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【仮面ライダーゼロワン】5話 感想 漫画家がヒューマギアを道具のように扱った理由とは

2019年9月29日

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仮面ライダーゼロワン 5話『カレの情熱まんが道

ゼミ生の皆様こんにちは、語屋アヤ(@ridertwsibu)です。

今回の脚本は高橋悠也氏から変わって筧昌也氏でした。
過去作品では直接特撮に関わった作品はないようですが、他作品ではゲーム開発業界の物語を描いた『東京トイボックス』など漫画原作のドラマ化などの実績がある方です。
またアニメーション・グラフィックも手掛けており、今回の漫画編と次回の声優編にピッタリの脚本家でしょう。

脚本変更だとキャラの変化について目立つことがありますけれど、今回はそれほど感じなかったなあという印象でした。
強いて言うなら不破が或人のギャグ(今回はそもそもギャグですらなかったけれど)に対する反応をあまり隠さなくなったことですかね。

これまでなら意地でも笑いたくなくて、もっと隠して笑いに耐えるリアクションが強かったのですが、これは脚本の影響ではなく純粋に少しは或人を信用した結果による変化とも取れるため、どちらかとはハッキリ言い難いところではあります。

また今回、劇中で使用された漫画『パフューマン剣』を描いたのは漫画家の久正人氏。
『宇宙戦隊キュウレンジャー』以降では、スーパー戦隊シリーズのデザインワークにも参加されている。
自身も変身ヒーロー漫画『カムヤライド』を連載中です。

単行本も二巻まで出ています。
私は漫画もよく読むのだけど、ヒーロー漫画として現在ガチで一番オススメな作品です。
今回のゼロワンで気になった方がいれば是非読んでいただきたいとダイマするくらいオススメ。

見覚えのある絵柄だなあと思ったのですが、調べてみたらご本人がtwitterでもつぶやいておられました。これは朝からテンション上がる!

前置きが長くなりましたが、今回も感想と考察を始めていきましょう。

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イズの行動に心があるように見えた理由

もうそろそろイズさん用のコーナー設けた方がいいんじゃいなかなと思ったので、今回は試験導入。
イズは反応の可愛さだけでなく、行動そのものに心が芽生える前振りや、OPの展開に繋がる重要な要素になる可能性が十分にある。

心の学びという意味では、今回は特にそれが顕著だったろう。
イズは或人の語る『情熱』を理解しようとする。

それも或人に依頼されたのはあくまでプログライズキーについてのみ。
情熱とは何なのか。それが飛電インテリジェンスにどう関わるのかを、イズは自分で考え見つけようとした。

これらの行動は人間(会社)の役に立つというプログラムに基づく行動ではある。
そういう意味では、これまでに開発してきたプログライズキーと同じようなことだ。

では今回の行動は具体的に何が重要なのか。今回は情熱に関する項目を規約から見つけられなかった。
そして前社長が『情熱』について語る映像を発見する。あくまでそれは飛電インテリジェンスとしての理念、理想に過ぎない。

今回の序盤だと、イズは漫画家『石墨超一郎』がヒューマギアを道具のように扱っても、合理的な判断程度にしか感じていなかった。
けれど、その行動に対して不満を抱く或人を言った『情熱』という言葉に引っ掛かり、その意味を理解しようとしたのだ。

その結果、情熱という言葉がただ『熱い』という意味だけではないのだろうと機械的に察した。
それだけでなく、理解したことから更に一歩踏み込んだのだ。

イズは24時間以内に新しいヒューマギアを届けるという、会社のルールに反する行動を取った。
人の役に立つことを使命とするヒューマギアからすると、これは本来あり得ないことだろう。
そのルール違反を冒すための理由を、イズは自分で探し自分で考え実行したである。

言ってしまえば前社長の『理念』を自分なりに思考して拡大解釈して、規則・規約以外の部分から会社の情報を引っ張ってきてそれを抜け道にルールを破った。

この拡大解釈についてはあくまでイズの独断。心のないヒューマギアが人間のような屁理屈を捏ねて実行した。

今回の漫画編については会社のルールについてはハッキリとした正解はない。
正解のない問いの答えを自分で考え、自分なりの答えをだす。これは人間の成長そのものではないだろうか。

その後のプログライズキーを無造作に投げる動作や、剣の玩具を投げようとする超一郎を「大丈夫です」と止める動作はまさに機械的。
あくまで劇的に成長して変わるのではなく、自主的なラーニングによって少しずつ人間らしい行動に目覚めていく。そのことに人間はおろか本人すらも気付かない。

そう、イズは少しずつ学んでいるのだ。
これからもイズは『アルトじゃないと!』を自主的に言ったり、活用方を考えて本人より面白く使ったりして成長していく……!

