仮面ライダーゼロワン 1話『オレが社長で仮面ライダー

どうも、ゲタライド(@ridertwsibu)です。

先週、仮面ライダージオウ終わったなあとしみじみ言ってましたが、次の週には当然のごとくこう言うわけです。
仮面ライダーゼロワンが遂にスタートしました!

かなり情報量の多い第一話でしたが、同時にすごく綺麗にまとまっていますね。
大きな起承転結の流れに、各勢力や主人公に関する情報が入っていて、ちゃんと一つの物語としても完成しています。

個人的には歴代最も綺麗にまとまっていた第一話だと思っている、『仮面ライダーウィザード』と張り合えるレベルでした。
少なくとも情報量の多さならゼロワンの方が多いというのも恐ろしい。

監督は杉原輝昭氏で、監督作品としてはスーパー戦隊側がメインの方ですが、前作『ジオウ』でも評価の高かった回『アギト編』の監督を担当しておられました。
アギト編では大胆なカメラワークで迫力のある画を撮る方だというイメージが強かったですが、今回も変わらずインパクトの強いシーンが多かった印象です。

脚本は『仮面ライダーエグゼイド』とアマゾンズ劇場版を担当された高橋悠也氏。
一応ゼロワン開始前に『エグゼイド』は再視聴しましたが、思ったより露骨に構成を寄せてきたなあという印象です。
そして『エグゼイド』ではメインテーマである医療とゲームについて、かなり深くかつ独自な見解でメスを入れました。
今回のテーマAIについても、既にその片鱗が見えています。

AIについてのテーマ性に触れる一手として、なかやまきんに君を起用したのは大成功だったと思います。
わかりやすい面白さという視点でも、Twitterでなかやまきんに君関連のホットワードが二つも上位入りしていることが全てを物語っています。

第一話からとても考察し甲斐のある内容で、始める前から文字数大丈夫かなこれと思いつつ、ゼロワン感想と考察を始めましょう。

人物と組織構成がエグゼイドに近い

『ゼロワン』の世界観は、『エグゼイド』にすこぶる近く、いくつもの類似点が見受けられる。
と言うか、そのまま『エグゼイド』から『ゼロワン』にコンバートし直したような設定も普通にある感じだ。

本作の主人公、飛電或人は初っ端から仕事に遅刻仕掛けた上、AIに仕事を奪われた。
人間がAIにあらゆる仕事を奪われるというのは、既にかなり前から語られている未来予想図であり、AIが強く発達した世界観ではそれが現実になっている。

けれど或人は仕事を奪われた現実に嘆きこそすれ、その恨みや怒りをヒューマギアにぶつける様子はない。
それもそのはずで、ヒューマギアを開発したのは或人の祖父が社長だった企業。
そして或人が父親として慕う人物もヒューマギアで、既に命を落としているようだ。

滅亡迅雷.netとの繋がりも匂わせており、初っ端から謎多き人物にもなっている。
よくもまあ、第一話からこんなに色んな情報入れ込んでオーバーフローしなかったなと感嘆した。
そしてメインヒロインのイズは人間ではなくヒューマギアであり、或人をサポートする。
性格こそ大きく違うが、この立ち位置はほぼそのままポッピーピポパポだ。

次回以降登場する他の仮面ライダーは、マギアと敵対しながらも或人とは異なる思想で実質敵対状況に近い(と思われる)。
このライダー同士が最初は敵対関係にあるのも類似している。所属違いは花家大我や九条貴利矢でもあったことだ。
今回はA.I.M.Sに残る仮面ライダーが揃っているので、『エグゼイド』程はライダー同士の関係ゴチャゴチャしなさそうではある。
(その分、飛電インテリジェンスの内部事情がごちゃついてそうだけど……)

また、敵対組織である『滅亡迅雷.net』の迅と滅が、ものすごくリーダー格は入れ替わっているものの、パラドとグラファイトだ。
なお、現状だと檀黎斗的な役回りも滅の役回りなようだが、そもそもあの神は役者さんや色んな化学反応が起きて偶発的に生まれた超存在なので……。

とはいえ、ここまで類似性が強いと『エグゼイド』におけるキャラクターの関係性や展開、そしてテーマ性に対する切り口等など、ある程度の作品的な文脈は当てはめながら考えられそうではある。
ここから作品に対する作家性なども見出していけそうだ。

例えば、小説で語られた話だが宝生永夢は父親と非常に複雑な関係にあった。
或人も相当に複雑そうな家族関係が既に見えている。
祖父についても嫌ってはいなそうだが、少なくともおじいちゃん子には見えないややドライ目な印象があった。

同じ感覚で言えば、前社長ポジションの祖父は、もし生きていたら後半でものすごく物語掻き回しそうとか、要する妄想が捗る(考察ですらない)。
作風や作家性の読み取りができるようになると、その人の作品をより深く読み取れるようになる。より作品を楽しめるようにも学んでおきたい要素だと思う。

