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【仮面ライダーゼロワン】3話 感想 共感性が心のないヒューマギアを人間のパートナーにする

2019年9月13日

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仮面ライダーゼロワン 3話『ソノ男、寿司職人

ゼミ生の皆様こんにちは、語屋アヤ(@ridertwsibu)です。

実質プロローグだったエピソードを抜けて、第三話に入り初のオープニングが入りました。
第一話では挿入歌として使用されましたが、専用映像ありで流れると印象は大きく変わりますね。

歌詞はやや平成一期を連想しましたが、映像は平成ライダーとは少し方向性を変えてきた印象がありました。やや固定気味だったオープニングの映像を弄ってきたのはチャレンジ精神があって良いですね。

今回AIMSサイドは刃唯阿メインでしたが、不破は不破でキーのこじ開けが手慣れてきていたりゼロワンに発砲したりと個性のある出番が用意されていました。下手するとヒューマギア嫌いがこうじて機械オンチに……。

ゼロワンの新フォームは直接変身ではなくてメインの上から装着で、ライジングホッパーがメインみたいですね。二段階認証設定で一段目をライジングホッパーで解除しているからでしょうか。

シナリオ的にはAIの心を問う、序盤からテーマ性に切り込みまくる展開でした。
人とAIの関わり方を見せながら人に似せた機械の本質を見せる流れはとてもSF的です。
SFとは現代の生活に加えて何かしらを定義したIFの世界であり、SF描写において重要なものをゼロワンは積極的に描いています
今回はこの説明も兼ねて、第三話から始まったお仕事編の意味も解説していきましょう。

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令和初のゼロワンOPはアニメ演出に寄せている

平成ライダーのOPは基本的に、連続性のないカットを繋いでいく形式が多い。
対してゼロワンは、本編では見れないシチュエーションで、暴走した大量のヒューマギアを三人のライダーが次々と登場して倒していくシーンがかなり印象的だった。

これはワンカットではなく連続性のある映像だ。
ラストの倒れている或人に手を差し伸べるイズも、このワンシーンそのものに個別のストーリー性が見える。

過去にも近しい演出はあった。例えばエグゼイドのライダーが集合する部分は一つの流れにまとまっている。
龍騎では不特定多数の人間がデッキケースを持って次々と切り替わっていく。

それらとの違いは、やはりこれまでとは異なるシーン単体の物語性にある。
ゼロワンの場合CG性の強さは別にして、本編じゃあないけれど、物語としてはこういう展開があっても不思議ではない演出だ。
ここまで映像そのものにストーリーや関連性を強調させたのは初の試みではないだろうか。
似たものとして仮面ライダーではなく、むしろアニメのOPに寄せた雰囲気に見えた。

また途中に出てきたイズの存在が非常に気にかかる。
瞳が赤く、髪の伸びたイズ。
その後には人間のように涙を流している。

特にイズは歴代ヒロインの中でもキャラ性が強い。
ストーリーでも初期段階からヒューマギアというキャラ性を強く押し出している。
Twitterを眺めていても、めちゃくちゃイズのイラストが流れてくる程の人気っぷりだ。

それだけイズがヒューマギアであるという設定は本編でも強調されているのは間違いない。
そのイズが涙を流すのだ。

AIの観点で考えると、涙は笑顔よりも人間らしさが必要な行為である。
笑顔は仕事を行う上で、人間から信用を得るために重要な機能だ。

けれど涙のようなマイナス感情から発露するものは機能として求められにくい。
感動の涙や眼球の洗浄としても必要ではあるが、どちらも仕事上の必要性は低いだろう。
つまり涙はそれだけで人間らしさが非常に強いのだ。

しかも本編では人間らしさが見えたヒューマギアは次々と滅亡迅雷.netの毒牙にかかっている。
イズの人間性が発露する展開や、マギア化は注目度が高く、物語の中核にも踏み込んでくる可能性が高い要素だろう。

後の展開を強く暗示するような、マギア化とヒューマギアにおける心の概念に強く踏み込んだ映し方だった。
エグゼイドにおける宝生永夢の二面性など、一部の重要なキーワードをOPに含む演出は昔からあるので、これらが本編でどういう意味を持つのかも注目していきたい。

またOPではまだ未登場のライダーも登場していた。
見るからにダークライダーの立ち位置であり、発表されていないが中身も滅亡迅雷側だろうと大体想像できる。

ラストではその二人も含めての横並び。味方になりそうな雰囲気を醸し出していた。
いやあ、OPって一歩間違えるとすごいネタバレになることあるよね!