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迅の正体がヒューマギアだと何が起こるのか

今回はラストに滅が迅を息子だと語ったことで、迅の正体がヒューマギアだと匂わせる特大の爆弾が登場した。
もうこれはほぼ確定で間違いないだろう。

迅はずっと帽子を被っていて耳の部分が見えない状態だ。
そして滅は感情の芽生えたヒューマギアを友達だと言っていた。

これは滅亡迅雷.netという組織を指しているのではなく迅にとって友達。つまり迅と同じく人間としての感情が芽生えた同胞という意味とも取れるのだ。

今回、心の芽生えた森筆ジーペンは、その切っ掛けがいつものような人の役に立つ喜びからではない。
むしろ自分達ヒューマギアが道具のように扱われることに対する怒りだった。
作品が作品なら人間への逆襲が始まるコースである。

作品のストーリーを一部考えていたことから、漫画家として様々な学びの中で徐々に心が形作られた可能性もあるだろう。
即ちヒューマギアの心とは単純な行動結果で生まれるものではなく、人間と同じように様々なことを学んでいった結果生じる複雑な思考の塊であるのかもしれない。

ヒューマギアに芽生えた心とは喜びや嬉しさとかプラスの感情だけではない。
それこそ多種多様なものに進化していき、最終的には人と遜色のないものまで育つ。
その最たる例が迅であるという可能性だ。

こうなると迅のポジションが一気に固まってくる。即ちここからのパラド化が著しい!

まず迅の行動は全て自主的なものだけではなく、ヒューマギアとして滅にラーニングされた結果になる。
迅とはあくまで滅の包丁だ。
包丁で料理をして人々に感謝されるも、人を刺して犯罪に走るも、使用者である滅の責任となる。

迅はあくまで生みの親である滅の命令を従い、人間のように成長していった結果が現在。
となればそれこそ人間として扱い、正しい教育の機会を与えるべきだという論が通るようになるだろう。

更に言えば、迅のこれまでやってきた行為は自分と同じ友達、つまり心の芽生えたヒューマギアの心を自分の手で消していたことになる。
かなり残酷なことを、その意味を正しく理解せず実行していたのだ。

その意味に迅が気付いたのなら、その時は情状酌量の余地があるを通り越して、もはや被害者のレベルである。
そして迅はその罪を背負い、人間のように人間として学び成長していくことになるのだ。やっぱり君めっちゃパラドやん。

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漫画家『超一郎』がヒューマギアを道具のように扱ったのは防衛本能

今回の漫画家編、物語としての人気はこれまで通り上々だったが、漫画家と或人の行動という部分だけ切り取ると賛否両論のある話だった。

大筋を見れば或人は漫画を描く楽しさをを失った一人の男に対して、過去の情熱を再び燃え上がらせた。
けれど、ヒューマギアを生産する会社の社長して、或人の行動は正しかったのか。
超一郎の行動が全て間違いだったのか。

今回の『ゼロワン』は人間であるからには、情熱だけではヒューマギアに負けてはならないを物語のテーマとして線引きした。
けれど、社会人として行動した是非の結論は、巧妙に視聴者へと投げている。

まず社長という意味では或人の行動は正しいわけがない。
会社として顧客と交わしたルールを守るのは重要だ。副社長の発言と行動は完全に正論である。
社長がダメすぎて、古株の副社長である自分が謝罪に行くのも、社会人として模範的な行動だ。

というか或人の仕事内容は、ゼロワンでの戦闘を除くと飛電インテリジェンスの研修生に近しい状態である。
そうなれば経営部分の多くを副社長や役員が担当しているのは想像に難くない。

しかも今回は劇中でハッキリ会社の信用が落ちている旨が台詞にされた。
そんな中で社長の尻ぬぐいしていると考えれば、副社長の会社を守ろうとする姿勢は評価されるべきだろう。
そういう部分も一話分の尺の中で省かずちゃんと入れ込んでいる。

仕事とは利益を出さなければ成立しない。
飛電インテリジェンスは稼ぐためにヒューマギアを作って売っている。
正しく契約してヒューマギアを稼ぐために利用する超一郎の行為そのものは非難される言われもない。

ただし今回における真の問題は、超一郎が何もせずヒューマギアを道具のように扱い漫画を描かせていることにある。
これは進化した人型アンドロイドが起こすSF的な問題だ。

ではなぜ超一郎はヒューマギアを道具のように扱ったのか。
明確な理由は示されなかったが、これは情報を整理すれば推測可能だ。
そのために、これはSF的に社会の変化として考える必要がある。

まず人間とヒューマギアの差として、人間は劣化もすれば怪我もする。病気にもかかってしまう。
上手い絵をずっと維持するのは難しく、漫画家特有の病気や怪我、いわゆる職業病だって常に付きまとうものだ。
これは漫画家にとって仕事生命にも直結するのは言うまでもない。
そういうリスクをヒューマギアは大部分吸収してくれる。

人工知能でけん玉をラーニングさせる実験が過去に現実で公開された。
最初は何度もけん玉を失敗し続けるが、徐々に動きを変えていってやがては成功に至る。

そして一度成功するとそのロボットは延々と同じ動きを繰り返して二度と失敗することがなかった。
正確な挙動という意味では、ヒューマギアは一度ラーニングしてしまえば人間ではできないレベルの技術を発揮する。

