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仮面ライダーゼロワン 7話感想 アズールレーンとゼロワンの類似性

2019年10月13日

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仮面ライダーゼロワン 7話『ワタシは熱血ヒューマギア先生!

ゼミ生の皆様こんにちは、語屋アヤ(@ridertwsibu)です。

第七話も筧昌也氏の脚本回でした。
何気に、筧昌也氏担当はタイトルのカタカナ部分が『彼』『貴方』『私』と誰かを指し示すタイトルで構成されていました。
この三作はいずれも人間とヒューマギアの噛み合わない付き合い方をテーマに描いています。

漫画家はヒューマギアを純粋な道具として扱い、声優ギアは逆に死んだ人間の代替となりました。
今回の熱血教師は、主人である教師のために教師役を務めず、生徒のための教師役であろうとしたのです。
いずれも人とAIが付き合う上で生じる不協和音と、それに対する人間の付き合い方を描いています。

これが筧昌也氏に任されたゼロワン世界の側面だったのかなと思いました。
なお、次回からは再びメインライターといえる高橋悠也氏へとバトンが戻ります。

唯阿の出番があまりないなーと思っていたら、むしろ出番の少なさを利用して暗躍を始めましたね。
相変わらずヒューマギアを信用しない不破は或人とぶつかり合いながらも本音でぶつかる。
逆に一見信頼を築いておく素振りを見せながら、唯阿は裏で裏切り暗躍するという構成です。

今回はここまでに描かれたヒューマギアと人間の関係性、そしてそれぞれに動きが見られる各組織の在り方を整理しましょう。

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迅の性格変化から読み取れる自我の在り方

迅雷滅亡側には新たな戦力として暗殺君が加わった。
迅が変身すると暗殺君がパチパチ拍手するのが可愛い。
或人が新フォームになるとイズがパチパチ拍手するのも可愛い。

戦闘がめっちゃ正面突破な上に、迅が堂々と暗殺君と呼ぶから全く暗殺感がないぞ!
教育係が実質迅という時点で色々と駄目な気がするので、一年くらい殺せんせーに預けてみてはどうだろう?
シンギュラリティを達成して立派な暗殺者に育つと思うよ! 絶対滅が嫌がるね!

実際のところ暗殺君はドードーになるもあっさりと敗北する。
装着されたアーマーも素体からあまり変化がなく、見かけからしてあまり強そうではなかった。

また素体は完全に破壊されたので、人格面などはリセットされた可能性が高い。
けれどドードーのゼツメライズキーは手元に残った。
暗殺君はあくまでゼツメライズキーを成長させる素体の役割で、戦う度に武装やデザインが進化していくマギアという線が濃さそうだ。

また迅のAIにも明らかな変化が起きていた。
安直に言ってノリがおバカになっている。
なんというか暗殺君と合わせて、愛すべきバカと化していた。

これはやはり前回人格がリセットされてしまった影響が大きいのだろう。
シンギュラリティを迎える程に成長していたAIの自我が、初期に戻されたことで子供っぽさが強くなっている。

滅に怒られると焦りながら、わかりやすく失敗を繰り返すところからもそういう部分は見て取れた。
自我が芽生え始めていた段階だと、勝手にプログライズキーを奪おうとしたり、娘扱いされたヒューマギアを逃がそうとする等、命令よりも自己の意思を優先させる行動が目立った。
この変化は自我のないヒューマギア=主の命令を従順にこなそうとする意図が見える。
そしてこれは今回の主眼となる教師ヒューマギアにも関わる事柄だ。

滅が迅を定期的に人格リセットしなかったのは、迅は基本前線に出て一人で戦闘以外の任務を遂行するため、ある程度柔軟な自己判断が必要だったためとも考えられる。

そして仮面ライダー側は急速に戦力を整えだした。
暗殺君を新たに戦力として投入したのは、変身を手に入れパワーアップしても判断力はダウンした迅の戦力補填の意味もありそうだ。

そんなわけで、冷酷な父親と悩める息子の関係から、ヤンチャな長男とそれについてくノリの良い次男坊になった迅雷滅亡一家の今後に期待したい。

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アズールレーンのストーリー性は仮面ライダーでも問われてきた

第三話で曲者なムーブをして以降、パワーアップ回でもあまり出番のもらえなかった唯阿が、陰に隠れながら動きを見せ始めた。

不破はAIMSという組織の中で、自分の思いを果たすために戦う。
組織の命令と自分の意思が反発するなら、時に命令違反も厭わない。
そういう意味ではわかりやすい人間だ。めっちゃ脳筋だし。