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刃唯阿と仮面ライダーバルキリーはリアリズムの立ち位置

今回は刃唯阿のキャラ性も強く押し出して、仮面ライダーバルキリーの初登場回でもあった。
メインヒロインのキャラが濃くて人気が高い作品であるが、キャラ性の強さなら唯阿も負けてないところを見せてくれた。

AIMSというマギアと戦う組織の技術顧問という立ち位置らしく、クールで凛々しい性質が際立つ。
不破は本能的でここぞという時に高い能力を発揮するが、唯阿は型に嵌った効率的な動きを得意としている。
要するにこいつら、フィリップと左翔太郎のように頭脳役と足役に分かれて噛み合えば高い成果を発揮できるが、そもそもの相性が悪すぎて互いに長所を殺し合うタイプだ。

思想も不破とは大きく違って、ヒューマギアが素晴らしい最新機器であると認めている。
ヒューマギアとどう付き合うかは、要は人間次第。
正しく使いこなすことが大事なのだと言わんばかりに、一貫ニギローにデータをインストールしてお勧めの一貫を握らせた。

そして同時にそこから飛電インテリジェンスのデータも収集する。
完全に盗撮だよ! これはこれで立派な犯罪じゃねーか!
すごいスマートに反則行為して、飛電インテリジェンスの内部を捜査している。

前回内部犯を疑うべきだと書いたが、ここまでセキュリティザルだとそういう問題でもなかった。
せめて違法性のあるソフトくらいはブロックしよ? スマホ程度のガード性能は発揮してください。
逆にプロテクトがあって破っているのなら、ヒューマギアのOS内部から対処できていない未だ虚弱性が漏れていることになるので、やっぱり内通者がいそうだ。

唯阿にとって付き合い方というのは扱い方。
人間次第とは如何に効率よく効果的に利用するか。ヒューマギアをあくまで道具として割り切った思考だ。

或人や不破に比べると一番リアリズムに則った論理性ではあるだろう。
けれどヒューマギアがわざわざ完全に人間の外見をしている。そこに人間らしさを重視する意図があるのは間違いない。
道具と完全に断言するのは、共感性や想い入れといった感情が欠落している。

ただしヒューマギアを便利な道具と考えるだけあって、他の機器全般も等しく道具として使いこなせるスキルがある証左だ。
対比として不破の台詞が、文明の利器を全く使いこなせない時代遅れなオッサンの典型だった。超わかりやすい。
そんな態度に唯阿がわかってないなと嘲笑して、現代の最新機器を使いこなし、スマートに情報を仕入れて不破を先んじる。
更には仮面ライダーバルキリーとなり戦闘までそつなくこなす。こちらも典型的な万能型エリートだ。

緊急時の対処では不破に後れを取ることもあったが、逆に理論立てた流れを組み立てた状況では誰より華麗に立ち回る。
シューティングウルフ同様に獣型でも、ラッシングチーターはよりスタイリッシュな格闘アクションだった。
なんせ周囲にほとんど被害の出てない戦闘シーン、三話にして初めてだったからね!

変身シークエンスにも無駄がない。
不破は力業でロックを外して、勢いにまかせて弾丸を殴って変身するが、唯阿の動作にはそういう余分さが排除されている。
そして変身が終わる頃には既に走り出しており、動きに無駄がない。
ちなに二話の感想で書いた、変身時に赤い涙のような跡が出るような描写が、理性的かつ理論的に戦う唯阿には描写されなかった(顔部分が映っていない)。

プログライズキーをクルクル回すの無駄じゃないかって?
あれはスタイリッシュアクションにおける基本中の基本、無駄に洗練された無駄の無い無駄な動きなんだよ!