またヒューマギアがロボットである以上は疲労しない。
毎週や毎月で締め切りの決まっている漫画家にとって生産性は非常に重要な要素だ。

つまり常に正確に、既定量の原稿を仕上げられるヒューマギアにとって漫画描きは非常に向いている作業と言える。
この辺は寿司編の回転寿司でも言えることで、さり気なく面白い触れ方をしていた。

http://kamen-rider.info/01-3/

さて、では超一郎という漫画家の取った行動は正しかったのかという疑問に戻ろう。
そもそも超一郎は最初から全ての仕事をヒューマギアに任せていたわけではなかった。そもそも売れるまではそんな収入があったわけもない。

最初は確かに漫画家としての情熱があり、面白い話と魅力的な絵を描く技術があったのだ。
そのため超一郎の問題はほぼ間違いなく段階的に発生した。

作品が人気になり、忙しくなってヒューマギアをアシスタントとして導入した。
そして本話の最後にあったよう、背景など特に線が多く正確性を求められる作業を任せていた。
(この話は公式サイトで少しだけ触れられている)

そうしているうちにもっと仕事が忙しくなる。
売れれば売れる程、インタビューやイベントなどで漫画を描く以外の仕事も増えていくだろう。
それでも締め切りや作品の質は保たなければならなかった。

超一郎は15年の連載で一度も原稿を落としていなかっま
本来は漫画家として質と締め切りという約束事を守ってきた真面目な人間なのだ。

やがてアシスタントが増えて任せる仕事が増えていった。
そうなると人間が描いた絵より、ヒューマギアが描いた絵の方が評価され始めたのだろう。
そうすると段々、質を上げる=ヒューマギアに任せる図式ができていく。

なお、正確な線と絵は重要だが、漫画はあえて崩した方が魅力的な絵や効果的なシーンが出来上がることも少なくない。
『吼えろペン』等で有名な漫画家、島本和彦氏も同作で語っている。
或人が言った昔の絵の方が情熱があって魅力的だったという意見はあながち間違いではない。

ただし絵とはあくまで個人の感性にも関わってくる。絶対的に正しい絵は存在しない。
そのため新しい絵はせいぜいペン入れ作業くらいで、古い絵柄と新しい絵柄をわかりやすく比較可能なシーンは無かった。これは意図的にやっていることだろう。

ネタ出しも同様で、一人の人間が一つの作品で十五年もネタを作り続けるのは簡単なことではない。
自分のネタが切れて、世間の流行を拾うのが得意な編集が肩代わりするようになるケースは現実でもある問題だ。

それらが重なった結果、超一郎の担当する仕事がなくなっていった。
(ちなみにアシスタントに買い出しや身の回りの世話を任せるのは現実の漫画家でもあるそうなので、別にヒューマギアの扱いが悪いということではない)

そうなると自分が全然描いていない『パフューマン剣』を、何をもって超一郎の仕事とするか。
それは最初に自分が描いていたという実績。
それと自分が指揮している事実になる。

ここでヒューマギアがロボットであるという事象が関わってくる。
ヒューマギアは人間ではない。そして人間であるように扱うと、超一郎の中に自分ではない人間が作品を描いている事実が生まれてしまう。
これは他人ではなく自分の自尊心を守る問題だ。
これを認められなくなったら最悪漫画家として終わる可能性すらあると考えれば、非常に重い問題である。

超一郎は『パフューマン剣』が自分の作品であると自身を納得させるために、ヒューマギアを人間ではなく道具として扱わなくてはならくなった。
人間の姿をしているヒューマギアを道具として扱うのは一見極端な行為ではある。
(実際シーンの見せ方も極端ではあった)

けれどそういう環境は一日で生まれたものではない。
日々の積み重ね、そして自分を取り巻く環境の変化によって徐々に変わっていった末路なのだ。
その結果、漫画家としての情熱は失われてしまった。

再び超一郎が描くようなると、新たなジーペンの扱いも改善された。特に説明らなかったが、この理由だと情熱が戻れば連鎖的に解決する問題なのである。

仕事はつまらないより楽しい方が良いのは間違いない。
だが世の中の仕事基準は楽しい楽しくないではなく、楽か苦かに分かれることが多いのも現実である。

仕事が楽しい、情熱が大事と語った或人の言葉は理想論であり綺麗ごとだ。
けれど、私はこれまで仮面ライダーで学んだ言葉を大切にしていたいと思う。

きっと漫画家を目指した多くの人にとって漫画家とは夢なのだ。
夢とは時々すごく熱くなって、時々すごく切なくなるもの。
それを人は情熱と呼ぶのではないだろうか。

或人は青臭くヒューマギアと人間の理想を追いかけ続けている。
その途中で出会った、ヒューマギアを道具として扱う人間にそれは間違っていると伝えたかった。

そんな綺麗ごとは社会で通用しない。それも正しいことだ。
だからこそ綺麗ごとを現実にしたいのだ。本当は綺麗事が良いと語れる人間だけが、綺麗ごとを追いかけ続けられる。

その意味を今の子供達に伝えることはとても大切だ。

私達はもう知っている。かつて子供だった頃に学んできた。
苦しくても理想を諦めず追いかけ続け、納得できる行動をした者にだけ与えられる仕草があると。

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