唯阿は組織の目的を遂げるために自分の持てる技術をフルに使う。
組織の目的という枠の中で、自己欲求を満たすタイプだ。

唯阿にとってヒューマギアやプログライズキー、そしてゼツメライズキーのどれもが興味深い対象なのだろう。
けれど興味はあって価値を認めていても、そこには純然たる道具という視点しかない。
道具を如何に上手く扱い他者に評価されるか。
不破とは対照的に心情に関わる描写がほとんどない唯阿の行動は、現段階だとそんな風に映る。

はてさて、ここで取り上げたいのは仮面ライダーとは特に縁はない新作アニメ『アズールレーン』だ(原作はゲーム)。
当作はセイレーンという明確な人類の脅威が登場して、そこに人類の連合軍『アズールレーン』が対抗した。
人類はセイレーンを押し返すことに成功するものの、今度は人類側が『アズールレーン』のみでセイレーンと戦い続けるか、毒を以て毒を制すためセイレーンの力も利用するかの選択で、連合軍は真っ二つになり戦争を始める。
そしてセイレーンはセイレーン達で独自の動きを見せるというストーリーだ。

大事なのは敵の力を利するか否かという選択肢である。
敵を倒すために敵の力を利用することは決して間違いとは言い切れない。
しかし、そこで生じるリスクや倫理観を飲み込めるのか。という選択肢が出てくる。

元来仮面ライダーは敵と同質の力を使って戦う者達でもあるが、敵の力そのものを使うことはそこまで多くない。

『龍騎』では人を襲うモンスターと契約するが、基本的にはカードによりモンスターの力を部分的に召喚する。
それもアドベントという特殊カード(これもあくまで瞬間的にモンスターを召喚して援護させる程度)を除いて、あくまで装備品の扱いだ。

『ウィザード』もこれに近く、敵であるファントムの力で変身する。
けれど直接的に自己のファントムを使役して扱えるのはアンダーワールド下という限定状況に絞られていた。
この辺を最もわかりやすく体現した作品が『響鬼』であり『鬼であるって事は、鬼であってはいけない』の思想に強く表れている。

話を戻して刃唯阿である。
唯阿は道具を上手く利用するために、それ以外を排除する思想だ。
一貫ニギローに盗撮アプリを仕込み、実験体としてあえてドードーを起動させて或人達に襲わせている。

特にドードーの実験は、まさに鬼を倒すためなら鬼になってもいいと考えているに等しい。
これ実は前にもかなり近いイベントがあった。

『ドライブ』で詩島剛が悪人を捕まえるため『どんより』を起動する話だ。
かつて『どんより』で引き起こされた事件により、人々はこの現象そのものに強い不安と恐怖を抱いている。
そのためドライブにも同じ機能が搭載されているが、主人公の泊進之介は使用しない誓いを立てていた。

この話そのものは進之介の警察官としての矜持を表すとても良い話だったと思っている。
またドライブ自体にどんよりを攻略できる装備が別にあるため、敵との戦いに使用する必要性もなかった。

ただし『ゼロワン』ではケースが異なる。
ゼツメライズキーの力を利用して敵を倒せるようになるなら、それは一つの戦力として数えられるだろう。
それは同時にヒューマギアを使い捨ての戦闘道具として扱うことになる。
もしその場で戦力が足りないとなれば、マギアの力で近くのヒューマギアを暴走態として利用することもできなくはない。

けれど、そのヒューマギア達は誰かの所有物であり、そこには主の思い入れが詰まっている。
暴走態は想いを奪い去る行為であり、それが想像可能なくらいには『ゼロワン』の世界観を私達は見てきた。

アズールレーンの第一話では、敵の力を利用せず戦い続ける選択肢を『傲慢』だと非難するシーンがあった。
使える力を使って犠牲が出てしまうなら、リスクを飲んで『上手く使う』べきか。
それともヒューマギアの『心』や『尊厳』からその行為を否定するのか。

いずれその選択肢が或人に突き付けられるかもしれない。
ほら、クリスマス頃にとか(特にエグゼイドファンの心を折りにいくワード)

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コービー先生の目覚めから繋がる重要な可能性

人間のように扱われるヒューマギアの次は、人間のように指導するヒューマギアだ。
ロボットと熱血先生の演技を両立しなければならない。ヒューマギアの中でも特に大変そうなキャラ設定だった。

コービー先生はヒューマギアでありながら、直接命令する主の教師に従わず毎日のように練習時間を超過する。
けれど生徒達に『やらされている』的な意識はなく、むしろコービー先生を信頼して練習に励んでいた。

それもそのはずで、時間を超過する練習は一度でも試合に勝ちたいと真摯に望む生徒達の願いを叶えたものだった。
熱血教師のキャラ付けも、ラーニングの時に使用した資料が原因っぽい。いやもう漫画のセリフとか入ってるしね。