シューティングウルフの必殺技は敵一体に対してエネルギー弾を大量に放ち、最後は貨物倉庫ごとマギアを破壊した。
アクションとしては非常に格好いいが、戦闘の被害も結構大きい。

バルキリーは周りの物を上手く盾に使うが大して壊してはいない。
そして必殺技はエネルギーを一か所に集中させて、多数の敵を一度に全て破壊した。
道具を上手く扱いながら無駄な破壊はしていない。戦闘方法も一番スマートだった。

これは変身する度に何かしら壊す巨大バッタ君も見習うべきでは?
とりあえずホッパーゼクター先輩のシャープで可愛らしいジャンプを体得するところから始めよう。

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心のないヒューマギアを人間のパートナーにするのは共感性

今回からお仕事編へと突入だ。
『ゼロワン』は高度に発達したAIが世界観の中核を担う物語だ。
このAIが及ぼす社会への影響を描くという行為そのものがSFの醍醐味である。

これ前回の感想で書き忘れてしまったのだけど、例えば前回ラストの記者会見シーンにて、女性記者の一人は或人がお笑い芸人であることを指摘した。
残念ながら飛電或人は全然売れていないので、お笑い芸人としての知名度はあるはずもない。いきなりポッと出てきても或人の前職がわかる人は極稀だろう。
この時の女性記者はヒューマギアである。つまり記者会見を聞きながら並列処理で飛電或人の情報をネット検索していたのだ。

会見を聞いて、そこからある程度パターン化された質問をする業務内容ならば、瞬時に情報の整理や検索が可能なAIだとより的確な質問をできる。
つまりこの手の取材系はAI向きだと言えて、そういう話をさらっと物語の中に落とし込んでいる。

こういった社会の変化を見るのに、或人が営業してヒューマギアの様々な仕事を見て回る展開はうってつけなのだ。
なお、或人はヒューマギアに思い入れはあるが、自分の会社自体には全然思い入れがない。
営業職も一緒に経験して社員達と同じ仕事をするのも、案外意義はあるのかも。
(真っ当な方向性による社長でライダー感が出せるのは一体いつだろう……)

はてさて今回のお仕事ケースで言えば、寿司屋で働く一貫ニギローのケースである。
店主は昔ながらの頑固一徹な老人で、ITの発展には疎い人物像だ。そのためヒューマギアもロボットとひと括りにして呼んでいる。

店主は人間の真心を大事にしているが、かつての弟子達はその真意が理解できず去っていった。
店主の性格からして、その過程には体育会系寄りの厳しい指導もあっただろう。
弟子達は自分達に理解できない内容のシゴキに耐えられなかったのだ。

一貫ニギローには人間の心はない。
もっと正確に言えば、ゼロワン世界のAIはまだ心の仕組みを理解してシステム化できる領域には達していないのだ。
副社長に付いているヒューマギアのシェスタは、笑い方もやたらと棒読みでぎこちなく、或人のギャグが理解できていない。

ギャグを理解できたイズも、寿司屋の店主が素直になれず照れ隠しに厳しいことを言いながらも、暗に一貫ニギローを認めている事実までは認識できなかった。
心の機微というものは表面上の喜怒哀楽から読み取りきれるものではない。

なお、同じ脚本家のライダーで、心をデータ化した神がいた。そう、我らが檀黎斗神である。
というか心どころか人間の単位でデータ化させていた。マジ神。

しかしながら、それには前提としてバグスターウイルスが必須だった。
正確には人間をバグスターに変換している。
新種のバグスターは生み出せるが、あくまでそのキャラ付けはゲームキャラであって融通はあまり効かない。
檀黎斗神にとっても人間の心を一から作るのはかなり難しい行為だろう。

ロイミュードやワームも、人の心を得ているがそれにはベースとなる人間が必要だ。
それだけ人の心を生み出すことは困難な行為なのである。

そもそも人間でも察せない者はたくさんいる。
気難しい老人の気持ちを汲んで行動することは、大抵の人間には難しい。
心があれば誰が相手でも、何でも察して優しく振る舞うなんてことはできないのだ。

それならいっそ心がないマシンの方が、店主の教え方厳しくても心が折れることがなく、言われた通りの練習を黙々とこなせる。
対話の相手としては人間より向いていたというオチだ。