ゼロワンの変身音声がスマートでゴチャゴチャしていない衝撃

どこまで意図してやっているのかは不明だが、ライダーと怪人関連は歴代平成ライダーのオマージュ要素が散見されつつ、随所にオリジナリティも盛り込んでいる。

ゼロワンの変身はキーを使用した認証型だ。
キーの要素は鎧武でもあったが、あちらは錠前。また認証はと言えばファイズだろう。
これらを思い起こさせる要素がありつつも、二段階認証ギミックで遊び心のあるスマートな変身シーンになっていた。

何気に衝撃だったのが変身音声だ。
年々拍車がかかっていた歌っぽさやゴチャゴチャ気味だった派手さがかなり減って、シンプルな格好良さが重視されている。

言葉遊びと歌的な変身音声は小さなお友達ウケが良いからこそ長く続いていたと言える要素。
逆に言えばそう簡単には変わらないと思っていた。

今回もそういう要素はあるが、小さなお友達にはわかりにくいだろう英語も盛り込まれている。
二段階認証のギミックと併せてスマートな格好良さが際立つ。

逆に小さなお友達はストレスなく遊べるのか少し心配ではあるけれど……。
とはいえ、昨今の変身音声は嫌いではないものの個人的には食傷気味だったので、久方ぶりのシンプルな変身音声はかなり嬉しい。

なお、ファイズの認証と言えばオルフェノク(基本的に人外しか変身できないシステム)だが、ゼロワンも中々に怪しい要素がある。
ベルトを装着した時点で意識の意識の処理速度がコンピュータ級になるという中々の無茶が炸裂した。

人間の意識をそんな簡単に切り離して大丈夫なの? という疑問を抱いた人も多いのではないだろうか。

物語において感覚的な違和感というのは意図した演出の場合がある。
物語上で乾巧が初めてオルフェノクと遭遇した時に、反応が薄くファイズに変身できたのと同じだ。

また、ゼロワンドライバーは社長しか変身できないというルールもある。
この理由は、社長に就任した者だけが変身できる。
という以外にも、或人しか変身できないから結果的に社長だけが変身できるロジックも成立するのだ。
もちろん、こう勘ぐるのは或人の父親がヒューマギアであることも疑念に拍車をかけている。第一話は気になる要素を埋め込むのがホントに上手い。

今回は怪人側であるマギアにも変身ベルトが用意されていた。
形状が完全に龍騎で、カードデッキ装填しているようにしか見えない!
ちなみに龍騎は正面向いたままデッキケースはめ込む難易度が激高で有名なので、役者さんの苦労が偲ばれる。

マギアは内部のデータを書き換えられて、全く別の力をロードすることで怪人化が完了する。
変身した瞬間は筋肉どこに脱ぎ捨てたの? と思ったが、ゼロワンの二段階認証と対になるハッキングの流れとして成立しているのだろう。

人々を笑顔にする仕事で自分も笑顔になる優しいヒューマギアが、ハッキングされることで全く別の危険人物と化す。
そして日常が一気に惨劇へと変わっしてしまう機械故の恐さが表現されていた。

変身後の姿が蜘蛛ではなくあえてカマキリ型なのと、ゼロワンのやや腰を落として拳を握らず腕を上げたポーズにオーズっぽさを感じた。
バスを使った迫力ある動きの画も熱く、バッタ特性を活かした演出としても評価が高い。

今回はあえてゴチャゴチャしたパーツを減らして、動きやすさを重視したスーツなのも上手く活かしたアクションが観られた。
そこへ自分のジャンプ力に驚く姿やアイテムを顔面キャッチする演出が入って、戦闘初心者とキャラクター性も入れ込んでいる。
スーツアクターの変更は良い意味で全然気にならない素晴らしい演技だった。

初変身ジャンプ力に驚くシーンの演出はライダーじゃなくてプリキュアのお約束だよね!
アイテム顔面キャッチも、主に主人公の伝統芸としてプリキュアでよくあるヤツという印象が強い。
監督が流石ルパパトから来たお方というか、あえて仮面ライダーだけに拘っていないところが、逆に仮面ライダーらしい自由さだなと思える。

なかやまきんに君がヒューマギアをやった大きな意義とは

冒頭シーンで商品説明の形式でヒューマギアを解説して、同時にどれだけリアルな人間に近い存在かをアピールしている。

特にヒューマギアの外見はもはや人間そのものだ。耳に取り付けたメカがなければ、それこそ見分けの付けようがない。
『To Hert』シリーズのメイドロボを思い起こさせる。

もちろん視聴者視点で絵的に見分け付けるため取り付けているのだろう。
しかしながら、これは実際に『ゼロワン』世界に住まう人々にとっても同じことが言えるのだ。

そうでなければ『仮面ライダージオウ』のキカイ編で登場したヒューマノイズと同じく、純粋な外見だけで見分けを付けることができなくなる。
お前はキカイか。それとも人間か。
つまり、あまりに人間に近付き過ぎた結果、一般市民がわかりやすく見分けを付けるため装着しているとも考えられる。
(胸のマークもあるが、こちらは服を着るとわからなくなる)

そしてヒューマギアが暴走するイメージシーンでは、ヒューマギアは人間の姿になる前の素体で、地面を這う様に襲いかかってきていた。
特に動きの変化というのは人間性の喪失も意味している