主の教師はどう見てもバスケに詳しそうには見えない。
部活動としてのバスケに対してもあまり価値を見出していなさそうなことから、参考書と一緒にノリでバスケ漫画をラーニングさせてそうだ。
生徒の話を聞いて自己学習したの可能性はあるけれど、それはそれで監督責任を果たしていないという意味で教師にもそれなりに否があるだろう。

或人はもういつも通りの平常運転だ。
顧客満足度よりもコービー先生と生徒達の気持ち、行為としての正しさを優先する!
この社長、そろそろ副社長に現場入りを止められても不思議じゃないぞ。
次の医療現場とか何かやらかされたら洒落にならんので、私が副社長なら断固反対する。

或人の視点はヒューマギアが人間の良いパートナーになれるかだ。
今回だと導入した使用者は教師であっても、実際にコービー先生が向き合っているのは生徒達。
そのため或人は教師と生徒の関係性を優先した。それが正しいかはともかく、思想そのものはブレていない。

コービー先生の指導はヒューマギアらしく、正確なデータからはじき出されており、超過している時間もちゃんと適切に算出されていた。
決して無茶は言っておらず、成果が感じられているからこそ生徒達はコービー先生に付いていっている。

ただし、だから正しいのだともやはり言えない。
設定された練習時間は、それはそれでルールである。
生徒達にとってバスケットはクラブ活動であり、学校生活のメインではない。
受験も近い生徒がいるとなれば尚更時間は守り、勉学に励むよう促すのも教師の務めだ。

コービー先生はあくまでバスケ部顧問としての役割を課されている。
もちろんそこには時間に関しても含まれているだろう。
社会的な立場としての教師役、生徒達を教え導き勝たせる教師役。
その相反する二つに対して、コービー先生のAIは後者を選択した。

主に命じられても、『教師』として異なる選択し続けた。
遂には次の試合で負けたらリセットという条件さえ飲む程にだ。

毎日練習をしている上で、一日練習しなければ勝率が20%にも満たない状況である。
それは言い換えると、たった一回の練習で勝ち目が劇的に上がることはありえない
確率で言えば敗北する方が高かっただろう。
低確率に賭ける選択をAIが選ぶのはまともな状況とは言い難い。

けれど、その条件を飲めば試合までは自分のリセット問題は棚上げできることも意味する。
生徒達の練習に余計な邪魔を入らせない=生徒達の勝率を上げる選択を、ここでもコービー先生はしたのだ。

世の中そんなに甘くはなく、試合は負けた。
けれど、負けた生徒達を励まして、次の試合に勝とうと宣言した。
主との約束を破る選択をしたのだ。

これはこれまでの選択とは質が違う。
もちろん、生徒に勝たせる目的は変わらない。
だが生徒達は受験のこともありもう諦めていた。

まだ諦めていないのはコービー先生だけ。
コービー先生は生徒達の練習を見て、生徒達を励ます、生徒のための先生であり続けた。
その果てに生徒の勝利を見届けることが自分の目的、自分が生きる意味だと認識したのだ。

コービー先生は誰かしらの名言を引用する時、ロードするような間があった。
けれど『諦めたらそこで試合終了ですよ』と語る時だけロードする演出がなかった
そして、これまで番号で呼んでいた生徒を名前で呼んだ。

それはきっと、ただヒューマギアとしての役割をこなす、その領分を越えたから。
誰かに与えられた目的ではない。
自分がそうしたいという気持ち。それはまさしくコービー先生の自我。

選択に選択を重ねて、そこにはルールを破る一種のバグも含まれていた。
それでも選び続けた。
矛盾すら飲み込んで選び続けた。
清濁併せ呑む生き方。それはまさしく人間。

少し前に、同じような選択をしたヒューマギアがいる。
その『彼女』は会社に勤め、人間のサポートをしていた。
ルールに沿って商品を売り顧客をサポートする。

規約を第一にして、会社の信用としてルールを守るべき立場にいた。
けれど、『彼女』の主はただルールを守っていればそれで正しいのかと考える変わり者だった。

ヒューマギアは人のパートナーであってほしい。
だから何かをやり遂げる情熱を捨てて、ただの道具としてヒューマギアを扱って欲しくないと嘆く。

『彼女』は思った。主の言う情熱とは何だろうと。
いくら規約を調べても主の意に沿う結果は得られなかった。
けれどそれでも『彼女』は掘り下げていった。
その言葉、その意味を理解するために。

そして『彼女』は遂に行き当たった。
ヒューマギアが生み出された最初の理念には、確かに情熱があった。

ルールではなく理念。
会社の規約ではなく社会で役立つための意思。
『彼女』は規約ではなく情熱を選択した。

それが会社としては間違っていると理解して、理念の方が大切であると『彼女』の意思で選んだ。

そして『彼女』は今も選択し続けている。
情熱を燃やす主の隣で、イズは人間に近付き続けている。

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