ただ、これだけだと店主の方がニギローを受け入れない。
店主は寿司を握る際に特殊な握り方をしていた。
明らかにそんな風に握らなくても寿司は作れる。時間がかかるので効率も悪い。

一貫ニギローも心でその行為は理解できていない。けれど、考えることはできる。
考えて察して、出した答えが『真心』だった。
恐らくは客に美味しく食べほしい。そうして時間をかけて自分なりに試行錯誤していった結果が、店主の変わった握り方なのだ。

弟子達は何故このような握り方をしたのかを察せられなかった。
その弟子は今、回転寿司で働いている。

回転寿司が悪いとは言わないが、同じ寿司屋でも求められるものが明確に違う。
回転寿司の魅力は安さと素早さ、そして客の回転効率。それらはまさに無駄を削ぎ落とした結晶のようなものだ。

それこそ疲労や文句を訴えず、効率重視で延々寿司を握れるだろうヒューマギアの方が効率はいい。
(実際、回転寿司を握る職人にヒューマギアがいたので実用化されている)

心はなくとも店主の心を理解しようと考えた一貫ニギローは(新規に作り直された別機体だとしても)店主の技を授けられる環境に入った。
師匠の真心を理解できなかった弟子は、心よりも効率重視でそれこそロボットの方が適しているだろう職場にいる。

二人を分けたものは共感だ。
相手のことを理解しようとするニギローの動きに店主はこころ動かされた。

私は第一話の感想で、人間を人間たらしめるものは『共感性』と『人に親切であること』であると書いた。

https://kamen-rider.info/01-1/

一貫ニギローの行為はプログラムされたもので、そこに共感性はない。
だが、人に親切であることは守っている。
ニギローは相手の考えを自分なりに考えることで、その意図を理解した。
その行為に店主が共感したのだ。

自分の気持ちを理解してもらえた。その気持ちが心を通わせることに重要なのである。
そうなったから、ヒューマギアの心がないから折れないという部分も活きてきた。
一度打ち解けた後で、ニギローの中身がリセットされても、技術を教える行為そのものには全く抵抗がなかったことからも明らかだ。

ヒューマギアは道具じゃない。
ヒューマギアとどう付き合うかは人間次第。
それはつまり、人間の想い入れがヒューマギアをただの道具から人間と心を通わせるパートナーに変えるのだ。

第三話では、もう一つヒューマギアの心について重要なことを触れている。それが滅亡迅雷.net側だ。
滅はまた一体目覚めたと言って、迅にデータ集めを指示した。

今回餌食になったヒューマギアは自然に笑顔を見せた後、「あれ?」と自分の行動に疑問を持ったような姿を一瞬見せている。
そして迅が「見つけた」とマギア化させた。
つまりこれまでは何となく笑顔を見せた途端襲われている雰囲気だったが、今回で感情の芽生えを見せた(笑顔になった)ことが『マギア化させるヒューマギアの基準』だとかなり明確に見せている。

また、マギアによってニギローが暴走態に変えられた際、他のメンツと混ざって或人はどいつかわかんねえと呟いた。
ニギローはまだ心が芽生えていなかったが、それでも一貫ニギローとしての個性はあった。
心がない者にもある、個性とは何のだろう?

明瞭簡潔に言えば、個性とはマシンとしての個体差と言えるものだ。
同じ型をしたニギローシリーズが並ぶと、暴走態と同じように見分けは付きにくくなる。
けれど店主と心を通わせた記憶を持つニギローは一人だけ。
その記憶を言葉として語れるなら、それは確固たる個性となる。

店主の心を動かしたニギローの行為そのものを、或人は心があるということではないか。と考え出している。
この記憶は、間違いなく代えの効かない個性だ。

ニギローはずっと理解者がおらず孤独だった老人を笑顔にした。
そして人を笑顔にしていく中で、やがてヒューマギア自身にも笑顔が宿りだす。

人に親切であること。
どうすれば笑顔になってもらえるかを考えること。
それがヒューマギアにとって何より大切な、心の始まりなのではないだろうか。

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