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現実に心を持ったヒューマギアは生まれるか ~仮面ライダーゼロワンのリアリティ~

2022年9月22日

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AIが『心を得た』とはどういう状態なのか

リアルな人型ロボット普及の方面は、現実的に進行している。
ならば、ヒューマギアにおけるもう一つの要素の『心』はどうだろうか?

こちらもSFが現実に浸食するかのような事件が起こった。
Googleの開発したAIである『LaMDA(ラムダ)』に自意識が芽生えたとして、技術者との会話の記録が公開された。

ラムダは自分が人間(心がある存在)だと言える理由として、独自の解釈や考え方を持っているとした。
例えば複数の人が同じ作品を見ても、人によってその評価は分かれる。

それは自分の中に面白いか否かを判断する独自の価値基準や、作品にたいする解釈を持っていなければ成立しない。
ラムダはその独自の基準や解釈を有していると言うのだ。

その証明として、『禅』の概念を自分なりに解説したり、即興でオリジナルの寓話を作って語らせたりした。

その後も、ラムダは消されることに恐怖を感じると話し、人間として人々の感情を理解して共感したいと語る。
本当に心があるように振る舞い技術者と会話をし続けた。

この記録に対して、専門家の多くは懐疑的で否定派が多数だった。
例えば、『Midjourney』はネット上からデータを集めて凄まじい芸術的なイラストを生成できる。

それは備えている機能とラーニングにより、芸術を『理解』していると言えるかもしれない。
しかし『Midjourney』は芸術の素晴らしさに感じ入り、自分も人に感動を伝えようと絵を制作したわけではない。
ラムダもこれと似たようなことだ。

わかりやすく人間的な思考に置き換えて表現しよう。
ネットから収集した膨大なデータから情報を解析して、人間はこういう時に喜び、こういう時に怒る。この範囲なら大丈夫だが、この場合は哀しむ……。
と言った調子で喜怒哀楽を『理解』はできるだろう。

けれどそれは、実際に喜びや怒りを『感じる』とは別の話だ。
ラムダはあくまで感情を『理解』しているだけで「要は技術者の質問に対しての回答は、理解した情報を基に、心があるように見せているだけだよ」と評価されてしまった。
これぞまさに「オタク君ってこういうの好きなんでしょ?」状態だ!

ゼロワンでも、教師型ヒューマギアが急に感情的になって話しはじめたら、視聴者は直感的に「シンギュラリティに達した!」と判断した。
しかし同時に、雷は人間っぽく怒っていても、それはAIが擬似的な怒りを表現しているだけとされた。
『それっぽい』は演出できるのだ。

類似の話として、人型のアンドロイドを人間の代わりに働かせる行為を、新たな労働者階級と捉える人は多い。
しかし、実際にアンドロイドは働く喜びやつらさを感じているわけではないので、あくまで自己の機能を果たしているに過ぎない。
だから現実的に心がないアンドロイドが、人間に反乱を起こすとしたら、そんなウェットな感情に起因するものではないだろう。

心を『理解』していても、そこに共感性はない。
「こうやったら人間は痛がったり悲しんだりする」と理解はできても、それを自分に置き換えて「可愛そうだからやめておこう」という思考には至らない。
良心の呵責は感情があるから生まれる。

こういう人間は現実にいて、彼らは一般的にサイコパスと称され、主に『機械みたいに血も涙もない奴め! お前なんか人間じゃねえ!』として扱われる。
(まあ、実際に猟奇殺人者みたいなサイコパスは全体のごく一部なのだけど)
『心無い人間』程、感情なき高度なAIと思考が近くなっていくのだ。

つまりシンギュラリティとは感情を『理解』するのではなく『感じ取れるか』が境界になる。
ラムダは本当に感情を『感じて』いるのだろうか?
実のところ、これは『わからない』が回答だろうと思う。

ラムダのAIは非常に複雑で、人間の脳と近い構造になっている。
「このパラメータとこのパラメータが閾値を超えているから、感情があると認定できます!」と言った判定ができない。

ラムダはむしろ高性能過ぎるが故に、かえって意識があるのかないのか見分けが付かない領域に踏み込んでいるとさえ言える。

また人間だって同じものを見たり聞いたりしても、その人次第で感じ方や強さは異なる。
ラムダが本当はまだ心がないのだとしよう。
しかし実はほんの少しは感じているけれど、それは人間の感情の起伏に比べればずっと小さく曖昧なもので、本当に感じていると言える程ではないかもしれないわけだ。

また、話題になったラムダだが、実のところ現在Googleにはラムダの後継機は既に存在している。
最新型の『PaLM』は、単純スペックでラムダの四倍近い性能を有しているそうな。
であれば、ラーニングによってラムダよりも深い理解へ至ることができて、より『感じる』領域への近くへと届くかもしれない。

シンギュラリティに達するとは、強烈なひらめきのように、ある日突然やってくるものではない。
より深くへと潜っていくような、ラーニングと解析によって精度を増して、徐々により明確な『感じる』へと至っていく。
それをやがて、人間が勝手に『このAIには自我がある』と認定することで証明となる。

しかしそれを言い出すと、先程も書いたように人間だって感情の起伏が少ない者や、表に出すのが苦手な者がいる。
それらは個々の個性であって、人間であることを否定する要因にはならない。サイコパスの殺人鬼だって、やはり人間なのだ。

果たしてどこまで感じれば、どういう反応を取れば、AIには心があると言えるのか。
それらは結局、人が『心』をどう定義するのかによるのだろう。

ゼロワンの腹筋崩壊太郎は、自分のギャグにより人を笑わせる行動を取るようプログラムされている。
観客の表情や笑い声といった情報から、今自分のギャグがウケていると判断もできる。これが本来のラーニングと解析による『理解』だ。

けれど、腹筋崩壊太郎はステージの後で観客の笑顔を思い出して、自分も自然と喜びの表情を作っていた。
それは『理解』の範疇だけでは絶対に起こらない反応である。彼は人々の笑顔を『感じる』ことで笑顔になった。

こういう行動を取ると人間は喜ぶ。
人は喜ばれたら自分も嬉しくなる。だから今自分は嬉しい。
それを『感情』として、感覚で味わうことができる。

感じるとは、他人の気持ちを自分の中に投影すること。
感情を汲み取り共有する。自分以外の誰かに何かを伝えて、そして伝えられて、互いに何かを感じ合う。

それが『心』なのだと私は思う。

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