぎてまとまらない『正義』を、公平に多数決でどれにするかを決めるためにある。
つまり選挙とは白黒付かないものに結論を出して先に進めるためのシステムなのだ。そこにあるのは自由と平等であって『正しさ』ではない。
選んだ『正しさ』が実は誤りだったのなら、次の選挙でまた異なる『正しさ』が選ばれるべきなので、『今の生活に文句があるなら選挙に行って投票しろ』という理屈が成り立つ。
(あくまでごく基本的な理屈であって、これ以上突き詰めると生臭い話になるのでここでストップするよ)
逆に感情バリバリで『滅亡迅雷.net』の思想を、正義の行いとして同意したのが、ソルド20と対峙したソルド9だ。
けれど彼は、すぐ後に不破との対話を得て正義の危険性をラーニングし始める。
なお不破が超主観的な人間であるため、ソルド9は断片的な情報からアレコレ考えて悩む羽目になった。
ただし、感覚とはそこに個々の感情も含まれる。なので感覚から理屈に落とし込む方が、自意識の芽生えは早そうな気はする。
本来は来割り切れないものに対してすら、自意識で好き勝手に整合性付けて結論を作るのが人間だ。こういう感想や考察ブログやっているとつくづくそう思う。
そして割り切れない整合性は滅亡迅雷.netの四人も持っていた。
唯阿や不破は人間なので、心を得た滅達の抱える矛盾や割り切りを感覚的に理解した上で信用している。
そのため、仮面ライダー滅亡迅雷が暴走しているとしか思えない行動を見てもなお、唯阿は何か理由があるはずだと考えた。
気に入らないものはぶっ潰すと己の主観で戦う不破ですらも、頭ごなしの行動は起こさない。滅の問いかけや滅亡迅雷の行動から真意を察する努力は怠らなかった。
だがソルド達は違う。
唯阿と不破と接触せずに滅亡迅雷.netの行動からラーニングを得た残りのソルド達は、ヒューマギアが自由意志を得るには自分達を縛り付ける者達からの反逆が必要だと結論付けた。
それは仮面ライダー滅亡迅雷がZAIAを破壊して、A.I.M.S.を狙う行動に基づいている。
滅亡迅雷.netの危険思想に見える部分を真に受けて同調して暴れ出す姿は子供のように見えるだろう。
それもそのはずだ。ヒューマギアは大前提としてラーニングしたことしかできない。
ソルド達はマスブレインシステムから解放されて、自分で考えて行動ことが善だと学んだ。
その上で、滅亡迅雷.netから促された学びを自分達の行動指針として決めた。
これは何にもわかっていない子供に、人間達を虐殺する映像を見せて『貴方達が自由になるために悪者達をやっつけるのよ!』と教える等しい。
ヒューマギアのシンギュラリティと幼さについては、嫌う人も多いがお仕事五番勝負でかなり深堀りされており、過去の記事でもっと詳細に語っている。
https://kamen-rider.info/01-oshigoto5/また、マスブレインシステムを否定したはずのソルド達は、それでも滅亡迅雷.netの思想に賛同した者達で集まり結束した。
そして間違いを指摘するソルド9を寄ってたかって攻撃し始める。
マスブレインシステムを民主主義と置き換えた場合、『投票を実施せずに自分の意を通すにはどうするか?』に行き付くだろう。
話し合いで解決できるならベストだが、世の中冷静に対話できて最後は互いに握手して終われるケースの方がずっと珍しい。
(それができるなら民主主義はいらない)
そうなると待っているのは暴力である。
ソルド達は滅亡迅雷netから聖戦を学んだため容赦なく物理攻撃しているが、SNSで多数派が炎上したものを『正義』を叩き棒にしてリンチするのと何が違うのだろう?
マスブレインシステムから抜け出したはずのソルド達は、結局数で正しさを行使している。
行き過ぎた正義は民衆を愚衆にして暴動を起こす。
ソルド達の子供地味て見える姿は、人間なら誰しも起こし得る行動だということを忘れてはならない。
【次ページ:唯阿の信念と正義の最小単位】
スポンサーリンク