過去にNHKであった宮崎駿氏とその仕事を紹介する番組で、川上量生氏が人工知能に動きを学ばせた人型のCGを公開した。
倫理的な問題やらなんやらで宮崎駿氏が激怒して炎上騒ぎになったのだけど、本考察とは一切関係ないので置いておく。
そのCGではとにかく素早く動くことを目的としており、そのCGによる人型は地面を這うような姿で動いていた。

この例からもわかるように、人間は人間であるが故に歩いたり走ったりする。
人間性を捨てて、より効率よく動こうとした結果が走るのではなく這うという動きへの変化。つまりヒューマギアにおける人間性の欠如を示しているのだ。
マギアによって一般のヒューマギアが素体の姿になるように、外見や動きが人から離れることでヒューマギアは怪物と化したという印象を与える。

そしてゼロワンはライダーキックにて迷わずマギアを撃破した。
人工知能である以上、元の人格を上書きされてしまったら完全に別人格となる。
そうなれば倒すしかないという理屈は間違っていない。
悲しいかな、公式サイトでも現状では復元方法がなく倒すしかないと明言されている。

けれど平成二期以降のライダーは、基本的に町で暮らす人々が怪人化するケースだと、大概怪人になる要素だけを破壊して救出される。
腹筋崩壊太郎はヒューマギアであって人間ではない。
けれど少なくない視聴者が、腹筋崩壊太郎が破壊されたことにショックを受けている。
それは倒されたことを『死』だと認識しているからだ。

腹筋崩壊太郎は自分の芸で笑顔になった人達を見て、自分も笑顔になっていた。
それとて言ってしまえば『人を笑顔にすることが自分の使命である』とプログラミングされたに過ぎない。
それでも、ただの使命だけならば、記憶として反芻して自分まで笑みを浮かべる『必要』はないのだ。

システム的には無駄なことであるが、腹筋崩壊太郎にはそれが備わっている。
『それ』の正体とは共感性だ。もっと噛み砕くと人に親切であることと言える。

今回の記事タイトルでも使用した小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は、ロボットを労働階級のメタ表現ではなく、初めて人間と機械の違いとは何かという題材にて使用したSF作品だとされている。
当作でも人間たらしめるものとは人に親切であること、つまりは共感性であると説いている。
仮面ライダーとは全然関係ない作品ではあるが、人と機械における心の差というものを、非常にわかりやすくかつ深く描いた作品だ。

ゼロワンはこれからAIに対して心や生命的な部分に踏み込んでいくだろう。
読んでおくと、心あるAIというものに対する物語をより深く楽しめると思うのでオススメする。
(それはそれとして個人的に一番好きなSF小説でもあるよ!)

人に親切であるためには、人の気持ちを理解しなくてはならない。
つまり人の心を察して、喜んでもらうにはどうすればいいかを考える。

お笑いというのも本質は近くて、こうすれば人は面白いと感じるだろうと考えて実行しなければ笑いは取れないのだ。
あえて第一話からお笑い芸人という、感情に根ざしたジャンルをヒューマギアにしたのは非常に興味深くて面白い。

もう一つ重要なこととして、人の死を悼むには悼む側にも共感が必要だ。
平成二期以降から増えた序盤の一話完結構成だと、出番が少ないためゲストの登場人物に対して感情移入することは難しい。

ここでお笑い芸人として既に知名度が高く、外見的なインパクトも強いなかやまきんに君を起用したことが大きなプラスになる。
キャラクター性も筋肉推しの芸人なので、視聴者のイメージもそっくりそのままなかやまきんに君になる。
フィクション番組としてはメタ構造で半ば反則的ではあるものの、思いやりのある人物性と元々高い知名度が合わさり、腹筋崩壊太郎に十分な共感性を与えることに成功した。

それだけ計画的に共感性を植え付けた上で、第一話から登場人物の『死』を印象付けたのだ。
放送開始前からAIがテーマの作品だと公言していることもあり、これは人工知能に対する生命の倫理観を問うと宣言している可能性が非常に高い。

失われた命はもう戻らない。
たとえ再び腹筋崩壊太郎が登場したとしても、それは自分のギャグで笑ってくれた人達の笑顔を思い出して微笑んだ、あの時の腹筋崩壊太郎ではない。

エグエイドではバグスターウイルスによる消滅を『消滅という症状』であり治療可能な病気として挑んでいる。
第一話だけで見るなら、腹筋崩壊太郎の破壊はアマゾンズの一線を越えた生命倫理の方が近いとすら思う。
或人のお笑い芸人設定や慣れてない戦闘でのコントなど、全体的にコメディタッチが強い傾向にあったが、そうしないとかなり重い作品になってしまいかねない二面性があった。

腹筋崩壊太郎の命は取り返しがつかない。
けれど彼の笑顔と優しさが、ゼロワンという作品を形作る中で、重要な一つになっていくことを私は期待する。
腹筋崩壊太郎の(AI)は、人々を笑顔にする夢を、きっと見ていたのだ。