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高度AI社会で人間の創作は消えるのか ~仮面ライダーゼロワンのリアリティ~

2022年9月3日

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もう人間の創作に価値はないのか

正直言って、そりゃあただ物を作るという面においては、人の価値はなくなっていく。

人が物を届けるのに、走って届けても、車を使って届けても結果は同じだ。
それならより短時間で届けられる車が選ばれる。
そうなると、車の運転ができない人間は、配送業ではかなり大きな制限を受けてしまう。

その発展形としてAIによる安全確実な自動運転が確立され、導入コストも現実的な範疇になれば、もう運転に『人』が介在する余地はない。

だが、それは本当にただただ不幸なことだろうか?
Amazonの配達員は恐ろしく過酷な環境で、大量の荷物配送を行っている。
そのためAmazonでは配達員の四割以上が、配送中の事故を経験しているという。

特に酷いものなら、疲労による事故で車が大破して、血だらけになっているのに配達させられた者すらいる。
これは運ぶ荷物量に対して人員が少な過ぎるのに、当日配送などのより便利なシステムが当たり前になってきているからだ。
もし運転が自動化されれば、配送中の事故率は下がり、配達員の負担は大きく減るだろう。

当たり前だが闇の面もあれば光の面もある。
需要に対して供給の追い付いていない業界にとっては、AIの発展は確実なメリットをもたらす。

では、今回槍玉に上がった創作や芸術面ではどうだろう。
イラスト面では確かに厳しい時代がやってくる可能性は十分ある。

現在のイラストが『イラスト』の価値を持たなくなってくる。
一枚絵だと、AIはどんどん人間の好むものを生成できるようになっていく。

作品に著作権はあるが、解析については著作権は機能しない。
ネットの海からサンプリングして、AIが独自のイラストを生成することは防ぎようがないのだ。

これは漫画でも近いことが起こる。
Twitterに上がっている短絡的に『尊い』や『エモい』を摂取する数ページの漫画などは、そのうちAIが解析して出力する時代がくるだろう。
だってこれ短い分スッゲー解析や統計取りやすそうだもん。

人々は自分の好みの短編漫画を、誰でも自分で生み出せるようになる。
イラストや漫画はどんどん『工業製品』の範疇になっていく。

これはやっぱり小説でも同じで、既に簡単な文章生成ツールは現実化されている。
後は時間経過によって技術は発展し、より精度の高い複雑化した文章の生成が可能になっていくだろう。

言い換えれば『工業製品』にならない、もしくはなっても『別の視点から価値を見出せる』ジャンルは生き残る。

例えば、人類はその速さにおいて、二足歩行では自転車や自動車には絶対に敵わない。
しかし『二足歩行での速さを競う』行為自体に人は価値を見出している。
だから人類がどれだけ道具を使って速さを手に入れようと、駅伝大会はなくならないし、オリンピックから走る競技が消え去ることはない。

チェスや将棋は人類がAIに負けようとも、「じゃあAI同士が競って人がそれを観戦すればいいじゃん」にはならなかった。
ぶっちゃけ将棋でAI同士が競っても、そこに人間的な思考が伴わないので何をやってるのかよくわからないし、解説等が意味をなさなくなる。
有体に言って『AI同士の戦いは人間同士よりも観戦していて面白くない』のだ。

絶大なプレッシャーの中で、誇りを賭けて戦う者達の姿とは一種のショーだ。
そのため人間的なミスだって、観戦者にとっては『面白い』の一部なのである。

どんな競技であれ人間二人を置いて「さぁどっちが強いんだ!?」の比べ合いはロマンであり、だから個人に対しても人気が出る。
これもまた、人間だからこその価値であり面白さだろう。

また、同じ人類同士だって男女や体重制で分けられる競技がある。
勝負とはある程度条件を揃えないと成立しない。

むしろ『成立させるために切り分ける』ことは珍しくない。
切り分けてもジャンルとして人を魅せ、楽しませるならばそれは成立するのだ。

イラスト等の創作においてなら、それは例えば芸術性が該当するだろうと私は思う。
同じようなイラストでも、誰が描いたかで人は無意識に評価する。
他人の評価を価値基準として見出す。

芸術は『誰』が『どういう意図で描いたか』が重要視される。
それは社会的背景であり、その人が持つ独自の感性でもある。
作品の裏にある、制作者の心や生き様を垣間見るからこそだろう。

故に今後芸術性を競うコンクールでは、AIを使用した部門と未使用の部門に分けられていくのではないかと私は見ている。
人間は人間の範疇で競うことに意義があるのだ。

またこれは、小説や漫画等の制作物でも同様のことが言えるだろう。
そこに制作者の作家性を読み取る面白さを見出せば、作品は特有の価値を持つ。

『このアニメ会社の作画が良いので観る』
『この作者の新刊が出ればとりあえず買う』
『この監督が撮る映画は劇場まで観にいく』

などと言った、特有の価値を持つ状態になる。
現段階のAIが生み出せるのは情報の集積が前提であり、偏った個人や企業の情報をラーニングさせて何かを生み出すと著作権の侵害になる。

更に言えば、現段階のAIにできるのはあくまで模倣のみだ。
シンギュラリティを迎えていない現在のAIでは、元のイラストのクオリティを超えることはできない。

中には人間が単純な量産系の作業をこなして、AIがクリエイティブなことをしていると考える意見もある。だがそれは、実際にAIが単純作業を次々と肩代わりしている、現在進行系の事実を知らないだけだ。
イラストの生成も、上記のように量産の範疇だと考えれば、そういった肩代わりの一つになる。

ならば、先に息絶えるのは主に『誰でも作れる工場生産的な作品』なのだ。なろう系小説とかTwitterの短編エモ漫画、Vtuber等、数の武器を前提にするジャンルがその席を奪われていくだろう。
ただしいずれも、量産化の範疇を超えたトップクラスは生き残る。

つまり『創作性の高い作品』はまだしっかりと価値があり、人間の創作は量産化ではなく質を重視する時代がやってくるのだ。

以下、後編に続く。

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